第三話 勇者顕現

「「おかえり~」」

「…………は?」


 スーパーの特売で買い物を済ませ、冷蔵庫の中身を思い出しつつ今日の夕飯の献立を考え、帰宅した途端、兄夫婦に満面の笑顔で迎えられ、カンナは目を点にした。


「遅いぞ、マイブラザー。もう準備は出来ているぞ」


 何より目を疑ったのは、いつもは寝癖でボサボサの髪を綺麗に整えてヒゲを剃り、清潔感溢れる勇の姿だった。エプロンを身につけた彼は料理の盛られた皿を手に爽やかな笑顔をカンナへ向ける。

 若干気持ち悪い。


「兄貴、これ何の真似だ?」


 リビングのテーブルにはまるでビュッフェを思わせるような大皿に盛られた様々な料理が並んでいる。丸焼きにしたうずら肉は甘辛いタレを絡めて香ばしい匂いを漂わせて野菜の上に豪快に載せられ、ブイヨンから作られたと思われる黄金色のコンソメスープの入った鍋からは芳醇で濃厚な香りが鼻腔を擽り、魚河岸で仕入れてきたのか刺身はスーパーのパックとは比較にならないほど身が輝いており、純白のクリームと彩り鮮やかなフルーツを盛られたケーキは見ているだけで甘味が口の中に広がるようだ。

 天井には色紙で作った花が飾られ、長らく押入れに放置されていたアンティークもののレコードプレーヤーがジャズを流している。

 一体、これだけの料理にどれだけの食費をかけているのか、特売で――しかも夕方のタイムセール時に――幼馴染を巻き込んで、奥様方と死闘――轟の何十倍も手ごわい人達――を繰り広げて来たばかりのカンナは、若干の苛立ちを覚える。


「何って……パーティーに決まってるじゃないか?」

「何の?」

「私の誕生日だ」

「あんた誕生日夏だろ」

「じゃあミラの……」

「義姉さんはクリスマスと一緒だろ」


 カンナの指摘を受け、勇と一緒に皿を並べていたミラが頬を染め、自分の腹部に優しく手を添えた。


「カンナくん、実は私できちゃって……」

「え?」

「嘘!?」

「あなたまで驚いてたら意味ないでしょうが!」

「ごめんなさっ!」


 折角、誤魔化せそうだったのに勇が無駄にしてしまった所為で、ミラの回し蹴りが炸裂して彼の顔を壁にめり込ませる。


「………………」

「ああ! カンナくんが物凄い疑いの目を!」

「当たり前です。一体、何なんですか?」

「えっと~……そのね…………あ! じ、実はこの人が今やってるゲームのCG回収率コンプリートしたんで、そのお祝いを……ね?」

「まぁ、それなら……」

「そ、そこで納得されるとかお兄ちゃんちょっと悲しい……」


 壁から顔を放し、鼻血を垂らしながら涙を流す勇。


「だがまぁ、見てみろ。私もまだまだお前には負けてないだろ?」


 テーブルに広がる一流レストラン顔負けの料理の数々――材料費を考えると頭が痛くなるが――を見せて得意げに語る勇。


「別に。兄貴は普段やらないだけで、やればこれぐらいできて当たり前だろ」

「ふっふっふ~」


 自慢げに笑う勇に対し、カンナは溜息を吐く。普段は部屋に引き篭ってアダルトゲームばかりしている勇だが、実際の家事能力は彼より数段上である。やればできるくせに、なまじっかカンナが家事全般するようになってから、全くやらなくなった。


「とりあえずホラ! カンナくんも座って座って」


 自分の料理の腕が分かっているミラは、料理や食器を並べたりする作業に専念し、カンナに席に着くよう促す。

 折角、買って来た特売のタマゴが無駄になったのを勿体無いと思いつつ冷蔵庫に入れて席についた。最後にエプロンを外した勇も席に座る。

 三人の前に置かれたグラスには勇とミラにはシャンパン、カンナには、オレンジジュースが入れられている。


「では……私のゲームクリアを記念して乾杯!」

「かんぱーい!」

「…………」


 グラスを高々と掲げる勇と、珍しく旦那と同じくノリノリで同じようにするミラ。カンナは、二人のやけに高いテンションを訝しげに思いつつ、無言でグラスを軽く上げた。


「ほら、カンナ。食べろ食べろ。久し振りのお兄ちゃんの手料理だぞ」

「カンナくん、はい。よそってあげたわよ」


 差し出された皿を取り、カンナは料理を口に運ぶ。

 ハーブの利いた豊かな風味が口の中に広がり、得も言われぬ感動が押し寄せる。


「美味い……」


 自然と素直な感想が出てきて、今度は自分で料理をよそって食べる。

 普段から質素倹約を心がけているカンナにとっては、こんな贅沢は許さざるべきことなのだが、美味しそうに食べる自分を見守る兄と義姉の視線を受け、何も文句が言えなかった。


「…………カンナ。お前、今何歳だ?」


 不意に、勇がそんな質問を投げかけてきた。料理を飲み込み、カンナは不思議そうな表情を浮かべながら答える。


「十六。知ってんだろ?」

「そうだな……もうそんなになるのか。大きくなったな」

「何だよ、改まって」

「いやいや。あんなに小さかったカンナが立派になったものだとな……」

「そうね。反抗期もあったけど、今となってはそれも成長してるんだなって思えるわ」

「だから何なんだ。二人揃って……あれ?」


 怪訝な表情を浮かべていたカンナだったが、突如、目の前の風景が歪んだ。天井が、テーブルが、床が、兄と義姉が―――世界の全てが狂ったような感覚に襲われ、そこでカンナの意識は途絶えた。





「ん……」


 ひんやりとした感触が肌を擽り、カンナは目を覚ました。

 ―――あれ? 俺、何してたっけ……?

 朦朧とする意識の中、自分がどうなったのか思い返す。そこで料理を食べていた時に意識を失ったことを思い出し、ハッとなって起き上がろうとした。


「な……!?」


 しかし、すぐに自分の現状を知って愕然となる。

 薄暗い部屋の中、自分の両手を後ろ手にロープで縛られて寝かされている。周りを見ると、積まれたエロ本やエロゲー、萌えキャラの抱き枕や丸められたティッシュからすぐに勇の部屋だと分かる。


(今度、徹底的に掃除してやる……!)


 こんな状態だと言うのにそんなことを考える辺り、主夫としての悲しい性質というものだろう。


「起きたか、カンナ」


 その時、部屋の扉が開き灯りが差し込むと共に勇の声が聞こえた。


「おい兄貴。これは何のつも……り……」


 一体どういうつもりでこんなことをしたのか文句を言ってやろうとしたカンナだったが、勇の姿を見て唖然となった。

 部屋の入り口に立つ勇は、何故かマントを羽織り、白銀に輝く重厚な鎧を身に纏って、更に頭には翼を象った兜を身につけている。更に豪華な装飾が施された黄金の剣を携えている。


「ごめんなさいね、カンナくん。こんな事したくなかったんだけど……」

「ね、義姉さん?」


 更に勇の隣に現れたミラの姿を見てまたも絶句する。

 いつもは流している長い金髪をまとめ、金の刺繍が施されたドレスを身に纏い、頭には豪華な装飾で彩られたティアラが付けられている。


「カンナ。お前には隠していたが……」

「二人共、いいトシして恥ずかしくないのか? コスプレしたけりゃコミケにでも行け」


 アラサーのくせに、どこぞのRPGにでも出て来そうな格好をしている兄夫婦に軽く頭痛を覚えながらもツッコミを入れるカンナ。まさか、兄夫婦がこんな趣味を隠し持っていたとは。十年以上、共に暮らしていたが全く気付かなかった自分にも腹が立った。

 ド正論をぶちかまされ、ミラは少し恥ずかしいのか頬を染めてモジモジしている。対して勇は溜息を吐いて、ヤレヤレと言った動作で首を振る。


「カンナ。お兄ちゃんは真面目な話をしているのだ」

「弟を縛って真面目な話もクソもあるかバカ兄貴」

「だってそうでもしなきゃお前絶対に暴れるもん」


 全く悪びれた様子も見せない勇を、カンナは額に青筋を浮かべて睨みつける。

 弟の怒りの視線を軽くスルーし、勇はいつもの調子で先程の続きを言う。


「カンナ。お前には隠していたが、実はな…………私は勇者なのだ」

「三十過ぎて堂々とそんな格好出来る奴は確かに勇者だな」

「…………ちょっと涙出てきた」


 本人としては格好良く告白したつもりだったのだろうが弟から怒りを通り越して、アホの子を見るような視線を投げかけられ心を痛めつつも勇は挫けずに続ける。


「もう十五年も昔になる。私はある日、女神によって、こことは違う異世界に飛ばされ、勇者として仲間達と共に魔王を倒す旅をしていた」


 目を閉じ、深々と思い出を語る勇を、カンナは胡散臭い目で見る。


「そして色々あって、なんやかんやで私は見事魔王を打ち倒したのだ」

「端折り過ぎだ。っていうか、何だその設定?」

「設定じゃない。事実だ。ちなみにミラはその世界出身で、私と共に魔王退治の旅をした仲間だ」

「…………は?」


 何やら耳を疑う発言が飛び出し、カンナは目をミラへと向ける。彼女は神妙な表情で頷き、口を開いた。


「黙っていてごめんなさい。私の本名はミランダ=ウィル=パラディウム。異世界……マナスティアの人間なの」

「義姉さん?」

「勇者イサミの仲間の一人……《女神の巫女》と呼ばれて、この拳で魔王軍を相手取っていたわ」

「ああ……うん……そうなんだ……」

「ちょっと。何で若干信じてるのよ?」


 非常に荒唐無稽の話ではあるが、ミラの化物じみた強さに関しては何だかそう言われた方がしっくりくると感じたのだ。


「だがカンナ。私は勇者として魔王を倒したが、それで全てが終わったわけではないのだ」

「は?」

「魔王を倒すことと世界を救うことは全く別問題ということだ。私は魔王を倒した後、マナスティアをミラと共に去った。だが、その後のマナスティアは魔王とは別の問題が起こってな。色々と混乱してるのだ」

「何でそんなの知ってんだよ?」

「私、たまに里帰りしてたもの。出張っていう名目で」

「あ、そうですか……」


 もはやそこまで設定を作り込むと逆に感心してしまう。勇はともかく、ミラまでこんな悪乗りをするとは思いも寄らなかったが、いい加減にこんな茶番に付き合うのは嫌になってきたカンナは身を乗り出す。


「はいはい、立派立派。兄貴が勇者なのは分かったから、さっさとコレ解いてくれ。晩飯の洗い物とかまだなんだろ? はい、この遊びはおしまい」

「流石に遊びで弟に睡眠薬を盛ることはせんぞ」

「は? 今何て……」


 非常に聞き捨てならない台詞を吐く勇を問い質そうとしてカンナはハッとなる。

 勇は今までのおちゃらけた様子と違い、今まで見せたことのないような真剣な顔付きで自分を見下ろしていた。


「お前の周りを見てみろ」

「!」


 言われてカンナは自分の周囲を見て目を見開く。余計なものが散らかっていたので気付かなかったが、自分が寝転んでいる床には何か陣のようなものが描かれていた。


「ミラ」


 勇に名を呼ばれるや否や、ミラはおもむろに両手を合わせた。


「《時と理の精霊よ。今ここに時の理を歪め、彼のものに道を示せ》」


 何かに祈るようなミラの口上と共に神薙の周囲が激しく光り輝いた。


「お、おい兄貴!?」


 流石にこれは設定ではない。現実に今、自分の身に起きている出来事だ。

 カンナは勇に助けを求めようとしたが、彼は表情一つ変えずに淡々とした口調で述べる。


「私は勇者として魔王を倒した」

「《現と虚、秩序と混沌、虚空漂う大地へ、夢幻の世界へと彼のものを誘え》」

「おい、兄貴! 義姉さん!」

「私達は今日、この時の為にお前を育てて来た」

「何言ってんだ!?」

「本当にすまないと思っている。できればこのままお前には平穏な日常を送ってもらいたかった……だが、そうもいかないのだ」

「おいふざけんな! 明日は廃品回収だから溜まった新聞紙と雑誌をまとめなきゃいけないんだぞ!」

「主夫の鑑だな、お前は」

「《我、ここに門を開く。彼方の地、因果の果てへの門よ》―― 〝パラダイムゲート〟!」


 ミラが合わせていた両手を広げると、陣から発する光が更に強くなった。


「カンナ」

「!」


 優しい口調で勇はカンナを見つめ、笑顔を見せる。その横でミラも同じような笑顔を向けた。それはまるで独り立ちする子を見送る親のような眼差しで勇は言った。






「勇者の弟なら世界ぐらい救ってみろ」


 それがカンナの聞いた兄の最後の言葉だった。

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勇者の弟なら世界ぐらい救ってみろ あさやん @asayama6011

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