第39話 登の選択
そして、親父は反逆者になった。
「馬鹿か?」
登は親父の
「おせっかい、するんじゃねえよ!」
親父は
「なんでだよ。俺のために、なんでそこまでするんだよ。なんで俺にそんな重荷を背負わせるんだよ」
登は、そのまま家の中に駆け込んだ。二階の部屋に上がると、現世から持って来た、あの勲章を掴んだ。
階段を下りると、ちょうど母がリビングから出て来た。
「どうしたの、登?」
母は落ち着きなく、つけていたエプロンで、汚れた手を拭っていた。現世での母の記憶は、急死して、病院に安置された青白い死に顔だけになっていた。だが、この世界で見た母は、若々しくて、美しくて、深夜に外国映画を密かに楽しんで、それから健康を気にして運動している。
母さんは、確かに生きていた。そして、親父もしっかり生きていた。でも、現世の親父は俺のために、職も名誉もすべてを投げ捨てた。
「親父と、ちょっと行かなきゃいけないところができた」
「泣いてるの? 登」
母が、登の顔を
「いいや……」
「そう……」
「ありがとう」
登は、最後に一礼をして、もう一度庭に出た。
親父はまだ突っ立っていた。その胸にあの勲章を押し付けた。
「これは、あんたの“誇り”なんだろ? あんたが持って生きていくもんだ」親父は勲章をもう一度見つめた。
「ああ」
固まっていた親父がやっと動き出した。
「私のものだ」
登は
「母さんは僕がいなくなった後も、寂しくならないか?」
「それはない。今、現世から来た初瀬登と、この世界で生きていた“本来の”初瀬登の二人が一体化している。あなたが現世に戻ると同時に、元の二人に分かれる。そして“本来の”初瀬登が、この世界で生きていくことになる」
「本当か?」
「ええ。だからお母様は苦しまれることはない」
「わかった」
「手を……お二人とも」瀬帆は二人に向かって手を差し伸べた。親父が勲章を、大切にポケットにしまうと、手を取った。登はもう一度、母のいる家の方を見た。
群青色の夏の夜の空の下で、窓からは温かいオレンジ色の光が漏れていた。
「さよなら」
登は
「戻ってきました」
隣にいたのは、
親父が呟いた
「
「急ぎましょう」
べきべきと木材が折れる音が、響き渡った。ぐらりとバランスを崩した櫓が、石垣から滑り落ちていく。頂部のしゃちほこが一瞬見えたかと思うと、真下の御殿へ吸い寄せられていった。
土煙が噴き上がった。政府軍の撃ち出すミサイルが炎を引きながら、その上を追い抜いていく。
「邦城さん!」
「おじい様!」
親父と小礼は、誰かを探し回っていた。まだ
「おじい様!」
社殿の中に、初老の神職の人が立っていた。七三に分けた髪が少しほつれていることを除けば、円熟した威厳を感じさせる風貌。
「初瀬登くんだね」
「あんたは……」
留加県知事として、あるいは留加国最高指導者としてテレビに出ていた顔だった。
「
邦城は、微笑んだ。威厳のある皺がすっと伸びて、一気に柔和な好々爺になる。
「本当に申し訳なかった。いろいろな無理に付き合わせてしまいましたね」
不思議にも、登は心の中に着込んでいた
「俺は、未来では虐殺者になるらしいですね」
「でも、その人生は変わったと思います。あなたをちゃんと見守っている人がいる。そのことをあなたは認識できた。必ず、あなたはいい未来を手に入れることでしょう」
「正直、自信ないです。こっちでうまくやれるか。傷つきやすいんです」
邦城は、少し厳しい顔をしていた。
「昔、私は上京して、働きながら大学の夜間学部に通っていた。そのとき下宿先を不動産屋で選ぼうとした時に『留加人お断り』と言われて、排除されたことがある。40年経っても未だに、生々しい傷だ。だけどね、私の妻は本土の人間なんだ。東京の大学で出会った子だ。周囲の反対を押し切って、その子と恋愛結婚をした。孫も無事に生まれた。人生は
小礼が、雄一郎の皺と血管が浮いた手を取り、そっと支えていた。東京ではずっと「無意味」、「無意味」と吠えてばかりだった。その時に、自分でもわからなかった、それでも欲しくてたまらなかった答があった。
言葉にはできないが、それが、やっと分かったような気がした。
「わかりました。ありがとうございました」
登は、深々とお辞儀をした。
温かいものが、全身に満ち満ちていた。
邦城が、今度は親父の方に向いた。
「初瀬陸将。お世話になりました。降伏いたします」
親父はその手をしっかりと握った。
「こちらこそ、停戦に同意してくださり、ありがとうございます」
小礼は、それを見届けて、ゆっくり去ろうとした。
「どこへ行く?」
「あの世界へ。向こうで私が、留加のみんなをまとめないといけないの」
「でも、おじいさんが……」
小礼は寂しく笑った。
「おじい様は、こちらの世界に残る。戦争を起こした人間としての裁きを受ける。そして、留加の人たちが、いつか現世に戻って来れるようになるまで、異世界からの駐在大使として働き続けるの……」
だが……、その言葉を登は飲み込んだ。
「こんな集団自決みたいなことをしたかったわけじゃないの。本当は。おじい様とも離れ離れになりたくなかった。だから忘れないでほしいの。本当は、私も、留加のみんなも現世で生きたかった。現世に自分たちの居場所を見つけたかったって……」
小礼は、登に向かって手を差し出した。
「必ず戻って来る。10年後か20年後か分からないけれど、現世に、きっと戻って来る」
登は、その手を握り締めた。
次の瞬間、小礼は消えていた。
「ありがとう」
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