1-10 智奈と公園のあの子

「もも?」

 栗木も友人を呼ぶ普通の声色で菅野を呼ぶ。


 菅野は頭をガリガリとかきはじめた。あんなに爪を立てたら、血が出てしまいそうな勢いで。

「壮介には、私が必要なの。私がずっと守ってあげなきゃ。壮介には私以外必要ないの」

 ぼそぼそと、菅野の言葉はほとんど聞こえない。


「ももどうした? 聞こえないよ」

 宮田が遊具を降りた。


 ざわりと、あの夜の記憶がよみがえる。あの時に感じた動物の勘が、危険だと騒ぎ立てる。全身の毛が逆立ち、遊具から逃げようと足を踏み出す。


「逃げろ!」

 霧亜の叫びが聞こえる。


「どっかいって!」


 菅野の喉から出たとは思えないほど大きな声とともに、菅野から、風が吹き荒れ、智奈たちは遊具から吹き飛ばされた。


 公園の木がしなり、遊具がぐらつく。


 智奈は後ろに数メートル吹き飛ばされた。目に入った鉄棒を両手でつかみ、ぐるりと回って地面に着地する。

 自分の行動に、自分自身が驚いた。こんな咄嗟にアクロバティックな動きができると思っていなかった。


 辺りを見ると、宮田は公園の端の柵に激突したのか気絶している。

 栗木は飛ばされて滑り台にぶつかったようで、滑り台の下で呻いている。ここから見える限りでも、頭から血を流しているのは見えた。

 霧亜は、その栗木の隣で無傷で身を低くして菅野を睨みつけている。


「霧亜!」

 智奈が霧亜に助けを求めようとしたのと、菅野が更に金切り声を上げるのがほぼ同時だった。

 無我夢中の顔で霧亜が智奈の方に飛び込んでくる。


 突然目の前が熱く眩しくなり、智奈は目をぎゅっと瞑った。


 ガラスの弾けるような、甲高い音がこだまする。その次にバケツの水をひっくり返したかのような大量の水が上から降ってきた。

 濡れた布で息が出来ず、咳き込んで智奈はそろりと目を開けた。

 智奈はしっかりと霧亜に抱き締められ、視界は霧亜の黒いパーカーで覆われている。智奈の目の前に、いつも付けている六芒星のペンダントが揺れている。


 肉の焦げた匂いが智奈の鼻をつんざいた。顔を上げると、突き出した霧亜の手は肘の方まで真っ赤に火傷し、煙を上げていた。

「いって、なんだあの魔力。余裕でオレの魔術弾け飛んだ」


 智奈を抱き締めていた左手を離すと、火傷した右手に左手を押し付けた。

 映画の早送りを見ているような感覚だった。

 どんどん、手をつけた場所から火傷が治っていく。


 霧亜の肩から顔を出すと、栗木が痛む頭を押さえながら、唖然と智奈たちの方を見ている。

「菅野の狙いはお前だ。栗木は放っといても大丈夫」

 霧亜は早口で栗木の安全を智奈に説いた。


 菅野はゆったりとこちらに近付いてくる。


 手が動かせる所まで回復すると、霧亜はパーカーのポケットに手を突っ込んだ。布の面積上有り得ない所まで手を突っ込み、何かを探している。

「いって! お前、今死にそうなんだやめろ!」

 ポケットの向こうに叫ぶ霧亜。ポケットから猫の鳴き声がした。


 智奈は何が何だかわからず霧亜の挙動を見守るしかなかった。


「あった」

 霧亜が未来の猫型ロボットのようにポケットから取り出したのは、小さな笛だった。それをすぐに智奈に放ってよこす。


「その笛、ひたすら吹いてくれ」

 と霧亜は栗木に顔を向ける。

「壮介! 智奈に怪我させたら絶交するからな」

 そう言い残すと、菅野に向かって走り出した。


「うぉらあ!!」

 飛び上がり、声を上げながら、霧亜はいつの間にか持っていた智奈の身長と同じくらい長い木でできた杖で菅野を振り抜く。杖から、大量の水が溢れ出した。


 菅野の周りから伸びる黒いもやが、大量に噴き出た水から菅野を守ると、霧亜の腹を掴んで横へと投げ飛ばした。

 投げられた空中で霧亜は足元に手をかざすと、氷の壁が現れる。その壁を蹴って菅野の元へ戻り、空中で前転をすると、菅野の頭にかかとを落とす。

 霧亜と菅野の周りを水が覆った。

 水の向こうで、霧亜と菅野が交戦している姿が、ゆらゆらと見える。


 ふらふらと、滑り台から移動してきた栗木が智奈の隣にしゃがみ込み、智奈は肩を抱き抱えられる。

「どうなってんだ」

 栗木の腕はカタカタと震えていた。


「智奈早く吹け!」

 遠くから聞こえる霧亜の叫びに、はっと智奈は我に返り、両手で握り締めていた小さな犬笛のような笛に、わけもわからず大量に息を吹き込んだ が、その笛は鳴らない。


 栗木の震える手が止まった。

 智奈が笛から口を離した時、栗木はばたりとその場に倒れ込んだ。

 智奈は倒れた栗木を見て、息が止まる。


 肩に手を置かれた。 驚きのあまり、智奈は後ろの人物から飛び退く。

 そこには、黒いコートにフードを深くまで被った男が、しゃがみ込んで智奈と目線を同じくしていた。男は口元に人差し指を立てて静かにするよう、智奈に促してくる。

 あの、男だ。夜に出てきた、男。

 訳の分からないことが起こりすぎて、息を吸いすぎて、胸が苦しくなってきた。息を吸っても吸っても、上手く肺に空気を送り込めない。犬のように、早すぎる空気が口から出たり入ったりを繰り返す。


 男は智奈の頭に優しく手を置き、智奈の大事そうに持つ笛を取り上げる。

 智奈にそれを取り戻す余裕は残っていなかった。

 男は立ち上がって霧亜たちの方に顔を上げ、智奈の前に立ち塞がる。


 息が、正常に呼吸できるようになってくる。智奈は弱々しく男の足元のコートを掴む。

 男に頭を撫でられた。

「よく頑張った」


 突然目の前が霞みだし、水浸しになりながら菅野の攻撃をかわす霧亜を薄目に、智奈は気を失った。


 甲高い笛の音が遠くで聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る