1-9 智奈とヤンキーと駄菓子屋

 数日経ち、あれ以来登下校で黒いコートのおじさんは見なかった。


「光谷ー」

 クラスメイトの智奈を呼ぶ声。教室がざわめく。

 智奈は顔を上げた。

 クラスの扉には、霧亜が顔を出していた。智奈と目が合うと、帰るぞと手招きしてくる。

「真人今日はバスケかー?」

 霧亜が真人に質問を投げかけると、帰りの会の間はうつらうつらしていた真人が、いつの間にか鞄を引っ掴んで今にも教室を出そうになっていた。

「バスケ!」

 一言そういうと、真人は風のように教室を出ていった。


荷物を持って霧亜の方へ向かうと、数人からバイバイの声が上がった。智奈も、手を振る。しかし、いつもより女子のバイバイの声が多い。

 無情だ。


「霧亜が来るなんて珍しいね」

 ランドセルを背負い、教室を出る。

 霧亜の周りには、小さな人だかりができている。そろそろ、彼の顔に飽きてもいい頃だとは思うが。いつもは智奈が六年生の階霧亜を迎えに行くか下駄箱で待っているので、五年生の階に霧亜が来ることは珍しいのだ。


 人だかりをなんとか抜け、下駄箱へ歩き出した。

「どっか買い物行くつもりだったか?」

 智奈がメモを書いていたのを見ていたようだ。

「うん」

「それ、明日 にしようぜ」

「いいけど、何かあるの?」


 下駄箱で靴を上履きからスニーカーに履き替え、学校の正門を出る。門を出てすぐのところに待っていたのは、栗木と宮田だった。


 宮田は門の脇のコンクリートに座り込み、その隣に栗木がもたれて、二人は何か話している。周りの下校生徒は、確実にそこを遠回りして帰っていく。その輪に自分が入っていくとは想像もつかなかった。


 霧亜と智奈の姿を見ると、宮田が声をあげて笑った。

「霧亜、智奈ちゃんめっちゃ怖い顔してる」

「そりゃ、こんな危ない面子が門の脇に待ってたら怖かろうよ」

 霧亜もにやにやとしながら智奈の頭にぽんぽんと手を置く。

 智奈は霧亜の手を振り払った。

「どういうこと?」

 宮田は爽やかに、にこやかに一番らしくない言葉を口にした。

「智奈ちゃん、俺たちと遊ぼうよ」


 智奈は、こんなヤンキーと遊びに行って、生きて帰れるのか。



 悪い噂の絶えない栗木と、霧亜と仲が良い宮田。そして自分の兄に連れてこられたのは、駄菓子屋だった。

 何かあっても、霧亜がいるから何とかなるだろうとは思っていたが、自分は今何をしているんだろう。ふと我に返って疑問に思う。

 店に入ると、お店の気難しそうなおばあちゃんがいらっしゃいと声をかけてきた。


「こんなところに駄菓子屋あったんだ」

「智奈ちゃん知らなかった?」

 宮田はにこにこと笑いながら智奈を見てくる。

「うん」


 男子群はお湯を入れるインスタント系の駄菓子から、口の中がもさもさに侵食される菓子、グミなど大量に自分のカゴに放り込んでいく。

「ママ、お菓子いくらまで?」

 霧亜がすでにカゴ二つを持って聞いてくる。

「五百円」

 明らかに、霧亜のカゴの中は五百円は越しているように見える。

「そこをなんとか」

「七百」

「もう少し」

「そんな買うの?」

 予想以上の高額な駄菓子商品に智奈は口が閉まらなくなる。


「男子の食欲舐めんな」

「そんな食うの霧亜だけだよ」

 宮田が面白そうにけらけらと笑う。


 栗木を見ると、アイスコーナーの前に仁王立ちの姿で、商品を睨みつけている。

 外は動けば少し汗ばむような気温だ。アイス、いいかもしれない。駄菓子屋に着いて来たこれまで、栗木は全く怖い印象はなかった。むしろ、見ている限り霧亜と宮田の方がうるさい。

 興味本位で、智奈は栗木に近付いてみた。

「あたしもアイスにしようかな」

 栗木の隣に立つと、栗木はビクッと跳ねてから少し智奈から離れた。そんな警戒しなくても。

 アイスのボックスを見やすいようにと空けてくれたのだと頭で理解したのと、智奈と栗木の手が二人で分ける用のアイスを取ろうとしたのはちょうど同じタイミングだった。


「あ」

「お前もこれにするのか?」

「うん」

「半分こするか?」

「うん」

 智奈と栗木のなんともぎこちない会話が繰り広げられている後ろでは、霧亜と宮田がきのこか、たけのこかと論争を繰り広げていた。


 駄菓子屋を後にした男子たちについていくと、男子たちが辿り着いたのは公園だった。滑り台や鉄棒、ブランコや登りやすい木々も多い。

 この辺りでは一番遊具がある割に、人が集まらない公園だった。子供五人ほどが優に登れる山型の遊具の上で、四人で円になって駄菓子パーティが繰り広げられた。


 もう小さな子供が遊んでいることはなく、少し陽が傾きだした時間帯のためにまだ大人もおらず、智奈たちが公園を独占していた。

 こんなたくさんのお菓子を広げたこともなければ、遊具を独占したことも、子供だけでこの時間まで遊んだことも智奈にはなかった。

 背徳的で、智奈の心は躍った。


 栗木は、買ったアイスを半分に割り、片方の棒を渡してくる。

「ありがとう」


 それを見た宮田は、驚嘆の声をあげた。

「いつそんな羨ましい約束してたの」

 じゃあ、と宮田は食べかけのゼリーチューブを渡してきた。

「智奈ちゃん、あげる」

「絶対いらない!」

「却下」

 霧亜は宮田の差し出した手を叩いた。

「女子が絡むとこんな面倒なやつなんだって今日勉強になった」

「俺も智奈ちゃんと半分こしたいー」


 栗木に目を向けると、栗木はくくっと笑い、宮田に自分の最後の一口を差し出した。

「ほら」

「いらないよ、お前の食べかけなんか!」

 と智奈に向き直ると、あーんと口を開けた。

「智奈ちゃん、そのアイス一口」

 智奈が首を横に振ると、霧亜は宮田の口にスナック菓子を詰め込んだ。

「却下」

 宮田の文句がスナック菓子の向こう側からもごもごと聞こえる。


「おい」

 栗木に声をかけられて手元を見ると、アイスが溶けて垂れそうになっていた。このままじゃ服につく。慌ててアイスを持つ手を上げたが遅かった。

 水色の水滴がアイスから離れる。キャッチしたのは栗木の手のひらだった。栗木はそれをぺろりと舐める。

「あり、がと」

「ん」


 それを見逃さなかった康太は、栗木の手を舐めようとする。

 霧亜と栗木のリアルな悲鳴を聞きながら、智奈は心の底から笑った。

 こんなに笑ったのは久しぶりだった。




 その頃には、辺りはだいぶ暗くなってきていた。まだ真っ暗ではないが、もう夕陽は姿を消している。

 足音があり、智奈は公園の入り口に目を向けた。立っていたのは、あの夜に突然話しかけてきた六年の女子だった。確か、菅野もも子。


「あれ、もも」

 康太も公園の入口にいる女の子の存在に気付き、ひらひらと手を振った。

「ももピアノの練習じゃなかったの? 駄菓子一緒に食べる?」

 康太の誘いは、菅野には届いていないようだった。


 彼女はこちらを見ているようで、どこか遠くを見ている。

「近付かないでって言ったじゃない」

 ぼそりと菅野が言った。


 智奈は目をこすった。

 菅野の周りだけ、暗く見えた。黒いもやのようなものが、菅野の周りを渦巻いているように見える。


「壮介に近付かないで」

 菅野は呟く。


 霧亜はじりっとその場から少し後ずさる。菅野の異常な黒いもやが見えているかのような警戒の仕方だった。

「やばい……」

 霧亜はぼそりと呟いた。

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