3-2 智奈と混血人種
「ちょ、マジ死にそうなんで早くしてくれ」
息の上がる霧亜はスーツの男に話しかけた。
霧亜の言葉は知らない言葉だった。なのに、理解ができる。
不思議な感覚だった。
「レディを泣かせるなんて私そんな不躾な男に育てた記憶ないんですけどね」
男はしゃがむと霧亜のナイフに手をかけ、おもむろに素早く抜いた。霧亜は痛みで腰を上げ、悲鳴をあげる。
智奈は驚いて霧亜の手を握り、スーツの男に怯えと怒りの目を向けた。
スーツの男はにこりと笑って智奈の頭を撫でる。
「大丈夫ですよ。聞いていないかな、私はサダン、魔術学校の校長で、霧亜の育ての親です」
サダン、という言葉にどこか聞き覚えがあった。というより先程霧亜が口にしていた。
サダンなら、なんとかしてくれる。
智奈の理解が追いつかないうちに、サダンは霧亜の傷口に手を当てた。右手で手を当てながら、左手で、懐から小さな白い紙切れを取り出す。その紙切れを床に流れた霧亜の血液に当てると、何か模様の形にだけ血が滲んでくる。それを、霧亜の傷口に当てた。
霧亜は目をつぶってソファの布を握りしめ、下唇を噛んで痛みを堪えている様子だった。
「はい、終わり」
サダンが霧亜から手を離した時には、霧亜の土気色になっていた顔色も元に戻り、カーペットに滲んでいた血もなくなっていた。
「ああああ、死ぬかと思った」
深く息をついて、霧亜はソファの座る部分に首をもたれる。
黒猫が、霧亜の足の上で丸くなった。
「なんで平和的に帰って来れないんですか。ナイフを刺されるなんて、ヤクザに関わりでもしたんですか」
呆れたようにサダンはソファに座り、眼鏡をくいっと押し上げる。
霧亜は乾いた笑いを漏らした。
「そのまさか」
霧亜は栗木家に行ってからのいきさつを話した。
「で、最後に出てきた魔術師が、親父だった」
サダンは細い目を限界まで見開いた。
「ハイネンが?」
「風を使えって、怒られた。あのクソ親父」
「お父さんだったの?」
最後というのは、あのコートのおじさんだろうか。
あの、霧亜に散々悪態をつかれていた男。
智奈が菅野と道端で会った時に声をかけてきた黒いコートの男。霧亜が親父というのであれば、それは智奈にとっての本当のお父さんなのだ。
「そう、あれがオレらのお父さん。智奈をこっから連れ出して、十年近く行方をくらましてた親父が、オレらのピンチに第一の世界に助けに来てくれたわけ」
「それで、ハイネンはどうしたんです」
サダンは食い入るように聞いてきた。
「知らねえよ、本当に死にそうになって、こっちに帰って来るしかなかったんだから。今すぐあっち行って確認してみれば」
鼻を鳴らして霧亜はサダンを睨みつけた。
「今すぐ行くことはさすがの私でも難しいですよ」
「知ってっし」
サダンはふむ、と考え事をするように顎に指を当てた。が、すぐに考え事をやめたのか、唖然とする智奈に目を向けた。
「本当、ヤナとそっくりだ。昔のヤナを見ているようですね」
先程黒猫も言っていた。
「ヤナって?」
霧亜は突き出す唇を引っ込めた。
「
本当の両親の名前を、今知るのは不思議な感覚だ。
さっきの助けてくれたコートの男が、本当のお父さん。
確かに、髪色は智奈に似ていたような気がする。もさもさの髪質は霧亜だ。
サダンが立ち上がり、リビングの脇にある本棚から写真立てを持ってきた。
木の枠に入れられた写真には、女性が写っている。胸あたりまであるロングヘアの白に近い金髪、瞳は学校にいた時の霧亜のような灰色の瞳を持つ女性が歯を見せて笑って写っている。
これが、弥那という智奈のお母さんなのか。
「私は、魔術学校時代の霈念と同級なんです。弥那は霈念と一緒になってからの古い知り合い。二人が、今君たちの前にいないのが本当に残念だ」
この写真の女性は、前に霧亜が病気で死んだと話していた、お母さんだ。
「止むを得ずこちらに来てしまったみたいですけど、智奈、あなたはここにいたいですか?」
突然の質問に、智奈はきょとんとサダンを見る。
こんな質問が来るとは思わなかった。
果たして、戻りたいと言って戻れるのだろうか。戻って元の生活ができるのなら、それに越したことはない。ちらりと横を見ると、そわそわと落ち着かない霧亜が見て取れた。
あの大怪我でも、ひたすらに、智奈の心配しかしなかった霧亜。問答無用でこちらに連れてくればいいことなのに。それをせずに学校生活を共にしていたのは、ちゃんと智奈の心の準備ができてからと思っていくれてのことだ。
「こっちで、あたしはどうなるんですか」
サダンは前向きな質問が来たことにふふと笑顔を作った。
「法的に、成人するまで私の養子として、家は霧亜と同様ここに住んでもらうことになります。私は学校に住んでいるのでここに来ることはそうないですが」
「良かったな娘ができて、ロリコン親父」
ぼそりと霧亜が言う。
サダンの顔色はさっと血の気が引いた。
「弥那に全力でぶっ飛ばされるんでやめてもらえます、そういうの」
お母さんは、相当強い存在だったようだ。
「君たちの今後が楽しみですよ」
にこにことサダンは昔を思い返すように愉快そうに話した。
「お母さんとお父さん、強かったの?」
霧亜は大きく頷いた。
「親父の一族は暁乃一族っていうんだ。強い魔力を持った一族で、親父はその中でも最強と言われた魔術師なんだ。さっきの八木の魔術師の攻撃、簡単にいなしてたろ? あんなことなかなかできないよ。母さんも、こみえ一族っていう体術師の中ではめちゃくちゃ強い一族だったんだ。暁乃もこみえも、この世界では結構有名だ」
突然饒舌になる霧亜に、智奈は気圧された。ずっと話したかったという表情だ。
一方、霧亜の話に、サダンはあまりにこやかな表情ではなかった。
「そう、その暁乃とこみえの子供だということで、一つ覚えておいて欲しい重要なことがあります」
先ほどまでとは全く違う、真剣な雰囲気。
「今言わなくても」
霧亜は慌ててサダンを制すが、サダンの一瞥にぐっと言葉を抑えた。
「この世界で、君たちのように体術師と魔術師の間に生まれた子は『混血人種』と呼ばれます。そして、混血の子供は魔術か体術、どちらかの力を抜くことが法律で決まっています。でも、君たちはまだ抜かれていない。それが、君たちご両親の願いだったから。見廻にその事実が知られたり、混血をよく思わない政府の人に感づかれたら、強制的に力を抜かれてしまうかもしれない。混血の存在は疎まれもするし、称賛もされる。この世界にいる以上、それだけは覚えておいてください」
サダンの言葉は、自分に向けれれているように感じなかった。魔術も体術も、身に覚えのないものだから。
そんなこの世界にいてはいけない存在なのなら——
「じゃあ元の世界にいるのはダメなの?」
ふと出てしまった言葉。霧亜の顔は見れなかった。
サダンは口角のみ上げて笑顔を作った。
「そうしたければ、そうしましょう。でも、今すぐには帰ることはできません。未成年では向こうの世界に一人で行くことはできません。この世界の成人は十五歳です。君が一人で戻るにはあと数年かかります。霧亜が成人するのはあと一年後。せめてそれまで待ってください」
「お前が、連れてってやれば」
絞り出すような霧亜の声。
サダンは満面の笑みを浮かべた。
「私は仕事が忙しいので無理です。私が一緒にいけないから、霧亜には相当無理な条件を出して、それをクリアしたから、一人で行かせました。もし智奈も今すぐ一人で戻りたいと言うのなら、条件を作りましょう」
智奈は頷くことしかできなかった。
「とりあえず今日は突然こっちに来て疲れたでしょう。色々見学してみたり、この世界を見てみなさい。そして色々考えなさい。ここは、君の故郷であることに間違いはない」
私、今会議中なので。と、サダンの姿はなくなった。
サダンのいた場所には、魔法陣の書かれた人型の紙切れが落ちている。
「本物じゃなかったのか」
霧亜はぽつりと呟いた。
「霧亜、六年生じゃなかったの」
「え、ああ」
「おっきかったもんね」
「無理あった?」
「ちょっと無理あったかも」
「恥っず」
探り合うような、兄妹の会話に、黒猫は大欠伸を見せた。
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