完全試合上等~彼女はエースを譲らない~

@Tomikusa

         第1話 プロローグ

 ミットを揺らす爽快な音が、空気を震わせる。


「ナイスボール!」


 まだ春の匂いの残る日差しの下、マウンドに立つ彼女にボールを返す。再びホームベースの後ろに腰を下ろし、体が大きく見えるように、少し腰を浮かせてミットを縦に構える。


「よしこい!」


 そして声をかけられた少女――マウンドに立つ彼女は、プレートに左足を置き、右手にはめたグローブを少し膨らんだ胸元に置き、サインを見る。

 彼、日々(ひび)影戦(かげいくさ)は股の間の右手でサインを送り。

 彼女、姫(ひめ)鳥(どり)ソフィアがそれに頷く。

 戦はチラリと右バッターボックスにいる打者を一瞥し、これまでのカウントの内容を頭の中で反芻する。カウントワンボール、ツーストライク、1-2。最初に外角低めにストライク、二球目は外低めに外れ、三球目に一球目と同じ軌道でストライクを入れた。

 では、三球目は。

 姫鳥が決して大きくない体で、しかし豪快に振りかぶる。右足を上げ、体重をその足と腕に乗せ、地面を這うような軌道で腕を振る!

 大地を駆ける軌道で投げられたその球は、低い軌道からぐんと浮かび上がるような軌道で高い位置に構えるミットに吸い込まれる。

 バシィン! と、打者のバットの上を抜け、ミットに快音を鳴らせる。


「ナイスボール! 姫鳥!」

「う、うん!」

「最高だな! うちのパートナーは!」

「う、うん……」


 頬を赤らめる姫鳥と、澄んだ瞳で彼女を褒める響。

 彼と彼女と野球は、ここから始まった、

  

(俺たちは元気にしてるよ)


 少し日が傾いてきた水曜の放課後、四人の中学生男子たちは、かつての友たちのお墓参りに来ていた。

 学校の制服に身を包み、二年生の穏やかな表情で手を合わせる結崎(ゆいさき)響(ひびき)と、無造作な髪にふてぶてしい顔立ちでも、誠意を持って手を合わせる裂矢(さきや)秀助(しゅうすけ)。二人が共に腰を下ろして手を合わせ、その後ろで三年生の前髪の長い長身の凩(こがらし)蝶我(ちょうが)と、頭を丸坊主にし、がっしりとした体格の宮崎(みやざき)北斗(ほくと)が同じく目を閉じ、黙祷していた。


「……それじゃ、そろそろ帰りますか」

「せやな。そろそろ日も落ちるやろ」


 響の言葉に、秀助も応じる。


「そか。なら二人は先に帰ってるワケ」

「もう少し、俺らは残ってくな」


 三年生の二人は、優しい声でそう告げた。そして響と秀助の二人は自転車を走らせ、三年生の二人は残り、再び黙祷する。しばらくすると、大きなため息をはき、凩がその場を去り。

 大粒の涙を流し、膝をつく男だけが残った。


五月初旬、まだ少し肌寒い風の吹く河川敷の土手の上を、黒のジャージに身を包んだ戦と青のジャージの下にトレーニング用シャツを着た秀助がランニングをしていた。

 右手に見えるのは日に照らされる、まばらな畑と住宅街。左手に見えるはいくつもの拾い芝と野球場、そして大きな河川が見える。


「……これも長いよな」

「なんや急に、疲れたんか」

「全然。もう三年くらいやってるんだなって」

「あー、そうやな。体力つけるとか言うて始めたんやっけ」

「雨の日以外は毎日な」


 軽い会話をしながらも、飛んでいる蠅を簡単に追い越しながら走る。響が右側を走る。耳を撫でる冷たい風が心地いい。彼の横の秀助も、彼と同じように風を切って走る。息を乱さず、一定のリズムで。

たったったったっ。

そうして数分走っていると、視線の先の土手の上、階段のちょうど真上当たりに、見知った顔の、体を動かしている二人の少女たちがいた。足を進まさずに動かしながら二人も彼女たちの前で止まる


「おはよう。二人とも」

「おはよう、姉ちゃん」

「姉御、おはようさん」


 足をぶらぶらと動的ストレッチで体を温めているのは、スレンダーな体と長い髪をポニーテールにまとめた響の双子の姉、結崎(ゆいさき)美咲(みさき)。


「おはようございますわ。響さん、秀助さん」

「聖、最近は寝坊しないんだな」

「よう寝転げてたのにのぉ」


 肩と腕を輪になるように回す動的ストレッチをしているのは、夜凪(やなぎ)聖(ひじり)。秀助秀助の幼馴染である。


「ふふ、昔の話ですわ、わたくし自慢のお手製目覚まし時計でおめめぱっちりなんですわ」

「へぇ、どんなの作ったんだ」

「秀助さんのおはようが入った目覚ましですわ」

「あー、あれそのためやったんか」

「はい」

「よかったのぉ。声大きいやつの目覚ましで」

「ええ。目覚めすっきりですわ」


 足踏みしながら笑いかける秀助と、体の前で両手を握り、元気な姿を見せる夜凪。


「……なるほど、秀助の声って起きやすいのか……」

「そういう話じゃないと思うわよ」

「え、そうなの?」

「まああんたにゃ少し早いか」


 出来の悪い弟を慰めるように、響の頭にぽんと美咲は手を当て、


「さて、それじゃあ行きましょうか」

「「はーい」」


 と響と夜凪。


「へーい」


 と秀助。


「はいでしょ?」


 秀助の頭を鷲塚み微笑む美咲。


「はいっ!!」


 元気な返事の秀助。顔は見えない。ちなみに夜凪は頭は大丈夫かと動揺した表情を見せ、響はというとまたか……と言わんばかりの呆れ顔をしている。


「はいよろしい」


 にこやかな表情の美咲に開放される戦々恐々とした表情の秀助。


「じゃ、しゅっぱーつ」

「おっまえいい加減ちゃんとすればいいのに」

「姉御怖いわ……」

「美咲姉様は凛々しい姿もかっこいいですわね……秀助さんも心配になりますけど」


 今日も今日とて四人揃って楽しいランニングである。

 流石に単純な体力だけでは男二人に分があるので、女子二人はカルガモのように後ろにつく形になる。


「目覚ましのおかげとは言いましたが、でもやはり、朝に起きると気分がいいものですわね」

「聖ちゃんもそう思う? やっぱ早起きは一日が長く感じれていいわよね」


走り始めとはいえ、女子には早いスピードにも関わらず、息も切らさず朝の快適さに談笑する彼女たち。

夜凪はお腹をさすりながら、


「はい。このランニングに付き合うのも、ダイエットとして凄くいいですから」

「ダイエット気分というか鍛える目的なんだが……」

「そんなん誤差やろ誤差。どっちでもええ」


 野暮なツッコミをする響をこづく秀助。なんだとぅ、とやり返す響。

 河川敷の橋と橋を一周五キロ以上の距離はある。だが彼らも慣れたものなのか、スピードを落とさず一定の速さで走りながら、流れるような会話を続けていた。


「それでさ、二人はどうだ? チームの方は」


 左手に見える河川の流れが風の流れを受けて変わり、鯉がその流れに乗って来た方向に戻る。彼らもまた南の方の橋にたどり着き、反転。


「そうね、私は大丈夫。ソフトの部活の方も話つけてくるわ」

「ありがとう、姉ちゃん」


 日差しのせいか、その晴れやかな美咲の瞳は、頼れる光を放っていた。


「わたくしも、問題なしですわ。秀助さんのお願いなら、断る理由もないですから」

「そらええ。一緒にまたやろーや!」

「きゃっ……えへへ」


 秀助に肩をこつんと当てられ、まんざらでもない顔をする夜凪。


「それに、姉様の手伝いもできますし。あ、あと響さんも」

「俺ついで⁉」

「ふふ、いい子いい子」

「ふふ」


 美咲に頭を撫でられ、猫のように甘えた顔になる夜凪。


「あとは先輩たちがどれだけできるかって感じか」

「流石に三年はキツイやろ。わしらがなんとかせなあかん」

「まあそうだよな。九人、か」


 後三人は最低でも必要だ。 

 野球をするためには。

 戦は右手に見える、上り始めた太陽に目を移す。


「ん?」


 足を止めた響に美咲が気づき、秀助たちも足を止める。

「また野球したいな。みんなで」

「……せやな」

「そうね」

「そうですわね」


 響は彼女らの返事に、日に照らされた、薄い氷のような笑みを浮かべた。


(それにはエースがいる。俺以外の。俺が認める、最高の投手が、絶対に必要なんだ)


 彼はその左肩に右手を置き、歯ぎしりしながら、その空を見上げていた。

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