第4話 サトウ日本語を学ぶ
第二章・尊王攘夷 1<サトウ日本語を学ぶ>
生麦事件による日英関係悪化をよそに、サトウは日本語の勉強のために週二回、横浜から神奈川宿に
ヘボンという人物については生麦事件の場面で少しだけ触れた。
現在「ヘボン式ローマ字のヘボン」として有名な彼は、日本語研究家であり、さらに本職は医師(宣教医師)であった。日本語研究ではサトウの大先輩にあたり、日本初の本格的な
サトウは日本に来て、すぐに馬を買った。そしてその馬に乗ってしょっちゅう横浜周辺を
「横浜の
サトウはこのように日記に書いている。
多くのイギリス人がそうであるように、サトウもまた木々の緑や自然の風景を好んでいた。それゆえ彼は日本の自然に
ある日、サトウは馬で神奈川宿へ向かっている時に街道で一人の
その侍はサトウの近くまで来た時に、不意にその
サトウはおもわずギョッとした。
そしてすかさず
(しまった!拳銃を忘れてきた!)
やむをえずサトウは、こわばった表情で手を懐に入れたまま
(ボクは拳銃を持っているぞ!刀で斬りつけてきたら、お前を撃ってやるぞ!)
と精一杯強がった表情をして侍をにらみ続けていた。
するとその侍は口元に「ニヤッ」と笑みを浮かべただけで元の歩みに戻り、そのまますれ違っていった。
サトウは馬を走らせてすぐにその場から離れた。そして安全なところまで来てから、生麦の二の舞にならずに済んだことを神に感謝した。
後年サトウは次のように手記で語っている。
「その侍はおそらく外国人を
この後サトウは神奈川宿の
当時この寺の
ブラウンは、この日本語の勉強に熱心な生徒に新しいテキストを用意して待っていた。
「やあ、サトウ君。また『会話体日本語』の新しいテキストが出来上がったよ」
ブラウンはヘボンの長年の友人でヘボンと同様、アメリカから来た宣教師である。彼はこの成仏寺でヘボンとともに日本語の研究をしながら時々サトウたちに日本語の基礎を教えていた。そして本堂のほうではヘボンが日本人に英語を教えていた。
サトウがこの日の授業を終えて建物の外へ出た時、彼は異様に頭の大きな侍を見かけた。
サトウはその男の
(我々からすれば元々日本人のチョンマゲ頭は異様なんだが、この男はとりわけ……)
頭の大きな侍のほうもサトウに気がついて振り向いた。しかしこの男は何もしゃべらない。
「英語の勉強をしにきたのですか?」
と、たずねてみた。すると、この男は日本語で
「そうです」
と答えた。しかし、それ以上何もこたえなかったのでサトウはとっさに少し間の抜けた質問を英語で投げかけてしまった。
「今日はいい天気ですね」
すると、やはりこの男は日本語で
「日本ではこれが当たり前です」
と答えて、そのまま歩いて行ってしまった。
サトウはその頭の大きな男の後ろ姿をぼうぜんと見送った。
(まったく変な生物に出会ってしまったような気分だぜ……)
この頭の大きな変人は、数年後
ブラウンから日本語の初歩を習ったサトウは、横浜で日本人の日本語教師も雇った。紀州(和歌山)藩の医師で
サトウは外国人にとって特に難題である日本語の
またサトウは高岡から日本の事情もいろいろと教えてもらった。特に政治動向の話はサトウの貴重な情報源となった。
「それで高岡さん、幕府は薩摩を罰することができるのですか?」
「それは無理です。多分、犯人を引き出させることすら難しいでしょう」
「なぜですか?幕府の力はそんなに弱いのですか?」
「はい。それが分かっているから薩摩は幕府の命令を無視して勝手に
実際、薩摩は幕府をナメていた。
イギリス人を斬ったのは「
それに対して幕府が
「イギリスが犯人および責任者の処罰を強く求めている。イギリス艦隊が鹿児島へ向かうことになっても良いのか?」
と強く迫ると、薩摩側は
「
といった具合で、幕府からの命令をまったく意に
一方イギリスのニール代理公使も幕府の対応にあきれていた。
ニールが
「幕府は薩摩に犯人の引き渡しを強制する権限を持ってないのか?薩摩が犯人を引き渡さなかった場合、幕府はどうするのか?」
と回答を求めても幕閣はのらりくらりとした返事をよこすばかりで、この事件をまともに対処する意志がニールには見えてこない。しかも三ヶ月前の第二次
「なぜ幕府は“外国人
とニールは聞いてみた。すると幕閣は
「残念ながらそのような布告を出せば、彼ら(攘夷派)は一層それと反対のことをやるに違いないのだ」
と抗弁した。
まったくニールにとっては幕府の真意がどこにあるのかさっぱりわからない。これで一国のまともな
とにかくニールは生麦事件の対処については本国政府の回答待ちなので(当時は日本とヨーロッパとの往復には四ヶ月近くかかった)それが届き次第あらためて交渉する、として
生麦事件の幕府とイギリスの交渉は概ねこういった経緯をたどって、現在は保留中の状態である。
サトウは高岡にイギリス政府の回答時期を説明した。
「おそらく本国の指令がここに届くのは来年の2月、日本の
日本人がイギリス人を斬り殺してしまったことを申し訳なく思っている高岡は、すまなそうな表情でサトウに答えた。
「まったく
それを聞いたサトウはニヤリと
「高岡さん、我々イギリスも“島国”ですよ」
と言った。
高岡は、
(島国は島国でも、世界中に植民地を持っている島国だけどね。イギリスの場合は……)
江戸で幕府と交渉するニールの
もちろんサトウは喜び勇んで江戸へ向かった。
サトウがイギリスから夢見ていた日本の風景は横浜ではなくて江戸なのである。横浜は
もともと江戸にもイギリスの公使館はあった。
まさに
イギリス公使館員の一行は江戸へ向かう途中、東海道の“
サトウの後年の記述を借りると、当時の梅屋敷を訪れたサトウの感想は次の通りである。
「梅屋敷という有名な遊園地に着き、美しい乙女たちの
現在この梅屋敷はその
一行はこの日、
翌日、サトウたちは
御殿山は現在の京急電鉄・
参考までにこのあたりの地理を少し解説すると、東禅寺のすぐ近くに高輪の薩摩藩邸があり、東禅寺のやや北のほうに
この御殿山には四ヶ国(英仏蘭米)の公使館がそれぞれ建設されていた。これまで各地に分散していた各国公使館を一か所にまとめて警備しやすくしようとしたのだ。
ただしこの御殿山は東海道と江戸湾の
この時イギリスの公使館はほとんど完成しつつあった。
二階建ての建物が二
ちなみにサトウたちがこの御殿山を見学したのと同じ日に、京都では
およそ半年前には薩摩の久光が勅使の
この日の翌日、サトウは日英交渉の席に初めて
むしろ彼にとって今回の江戸初訪問で一番重要だったのは、これ以降の日程のほうだったであろう。
サトウは仲間たちとともに連日、江戸の各地の名所を馬で回って観光を楽しんだ。例をあげると
サトウが観光して回った感想は
「こうした観光地では茶屋の美しい
ということのようで、さらに江戸を
ともかくも、サトウはロンドンで夢見ていた「美しい黒髪の日本女性たちに会ってみたい!」という願望を今回の江戸初訪問でそれなりに達成し、満足した気分で再び横浜へ帰っていった。
サトウが江戸を初訪問していた頃、伊藤
俊輔の恩師であった
その頃ちょうど俊輔の上司である桂小五郎が江戸から京都へやって来た。
「萩の来原家のことは手紙で読んだ。いろいろと苦労をかけたな、俊輔。いや本当にすまなかった。ところで最近の京の様子はどうだ?」
「
実際この頃までに島田
「京へやって来る途中、東海道で三条、
「今回の桂さんの
「うむ、まあそうだ……。それはそうと俊輔、
「三本木の件?」
「ほら、
(ああ、
「そうか、まだ交渉中か……」
桂の表情は急に
それを見て取った俊輔は内心「ヤレヤレ」といった心持ちになった。
(まったく、この人の女好きには困ったものだ)
桂は以前から三本木にある吉田屋の芸者・
(まあ、女好きという点ではワシも
俊輔は江戸の品川で友人の
すでに俊輔には
「いや、私は自分自身の不平不満を言うわけではない。女のことなど後回しにするのが当然だ。しかし俊輔、最近お前は天誅騒ぎの暗殺仕事に興味を持っていると聞いたぞ。私はお前に暗殺の仕事などさせたくないのだ。お前にはそんな仕事は似合わない。お前は夜の席で女たちとバカ話でもしてだな……」
「わかりました、わかりました、桂さん。近いうちに幾松さんのことは私がケリをつけますから」
これ以上、桂の説教を聞きたくなかった俊輔は、
あくる日、俊輔は三本木の吉田屋へ行った。
三本木は現在の
俊輔は以前もこの吉田屋に来て、ここの
「金はいくらでも出す。なんとか我が
「へえ。せやけど、あちらさんも金はいくらでも出すと言うてはりますわ」
女将はそう言って俊輔に耳打ちし、豪商が提示してきた金額を伝えた。
(いくら藩からの
「我が長州に恩を売っておく良い機会ではないか。我が藩がこの三本木でどれだけの金を使っているかお主が知らぬわけはなかろう?もうちょっと金額を
そう言って俊輔は何度も女将に頭を下げて
俊輔はとうとう開き直った。
「そうか、わかった。お主がそこまで
俊輔は刀の
「ワシには今、天誅で世間を騒がせている志士の知り合いがいる。お主、今後
なにしろ「あの長州藩」の一員である俊輔の口から“天誅”の言葉を聞かされたのだから、女将としてはたまったものではない。この
(やれやれ。女一人を相手にワシはこんなところで何をやっているのだ……。とにかくこれで桂さんの仕事は片づいた。あとは江戸で皆の仕事を手伝って、
その後しばらくして桂と俊輔は京都から江戸へ向かった。
三条、姉小路の
三条、
およそ半年前の大原勅使の下向を薩摩の久光が護衛したように、今回、勅使下向の護衛役は土佐藩主・山内
勅使の江戸到着からしばらく経った十一月五日、この二つの藩をめぐって一つの事件が発生した。
この日、長州藩の
ただし長州藩士の多くは容堂に強い疑念を
「将軍は
なにしろ長州藩と土佐藩とでは、その成り立ち自体が大きく違っているのだから、長州藩士たちがこういった疑念を容堂に対して抱いたとしても、
土佐の山内家は関ヶ原の
かたや毛利家はそれとは
実際この時、幕府内は混乱の
幕政が混乱していた理由は、まさにこの「勅使に対してどのような回答をするか?」というところにあった。
勅使の目的は「将軍に
この「勅使に対してどのような回答をするか?」について、江戸城内で飛び
まず、開明派と見られていた
「
と勅使の命令に従うよう
これに対し幕府開明派の筆頭として名高い小栗
「外交は幕府の
しかしながら
「奉勅攘夷を
こうして江戸城では「開国か、攘夷か」の議論が続けられたものの、大勢は奉勅攘夷を
ところがここで将軍後見職の一橋慶喜が公明正大に「攘夷の不可」を
「我が国のみが鎖国を続けるのは不可能である。井伊大老が結んだ条約は不正と言えば不正だが、外国人から見れば政府と政府が結んだ正式な条約である。もし我が方の一方的な条約破棄を理由に諸外国と戦争をして、仮に勝っても名誉にはならない。もし負ければ最悪の事態となる。私がこのように考えるのは幕府のためではない。日本全体のためである」
この慶喜の発言で開明派の意見が盛り返したかに見えたが、結局こういった正論は「世間に公表する事すらはばかられる」というご
そして事を
「今は
さらにこのあと「
話を桜田藩邸での酒席の場面に戻す。
以上のような経緯の中身を長州藩士たちが
そしてこの日、酒の勢いもあって思わず長州藩士たちの
長州側の席の一部から容堂に対して
「
と叫び声があがったのである。
すかさず土佐側の席から「今、何と申した!?」と家臣たちがいきりだって長州側につめよろうとしたところ、容堂が「待てっ」と声をかけて家臣たちを止めた。
容堂は家臣に紙と筆を持って来させて
「今、良い物を書いてやる」
と嬉しそうな
「これはお主たちのことよ」
それは
下級武士たちが藩の上層部を動かしている長州を
容堂が大酒飲みであることは、自分のことを「
だがしかし、長州藩にも一人、酒飲みで有名な重役がいた。
この男は酔っ払って相手にからむことで有名な男だった。
この男は数ヶ月前、薩摩藩との酒席の場で薩摩藩士から
酒席は
そしてその
周布は近くにいた久坂玄瑞に耳打ちした。すると久坂がすっくと立ち上がり容堂に向かって言った。
「
久坂は手に持っていた
「われ
これは吉田松陰にも大きな影響を与えた僧
そこですかさず周布も立ち上がり容堂を
「鯨海酔侯もまた廟堂の
これにはさすがに容堂も顔色を変えて不快な色をあらわにした。
もちろん土佐藩士たちは全員立ち上がり「無礼者!」と叫んで長州側につめよろうとした。が、容堂と定広が同席している手前、また豊範と喜久姫の結婚が間近に迫っていること、さらには勅使下向での協力関係もあるため、この日は一応両者このまま引き下がって事なきを得たのであった。
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