2-4 霧亜とヤクザの姐さん

 ついに日曜日がやってきた。


 いつもより髪の毛は整えた。服装も昨日黒いジャケットを買ってもらった。下は昨日洗ったジーンズ。靴も一応布で拭いた。心の準備もできた。

 智奈も昨日アイロンをかけた白いワンピースを着ている。


 昼前に家を出ると康太がオレたちの家の前で待っていた。康太はオレを見るとプッと吹き出す。

「待って面白すぎ。写真撮りたい」

 康太の格好はいつも通りだった。ただ菓子折だけは持っている。


「ちょっとお菓子忘れてる」

 智奈も玄関から出てきた。

 今日の約束を取り付けた後に、「壮介のお母さんはチーズ菓子が好き」と康太に聞いていた。


「ちょっと待って霧亜どいて」

 手を引っ張られ、後ろに退けられる。が、すぐに地面に崩れ落ちた。

「あああカメラ持ってない」

「あっても撮らせねえ」

 いつの間にか智奈はオレの後ろに隠れている。

「智奈ちゃんの白いワンピース」

 ぼそりと康太は立ち上がる。

「ほんときもい」


 康太の案内で、学校から俺たちの家よりもっとまっすぐ進んだ所に歩いていくと、大きな木造の壁が立ちはだかった。

 左右に首を振ってもだいぶ先まで漆喰の壁しかない。江戸時代にタイムスリップでもしたかのような感覚だ。まさかこの奥が全部家なのか。なかなか初めて見る光景でオレは信じられなかった。

 さらに康太についていくと壁の一部が門になっている場所へたどり着いた。

 木造の門の右端にはしっかりと栗木という仰々しい名札が掲げられていた。なんだか急に現実味が増してくる。ここが本当に栗木の家……なんだな。


 康太は何の躊躇もなしにインターホンに指をかけた。

 だいぶ遠いところでインターホンのベルが鳴る音がする。

「いらっしゃい。開ける」

 声の上ずった壮介の声がインターホンから聞こえてくる。


 木造の門が勝手に観音開きで開いていく。門の向こうには想像していた通りの光景が広がっていた。

 門から遠くの家まで、地面は良い石の砂利道。その左右にずらりと並ぶスーツか柄シャツの男達。両足をがに股に開き、手は後ろに、仁王立ちで全員真ん中の道を向いている。


 怖い怖い怖い怖い。


「いらっしゃいませ」

 一人の男が声を上げると、全員が復唱する。


 怖い怖い怖い怖い。


 康太を見ると、「こんにちはー」と、慣れたように砂利の上を歩いていく。

 オレと智奈は慌てて康太の後ろをついていった。


 テレビの中で見たことのある、江戸時代の武士が住んでるような屋敷の横開きの扉の前に、すらっとした着物の女性が立っていた。

 綺麗すぎて、年齢不詳だ。白い着物に紫の帯。髪をしっかりと上げてきりっとした目はオレと智奈をしっかりと見定めている。


 怖い怖い怖い怖い。


「お久しぶりです洋子さん」

 康太は軽い足取りで着物の女性に近付き、ひしと抱き締めた。あいつ、絶対鼻の下のびてる。


「よう来いはったな、康太。壮介と遥平ようへいも中で待っとるよ」

「はーい。あ、これどうぞ」

 完全にオレたちを置いて、菓子折を洋子さんに渡すと、オレが止める間もなくバタバタと家の中に入っていった。


 智奈は後ろから無言でオレにチーズ菓子の紙袋を渡してくる。何だ、オレが渡せってか。玄関前で智奈と無言の喧嘩をしていると、ふと洋子さんと目が合った。

 あっ殺される。

「あっ、これ、つまらないものですが」

 緊張で声が上ずった。

 洋子さんは、しなやかな手で紙袋を受け取ってくれた。にこりと笑い、家の中へ誘ってくれる。

「ありがとう。中、入ろうか」


 小さく何回も頷き、とりあえず忍び足で中に入った。


 洋子さんは後ろ手でぴしゃりと扉が閉まり、玄関にはオレと智奈と陽子さんの三人になる。

「あんたが霧亜くん?」

 切れ長の瞳がオレを引っ捕らえる。

 またオレはこくこくと首を縦に振る。

「あんたが智奈ちゃん?」

 透き通った黒い瞳が智奈に動く。

 智奈もオレと同じ動きをした。


 すうっと息を吸い込むと、洋子さんはオレと智奈をがばっと抱きしめてきた。甘過ぎない、いつまでも嗅いでられそうなめちゃくちゃいい匂いと、着物の和風な匂いが混ざる。

 何が起こったのか理解できなかった。

「あんたらかっこかわええなあ。おばちゃん、あんたら二人見たとき興奮してしもたわあ」

 さりげなく頰にキスをされた。もう一度ぎゅっとされてから、解放される。

「壮介の友達なんて、あたしらのせいで全然できんくて、本当申し訳なかったんよ。おばちゃん嬉しいわあ。ありがとな。これからも壮介と仲良くしてやって」


 玄関の前の階段からバタバタと音がする。壮介が、小さな男の子と下りてきた。

「こんにちは! ようへいです!」

 大きな声で、遥平君は手をあげる。

「いらっしゃい」

 遥平にしがみつかれてる壮介は、照れ臭そうに笑った。


 洋子さんは階段を下りてきた壮介をオレたち同様がっつりと抱擁した。いつもの光景なのか、するりと母親をかわした遥平は、さっさと隣の和室へ消えていく。

「あんためちゃくちゃイケメンとかわい子ちゃんやん! よくやった息子!」

「ちょっと離して」

 身動きの取れない壮介はもぞもぞと恥ずかしそうに体を動かす。

「あ、のりさんがご飯作ってくれてる」

 頰にキスの嵐を受けている壮介は隣の部屋を指差した。


 中に入れてもらうと、和風の居間に大きくて黒く、これも高そうな背の低いテーブルが置かれ、大量の料理が並べられていた。大所帯の宴会場のような光景だ。和洋折衷、菓子からケーキやら。まるでバイキングだ。


 豪勢な料理に唖然としていると、奥の部屋から割烹着を着た男が出てくる。照れくさそうに笑う割烹着の男は、白い帽子を脱いだ。つるりとした禿頭が顔を出す。

「坊のお友達さんが来るって言うから、張り切りすぎちまった」

 半袖の割烹着の下からチラリと見えるのは鱗のようなものだ。ああ、これが背中に龍を背負うのりさんだ。


「すげー! のりさんいつものよるごはんよりごうか!」

 遥平が手を繋いでいる智奈をぐいぐい引っばり、飛び跳ねながら席に着いた。

 智奈は一瞬で遥平に気に入られたらしく、傍を離れない。


「遥平、行儀悪くするな」

 壮介に言われ、遥平はべっと舌を出す。



 みんなが腹がいっぱいになった頃、オレは本気を出し始めた。少しずつ残った大量の料理を、全部喰らい尽くしていく。

 マジ、この料理美味すぎる。智奈が作ってくれるごはんもめちゃくちゃ美味しいけど、智奈はお母さんに教わった料理の味。今オレの胃袋に吸い込まれていくのは料亭の味。


「いい食べっぷりやねえ」

 洋子さんがころころ笑った。

「テーブルにご飯が大量にあったのに」

 康太は信じられないという顔をしている。


 さすがに、給食ではみんなの分食べちまうからセーブしてたんだ。本気を出したのはここが初めて。

「あと五人前はいける」

 奥の厨房から太い笑い声が、聞こえた。

 康太は、もう見たくないと喉に手を当てて吐き気を催すポーズを見せてくる。


「まだ食べるの。見てると吐きそうだから上行って遊ぼう」

 智奈が呆れたように子供たちに提案した。

 さすがに見飽きてたのか、オレ以外のキッズは頷くとぞろぞろとごちそうさま、と階段を上がっていく。


 壮介は、みんなについて行くかオレを待とうかうろうろしていた。

「いいよ、上行ってて。食べ終わったら行く」

 オレが言うと、壮介は頷いて智奈たちを追った。


 その場が、洋子さんとオレだけになる。厨房にはのりさんだ。


紀夫のりお、周りのもんちょっと捌けさせな」

 ホカホカのカツレツとツヤツヤのキャベツをオレの前に出してくれたのりさんに、洋子さんが真剣な声色で言った。

 のりさんが頷くと、廊下などにいた若い衆に声をかけ出す。


 洋子さんが大盛りの白飯を出してくれた。最高のおかずとご飯だ。洋子さんはそのままオレの隣に座った。

「壮介、目付きが怖いやろ。お父そっくりなんよ。付き合ってくれてありがとな」

 母親がそれを言うか。

「お父は今出張に行ってていないんよ。今度霧亜くんに会わせたいわあ。きっとお父好きやわ、霧亜くん」

「康太が、教えてくれたんです。壮介の本当のこと」

「やっぱり康太は人の輪を広げる力があるなあ。康太と一緒に、またいつでもおいで」

「のりさんの料理また絶対食べに来ます」

 人を捌けさせ終わったのりさんが戻ってきたのか、後ろでがははと笑う。


 そういや、なんで人を追い払ったんだ。

 会話が終了し、オレの箸が進む音だけが大きな和室の部屋にこだます。


「霧亜くん、あんた第二の世界の子やろ」

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