愚かな僕に告げる言葉は
……君を止める。
そう口にはしたものの、今目の前にいるのは親友だった人だ。
そんな彼を前に、果たして僕は戦えるのだろうか。
潮風が服の間をすり抜けて肌に当たる。
殺月の真っ白な髪が照明に照らされて絹のような輝きを放った。
「止める、か。大人しくついてきたかと思えば、結局は俺に反抗するって事だね。まあ最初から、君は何か企んでいるとは、思っていたよ。」
目を伏せる殺月は、少し寂しそうな顔で僕に近付く。
僕は一歩後ろに下がって、右手を殺月に向けた。
「僕だって、最初は君に従おうと思ってたさ。でも、この国から出るのだけは認められない。」
僕の言葉に、殺月はニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべる。
悲しげな空の下、殺月は僕に問いかけた。
「それは、君が君になる前と、何か関係があるのかな?」
——その瞬間、世界から音が消えた。
息が詰まりそうになる。
殺月の瞳に吸い込まれそうになりなる僕は、目の前が真っ暗になった。
そして、僕が感じ取ったのは、不特定多数の人間が僕を蔑む視線。
『気持ち悪い』
『早くいなくなればいいのに』
『いつになったら死ぬの!?』
『顔も見たくないわ。』
『私達と一緒なんて思わないで!』
『俺もアイツらと同じように殺すのか!?』
——『さっさと死ね!この化け物!』
聞こえてくる、僕への罵声。
軽蔑と、憎悪と侮辱と。様々な『目』が、僕を見ている。
息ができないくらいに、怖い。
暗闇の中でギロリと光る無数の目が、僕を捉えて離さない。
絡み付くように、心臓を掴まれる感覚。
「……や、やめて……お願いだから……。」
耳を塞いでも、聞こえ続ける憎悪に満ちた声はどんどん大きくなっていく。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!
何度も何度も、僕を呪う声が聞こえる。
足が竦んで、その場にしゃがみ込む僕に殺月はゆっくりと近付いてきた。
体の震えが収まらない。今は、殺月と向き合わなくちゃいけないのに、前を向けない。
ぐるぐると心の中で黒いものが蠢いている。
——怖い。怖い。怖い。
誰か、助けて。僕をこの恐怖から解放してよ。
皆が僕を嫌っている。やめて……そんな目で僕を見ないで……。
ただ僕は……たった一つの願いを叶えたかっただけだったんだ。
それはとても些細なもので、でも僕には遠く思えて。
めいいっぱい手を伸ばしているのに、届かない光。
一人ぼっちの僕には、決して手に入れる事の出来ない光だ。
「……そう、君は一人じゃ何も出来ない。」
耳を塞ぐ両手を、殺月は静かに取る。
顔をあげると、殺月の柔らかな笑顔が月を隠していた。
彼の瞳に、無力な僕が写り込む。
「今までだってそうだっただろう? 君を守るのは俺の役目だからね。だから大丈夫。」
殺月の声は眠る海のように穏やかで、僕の心にすとんと落ちてくる。
ダメだ。この人に安らぎを求めてはダメだ。
そう頭では分かっている筈なのに。体は彼の優しさにすがろうとしている。
心が叫んでいる。僕はこの人無しでは起きられないと。
あの楽しかった日々。何も考えずに君の隣にいられた毎日。
戻れるのなら。巻き戻せるのなら。僕は……。
思考がまとまらないのに、僕の手は彼の腕を力強く握りしめていた。
涙が溢れて、声の出ない口からはヨダレが垂れ落ちる。
「……あ……あっ……。」
僕を抱きしめた殺月は、そっと囁いた。
全身を包み込むその冷たさは、毒牙のように僕の全てを犯していく。
「大丈夫。何があっても守るよ。さあ、蘭月——少しお休み。」
彼の言葉に耳を傾けると、他の音が消えていく。
殺月の腕の中で、ゆっくりと重い瞼を閉じていく。
遠のいていく意識の中で、僕は自分の愚かさを呪った。
「……これで——」
再び僕が意識を取り戻したのは、あれから数時間後だった。
目を冷ましてから数分間、僕はただ天井を眺めていた。
頭も体も重くて、動く気力がわかない。
ぼーっとして、夢見心地だった僕を現実に引き戻したのは、手足の違和感だった。
——なんだろう、手首と足首が上手く動かないや。
起き上がれない体で、自分の周りをよく見るとベットの横に鎖のようなものが落ちていた。
目で辿ってみると、手首と足首の方に繋がっている。
自分の頭上を見ると、僕の両手は手錠で繋がれていた。
「……!! 」
布団を蹴り飛ばし、足首を見る。
鉄製の足枷が、僕の足を拘束していた。
「んーっ!……んーっ!! 」
声が出ない。
必死に叫んでいるのに、何かに遮られているみたいだ。
「起きたのかい、蘭月。」
ドアを開けて、入ってきたのは殺月は、そっと僕を抱き抱えて膝に頭を置いた。
膝枕をされるのは初めてで、少し困惑する。
けれどそれ以上に、どうして自分が拘束されて、口を塞がれているのかが気になっていた。
テレパシーのように、それを感じ取った殺月は僕の頭を撫でながら教えてくれる。
「また逃げ出したら困るからね。痛いかもしれないけれど、しばらくは大人しくして貰うよ。」
なら、口を塞がれているのは、僕が言霊の力を使わないようにするためだろう。
「水や食料は、定期的に持ってくるから。せっかくのパーティーだけど、今日はお預けだ。」
大きな手が、僕を再び夢の中に誘っていく。
これじゃあ、介護されているみたいだ。
ウトウトと、瞼を重くしていると僕は思ってしまう。
「大丈夫。すぐに楽になるよ。だからもう少しだけ我慢していて欲しい。そうだな、次に起きた時は、食べたいものを教えてくれるかい?港に着いたら、二人で食べよう。」
頭に、殺月の手の感触がある。優しく撫でられるのは、いつぶりだろう。
もういっそのこと、このまま殺月に守られている人生で良いのかもしれない。
犬のように食事も遊び場も全て殺月に貰って、不自由のない日々を送るのも悪くは無いかも。
自分の弱さを認めて、誰かに甘えるのはこんなにも楽なのか。
自分の中にあった何かに、鎖が絡み付く。
僕は、次に目が覚めた時、一体何処に居るんだろうか。
沢山聞きたい事があった。伝えたい事があった。……でも色々な事を考えるのは、もう疲れた。
僕はまた、夢の中に落ちていく。
それはまるで、底の無い穴のようで。
深く落ちていく程快楽の甘い匂いが漂ってくる。
いっそ、このまま落ち続けて、一生目を覚まさなければ良いのに。
僕が眠りについたあと、殺月は僕をベットに戻して立ち上がった。
鋭い目付きのまま、ドアに向かう。
「さて。蘭月が起きる前に全てを片付けなくちゃね。……来客も到着したみたいだし。」
その部屋に響き渡ったパタンという音は、泣きたくなるくらい寂しい音だった。
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