第五章⑧

 俺は近くの屋根へ降り立つと、今しがた吹き飛ばした《悪魔堕ち》に向かって言葉を紡ぐ。

「賭けはどうやら、俺の勝ちのようだな」

「いや、俺の攻撃はまだ終わっていない。賭けは継続している」

 ほぼ無傷のギャンブル狂いは俺の渾身の飛び蹴りを受けても、飄々とそう言った。奴の言葉を聞き、俺の中である仮説が生まれる。こいつ、賭け事であればぎりぎり会話ができるのではないだろうか? 会話が賭け事であり、かつ奴のルールさえ破らなければ、意思疎通が出来る可能性がある。だから俺は試してみる事にした。

「なら、追加で賭けをしないか?」

「ほう? 今並行して行っている賭けを無効にしない限り、話を聞こう。それに反する場合、話は聞けない。それがルールだ」

 よし、予想通り食いついてきた。俺は頷くと、目の前の《悪魔堕ち》に問いかける。

「お前が今賭けをしているのは、『《死に至る病》に罹った患者が多数派になれるか?』という事と、『お前の攻撃でこいつらが立っていられるか?』という二つだな?」

「違う。『《死に至る病》に罹った患者が多数派になれるか?』と、『次の俺の攻撃でこいつらが立っていられるか?』だ。間違えるな」

「なら、俺が新たに加える賭けは、『この俺の助けがあればこいつらがお前に勝てるか?』だ。無論、俺はこいつらが勝てる方に賭けるがね」

 俺の言葉を聞き、悪魔は満足そうに笑った。

「それならルールに抵触しない。だから俺はその賭けを受けよう! それがルールだ」

「なら、賭けは成立だ。ああ、賭けを始める前に少しばかり準備をさせてもらいたいんだが?」

「いいだろう。それで賭けが盛り上がるならなっ!」

 いうが早いか、俺はすぐさま友音たちの元へ、そして悪魔は翼を広げて舞い上がる。俺の顔を見た友音は悲愴な表情を浮かべ、成美は悲惨な表情を浮かべ、レギーネは悲哀の表情を浮かべていた。

「何だお前ら? そろいもそろって、姿だけじゃなく、顔まで酷い状態だぞ」

「だって、アンタ!」

「……どうして、出てきたの?」

「次はないと、あれ程美郷さんにも忠告されていたではありませんかっ!」

 三者三様の反応が返って来た。しかし共通していたのは、俺への非難だった。これには俺も、たまらず肩をすくめる。

「おいおい、折角助けに来てやったのになんて言い草だ」

「だって、これ以上死に至る病が進行したら、煌、どうなるかわからないんだよ!」

「……煌が《悪魔堕ち》になった責任は、私たちにある」

「もうこれ以上、煌様に頼らないと、わたくしたちは決めていたのです」

 それを聞いて、俺は思わず鼻で笑った。馬鹿だ。こいつら、本当の馬鹿どもだ。

「いいか? 結局、この世の中は誰かの我儘で回ってるんだ」

「煌……?」

 怪訝な顔をする友音には答えず、俺は更に言葉を重ねる。

「だったら俺は、俺が幸せになるために我儘を言いたい」

「……何を言ってるの? 煌」

 成美の言葉も無視して、俺は更に話し続ける。

「お前らはどうだ? この状況で、この有様で、お前らの望みは叶えられるのか? 集団感染を止められるのか? 今のまま戦えるか? 絶望に押しつぶされないと言えるのか? 今出来る事があるのに何もしない状況は、神に顔向け出来るのか?」

「それは……」

 レギーネは、言葉を噤んだ。

 俺は三人の天使たちの顔を見渡した。その表情を見て、俺は確信する。彼女たちもわかっているのだ。頭上の悪魔に対抗する手段は、たった一つだけ残されている。しかしこいつらは、俺を気遣ってその選択をしようとしないのだ。ふざけるな。ふざけるな! そんな馬鹿な事が許されるわけがない! そんな事で悩む必要なんてない! 悩む必要すらないんだっ! 何故ならお前は、お前らは――

「わからないのなら、何度でも言ってやる。お前らはお前らだ。お前らでいいんだ。お前たちのものでいいんだ。お前たちの考え方も、お前たちの悩みも、お前らの生き方もな。それでもわからないというのなら――」

 そう言って俺は、手を伸ばした。もはや人の物とは言えない暗黒色に染まった両手と、闇より黒い翼を、天使たちに向かって伸ばす。

「だったらお前らのその悩み、全部俺が引き受けてやる」

 友音は一時一刻、全力で生きる事で、幸せに生きる道を歩んでいる。それは俺が、幸せに生きるたに間違いなく必要な道の一つだ。

「お前らの全てを、俺が肯定してやる」

 成美は悩みを分析してその原因(絶望)を打ち破る事で、幸せに生きる道を歩んでいる。それは俺が、幸せに生きるたに間違いなく必要な道の一つだ。

「お前らの絶望、全部俺によこせ」

 レギーネは祈る事で、神という内なる自分との対話する事で、幸せに生きる道を歩んでいる。それは俺が、幸せに生きるたに間違いなく必要な道の一つだ。

 だから、これは俺の我儘だ。お前たちは、気にする必要なんてないんだ。悩む必要なんてないんだ。だってこれは俺が幸せに生きるために間違いなく必要な事で、お前たちの道を否定することを、お前たちをここで失う事を、俺は肯定なんて出来るはずがない。そんな事は認めない。だから――

「だから、俺の望みを、一緒に叶えてくれ。お前たちの絶望(希望)が、俺には必要なんだ」

 今の俺の顔には、相変わらず不気味だと感じるぐらい歪で、どうしようもない程に歪んだ笑みが刻まれている事だろう。しかし余りにも歪で、更に歪んだその笑みは、今までとは違う笑みになっているかもしれないと、そう思った。

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