第1章 迎え

1 転校生

1-1 智奈といつもの夢

———— Tina



 女の人が泣いている。



 大きめの家のリビングの、壁の隅に座り込んで泣きじゃくるように泣いている。


 隣には、小さな髪の白い男の子が立ち尽くしている。真っ直ぐに前を睨みつけるように、立ち尽くしている。その深く青い瞳は、自分の後ろにいる女性を、目の前の敵から守らんと立ちはだかるような面持ちさえ感じる。


 その小さな白い戦士の見据える先には、男がいた。

 その腕には、小さな白い戦士よりも、更に小さな少女を抱えている。


智奈ちな、生きて……」

 女の人が、泣きながら名前を呼ぶ。

 自分の名前を呼ぶ、見知らぬ女性。



 ああ、またこの夢か……。



 こつん、と軽い何かが頭に当たる。

 

 智奈ちなは目を覚ました。


「もう帰りの会」

 智奈の机の前には、いつも一緒に帰る真人まさとがいた。


「うん……」

 寝ていたために、ゴロゴロと違和感のある目を何回も瞬き、顔を下に向けたまま、バレないようにコンタクトを元の位置に戻した。

 

 帰りの会が終わり、真人と一緒に帰り道を歩く。

 暖かい陽気ではあるが、真人は既に半袖半パン。さすがにこれはまだ肌寒いと思うが。智奈は長袖のTシャツにショートパンツ、ニーハイのソックスで寒い生足をカバーしている。


「智奈聞いた? また栗木が学校の花壇壊したって」


 栗木とは、智奈の学校で悪名高い暴力的ないわゆるヤンキーだ。六年生なので、智奈たちの学年一つ上だが、早く卒業してほしい。低学年を恐喝し、暴力を振るうだとか。窓ガラスを割っただとか。家がヤクザだという噂もあり、先生たちは、栗木の行動を注意することはない。


「怖いね。真人も、目つけられないようにね」

「智奈も喧嘩っ早いんだからつっかかるなよ。それより、今日の算数テストどうだった?」

 真人は暗い顔をして訊いてきた。

「一個計算間違えたかもしれない」

 ここまで言うと、隣からため息が聞こえてくる。

「そうだよなあ、智奈だもんなあ。じゃあ、明日」

 十字路で、真人は背中からどんよりと火の玉を灯らせながら、智奈の家とは逆の道を帰って行った。いつもの事だけど、テスト駄目だったんだな。


 智奈の家は生まれた頃から変わらない一軒家だ。小さいながらも、クリーム色が特徴的な二階建ての家。

 門をあけ、数段のステップを上がってポーチから鍵を取り出す。

「ただいま」

 鍵を開け、靴を脱ぎながら智奈は言った。


 家には誰もいない。

 夕方の日差しが入る、がらんとした暗い廊下。真っ直ぐ進み、戸を開ければリビング。すぐ目の前が窓で、夕日がこちらに向かって伸びていた。

 夕飯の準備をして待っていた母さん。夕食頃に帰ってくる父さん。二人は、今はいない。

 両親はつい最近、一週間ほど前に二人とも家を出て行った。

 いつも通りに学校から帰ると、いつもいるはずの母はおらず、リビングのテーブルに、一通の手紙が置いてあった。

 宛先は光谷智奈こうや ちな様。差出人は、父親と母親の名前だ。


 手紙の冒頭には、一言『ごめんなさい』と書かれていた。

 その後は、事務的な、両親がいない事への周りへの隠し方、対処法がつらつらと書かれている。この事実を周りから隠すように、とあった。そして最後に、不思議な文で締めくくられていた。


『これは、私達にとっても苦渋の決断です。ただ、今でも私達があなたの事が大好きな事を忘れないでほしい。あなたは、たくさんの人から守られていることも、覚えていてほしい。奇跡が起こって、もう一度あなたに会える事を願っています。お母さんとお父さんより』


 学校で必要になるお金や生活費は、銀行口座に毎月父親らしき口座から振り込まれている。親からの言葉通り、智奈は周りの人に悟られまいと、振る舞ってきた。



 玄関の鍵を締め、廊下を進もうと足を上げた時、いつもと景色が違う事に気付いた。まわれ右をして、玄関を観察する。

 知らない靴があった。大きさと形からして、男物のようだ。黒くて重そうな、ミッドカットブーツ。

 この家の鍵を持っているのは、両親と智奈しかいない。まさか、父さんが帰ってきた?

 ただ、父さんはこんな靴は持ってなかったはずだ。見たことあるのはスニーカーと仕事用の革靴だけ。

 そこまで考えた智奈の背中に、冷たい汗が流れた。


 不法侵入者……。

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