第五章⑨

 俺の眼前で、眩い光が迸る。その光の中心には三人の天使と、俺に賭けを持ちかけた《悪魔堕ち》が佇んでいた。その並びはまるで悪魔が跪き、天使たちに懺悔をしているようにも見え、溢れる閃光はその懺悔を天使が聞き届けた様にも見える。《悪魔堕ち》にもこれ以上ないと言っていい程の穏やかな笑みが浮かび、この場にいない神に祝福されているようでもあった。

 その悪魔が、俺を仰ぎ見る。

「悪い。待たせたな」

「構わない。では、賭けを続行しよう。それがルールだ」

 言い終えた刹那、俺は左右の《黒翼》を天使と悪魔に叩き込む。先手必勝。天使たちが放つ光が増し、悪魔の《死に至る病》の病状も悪化したのはわかっていた。一度賭けたのなら勝つために全力を尽くし、死力を尽くすのが俺のルールだ。あの《悪魔堕ち》から二枚目の《黒翼》が生え出る前に、勝負をつけるべきなのだ。俺の《黒翼》が触れるもの全てをなぎ倒し、砂塵、粉塵、灰塵へと帰す。しかし――

「『次のお前の攻撃でこいつらが立っていられるか?』という賭けは、俺の勝ちのようだな」

 砂と土と灰の煙の中から現れたのは、三人の天使を守るようにして俺の二つの翼を受け止めている、悪魔の姿だった。どうやら、二枚目の《黒翼》が生え終わったらしい。

「では次に、『お前に勝つ』という賭けに勝たせてもらおうか」

「違う!『お前の助けがあればこいつらが俺に勝てるか?』だ。間違えるなっ!」

 俺は奴らから距離を取り、《黒翼》を振り回し、周囲の《死に至る病》の感染者を増やしていく。こちらと向こう、同じ《黒翼》二枚同士だが、相手は今二枚目の翼を生やしたばかりだ。使いこなすにはまだ時間がかかるだろう。それまでの間に三人の天使は《死に至る病》の患者へ注意をそらし、あの悪魔を俺が倒す。賭けに勝つにはそれしかない。一度賭けたのなら勝つために全力を尽くし、死力を尽くすのが俺のルールだ。俺は悪魔に向かって両の翼を差し向けた。

「『《死に至る病》に罹った患者が多数派になれるか?』と『お前の助けがあればこいつらが俺に勝てるか?』の賭けには勝たせてもらうぞ! それがル――」

 俺が言い終わる前に衝撃。目の前が暗転する。攻撃された? 俺が? 一体、いつの間に? どうやったというのだ?

 何が起こったのか、全くわからない。俺の《黒翼》は確かに《悪魔堕ち》に向かって伸び、二翼とも相手の《黒翼》とかち合った瞬間、何かが俺を叩き伏せたのだ。一体なんだ? 俺の《黒翼》をかち合ってから、相手が俺へ《黒翼》を向かわせる余裕はなかったはず!

「どうやら残りの賭けも、俺の勝ちらしい」

 ほざけ! と口にする前に、また俺に衝撃が走る。白煙が立ち上った。二枚の翼で防ごうにも、二枚とも弾かれた後に更なる追撃が発生。視界もどんどん悪くなる。何故だ? 天使たちは《死に至る病》の感染者たちへ向かっているはず! 何故俺にこうも相手の《黒翼》による連撃が入――

「連……撃……?」

 そこで俺はある可能性に思い至る。俺は自分の両の翼が止められたので、向こうも《黒翼》を二翼所有しているのだと考えた。しかし、その前提が違っているのだとしたら? 煙で、あるものが見えていなかったのだとしたら? そう、もし、三枚目が相手に生えたのだとしたら?

 俺が賭けに勝つために、それだけは否定したかったその予想を、相手の《悪魔堕ち》は、まさに悪魔と呼ぶにふさわしい笑みを浮かべながらこう答えた。

「そうだ。連撃、連続攻撃だ。二枚の《黒翼》を防いだ後の、連続攻撃だ!」

 告げられた言葉を否定する様に、俺は絶叫しながら《黒翼》を振るう。一枚目が弾かれ、二枚目が弾かれる。そしてその後すぐさま相手の三枚目が俺に叩き込まれ、その数は四、五、六、と増えていき、最終的には――

「十、二枚……? 十二翼、だとっ!」

 相手の《黒翼》の猛攻で、俺の周りは雲の中にいるのかと錯覚するほどの白煙で覆われている。しかしそれも一瞬で吹き飛ばされるのを、俺は叩き伏せられた地面から見つめていた。そして煙の中から出てきたそれを見て、俺は悄然と愕然と茫然となる。そこにいたのは、月明かりを浴びる、神々しいまでの悪魔、いや、魔王の姿だった。

 濡れ羽色の翼が月光に映えて、美しい。闇よりも黒い六対十二枚の《黒翼》を携えた悪魔は、俺を睥睨する。

 その視線を受けて、相手の存在を俺は震えながら否定した。

「なん、だ、それ、は? それは、一体、何の冗談だ?」

「何がだ?」

「十二枚もの《黒翼》が生まれるほどの絶望を抱えて、何故お前は生きていられる! 生きていられるわけがない! そんなの、俺のルールにはないっ!」

「別に、俺の望み(絶望)なんて大したことはないさ。俺はただ――」

 その続きが微かに聞こえたタイミングで、十二の翼が俺を襲う。余りの衝撃に俺は空中へと持ち上げられ、三人の天使が俺の元に向かってくるのが見えた。それを見て、俺は自分が賭けに負けたのを悟る。そして思わず、言葉が零れた。

「なんて、傲慢な……」

 賭けに負けて負け惜しみを言うなんて、それは俺のルール違反だ。だが、言わずにはいられない。相手の《悪魔堕ち》が抱えた望み(絶望)が――

「この世界で一番、幸せに生きたいだなんて……」

 そうつぶやいた瞬間、俺は燃え盛る拳で殴られ、気を失った。

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