第2話 サトウ来日
第一章・生麦騒動 2<サトウ来日>
サトウやウィリスが働いている横浜のイギリス公使館は「横浜
しかし生麦事件が発生したこの時期、イギリス公使館のトップであるオールコック公使はイギリスに帰国中で不在だった。代わりにニール陸軍大佐が
前回「ウィリスが
そしてこの日の夜、横浜にリチャードソンの
ついに彼らのイラ立ちは爆発した。
横浜の外国人たち、特に一番人数の多いイギリス人は
「我々はこれまで何度も攘夷
「今度という今度は
なにしろ今回の事件はこれまでのような暗殺事件と違って犯行が薩摩藩の
さらに彼ら外国人たちにとって幸いなことに、この日横浜にイギリス艦隊の
横浜の外国人たちの多くは「保土ヶ谷
彼らは最高責任者であるニールの意見を待たずに一部の有力者たちだけで軍議を開いた。
「これだけの兵力があれば薩摩の軍勢などひとひねりだ!」
「これから我々は保土ヶ谷を攻撃して島津
「異議なし!」
彼らは「保土ヶ谷襲撃」を決定した。
一方、その保土ヶ谷宿のほうでも薩摩藩士たちが「横浜への先制攻撃」を
この薩摩藩
ただし、この保土ヶ谷宿ではイギリスからの
薩摩藩の陣屋敷では生麦でイギリス人たちを斬った「実行犯」の一人である
「
小松は仰天した。
「バカな事を言うな!横浜には日本人の商人もおるんじゃぞ!」
「
今回の問題を処理するために小松と相談していた大久保
「先に手を出してはならん!」
しかし海江田は承服できず反論した。
「
これに対し大久保は毅然として言った。
「もし異人どもが攻めてきたらその時は反撃しても構わんが、こちらから先に手を出してはならん。我々の一番大切な任務は
結局、薩摩側は小松と大久保の判断によって「横浜への先制攻撃」は差し控えることになった。
同じ頃、横浜では「保土ヶ谷襲撃」に賛成した人々がフランス公使館に集まっていた。この公使館のトップであるフランス公使のベルクールは襲撃賛成派の意見を尊重するような姿勢を見せていたので、彼らはベルクールを頼ったのだった。彼らはこのフランス公使館にイギリスのニール代理公使を呼びつけた。時刻はすでに深夜である。
フランス公使館の会議室に入るやいなや、ニールは不快な表情をあらわにして抗議した。
「イギリス人が犠牲になったというのに、なぜフランスの公使館に私を呼びつけるのかね?」
ニールの抗議をうけてベルクールは答えた。
「まあまあ、そう怒りなさるな。私は“公使”だが、あなたはオールコック氏不在中の“代理公使”だ。しかも私はあなたよりも横浜での経験が長い。それで皆がこの場所を選んだのだ」
ニールの表情はますます
そのニールに対し、席にすわっている外国人の代表者たちが意見を述べはじめた。
「とにかく、
「
そして一同は
「報復だ、報復だ!
この会議の席には、この日横浜に到着したばかりのユーリアラス号の艦長キューパー提督もすわっている。彼はこの襲撃賛成派の人々に対して
「ちょっと待ってくれ。私は横浜に着いたばかりでまだ事情を
これで襲撃賛成派の人々の意気はやや
「私は襲撃作戦を容認することはできない」
彼はさらに続けて言った。
「我々が保土ヶ谷を襲撃すれば、薩摩ばかりか日本全体と戦争することにもなりかねない。我々は貿易をするために日本に来ているのだ。戦争をするためではない」
このニールの意見を聞いて襲撃賛成派の一同が騒ぎ立てた。
「
「そうだ、そうだ!
これらの
「私はすでにこの件を本国政府の判断に
襲撃賛成派の人々から
「了解した。我がフランスもその判断を
結局イギリス側も、ニールの強い意志が示されたことによって「保土ヶ谷襲撃」計画を中止することになった。
翌朝、幕府からの保土ヶ谷
こうして、お互い複雑な事情をかかえながらも「この時は」薩摩とイギリスの武力衝突は避けられたのである。
ちなみにこれは余談というべきだろうが、この薩摩藩一行には「あの西郷
後にサトウと知り合い、ともに歴史の
生麦事件の翌日、サトウが
リチャードソンの遺体を自分で発見して
「ニール代理公使は皆から
日本に来たばかりのサトウとしては、それに答えるべきセリフが見当たらない。ウィリスは話を続けた。
「俺は日本に来てまだ半年も
まったく酒が
サトウはウィリスのことが好きだった。
サトウが横浜のイギリス公使館に到着した当初、日本語の勉強に
これでサトウは、一発でウィリスのことが好きになった。
ウィリスが初対面のサトウに対していきなりここまで優しく接した理由は謎だが、おそらくこの
後年サトウは手記で次のように語っている。
「その人格ならびに公務によく
この手記の中でも示されているように、二人の友情は生涯にわたって続くことになるのである。伊藤
酒を飲みながらウィリスは何気なくサトウにたずねた。
「ところでサトウはなぜ、こんな危ない日本にすすんでやって来たんだ?」
その問いを聞いたサトウは、不意にここ数年の出来事を思い出した。
以下、しばらくはこの物語の主人公の一人であるアーネスト・サトウの
サトウは1843年6月30日にロンドンで生まれた。
当時、
あの
サトウは中産階級の比較的
ただし、当然のことながら“ジェントルマン(貴族)”の家庭ではなかった。
当時のイギリスの小説家で、のちに大政治家となるディズレーリが『シビル-あるいは二つの国民』という政治小説の中で
「イギリスはジェントルマンと、そうでない
と
サトウはジェントルマンの階級には
来日する三年前、彼は十六歳でパブリックスクール(中等教育機関)を首席で卒業し、ロンドン大学(ユニヴァーシティ・カレッジ)に進学した。
そしてこの大学在学中に、彼は一冊の本と運命的な出会いをしてしまった。
来日する一年前(1861年)のある日、三歳年上の兄エドワードが図書館で本を借りてきた。サトウは兄が読み終わった後に、その本を回し読みさせてもらった。
それは『エルギン
イギリス人外交官ローレンス・オリファントが
この本の中で紹介されている日本の姿は
「気候は素晴らしく、自然も美しい。そして男たちのつとめは美しい
と、少なくとも後年サトウが書いた手記の冒頭ではそのように説明されている。
ともかくも、この本を読んでサトウは
「いくら勉強ができても、このままイギリスにいてはジェントルマンの地位を獲得するのは難しいだろう。ここの退屈な生活にも
この願いが天に通じたのか(
「日本行きの通訳生を募集」
と書かれていた。
まさに文字通り「渡りに船」である。彼は
そして外務省で外交官試験を受験し、これも主席で合格した。ついでに大学の卒業試験も
サトウがイギリスの港を出発したのは1861年11月4日のことである。
しかしながら時代の流れは時として激流となって
まさにこの時の日本がその
サトウを日本へと
日本史の教科書では、アメリカのハリスと締結した日米
いわゆる「不平等条約」である。
とにもかくにも
当時の日本人からすれば、これが「
通貨取引の
それゆえ、生麦事件の場面でも触れたように江戸と横浜では“
そして皮肉なことに、あの「美しく平和な日本」をサトウに紹介したオリファント自身も、この攘夷の
当時東禅寺にはイギリス公使館が置かれていた。
余談ながら、この時期はちょうど数日間にわたって世界各地で巨大
「五月二十四日の夜より、北より
と、この彗星の記録を日記に残している。
そして何よりもオリファント自身が事件当日の記録を次のように書き残している。
「7月5日の夜、彗星が見えた。われわれのうちの
(※註:この物語では、一般の時代小説と同じように
この彗星は西洋ではテバット彗星と呼ばれている。この時十八歳の誕生日を過ぎたばかりのサトウも、ロンドンで日本行きの準備をしながらこの彗星を見上げていた。
この日の夜、オリファントたちイギリス公使館員を
不幸中の幸いと言うべきか、イギリス側に死者は出なかった。かたや日本側については、襲撃者たちの多くが死んだのは当然の結果と言えようが、警護側の日本人にも数名の死傷者が出た。とにかくありていに言って、この浪士たちによるイギリス公使館襲撃計画は失敗におわったと言えよう。
ただしオリファントは腕などを斬りつけられて重傷を
サトウからすれば、この
「ボクをこの道にひきこんだ責任をとってくださいよ」
とツッコミの一つも言いたかったであろうが、この先輩外交官は帰国後ほどなく外交官を
ついでながら述べてしまうと、その後彼は国会議員になったり、日本からイギリスへやって来た留学生の面倒をみたり、あげくの
この時の襲撃事件ではオリファントの他にもう一人イギリス人が負傷したので、結局浪士たちがあげた「
この事件は一般に「
そして一年後、この
それゆえ、こちらの事件は「第二次東禅寺事件」と呼ばれているのだが、今度はイギリス側に死者が出てしまった。
上記でウィリスが「二度もイギリス人が殺された現場に立ち会った」と述べていたが、一度目がまさにこの時だった。
警備をしていた松本藩士の一人が乱心して
しかし実際のところ「
一方サトウは、第二次
イギリス出発から八ヶ月近くも経つというのに
「清国に二年間とどまって漢字の勉強をするように」
と思いもよらない命令をうけて、この時はまだ清国に滞在していたのだ。
「ボクは日本語通訳生として日本への
とサトウは内心不満に思った。
実際日本から清国に届けてもらった日本語の文書を清国人に見せたところ、彼らはほとんど意味を
ちなみに第二次東禅寺事件が発生して横浜のイギリス公使館では処理すべき仕事が
そういった事情もあってサトウは清国での二年間の予定を早めに切り上げて日本へ向かうことになったのだった。
このサトウの清国滞在時に、前述したように日本の
ただしその頃サトウはたまたま
サトウがこの二人と出会うのは、五代とは一年後の
そしてサトウは
ただし到着した六日後にいきなり生麦事件が発生して、前述したようにギリギリのところで「日英戦争」が回避された、という危機的状況を
「サトウはなぜ、こんな危ない日本にすすんでやって来たんだ?」
とウィリスから聞かれたサトウは一瞬言葉につまった。そしてなぜかとっさに弁解がましいことを述べてしまった。
「日本が危険なことは新聞で見て知ってたから全然おどろいてないよ。ボクは純粋に日本語に興味があったから日本に来ただけのことさ」
日本を楽園のように描いていたオリファントの本を読んだから、などとサトウは恥ずかしくて言えなかったのだ。
そんなサトウの肩をたたいてウィリスは優しく
「そうか。これからも日本語の勉強を頑張れよ!」
そしてウィリスは自分の
(ちくしょ~、オリファントにだまされた…!)
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