2-7 霧亜の英雄

 砂漠で砂嵐に襲われたような感覚で、オレは目を細める。

 瞬きの一瞬の間で目の前に現れたのは、黒いコートを着た男だった。フードを深く被っているから、どんな男なのか全くわからない。

 コートの男は智奈を守るように立つと、オレと八木の魔術師、お互いの腹に手を置た。男の手の平から渦のような風が吹き、オレと八木の魔術師は背中方向に飛ばされた。


 オレは空中で体勢を立て直し、床につくと顔を上げる。

 今度は誰だ、また魔術師が出てきた。

 こんなに次々と、ここ第一の世界だよな?


「誰だてめえ!」

 フェンスギリギリ位に八木の魔術師は飛ばされていた。


 風を使う黒いコートの魔術師は、智奈の肩を守るように抱いている。智奈を助けてくれたってことは、栗木の加勢か? 栗木のとこにも、魔術師がいるのか。


 自分の放った風に煽られて、フードが外れる。

 薄い栗色で肩まであるくるくるの髪を後ろに束ねた男。

 その顔が見えた瞬間、オレの体中の毛がざわついた。オレは、あの人間を知ってる。

 あそこにいる、白いワンピースの小さな女の子を抱えて、家を出ていった男をオレは知ってる。

 コートの男は智奈をしばるコンクリートに手を触れて壊すと、背中を軽く押し、オレの方に歩かせた。


「智奈早くこっち来い!」

 オレは走ってきた智奈の手を取ってオレの後ろに隠した。

 智奈は、肩を震わせていた。……ごめんな。


「なんなんだてめえ!」

 八木の魔術師が声を上げると、コートの男の足元からコンクリートが蔦のように巻き上がってきた。が、一瞬にして男から放たれた風に吹き飛ばされる。

 土の相克は木。土は風に逆らえない。そんなことより、あんな下級魔術師が、あいつに勝てるわけがない。

 最強なんだから。


 コートの男は八木の魔術師の目の前に瞬間移動した。首を掴んでフェンスに押し付け、コートの袖から出したナイフを八木の魔術師の首に突きつけた。

 あのナイフ、薄く擦り合わせた風をまとわせてある。あれが首についたら、一瞬で首が跳ねる。きっと痛みを感じないレベルの速さで。


「そこまで」

 屋上の入り口から声がした。見ると、タバコを咥えた知らないおじさんと洋子さんが立っている。

「ずいぶん派手に街中で魔術を使ってくれたな。こっちも隠すのに色々面倒なんだぞ」

 煙を吐き出す男は、ねえ、栗木の姐さん、と洋子さんを見る。

「この償いは、正式なお話し合いで解決させてもらいましょか、八木の若頭はん」

 洋子さんの声も、さっきまでと違って低く怒りに満ちている。


 コートの男はナイフを離し、八木の魔術師を八木の若頭と洋子さんの前に転がした。


かしら、元はそいつらから売られた喧嘩です。売られたら買うしかねえでしょ」

 八木の魔術師が声を荒らげる。


 夜の空に、発砲音が轟いた。


 八木の魔術師の悲鳴が聞こえた。肩を押さえて体を小さくしている。

 よく見れば、大量の血が流れ出してる。早撃ちすぎて、撃ったことに、気づかなかった。

 いくら魔術師といえど、撃たれたことに気付かなきゃ防御もできない。拳銃を出した動作が全く見えなかった。


 拳銃を放ったタバコの男は鼻を鳴らした。

「あの事件は栗木も八木も関わっちゃいねえ! 勘違いのヤクザ同士の喧嘩にお子様を巻き込んでんじゃねえ」

「うちの子供達を傷つけて、ただで済むと思わんほうがええで、八木の魔術師野郎」

 洋子さんのオーラがさっきまでの母親のものじゃない。いつでも人を殺せそうな雰囲気だ。


 もう一度拳銃の発砲音。

 今度は洋子さんの足元ギリギリに煙が上がっていた。

「勝手にもの言い過ぎじゃないですか? うちも損害は出てるんで」

 と、若頭はオレに鋭い眼差しを向けてくる。ウィスキー爆弾で蹴散らした一般人のことか。

 八木の若頭の言葉に、洋子さんの美しい顔は鬼の形相に変わった。

「てめえの馬鹿どものせいでうちの街の子供が怪我してんやぞ。今すぐ殺されてもええねんで」

 ドスの効いた陽子さんの声がオレの腹の底まで縮み上がらせる。


 小さくなっていた八木の魔術師はまだ諦めきれないのか、杖をひと回しして地面に叩きつけた。

 屋上の周りの柵が変形していき、針山のようになっていく。土と金を使うドワーフのようなパワー系魔術師のようだ。

 が、最後の抵抗も虚しく、コートの男が手を伸ばすと、柵の金属がオレンジ色に光りだし、高熱になって溶けて行った。

 柵がなくなり、危ない屋上に早変わりする。鉄を溶かせるほどの高熱を出せるなんて、よっぽど上級魔術じゃなきゃできない。それを杖も出さずに手を伸ばしただけでできるなんて。


「なんでてめえがここにいんだ」

 この、黒いコートの男は、菅野の魔力が暴走しかけるのを、一声だけで止めた。あれは、こいつだったんだ。


 オレがコートの男に悪態をつくと、コートの男は智奈と同じ髪色の頭をかいた。こっちを向くと、深い群青の瞳がオレと智奈を見据え、口角をあげてへらっと笑う。

「こんなはずじゃなかったんだけどな」


「てめえ、ストーカーすんなら堂々としろよ、くそ野郎!」

 オレの悪態に、コートの男はゆっくりと目をつぶり、開けた。

「ずっと、見てた」

 悲しげな声を漏らす男に苛立ちを覚えた。


 全部お前が招いたことじゃねえか。

 お前が智奈を連れて家を出て、お前のせいで母さんは死んだ。

 お前が普通に、父親でいてくれたら、すげえ強え自慢の親父でいてくれたら、オレはこんなとこにもいないし、智奈も本当の両親がいる家に育てられてた。

 こいつが何もしなければ。


「てめえ、ふざけたことぬかしてんじゃねえぞ」

 オレは自分の右肩をいつの間にか強く握りしめていた。


 この時オレは、もっとちゃんと話を聞いていればよかった。

 失踪した以来見てなかったのに、突然目の前に現れて、ただの怒りしかなかった。

 なんで親父が出ていったのか。何でオレと智奈を離したのか。

 何で智奈は第一の世界で、新たな親と暮らしていたのか。

 何で、一緒に過ごしてくれなかったのか。

 オレにした封印魔術は、なんなのか。


「霧亜、智奈はあっちで暮らしちゃいけないんだ」


 親父がオレを説得でもしようという声を発したとき、何かが、オレに真正面からぶつかってきた。

 それが八木の魔術師だとわかったときには、脇腹に強烈な痛みが襲ってきていた。

 溶けた柵の鉄から新たに生成した、簡単な作りのナイフ。それが、オレの脇腹にめり込んでいた。


 体当たりをされたオレは、そのまま後ろに転ぶ。

 オレの後ろには智奈がいた。智奈は、オレの背中に押されて、後ろに大きくよろけた。

 いつもあるであろう柵は今日は溶けて消えている。智奈は、柵にぶつからず、十階建てのビルの屋上から、身を投げ出された。

 オレは智奈の名前を叫びながら、いつの間にか自分もビルの屋上から飛び出している。智奈は掴めたものの、このままじゃ道路にぶつかってぺしゃんこだ。


 やばい、やばいやばいやばい!


 もう、自分で魔術を操る魔力も体力も残ってはなかった。このままじゃ、地面にぶつかるのを智奈を抱えままま数秒待つだけ。


 ポケットから、一枚の紙を目の前に迫った地面に突き出した。


 ふわりと風が吹いて、落下速度が落ちた感覚があったが、それを感じた時には、暗闇がオレたちをしっかり包み込んでいた。

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