終章

『お前は必死に生きろ』

 僕の目を見て、男の人はそう言った。

『お前は誰よりも幸せになれるんだよ』

 僕の瞳を見て、女の人はそう言った。

 ああ、今僕は夢を見ている。何度も繰り返し見てきた夢だ。両親が死んだときの夢だった。今でもはっきり覚えている。父から漂ってくる鮮血の匂いと、母から零れ落ちてくる生暖かい血潮。匂いだけは残り続けるのに、温もりだけがなくなっていく。このアンバランスさを夢の中で思い出す度、僕は物悲しく、心も冷めたものになっていくのを感じていた。でも、何故だろう? 今日は何故だか温かい。まるで傍に誰かいて、僕の手を握ってくれているかのような――

 

 目を覚ますと、聖白百合総合病院の天井画見えた。視線を動かすも、拡張現実が眼前に表示されない。どうやらウェアラブルデバイスは外されているようだ。そのまま視線を左側に持っていくと、僕の手を誰かが握っている。ポニーテールの少女は僕の手を握ったまま、眠りについてしまったようだった。

「友音?」

「ほぇ?」

 顔を上げ、焦点が合ってない目で僕の顔を友音が見つめる。涎を右手で擦る彼女の焦点が徐々に合っていき――

「み、みみみ美郷先生っ!」

 早口言葉もかくやと言わんばかりに叫ぶと、あっという間に友音は病室の外へと飛び出していく。そんなに慌てなくてもウェアラブルデバイスで呼べばいいのに、と思いながら見渡すと、僕は普段の診察室ではなく、聖白百合総合病院の一人用の病室に寝かされていたことがわかった。幾ばく、も経たないうちに部屋の外が慌ただしくなり、この病室へと第十六看護隊の面々が飛び込んでくる。

「美郷先生! 煌! 煌起きた煌!」

「あー、きこえてるーみえてるぞー、ゆねー」

「……煌、大丈夫? 大丈夫煌!」

「なるみー、あまーり患者を弄繰り回すなー、やり過ぎるなー」

「煌様、三日も目を覚まされなかったんですよ? わたくしも思わず後を追おうかと……」

「れぎーねー、お前はワシの仕事をふやそーとするなー。ほら、いーからお前ら椅子に座れー」

 急に姦しくなった病室で、僕は珍しくツッコミに回った満石さんへ唖然としながら問いかけた。

「三日? 三日間も、僕は目を覚まさなかったんですか?」

「そーだぞー。二翼の《悪魔堕ち》をちりょーした段階で、かーやまは気を失ってなー。そっからきょーまで、目を覚まさんかったんだー」

 頷く満石さんを見て、僕は呆然となる。なんてことだ! 三日も幸せに生きる時間を無駄にしてしまったなんてっ!

「どーやら、いつものちょーしのよーだな、患者」

 僕が今何を考えていたのか感づいたように満石さんは苦笑いを浮かべて、僕のウェアラブルデバイスを取り出した。それを受け取り、装着するとすぐに着信メッセージを告げるアイコンが表示される。内容は僕の健康状態に関するレポートで――

「《死に至る病》の、感染レベルが下がってる?」

「そーだ。ワシらと出会ったとーしょのレベルまで下がってる」

「僕が気を失っている間に、誰かが治療をしたんですか?」

「いーや、なーんもしとらん。《悪魔堕ち》どーしだからか、《黒翼》使って散々相手をタコ殴りにしてたからなーお前。ストレス発散して、ぜつぼーの度合いが一時的に下がったんじゃないのかねー」

「そんな、癇癪持ちの子供じゃあるまいし……」

「ワシから見ればお前も子供だよー。それとも誰かを守ろーとする事で、ネガティブなかんじょーが消えたのかもなー。どーだろーなー。何故そーなったんだろーなー」

 よくわからない事を、満石さんはニヤニヤしながら言い始める。何を言っているのかわからず、首を傾げた途端、成美が勢いよく立ち上がった。

「……そう、美郷の言う通り。煌と私の愛の力で、煌の病状は改善した」

「あらあら、うふふっ。お待ちになってください。煌様の病状は、わたくしを守ろうとして下さった事で起こった奇跡! そう、神の奇跡なのです」

「ちょっと待ちなさいよ! そ、そんなわけないでしょ! 煌は、その、あ、あああアタシのためにっ!」

「で? どーなんだ? かーやま」

「いいから、早く僕に膝十字固めをしてる友音と腕十字固めをしている成美とチョークスリーパーをしているレギーネを止め――」

「いやー、しかしこれで患者の《死に至る病》のかっせー限界値がわかったからなー。何処まで無茶ぶりー出来るかわかったから、今後は遠慮せんぞー。被検体として、ばっしばしーこき使ってやるからなー。かーっかっかっか!」

「いや、本当、もう、限、界……」

 意地悪く笑う満石さんの顔が、徐々にぼやけていく。我に返った満石さんが流石にまずいと止めてくれたが、病室の中は相変わらずやいのやいの騒がしい。これもある意味、当たり前になった僕の日常なのだろう。三人の天使と一人のマッドサイエンティストに囲まれながら、僕はただただこう思う。

 僕は幸せに生きたい。

 ただし未だ、その道はまだまだ遠く、かなり険しいようだ。

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僕は幸せに生きたい メグリくくる @megurikukuru

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