「ちくわーむほーる」

蛙鮫

ちくわーむほーる

 蝉時雨が夏の始まりを告げる頃、俺は公園のベンチで呆然と青空に目を向けていた。普段はしがないコンビニアルバイトをしているが今日はオフだ。しかし、予定もないので、こうして公園で時間を潰している。


 この街には娯楽施設が存在しない。あるとすれば鬱蒼とした山々と海ぐらいだ。街から少し離れた場所に大きな娯楽施設があるが、そんな所に一緒に行く友人もいなければ、バイトの疲労でそんな体力もない。


 県外から海水浴目当てで若者が来るのと、数日前にこの街で宇宙人が出たという噂があり、それを聞きつけたオカルトマニア達が足を運んで来るぐらいだ。そんなもの非科学的なものがいるはずがないというのに。


 ため息を深くついて、雲を眺めていると、細長い何かが公園の地面に降って来た。それは土の上で跳ねて転がった。俺は警戒しながら、ゆっくりと確認しに行った。


 竹輪だった。何の変哲も無い、おでんの中に入っているようなただの竹輪だった。しかし、何故、遥か上空から竹輪が落下して来たのだろう。俺は手に取り、恐る恐る竹輪の中身を除くと、唖然とした。竹輪の穴部分が台風の目のように渦巻いているのだ。もっと正確に確認しようと、竹輪に目を近づけた。すると突然、竹輪から物凄い引力が発生して、抵抗する間もなく竹輪の中に吸い込まれた。



 無意識に瞼を閉じていて、目の前は見えていないが、所々違和感を覚えた。まず地面がすごく柔らかいのだ。足に草のようなものが触れている感覚もする。恐る恐る目を開けると俺は驚愕した。そこは草原だった。驚愕のあまり、俺は現状を飲み込むことが出来ずにいた。先ほどまで俺は公園の中にいたはずだ。それなのに気づけば草原にいた。手には先ほど握った竹輪があった。俺は確か、この竹輪に吸い込まれたのだ。どうやら、ここに飛ばされる瞬間、これとともに転移するようだ。ゆっくりと覗くと再び、竹輪の中に吸い込まれた。


 閉じた瞼を開くと、そこは果てしなく広い海原だった。俺の地元にある海も綺麗だが、それとは比べものにならないほど透き通っていた。浜辺に腰を下ろして、素足を海に浸すと指の隙間にひんやりとした海水が流れこむ。

 まるでこの大海の一部になった気がした。俺は胸いっぱいに潮風を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。公園のベンチにいた時とやっている事は同じなはずなのに景色や場所が違うだけで人はここまでリラックス出来る事に俺は深い感動を覚えた。そこで小一時間ほど、海を眺めて俺は別の場所に転移した。


 真っ先に目の前に飛び込んで来たのは忙しなく走る無数の自動車と目を疑うような高さのビル。スーツ姿の男性達が鰯の群れみたいに歩道を行き交っている。別の方向に目を向けると目線の先に東京スカイツリーがあった。そうか、ここは東京だ。

「すげえ」

 俺は初めて来た東京に興奮と驚きで胸中を隈なく支配されていた。最高だ。ここ最近、こんなに心踊る気分になった事はなかった。天を摩する程にそびえ立つビルと建物の数々。俺はこの竹輪に感謝の気持ちを伝えようと自身の眉間に押し当てると言う奇行に走った。俺は映画館とショッピングモールを満喫した後、俺は道外れにある人気のないビルに向かっていた。この竹輪に意識を集中させる事で転移することができた。なら飛び降りた際でも、別の場所に転移できるのではないのか? 好奇心が湧いたのか。我ながら無茶な思考に至ってしまった。


 煤けた廃墟ビルに登り、颯爽と屋上に上がった。老朽化が進んでいるのか屋上も床が所々、亀裂が入っている。屋上の縁に手をかけて、下を見下ろすと、近くに駐輪している自転車や設置されているマンホールが豆粒のように小さく見えた。恐ろしくなった俺はゆっくりと身を引こうとした時、手の位置が擦れた。いや、正確には手を置いていた箇所がかけたがそれとともに、上半身のバランスを維持できず落下した。地面が息つく間も無く近づいていく。やばい、死ぬ! とっさに竹輪を取り出した意識を集中させると黒い渦に飲まれて、五感が途切れた。 


 瞼を閉ざしているが、転移に成功したのは分かった。何故なら先ほどまで太陽に当てられて、暑かったはずなのに全身の細胞が壊死しそうなほど寒いからである。急激な体温変化で死にそうだ。重く閉じた瞼を痙攣させながら、恐る恐る外界に目を向ける。何となく予想していたが、そこは辺り一面の雪景色だった。すると後ろから獣の低い唸り声のようなものが聞こえる。背中にひんやりと嫌な汗が流れる。石のように硬直する体を無理やり、後ろに向ける。深い茶色の体毛。血走った瞳。ナイフのように鋭い牙と爪。口から唾液を引いた熊が仁王立ちしていた。


「うああああ!」

 俺は立ち上がり、全速力で走った。よりによって熊のいる場所になんて何で転移させるんだよ! 内心で竹輪に恨み言をぶつけるがそんなことをしている場合ではない。一刻も早く熊から距離を空けなければ。後ろから肉食獣の雄叫びが聞こえる。雪原のせいか、雪に足を取られて、走りにくくて仕方がない。息を切らせて走りながら、転移しようと竹輪を手に取った。しかし、そこに黒い渦はなく、ただの空洞だった。

「嘘だろ?」

 絶望感のせいか、一瞬、目眩がした。寒さのせいで機能に不具合が生じたのか? ふざけるなよ! 熊の荒い息遣いは徐々に近づいている。もちろん決して卑猥な意味ではない。パニックになりすぎて正常な思考ができていないのだ。人間、命の危機を感じると現実から目を背けそうとして、変な思考に至ると何処かで聞いたことがある。今まさにそれだ。俺はしばらく振り回していると、空洞の中に黒い渦が生まれた。熊は三メートル近くまで接近していた。俺は必死の思いで竹輪に身を委ねると、暗闇が一瞬で僕を飲み込んだ。



 朦朧とした意識が徐々にはっきりとしていく。辺り一面、真っ白な空間だ。ここはどこだ。混乱が精神を蝕んでいく。ふらついた足で何とか立ち上がり、あたりを見渡す。


「おっ、目覚めたかい」

 流暢な日本語が耳に入り、ゆっくりと後ろを振り向く。そこには俺と同い年くらいの青年立っていた。こんなところに人間? 

「えっと、すいません。あなたは、それにここは一体」

「僕達は他の惑星から来たものさ。まあ、君達の星でいうと、地球外生命体。宇宙人だね。そして、ここは僕の母船さ」

 耳に流れ込んで来た情報の濁流で混乱しそうになった。目をさますと真っ白な空間にいて、宇宙人? 惑星? 母船? 

「説明するより、見た方が早いね」

 彼が手を叩くと、白亜だった辺りの空間が一気に眩いばかりの星空に変わった。

「あれをみてごらん」

 彼の指差す方向に視線を向けた時、俺は目を疑った。なぜなら目の前に写っているのは俺の故郷である瑠璃色の星だからだ。一瞬、ジオラマかと思ったが、それにしては奥行きがありすぎる。

「ここは地球の外なのか?」

 彼は静かに首を縦に振った。改めて、地球に目を向けると壮大さと美しさに涙がこぼれそうになったが、俺は疑問をぶつけた。


「宇宙人だっていうなら何で、人間の姿なんだ。それにこの竹輪は一体何なんだ」

 俺は手に持った竹輪を彼に突きつけた。これとか変わってから奇想天外の出来事が多発したのだ。


「たまに地上に降りるときに擬態するのさ。言語もこの星の研究をしている間に覚えたよ。あとその竹輪は僕が開発した『携帯用ワームホール』さ」 


 俺は耳に疑った。ワームホール? どこかで聞いた事があるがあまり理解できない。彼は俺の表情で悟ったのか口を開いた。


「まあ、自分のいる空間と別の空間を繋げる穴のことだよ」

 俺は素直に感動した。まさかそんな素晴らしい技術が存在していることと、それが気軽に行えるというこの二点に心を打たれた。

「でも何でこんなものを。まさか、地球侵略とか!」

「いや僕はただ、これの機能実験をしたいだけさ。僕はこの母船の管理で手一杯なのさ。だから君に協力してもらった。そして、さっき機能不全が生じてしまったから転送させてもらったんだ」


「本当だぜ、おかげで熊の餌食になるところだったんだぞ」

「本当に御免」


 彼は申し訳なそうな表情を浮かべて、頭を下げた。ここまでの質疑応答でさらに俺の中で二つの疑問が生まれた。


「ねえ、まさかと思うんだけど、数日前に俺の街に宇宙人が出たのって」 


「ああ、一度だけ地上を偵察しようと降りた事があったな。擬態もしてなかった時にそれをみられちゃったのかな。あはははは」

 張本人は快活な笑い声をあげた。宇宙人というのは案外、呑気な方達なのかもしれない。


「何で僕だったんだ?」

 俺は自分の中にあった最大の疑問をぶつけた。この地球には何億という人間がいる。俺はただのバイトだ。


「まあ、あの街にスポットを向けていたのも理由の一つなんだけど、退屈そうだったのが目についたんだよ。だから少しでも活気を与えたかったのさ」

 確かに俺は同じことの繰り返しに辟易していた。だけど確かにあの時はすごく胸が躍った。あんな高揚感は久しぶりだった。生きている事を改めて実感することができた。


「さて、研究データも取れたし、僕は故郷に帰るよ。付き合わせて悪かったね。青年」

「確かに大変だったけど、楽しかったよ。ありがとう」

 そう言いながら、彼に竹輪を手渡したと、彼はどこか寂しそうな笑みを浮かべた。突然、周囲から眩いばかりの光が壁のように俺を取り囲み、そのまま、意識が途絶えた。



 目をさますと、今朝座っていた公園のベンチに横たわっていた。辺りの既に茜色と夕影のコントラストで彩られていた。先ほどの出来事は何だったのか。夢か現実か分からないが、何だかもっと世界を知りたくなった。自分が思った以上に世界は広く、奇妙な事で満ち溢れている気がする。


「ありがとう」

 いつも見ていたはずの夕空が今日はどこか美しく見えた。

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「ちくわーむほーる」 蛙鮫 @Imori1998

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