1-2 智奈と不法侵入者

 足音を立てずに玄関から離れて、透明なガラスのはめ込まれたドア越しにリビングを覗きこむ。

 リビングを、うろうろと歩き回る男の人が見える。


 智奈はそっとその場を離れ、再び玄関に戻ろうとした。一刻も早く、この事態をご近所さんか警察に伝えなければ。


「待て待て、怪しいもんじゃない」

 リビングからする男の人の声が、智奈の動きを制する。

 もっと低い低音を予想していた智奈は、思っていたよりずっと若い声だったことに驚いた。

 リビングに入る扉の前で硬直した智奈はそろりとリビングへ顔を向けると、男の人はひらひらと手を振ってくる。

「別に、入ってきていいんだぞ」

 人の家なのに、ずいぶんと図々しい。

 智奈は、警戒しながらリビングのドアを半分開け、男の人を観察する。


 黒いフード付きのパーカーにジーンズ姿。小学五年生の智奈より、いくつか年上に見えた。智奈の身の周りにいる男子よりは、端正な顔の持ち主だった。六芒星を形作る線が複雑に絡み合ったペンダントが、胸に下がっている。中学生くらいだろうか。


 向こうも、こちらをじっと見つめている。じっくりと智奈を上から下まで値踏みを終えた男の子は、手招きをしてきた。

 智奈は疑念の目で睨みつける。


 男の子は呆れたようにため息をついた。

「警戒すんな、怪しいやつじゃねえから」


 さっきも怪しいやつじゃないって言った。「怪しいやつじゃない」と語る、怪しくない奴はない。そう思いながらも、智奈はリビングに入り、五メートルまで近づく。


 男の子の薄く灰色に近い瞳が、智奈を見つめている。髪は、透き通るような灰色と茶が混じったような色。まつげも髪の毛と同じ色だ。


 男の子はにやっと笑った。

「オレが何でここにいるか知りたい?」


 智奈は眉を顰めてから小さくうなずいた。

「出来るなら、早く出て行ってほしい」


 そう言うと、男の子は一瞬の間を置くと、声を出して笑い始めた。涙目にまでなっている。

「そっか、早く出て言ってほしいか、わかったわかった、ごめんな。出て行くよ」

 と、あまりにもあっさりと男の子は智奈の隣をするりと通って、玄関へ向かう。智奈の知る六年生の男子よりは、背は大きい。


 展開についていけない智奈は、玄関で靴を履き始めた男の子を見送るような形で、玄関の前に立った。


「誰?」

 思わず訊いた。泥棒に何を聞いているのか。


「秘密」

 男の子は立ち上がり、つま先をとんとんと跳ねさせて靴を履き終える。


「どうやって入ったの?」


 智奈の言葉に、男の子は満面のしたり顔を見せる。

「秘密」

 と、玄関のドアを平然と開けた。

 智奈はそれに目を見開く。帰ってきたとき、しっかりと鍵を閉めたはずだ。


 その顔を見た男の子はまたも声を上げて笑った。

「いいね、いい顔。じゃ、準備があるからまた明日」

 そう言い残し、男の子は智奈の家を出て言った。


 わけがわからない。勝手に人の家に入ってきておいて、勝手に出て行った。


 智奈はおかしな夢でもまだ見ているかのようなふわふわとした足取りで、背負ったままだったランドセルを自分の部屋に置きに行く。ベッドに腰掛け、抱き枕を抱えた。


 あんな男の子、近所にいただろうか? 引っ越してきたご近所さんで、おかしな挨拶周りをここ一帯にしているのだろうか。いやでも、やっぱり泥棒だったかもしれない。

 そう思うや否や、慌ててリビングに向かい、銀行のカードや通帳、印鑑などを確認した。一通り、問題はない。両親から残された大事なものだ。

 冷蔵庫を開けるが、特に今日の朝と変わりはない。ダイニングテーブルに置いてある、果物やスナックが放りこまれた籠を見る。そういえば、この前買ったポテチがない気がする。

 それから夜まで、智奈は家を出る前の朝と、現在の家の間違い探しで帰宅から夕方が終わった。



 もう、謎の男の子に頭を使うのはやめよう。ソファーに倒れ込み、間違い探しを終わらせた。

 目が乾いてきた。風呂場に向かい、洗面台の前に立つ。目玉を摘み、つるりと茶色いコンタクトレンズを外した。きちんと洗浄液で荒い、洗浄液の溜まるコンタクトケースに入れ、蓋をした。

 顔を上げると、透き通った薄く青い瞳がこちらを見ている。

 智奈は、ごく一般的な日本人だ。

 目が悪いわけでもない。両親のどちらかの目が青いわけでもない。生まれた時から、智奈の目は青い瞳だった。


 そのせいで、小学校低学年の時にいじめられたことがある。日本人じゃないという言葉から始まり、見られたら石にされるとクラスからはぶかれたり、顔を汚されたり。両親も見兼ねて学校を転校し、今の学校に入った。そこでは、初めて友達と会うときには、両親が買ってくれたコンタクトを着け、目を茶色くして登校した。


 風呂を出ると髪をドライヤーで乾かす。ごしごしと目を擦りながら、明日の目覚ましをセットし、智奈は眠りについた。


 そういえば彼、「また明日」って言っていなかった?

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