2-5 霧亜の露見

 オレの箸が止まった。


 口の中に入っていた美味すぎるカツレツを飲み込んで、オレはどう切り返そうか考えた。

 洋子さんはなんなんだ? この人も第二の世界の人間なのか?

 はぐらかした方がいいのか、認めた方がいいのか。すでにこの箸を止めて間を空けてしまったことではぐらかせる余裕がなくなってる。


 洋子さんはふふっと笑った。

「ごめんな、困らせるつもりはないんよ。ただ、まさか界隈で噂になってた学校に潜り込むやんちゃ坊主を、壮介が連れてくると思わんやん。偶然というか運命というか」

 はぐらかす方向はなしにした。

「何で、知ってるんすか」


「栗木組はな、昔から第二の世界の見廻と協力し合う組なんよ。裏の世界の人らはそういう役回り多いねん。第二の世界のことは、うちのもんでも一部しか知らん。もちろん、壮介も。私らは魔術も体術も使えんこっちの世界の人間」

 それに、と洋子さんは歯を見せて笑い、オレの背中をばしっと叩く。

「私幽霊よく見えんねん。君の馬鹿でかい魔力がだだ漏れしてるのも見えるんよ」


 たまに、オーラが見えたり幽霊が見えたりする人がいる。見えているもの、幽霊の類はつまり魔力だ。死後、魔力が具現化して見えるだけ。


 オレは普通の魔術師より魔力が多いらしい。見える人からするとだだ漏れなのはさすがに恥ずかしい。魔力が見える人と、オレらみたいに使える人はまた別だ。オレは見えない。


「壮介を救ってくれた子が、そっちから来てくれるなんて前世でどんだけ徳を積んだんやろ」

 そこまで言うと、洋子さんは母親の優しい瞳でオレを見つめてくる。

 手を伸ばして来たかと思うと、しっかりと抱きしめられた。

 オレはどうしていいのかわからず、ご飯もテーブルに置けずに硬直してしまう。数秒無言だった洋子さんは、更にぎゅっと腕を締めてくる。


「壮介を、救ってくれて、ありがとう」


 オレの心臓が、どくんと跳ねた。

 この人の言う壮介を救ったとは、友達になったことじゃない。この人は、菅野との、あの公園での出来事を全部知ってるんだ。


 洋子さんは頭を撫でてくる。

「君がおらんかったら、きっと壮介も康太も、智奈ちゃんも殺されてたかもしれん。ももちゃんの事情は知っとったけど、亡者になる程壮介を好いとってくれてたのは気付けへんかったなあ」


「オレ、あの時、間違ったこと……」


「してへん。君は何も間違うてへん。君は勇敢に戦って、三人もの命を救ったんよ。そして三人を守る為に自分の記憶は残した。君は英雄や」


 あの時、オレの判断で三人の記憶を消して正解だったのか。一人で抱えるにはオレじゃ器の足りないあの光景を。

 初めて見た亡者と、菅野を守らんとする残忍な母親と父親の姿。次々と倒れていく見廻の肉塊。


「ありがとう、ございます」


 洋子さんが離れると、洋子さんは目をキラキラさせてオレの顔を細い手で包んでくる。

「ちょっとあんた、これ本当の髪と目?」


 あー、またやった。


 今のオレは、元の頭と目に戻っているらしい。視界に入ってくる毛先が白い。

 今回は魔力は充分あるが、感情が高ぶったせいだ。こっちの世界にいる間ずっと髪色と目を変えっぱなしにしてるから、最近気を抜くと元に戻っちまう。


「はああ、本当に君かっこいいの限度を知らんね。写真撮りたいけど証拠残さん方がええな。もう少し目に焼き付けさせて」

 じっと見られるとめちゃくちゃ恥ずかしくなってくる。


 階段からバタバタと誰かが下りてくる音がする。襖がたんと開いた。


 オレは慌てて頭を振り、髪と目を元に戻す。

 振り返ると、壮介がそこにいた。固まって動かない壮介に、オレは冷や汗が流れる。見られたか?


「どうしたん、壮介。あんたのおかげで素晴らしいイケメン拝ませてもらてます。アイスならのりさんに聞き」

 助け舟を出してくれた洋子さんのお言葉に、壮介ははっとして小さく頷き、別の襖から厨房に向かった。


 見られたかどうかはわからないが、瞬き一回でもう元の色に戻せてたはずだ。見間違いと思ってくれてればいいか。



 オレはのりさんの出してくれた料理を完食し、アイスを取りに来た壮介と一緒に上に上がった。


 上ではみんな人生ゲームをしていたらしい。二回目の人生に入れてもらい、完膚なきまでに他を叩きのめしてオレが優勝した。

 遥平の泣きが入ったが、そんなことよりオレの心は晴れやかで気分が良かった。

 次に、男子の相撲大会が始まり、壮介も康太も打ち負かしてオレが優勝し、今度は遥平から羨望の眼差しをもらった。


「お邪魔しましたー」

「霧亜また来てなー!」

 遥平が大きく手を振る。

 洋子さんと遥平が、玄関まで送りに来てくれた。


 オレたちはヤクザさんたちの「お気をつけて」という行列に見送られながら栗木家を後にした。

「送ってくる」

 と壮介は靴を履いて出てきてくれる。


 帰ることを伝えた時、洋子さんはまたオレたちを一人ずつ抱きしめた。最後にオレを抱きしめた時、耳元で「何かあったら、いつでも頼りにくるんよ」と囁いてくれた。

 こっちの世界に、事情を知ってくれている大人がいるのはありがたい。

 離れたオレは深く頭を下げた。


 帰り道、康太はひたすら、オレが洋子さんとの抱擁が長かったことに対して文句をつけてきた。

 オレは聞き流しながら、数メートル後ろで楽しげに話す壮介と智奈が気になっていた。

 ここ数日で仲良くなりすぎじゃね? ……別に、妹の恋沙汰に文句は言わないけど? 恋沙汰なのか知らんけど?


「霧亜がまだ下にいた時、今度、二人で遊ぶ約束してたよ。買い物とか言って」

 いつの間にか文句を終えていた康太がオレにすっと近付いてきて呟いた。

「え、マジ」

 お兄ちゃん聞いてない。


「壮介もやるよねー、学校でもなかなか可愛い智奈ちゃんをコロッと落とすなんて」

「お前智奈のこと前から知ってたのか」

「一回遠足で縦割りの班が同じだったんだ。智奈ちゃんが二年生の時。めちゃくちゃ可愛いかったから、ずっと一緒に手繋いであげてたの俺なのにな」

 その時から目をつけられていたわけか、恐ろしい。


「あ」

 智奈が声を上げた。

 振り返ると、智奈がワンピースのポケットから人生ゲームの駒を取り出した。自分が使っていた赤色の車に女ピン二本と男ピン一本が刺さった車だ。さっきの人生で、智奈は女の子の子宝に恵まれていた。

「壮介ごめん、持ってきちゃってた」

「ん」

 壮介はそれを受け取り、自分の尻ポケットに入れる。

「智奈の大事な子供、ちゃんと家まで送り届けてくれよ」

 冷やかし気味にオレが壮介に言うと、真正直にしっかりと頷かれた。

 冗談の通じないやつめ。

 康太はオレの隣で爆笑している。


 辺りはだいぶ暗くなっていた。道に点々とある街灯が光り出す。

 住宅街の細道だが、意外と車の通りは多い。帰宅のサラリーマンが乗っていたり、送り迎えらしき母親の運転手だったり。


 銀塗りのバンがオレ達の前からこちらにむかって走ってくる。サングラスをかけた怖めのお兄さんと、いかつい顔の男が運転席と助手席に座っている。

 ついさっきまでの体験で、サングラスのお兄さんが今までよりは怖い存在ではなくなっていた。あの車の人達がヤクザかどうかはさすがにわからないけど。


「今度俺も智奈ちゃんとデートできるか聞いてみよ」

「お兄ちゃん権限で阻止」

 言ってから、口滑ったことに気付く。自分で思ってるよりも内心浮かれてるらしい。

「本当のお兄様だったらその権限行使してもいいよ」

 康太は鼻を鳴らした。


 本当のお兄様なんだけどな。


 バンがオレ達の横かなりギリギリを攻めてくる。

 オレは康太の肩を掴んで壁に引き寄せた。結構ギリだった。

「あっぶな、ありがと」

「気をつけろー」


 がらりとバンの扉が開く音。


「智奈!」

 壮介の腹からの叫び。


 後ろを振り返ると、一人の男がバンに乗ったまま壮介の肩を掴んで腹に拳をめり込ませている姿。

 バンから助けを求めてのびるか細い腕と白いワンピースの端が見えた。

 壮介は腹を抱えてうずくまり、さっきの食べたものを口から胃液とともに吐き出した。


 バンは扉を閉めて急発進して去っていった。


 智奈?

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