第40話 夏の終わり
「——
こうして戦争は、九月二日に終わった。「終戦記念日が、もう一つ増えちゃったね」とは景子の言葉。
親父は除隊となった。一時は逮捕もありうるかと登は気をもんでいたが、政府側も軍高官を逮捕するようなマネは、政権の責任問題に発展する可能性があるため、出来なかった。
現地に派遣されていた豪太の父も、無事帰還した。また警察官として交番勤務についたらしい。
登は、ふっと噴き出した。父親が無事帰還したから喜んでいた豪太も、三日経った後には父親の口うるささに耐えきれず、「なんで、もっと戦場に出てないかな」とぼやきだしていた。そんなもんだよな、親父と子どもなんて。
都電は今日もゆったりとした足取りで、レールを渡って行く。車内広告もCM放送も昔通り、駅前の泌尿器科クリニックの場所や電話番号をアナウンスしている。老婆がカートに寄り掛かりながら、優先席にやっと腰を下ろしている。
「こんなもんか……」
こんなもんか、という言葉をもう一度、味わって、口ずさみたくなった。しかし電車内で独り言をくちゃくちゃやるのは、怪しまれるから、やめておくことにした。
電車を降りると、団地に向かって歩き始めた。あの世界の自分では、こっちに来ることなんてほとんどないと思うと、歩いている道やアスファルトの一つ一つが、少し変わって見えた。自分の選択が、自分の見る世界を変えていることを実感できたのは、正直言って、あの時が初めてだった。
ドアをノックすると、景子だけが顔を出した。
「登、どうしたの。急に?」
「入っていいか?」
「いいけど」
水曜日で、おばさん(景子の母)はパートに出て、留守だった。リビングのテレビから「——戦争終了後、旧留加県では、50万人近い人々が行方不明となっています。そのため政府と専門家会議は本土から新しく移住者を募ることを決定しました」というニュースが流れていた。それをちらりと見てから、景子は言った。
「酷い戦争だったんだね」
世間と同じく、景子は、行方不明者がみんな死んだものと思っているらしい。異世界のことや、留加人が異世界へ疎開したことは極秘事項であり、世間一般には知られていない。結果的に、政府の戦争発表への疑念が強まり、政権の支持率が下がり始めているという。
「こんな集団自決みたいなことをしたかったわけじゃないの。本当は」
小礼の言い残した言葉。
”生きてるんだから、戻って来れる”。
そう言ってあげればよかったな、と登は思っていた。
「なあ、景子」
「なに?」
あの世界から戻って来た後も、細いしなやかな指先の感触は、消えていなかった。
「
景子の目尻が少し上向きになった。口元がゆっくり、ほぐれていく。
「登、急にどうしたの」
意味のあることを見つけた、と登は言いかけた。しかし、その言葉は黙って胸の奥にしまい込んだ。正解を欲しがるのは、大切なことが何であるかが分からないことの証左だ。ともかく、はっきりはしないが何かを掴んだ。今はその事実だけでいい、と自分自身をなんだか許せるような気がする。
「なんでもない、そう思っただけ」
「変なの」
景子は、そう言って、登のすぐ隣に座った。
「ずっと変わんないよね、登は」
「そんなことはない。変わったと思う」
「いや、変わってないよ」
「どこが?」
「頑固なところ、自分が納得しないと動けないところとか」
「……お前も変わってないな」
反射的にそう言っていた。だが、別の世界ではいなかったかもしれない相手の存在が、心をなごませた。
「変わってなくていい」
それを聞いて、景子は小首をかしげた。
「やっぱ、ちょっと変わった?」
「ジロジロ、見んなよ」
登は白い歯を見せながら、思わず顔を手で隠した。
夏休みが終わり、仮校舎での新学期が始まる。
結果として、空席となっていた椅子に少女が再び座ることになった。
登と景子は、そのことを誇りに、平凡だが着実な歩みで、その後の人生を送ったという。
(完)
2020年6月2日 居木井丈晴
留加事変――巫女兵たちの反乱 居木井 丈晴 @ikii
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