制服を愛する令嬢が婚約破棄された話

山吹弓美

制服を愛する令嬢が婚約破棄された話

「いくら何でも、それはあり得ませんわ! 冗談ではございません!」


 それまで落ち着いた口調で反論していた令嬢の突然の激昂に、周囲の者たちはぽかんと目を丸くした。




 とある王国、とある王立学園。

 その学園の卒業生、彼らの最後の学園行事である卒業パーティの場において、唐突に大きな声が上がった。


「お前との婚約、今この場でなかったものとさせてもらう!」

「は?」


 声を上げたのはこの国の第三王子サード殿下であり、その王子にお前と呼ばれたのは当の王子と婚約を交わした相手であるはずのフュルスト侯爵令嬢マキナ。

 互いにこのパーティのために誂えた盛装を着用しており、その姿のまま向かい合う様子は彼らの周囲を距離を開けて取り囲む観衆たちの視線の的となっている。


「あの、理由をお伺いしても?」

「そんなことも分からないのか。それでよく、俺の婚約者などと言えたものだな!」


 ぽかんと目を丸くしたままのマキナに対し、サードは苦々しげな視線をそらさない。

 ……その王子の背後に、ピッタリと張り付くようにして自身を覗き込んでいる少女の姿があることに今やっと、マキナは気づいた。確か、バイカウント子爵令嬢テス。マキナより一つ年下であったはずだ。

 自分とは違い年齢よりも幼く、男性の庇護欲をくすぐるような容姿の彼女は確か、バイカウント子爵家当主が外に作っていた娘という話だったか。後継者不足を理由として当主が引き取り、一年前この学園に編入してきたという彼女の周囲にはサード王子を始めとして宰相や軍部隊長の子息、はてはマキナ自身の弟までもが寄り集まっている。

 その中でサード王子は、マキナを憎むように睨みつけたまま更に声を張り上げた。


「このテスに対する数々の悪行、忘れたとは言わせんぞ!」

「まあ。忘れる以前に、覚えがございませんわ」


 情報としてマキナはテスのことを知ってはいたが、そもそも年齢別であるがために所属するクラスが異なる。そのせいもあり、こうやってテスと向かい合うのは今日この場が初めてのはずである。

 その相手に対し、さて自分がどのような悪行を為したというのであろうか。首をかしげるマキナに対し、サードをはじめとした男性陣が口々に上げたのは確かに悪行、であった。


「テスに対し無理難題を押し付けたのだろう! 母君の形見を譲れなどとは!」

「テスがもともと平民であったことを罵ったと聞いているぞ!」

「教科書を奪って破いたそうだな!」

「水をかけたり、足を引っ掛けて転ばせたりしたんだそうですね、姉上! その上、階段から突き落とすなんて!」


 ……さて、身分はどうあれ一人の生徒に対して続けざまにそのような事があれば、学園側が動くと思うのだが。そう、マキナは心の中だけで考える。

 この学園に所属する生徒は、その身分を問わずほぼ同等の扱いとされる。既に卒業式が終了しているサード殿下やマキナたちには、それは適用されないけれど。

 だが、どうやらテスに対してマキナが行ったとされる悪行の数々、それは学園に在籍中のものであり……如何にマキナが侯爵家の娘であり王子の婚約者であったとしてもそれは調査、懲罰の対象となるはずである。

 さてさて、それがなされなかった理由とは。


「そ、それにひどいんですよう、マキナ様!」


 マキナの反応が薄いことに苛ついたのか、テスが叫んだ。この場にいる全員の視線が、子爵の娘としては甚だ豪華すぎるドレスに身を包んだ彼女に集中した、その時。


「先日、マキナ様の手で制服をビリビリに破かれたんですううう!」

「いくら何でも、それはあり得ませんわ! 冗談ではございません!」


 テスの悲鳴に重なるように、マキナが更に大きな声で反論を述べた。さすがの侯爵令嬢も一方的な追及、批難に辟易したのかと思いきや。


「なぜ制服を破らねばならないのですか! この学園の制服は、他国からも羨ましがられているのですよ!」

「へっ?」


 ぽかん、という擬音が場内に響き渡った気がするのは、気のせいだろうか。

 そのくらいには、パーティ会場である講堂の中は静寂に包まれていた。楽隊ですら音楽を奏でることなく、マキナを見つめている。


「どのような髪色、肌色にも合うシンプルなクリーム色に染色され、滑らかかつ丈夫に織られたこの生地! ジャケットやスカート、スラックスに使われている布はアンルーテ地方原産、魔力を馴染ませることでその身を守護する魔力壁を紡ぎあげることのできる特製の綿なのですよ!」


 その中央で侯爵家の令嬢は、うっとりと虚空を見つめながらこの直前まで自らが、そして王子や他の者たちが身にまとっていた制服についての講釈を始めた。


「またブラウスやリボン、ネクタイの生地は、セイトンカ村とその周辺にのみ生息する桑の葉で育てた特殊な蚕が作る絹! しっとりと肌を包み、また汗や匂いを吸収して周囲に不快を与えぬと大変評判が高いものですの!」


 一度胸の前で組んだ両手を離し、空に掲げる。そのさまはまるで、超常の存在に呼びかけているかのようだ。


「クリーム色を始め、使用されている染料は我が国の各地に伝わる製法を発祥とする、自然とお肌に優しいものだということは特に女性の皆さんは御存知ですわよね!」

「そういえば、学園に来てからお肌がすべすべになったわよね」

「そうか、制服のおかげなのですね」


 くるりと自分たちの方を振り返った彼女の説明を受けて、令嬢たちがなるほどと互いに顔を見合わせ頷く。生地も染料もそれを着用する者のことを考えて作られたものであることを、彼ら彼女たちはよく知ることとなった。


「校章及びジャケットに使用されているボタンは、王家より認められた一流の細工師の手になる逸品! またブラウスのボタンは中海でしか採れることのない、天然のルーア貝を加工した特産の貝ボタン! 制服をお手に取られた際にはしっかりと御覧なさい、あの小さな表面に施された細工を!」


 マキナの口上に飲み込まれるように、テスもサード王子たちも言葉を発することができない。特に弟などは、普段は全く見せることのない踊るような高揚感に包まれた姉の姿に呆然としている。


「そうしてこの制服をデザインされたのは世界に名だたるデザイナー、フロウア・シャナン先生! 彼のデザインを完璧に再現できるシャナンファクトリーの針子たちが精魂込めて縫い上げた、それこそが我が学園の誇りたる制服なのです!」

「え、誰?」


 間の抜けた問いを発したのは、テス一人だけであった。

 フロウア・シャナンの名は貴族階級では知られた名であり、誰もがその手になる衣装を身にまとうことを渇望する。商人たちも、貴族が購入するものよりは安価な衣装を入手し着用し、中には辺境の地まで持ち込む物好きもいると聞く。

 無論、平民階級にもその名を知るものは多い。制服が彼のデザインであるからこそ熱望してこの学園に入った平民の学生も多数存在する中で、テスだけが浮き上がる形となってしまった。


「ま・さ・に! 我が王国の産出物と技術の粋を集結させた芸術品! そのような制服を、まかり間違って我が手で破損させるなどという愚かなことをこの私がするとでも! 殿下は! おっしゃるのですか!」

「え、あ、いや……」


 学園の制服、その一点に集中したマキナの勢いに飲まれてしまい、サードは言葉を返すことができなかった。

 その他の悪行はともかく、制服に手を出すことだけはないな。というか、うっかりこっちが手を出した日には何をされるか分かったものではない。

 それだけは、少なくとも理解できた。そうすることができなかったのは、この場にただひとり。


「そ、そんなのおかしいです! 本当に、マキナ様は私の制服のスカートをっ」

「いやあ、それはないよねえ? 我が弟子マキナ」


 テスがなおもマキナの『悪行』を並べ立てようとしたところで、別の声が割り込んできた。凛とした、わずかに低い声の持ち主であろう男性は王族のみがまとうことを許されている大礼服に身を包み、かつかつと歩み寄ってきた。


「フロウア先生!」

「やあ、マキナ。この後工房見学だったはずなのに遅いからね、迎えに来たんだよ」

「申し訳ございません。ご覧の通り、少々手間取っておりまして」

「………………あにうえ?」


 マキナと穏やかに言葉をかわすフロウア・シャナンに対し、そう呼びかけたのは他でもない、サード王子だった。


「やあ、馬鹿弟。お前は、自分の婚約者に冤罪かぶせて楽しいかな?」

「な、何を申されますか、ファースト兄上!」

「馬鹿弟の取り巻き、君たちもそうだよ。罪を責めるならせめて、きちんとした物証を取り揃えてこないとね。この国の未来を担うべき君たちがそれじゃあ、裁判官たちが嘆くよ?」


 平然とサードを馬鹿呼ばわりするフロウア・シャナン、本名はファースト。この国の第一王子であり、同時に服飾デザイナーとして絶大なる人気を誇る人物である。無論これも、少し詳しい貴族や商人ならば知っている話だ。

 王子でありながら服飾デザインを幅広く手掛けているのは、母親の身分が低いということもあって王位継承権が弟たちより低く、いずれは城を出て自立せねばならぬと自らを戒めているためだ。


「さて、バイカウント子爵のご令嬢」


 ちらり、とファースト王子の視線がテスに向けられる。サードよりも涼やかなその視線は、テスだけでなく多数の女性たちの動きを止めることに成功した。マキナだけはああ、いつものフロウア先生だわとほっこりしているのだが。


「フュルスト侯爵のご令嬢があなたの制服を切り刻んだり、階段から突き落としたりしたのは事実かな?」

「……は、はい!」

「ふうん、そうなんだ。証拠はあるかい?」


 自分が投げかけた質問に、大きく頷いてみせたテス。その言葉にファーストは、さらなる問いをぶつけた。


「証拠なんて! わたし、ほんとうに!」

「本当に突き落とされていたのなら、映像証拠が残るんだよねえ。この学園」

「え?」

「入学式のときに説明されてると思うけれど……編入でも、そのときに説明は受けたはずだよ?」

「そのはずでございますわね。サード殿下や他の方々も、ご存知のはずなのですが」


 目を丸くしたテスに対し、ファースト王子はマキナと肩を並べながらうっすらと笑みを浮かべてみせた。負の感情、嘲りを込めたものであってもそれは、とてつもなく美しい。


「ほら、何しろ馬鹿弟みたいな王族を始め貴族の子女も通う学園だろ? 大商人の跡継ぎだっているわけだしね」

「え、あ、えっ」

「だから、学内はくまなく映像を残す魔術道具が仕掛けられているのさ。万が一、生徒に何かあった場合の証拠として」


 講堂内、天井に向かい顔を上げるファースト王子の仕草に、観衆は今この瞬間をも映像記録が取られていることを悟る。そうして慌て始めたテスの表情が、しまったという顔をしていることも。


「さて、バイカウント子爵家のお嬢さん。警備隊に頼めば、その日その時その場所の映像を探すことはできるけれど。どうするかな?」

「えっと、いえ、その」

「それがいい! さすがは兄上、良いことを教えてくださいました!」

「さすがはファースト殿下、頭が回られますな!」

「分かりましたか、姉上! あなたの悪行は、記録されているんですってよ!」


 ニコニコ笑いながら問うファースト王子と、ひたすらうろたえ続けるテス。彼女の様子がおかしいことには気づかずに、これでマキナの罪を表沙汰にできると湧き上がるサード王子とその取り巻き。

 その、どこから見ても喜劇にしか見えない集団を白い目で見つめてからマキナは、小さくため息をついた。


「まあ、頑張ってくださいましね。テス様、でしたっけ」

「う、うわ、ああ、ど、どうしよう」

「誰の悪行がさらされるか、楽しみだね」


 呆れ顔のマキナとあくまでも笑顔のままのファーストの前から、テスが泣きながら逃げ出そうとするまであと僅か。もちろん理由は、テスが訴えていたマキナの『悪行』が嘘であったからだ。

 ちなみに、ほんの三段目からよいしょっと飛び降りて転んだふりをするテスの姿が、記録映像から確認されたとか。




「で。ついでに、僕の作った制服について大演説してくれるマキナの姿もたっぷり見せてもらったわけなんだけど」

「だって、本当のことですもの。他国から留学されている方々も、フロウア先生の制服を着用したくて来られていることが多いのですよ」

「それは光栄だね」


 ファースト王子、ことフロウア・シャナンがデザインした学園の制服に関するフュルスト侯爵令嬢マキナの演説もまた、当然というか映像記録が残されていた。証拠確認の折にその映像を見て、ファーストは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべたという話が伝わっている。

 サード王子とマキナの婚約は無事に解消となり、サードは本人の念願通りテスと結ばれることとなった。バイカウント子爵家の婿として、今後は様々な任に励むこととなるだろう。

 それ以外のテスの取り巻きたちはひとまずそれぞれの家に引き取られ、ある者は既に結ばれていた婚約を白紙に戻されある者は家から追い出されることになったという。マキナの弟は逆に家に閉じ込められ、フュルストの家は養子を取って続くことになったようだ。

 そして、マキナは。


「弟子として、婚約者として、今後ともよろしくお願いいたしますわ。フロウア先生!」

「ありがとう、マキナ」


 シャナンファクトリーの一員として、フロウアの手掛ける衣装にうはうはしながら頑張っている、らしい。

 ファースト王子とは婚約を交わしたわけだが、そもそもこの国の王位継承権はファーストの弟、サードの兄である第二王子セカンドが第一位である。故にファーストは王家を離れ、新たにシャナン公爵家を創設することとなった。

 マキナはフロウア・シャナンに次ぐ高名な服飾デザイナーとして、シャナン公爵夫人として、後世にその名を残したという。

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