第11話 取引
カチャカチャと陶器の擦れる音が聞こえる。不快ではなく、けれど何となく耳に響くその音は、店内の軽やかなBGMと調和しているように感じた。
「聖職者っつーのは、随分儲かるんだな」
煌びやかなレストランの個室で、イラは一切れの肉を口に放り込みながら言う。一口食べただけで上質な肉だと分かるそれは、一部の恵まれた人間にしか食べられないものだろう。
「あぁ。国からの予算に加えて、金持ち共からの寄付があるからな。十分贅沢な暮らしができる」
皮肉だと分かっているのか分かっていないのか、エドガーは薄い笑みを浮かべながら、フォークを口元に持っていく。
「勿論、司教とかになると対外的には簡素な暮らしをしてるのかもしれないがな」
「騎士団は聖職者ではないのですか?」
シウが尋ねれば、エドガーは「微妙な所だな」と皿の上の人参を避けながら言った。
「カテゴリー上はそうなっているが、中身は司教や司祭とはまるで違う。信徒という面ではそうだが、アイツらほど厳粛に決まりを守っている人間は少ねぇな」
「まぁ、アンタを見てると分かるよ」
違いない、とエドガーは笑う。どうやら自覚はあるようだ。彼は手を軽く上げると店員を呼び、人参が乗ったままの皿を下げさせた。ついでに、イラとシウの皿も下げられる。程なくして運ばれてきた珈琲に、ミルクを注ぎながらエドガーは口を開く。
「さて、腹も膨れたし、そろそろ本題に入るぞ。まずはお前達の願い事とやらから聞かせろ」
イラは珈琲を口に軽く含み、カップをソーサーに戻す。食器も良いものを使用しているのか、皿の縁に施された金の装飾はシンプルながらに存在感があるものだ。
「洗礼証明書が、欲しいんだ」
イラの願いに、エドガーは目を丸くする。やはり、セガールの反応を見てても思ったが、洗礼証明書を持たないというのはかなり珍しいことらしい。
「おい、餓鬼共。お前ら何かデカイ犯罪をやったって訳ではないよな」
「ちげーよ。見せられないんじゃない、元々持ってないんだよ。孤児だったから」
「孤児なのは理由にならねぇ。普通の孤児院なら教会の管轄の筈だ」
そもそもの話、洗礼証明書は細かい身分証のようなものではない。ただ、きちんと洗礼を受けた信徒であることを示すだけのものだ。つまり、身分を隠したいとか、子どもの存在が明らかになると不味いとかいう次元で受けさせないものでは無い。
故に、どんなに悪質な孤児院だとしても、洗礼を受けさせないなんてことはないはずだ。洗礼を受けないことも、受けさせないことも、国教であるルシアン教の教えに背く行為として取られかねない。そんなものはリスクでしかない。
お前ら何処にいた?とエドガーは目だけで問いかける。
「エドガーさん。その答えによって、私達が不利益を被る可能性はありますか?」
エドガーは眉を顰める。シウの言葉はそのまま言いにくい情報であるということを指し示していた。要はこれは意思表示をしろということだ。2人の出自にどれだけ問題があろうと、それに目を瞑れるかと聞いているのだ。
「程度によるな。俺も清廉潔白な騎士様って訳じゃねぇ。犯罪をやったとかそういうのじゃなければ、ある程度までは目を瞑るが……」
洗礼証明書自体を発行することは出来る。だが、その理由が正当なものでない限りは発行されない。偽造するにしても、エドガーにとってそこまでリスクの高いことをしてやる義理はない。
「いや、マズイ話は聞かなかったことにすればいいだけだな」
エドガーが後ろに控えていた店員に目線をやれば、彼は恭しくお辞儀をして出て行く。よく教育されているものだ。これでこの場にいる者はイラとシウ、エドガーの3人のみとなった。
「さて、これでここは密室。ここで話された事は俺たちしか知らねぇ」
さぁどうぞと言わんばかりにエドガーは仰々しく両手を広げた。イラとシウはテーブルの下で手を握る。いざという時にすぐに瞬間移動で逃げられるようにする為だ。イラはもう一度、珈琲を胃に流し入れると、ペロリと唇を舐めた。
「と言っても、そう難しい話ではないんだかな。本当に俺らは孤児として生きてきて、洗礼を受けれなかっただけなんだ」
「だから、どこの孤児院だって教会管轄だと、」
「本当にか。本当に、この世界の孤児院全てが教会管轄だと思うか」
「当たり前だ。教会が管轄していない孤児院ということは、神の恩寵を受けていない場所ということだろ。そんな場所は……」
ない、と言おうとして、エドガーは口の動きを止め、顎に手を当てる。いや、正確にはある。神にさえ見捨てられた場所がある。だが、そんな場所でこの2人が生きていたとは到底思えない。そう思いながらも、エドガーはその場所の名前を口にしていた。
「暗黒の街」
ポツリと呟かれたその名前。まさか、と思いながらエドガーがイラを見れば、彼は笑っていた。目は全く笑っていないのに、ただただ不気味に表情だけは笑顔を繕う彼の姿に、エドガーは背中に薄ら寒いものが通るのを感じた。
「まさか……お前ら、嘘だろ?あそこは、餓鬼が生きていけるところじゃないと聞いたぞ」
「ふん、餓鬼なんて雄と雌がいりゃ大体産まれるんだ。魚と一緒だよ。どんなに死ぬ確率が高くても、何万匹も産めば1匹くらいは生き残る」
イラの言葉に、エドガーは汗の滲んだ額に手を当てる。まだ考えは纏まらない。
「あの街は随分前に滅んだ筈だ。もしお前らがその街の生き残りだとして、どうやって今まで生きてきた?」
「金持ちの隠居ジジイに拾われてた。けど、死んじまったんで、こうして街に出てきたところで身分証がないって捕まっちまったんだよ」
「一応、筋は通っているのか……。しかし、暗黒の街か。マジな話なのか?」
「洗礼を受けれなかったってのが何よりもの証拠だと思うけど」
確かにな、とエドガーは天を仰いだ。まさか、こんな事実が出てくるとは。これなら前に犯罪を犯して身分証が使える状態じゃないとかの方が幾分かマシだったかもしれない。それくらい暗黒の街というのは、やばい代物だ。
“暗黒の街”
正式な名前も持たない、ならず者たちが集まってできた街は、そう呼ばれていた。この世と地獄の境の街。最下層の人間が落ちる、最果ての街。一度落ちれば引き返すことは不可能で、その先には地獄しかない。
(あそこは、神にすら見捨てられた街だ。法も神の教えもあったもんじゃねぇ。人間の醜い本能と欲望が剥き出しになったあの街で、この餓鬼共が生きてきたっていうのか)
思考の渦に嵌りかけ、エドガーは気付いた。違う、大事なのはそこではない。この餓鬼共を自分が連れてきたのは、そんな話をするためでは無い。
「ククク、ハーハッハッハ!」
突然、大声で笑い出したエドガーにイラとシウは驚きの表情を浮かべる。彼はそんな2人の混乱などお構いなしに、テーブルに両手を叩きつけると、イラの方に身を乗り出した。
「あー、深いことを考えるのは辞め辞め。俺にその情報の真偽の判断は出来ない。だが、それが本当の話だとしたら、お前らにあの街を生き抜いてきた実力があるとしたら、お前らは俺の野望の役に立つ!」
「は、はぁ?」
戸惑いの声を上げるイラを無視して、エドガーは彼の額に人差し指を突きつけた。
「良いだろう、餓鬼!洗礼証明書は俺が何とかしてやる!」
「っ本当か!?」
「ああ、ただし条件が一つ!」
シウの表情が緊張の色に染まるのが分かった。どんな無理難題を吹っかけられるのかと警戒しているのだろう。確かに、エドガーが持ちかけようとしているのは無理難題かもしれない。だが、この2人が断らないという確信がなぜかエドガーの中にはあった。
「お前らが聖アベリア騎士団に入り、俺様の部下になることだ!」
暴君勇者の(敵側の)世界救済譚 〜俺は勇者じゃありません〜 @sorai7
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