第6話

 地面に身体が触れるかのところでハッと目が覚めた。

 長い夢だった。恐怖からか背中に冷たい汗をかいている。うなされていたかもしれない。僕は息を吐くと、灰皿に保たれた痩せ煙草に火をつけた。ダンボールがひどく散らかっていて、端にでも火をつけたらマンションが全焼してしまう気がする。

 今の夢のタイトルはなんだろう、と考えてみたが、随分長い夢だったというのにもうおぼろげにしか分からなかった。主人公は誰だっただろう、どんな内容だっただろうか、誰かが死んでしまった気がする、落下の理由は自殺だったか、いやそもそも落下ではなく車に轢かれるところだったか。誰かが死んでしまったのだとすれば、その一生に幕が下りたのだ、それにしては悲しくない、風俗にも行った気がするのは願望がただ投影されてるだけだろうか……。たくさんの出来事が起こった感覚だけが意識の表面に残っていて、それもやがて波が足あとを攫うようにして消えていって、僕は探すのを諦める。

 窓の外は最後に見た時と変わらないような色をしていたが、しばらくするとそれは沈み切った夕暮れの余韻であることが分かった。時計は午後七時前を指している。煙草が燃え尽きると、僕は悪戯に、近くに倒れていた風邪薬の空き瓶を弄んでいたが、じきにそれをひとつ床に立てて、自らも立ちあがった。巨人が大きな両手で小箱をつかみ、好奇心でそれを上下左右に振ったあとのような、悪趣味な部屋の散らかりようだったが、窓だけは割れていなかったので、戸締りを確認してから、靴を履き、玄関を出た。どこか懐かしい春の香りのする夜だった。日中降っていたのか、そこら中に雨の匂いがした。特に何をするという考えもなかったが、堀川通りを下っていると、そうだ居酒屋にでも行こうという気持ちが頭を擡げ、僕は足を速めた。

 どこか遠くで梟が鳴いている。

(了)

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ケラ美の一生 四流色夜空 @yorui_yozora

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