だって、仲間だから。
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——『蘭月奪還作戦』。
店を出る前、胡蝶蘭が目を輝かせながらそんな事を言っていた。
まあ、やる事は間違っていないけれど、流石に二十五を過ぎた大人の口から出るのは少々小っ恥ずかしい。
店を出た我々が最初に訪れたのは高層ビルの屋上だった。
ビル風が、髪を殴って目を開けるのもやっとだ。
ここに来た目的は、彼女……鈴蘭の力を思う存分発揮してもらう為。
「鈴蘭、お願いします。」
彼女に合図を送ると、私と胡蝶蘭よりも前にたって深く息を整えた。
眼帯の下に隠れていた深紅の瞳が目を覚ます。
固く握った手の中に眼帯を隠し、意識を集中させる。
そういえば、彼女の本気を見るのは初めてかもしれない。
少々期待しながら、彼女の様子を伺う。
「夢由夢咲くは我が心。追追ゆくは彼の心。今、鈴蘭の名を掲げ、命ずる。——探し人をこの手の中に!」
彼女は二つの能力を同時に扱える、かなり珍しい人間だ。
一つは千里先まで見通す事の出来る千里眼。
一つは一瞬で全てを覚えてしまう完全記憶。
この二つを組み合わせば、GPSなんかよりも高機能な探知機になる。
殺月を一から探す手間が省けるのは、かなり効率的だ。
それに、この力があればあの人を探す事も出来る筈。
まあ、千里以上離れた場所にいるから、今は見つけ出せないだろうけれど。
「…… 見つけました!場所は太平洋。白い船の客室にいます!……ってあれ? 」
何かに驚いた様子の鈴蘭に、胡蝶蘭が続きを催促する。
「何だよ。」
振り返った鈴蘭は、怒りと悔しさが混じった様な顔をしていた。
そして、その口から放たれたのは反吐が出る様な光景の話。
「……蘭月ちゃんが、手足を縛られて……口を縄で塞がれてます……!」
それを聞いた瞬間、私の隣にいた胡蝶蘭からえげつない程の殺気を感じ取った。
鬼の様に怒り狂った顔で、遠くの空を睨み付けている。
彼が何も言わなかったのは、何も言えなかったからだ。
言葉に出来ない怒りが込み上げて、口を開けば暴言しか吐けないのだろう。
初めて見る胡蝶蘭の豹変ぶりに、鈴蘭は戸惑っていた。
雰囲気は最悪だ。
けれど、こうなってしまったのは、私の読み違えのせいだろう。
昔の彼への未練が残ったままのせいで、見通しが甘くなってしまった。
捨てなくては。今は私に牙を剥く獣だ。
とは言え、一つだけ分かったことがある。
どうやら彼は、救えない程に狂ってしまったらしい。
元々救おうなんて思っていなかったけれど、ここまで手遅れだとも考えていなかった。
まあ、私の仲間を奪い去ったんだ。その報いは勿論、受けてもらわなくては。
何はともあれ、ずっとこの場所にいては何も始まらない。
「それじゃあ、居場所も分かったことですし……早速向かいましょうか。」
掌を合わせて、パンと音を鳴らせた私は二人に微笑みかける。
そんな私に、胡蝶蘭は首を傾げた。
「向かうって……蘭月がいねぇのに、どうやって太平洋まで行くんだよ。」
普段はおちゃらけている癖に、こういう時だけはやけに現実的になる。
それが胡蝶蘭という人間だ、というのは随分と前から分かっていたけれど。
もっと言うのなら、彼は現実しか見ることの出来ない平凡な人間だ。
勿論、それが駄目だという訳では無い。むしろ、この世界の多くの人間は、現実に囚われた者ばかりだろうし。
でも、私の見ている世界は現実を拒絶する。
私はニヤリと笑顔を見せながら、胡蝶蘭に答えた。
「何を言ってる、胡蝶蘭。私は願いを叶える店の店主ですよ? 瞬間移動の方法を知らない訳が無いだでしょう。……まあ、多少手荒にはなるかもしれませんけれど。」
私が手にした物を見たら、二人の顔色が一変する。
その球体は、空間に防護結界を貼って自由自在に移動できるという代物だ。
まあ、飛行機なんかの、乗り物とは違って手荒な形で空の上を移動するから、振動はすごいけれど。
三半規管が弱い人にはあまりおすすめは出来ない。
とはいえ、今は緊急事態だ。やむを得ない。
と、二人にこの用具の説明をした事があるなと思い出したのは、ちょうどこの時だった。
なるほど、だからこんなにも体を震わせているのか。
その時の、恐怖に染まった表情といったら。
面白すぎて大爆笑してしまうところだったよ。
私が手に持った物を地面に投げつけると、青白い光と共に、二人の爽快な叫び声が街に響き渡った。
「い……いやぁー!!!!」
鈴蘭の言っていた船のデッキに着陸した私は、清々しい笑顔を見せた。
「いやあ、成功して良かったですね! 」
にこやかに話す私の後ろで、地面に這い蹲る二人は、真っ青な顔で遠くを見詰めた。
「……死ぬかと思った……。」
げっそりした様子の胡蝶蘭が弱音を吐くと、鈴蘭は無言で頷いた。
「何を言ってるんですか。たかが上空数万キロを防護結界の中で飛んだくらいで、死ぬわけないでしょう? 」
根性のない二人を不思議に思いながら、ついさっきまでの事を思い出していると、真っ青な表情との胡蝶蘭が声を荒らげる。
「普通、防護結界張ってても空なんか飛ばねぇよ! しかも飛行機なんかより早いし、あの最悪な乗り心地……うっ、思い出しただけで……うぇ……。」
「こら、吐くなら別の場所にしてくださいよ。」
二人の調子が戻るように祈りつつ、状況把握の為に辺りを見回す。
鈴蘭が千里眼でこの船を見た時、乗っていたのは殺月と蘭月のみ。
つまり、この船は何らかの能力によって動いている。
そして、船の進行方向。我々が飛んだ場所から、南東の方角に進んでいる。
わざわざ殺月が船を利用しているのは、誰にも知られないように蘭月を何処かに連れ去る為だろう。
となれば、この船の行き先が国内である可能性は低い。
国内なら、鈴蘭の千里眼を使わずとも、居場所を特定されるリスクがあるからだ。
となれば、この船は……。
「胡蝶蘭、鈴蘭。これはあくまで推測ですが、この船はこのまま海外に渡る可能性が高いです。これ以上、船が進むと海の真ん中で遭難し、街に戻れなくなるかもしれません。何としても早急に蘭月を見つけ出し、この場から離脱します。」
簡潔に、今の現状を伝えると、二人の顔が引き締まった。
鈴蘭の絶対に助け出すという強い決心を表した瞳に、私は無言で頷く。
ここに来る前まで、あんなに怒りを露わにしていた胡蝶蘭も、肌寒い海風に頭を冷やしたようだ。
どうやら、私が心配するまでもなかったらしい。
二人は既に、万全の状態でそこに立っていた。
——蘭月、貴方の仲間はとても頼もしいみたいだ。
二人はこれ以上無いくらいに真剣だと言うのに、私は何故だか気が緩んでしまう。
それはきっと、この二人なら大丈夫だと思ってしまったからだろう。
仲間を信頼し、信用する事は簡単では無い。
けれど、今だけは彼らを信頼し、信用しよう。
「——いらっしゃい、俺のパーティーに。」
船のライトに照らされ、水面がキラリと輝く。
「パーティーとは言っても、君たちはお呼びじゃないんだけれどね。それに、今は蘭月も寝ている所なんだ。静かにお引き取り願おう。」
一人単身で現れた殺月は、スーツ姿でにこりと笑う。
けれど、その瞳に光は無く悲しいくらいに冷徹な目で、我々を見詰めた。
「寝てるだあ?てめえが無理矢理閉じ込めてるんだろ!相変わらず趣味がわりぃぞ、殺月!」
じわじわと近付いてくる殺月に、胡蝶蘭は剣を抜く。
鋭い目付きで睨みつけた胡蝶蘭は、かつて仲間だった相手に剣を向けた。
「蘭月を返してもらうぜ。力づくでも。」
「それはどうかな?俺が君達を殺すという可能性だってある。」
いつもより低い声色で、胡蝶蘭は告げる。
空気は、肌が痛む程ピリつき、息をする間も惜しいくらいに張り詰めていた。
「んなら……俺がてめえをぶっ倒すだけだぁー!!!」
見ているだけも、胡蝶蘭の鼓動が聞こえてくる様な感覚に陥る中、殺月は距離を詰めていく。
「せりぁぁぁ! 」
最初にその沈黙を破ったのは、胡蝶蘭だった。
剣を大きく振りかざし、殺月の上から切りつこうとする。
それを殺月はひらりと交わし、楽しげに笑う。
「酷いなぁ、本気で殺そうとするなんて。」
「はっ。死なねぇだろ。こんなもんじゃ……なあ! 」
殺月の皮肉に答えながら、胡蝶蘭は再び一直線に走った。
胡蝶蘭の身体能力の高さは、別に特別な能力では無い。
彼は何の力も持たない、ただの人間だ。
だからこそ、この世界に踏み入る時、彼は決断した。
何の力もない、凡人ならば、天才に追いつく程努力をすればいい。
胡蝶蘭は毎日、片時も離さず剣を持ち歩き、暇さえあれば素振りをしている。
胡蝶蘭の力は、努力の塊だ。
だからこそ、いつだって誰よりも予想を上回る事が出来る。
「とりやぁぁぁぁ!」
避けきれなかった殺月は、右腕からポタリと赤い液体を流す。
とはいえ、致命傷とまではいかず、軽く掠った程度だった。
それでも、完全に避け切れると思っていた殺月にはいい刺激になる。
その証拠に一瞬、殺月の笑顔が崩れた。
「……流石は胡蝶蘭だ。いつまでも格下だと思っていたら、痛い目を見そうだね。」
傷口から流れ出る血をペロッと舐めた殺月は、そのまま右手を前に突き出した。
「ここからは、本気で行こうか。」
下ろした剣を再び構え、胡蝶蘭は口角を上げる。
額に滲ませた汗を腕で拭った胡蝶蘭は、横目で鈴蘭を見た。
「おい、鈴蘭。よぉく見とけ。」
鈴蘭は一歩下がって、コクっと頷いた。
そんな彼らを見て、私も自分の成すべきことを思い出す。
二人が殺月を引き付けている間に、私は蘭月を見つけ出す。
さっき、胡蝶蘭があんなに派手に動いたのは、私に早く行けと言っていたのだろう。
アイコンタクトなら兎も角、そんな動きじゃ分かりにくいにも程がある。
普段は、欠点だらけの男だが、こんな時程頼り甲斐のある人間はそうそういない。
彼なら、殺月を足止めしてくれる。
確証のない確信を胸に、私は人知れず船の中に入っていった。
——一応、任せるぞ。胡蝶蘭。
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