初めての反抗

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ガタン、という振動で意識が戻る。

その振動が、全身に伝わって僕の眠りを覚ましてくれた。

「——ここは……? 」

重い瞼をこじ開けるように、僕は目を開けた。

体を起こすと、ベットのふかふかな感触が手に馴染む。

朧気な記憶を頼りに、自分の現状を思い出す。


確か僕は殺月について行くと言って……。

その後の事は思い出せなかった。

ただ、何となくだけれど長い夢を見ていた気がする。

頭がガンガンと響くような痛みに襲われ、額を手で抑えていると、妙な違和感があった。

自分の腕。布団をかけられて気付かなかったけれど、足が落ち着かない。

僕は、部屋の隅にあったすがたみの所へ向かう。

「……!?」

鏡に映ったのは、黒のワンピースに身を包んだ自分の姿だった。

胸元はレース生地で作られたドレスみたいな服。

それに髪も巻かれて、化粧もしてある。

部屋を見渡すと、大きなダブルベッドが目を引いた。

カーテンで締め切られた窓は、自分が何処にいるのかを分からないようにする為だろう。

何処かで見た事のある部屋。人が泊まれる内装に、鮮やかな照明。人の部屋と言われると、少し的外れな……。そうだ、ここはまるで。

「ホテル? 」

けれど、足から静かに伝わる振動は、ここが陸上では無いことを証明していた。

ホテルのような部屋。けれど、ここは陸上では無い。空の上なら、もっと足元かふわふわしている気がする。

僕の頭には一つの答えが浮かんだ。


「ここ、客船? 」


そんな時、ガチャッと扉が開く音が聞こえてきた。

大きな扉から入ってきたのは、スーツ姿の殺月だった。

髪を短く束ねる黒のリボンが、目に入る。

「あ、起きたんだね。調子はどう? 」

いつも通りにこやかに笑う殺月の手には、お盆がのっていた。

コップに入った水を僕に手渡すと、殺月はベットに座る。

ぽんぽんと叩かれた殺月の横に、僕は大人しく座った。

なんと話せば良いのか分からないでいると、先に口を開いたのは殺月だった。

「驚いたよ。まさか蘭月が素直についてくるだなんで。正直力ずくで連れて行こうと思っていたからね。」

後頭部を掻きながら、殺月は恥ずかしそうに話す。

さっきよりも纏っている雰囲気が和らいでいたせいで、僕も少し気が緩んだ。

「確かに抵抗する手だってあった。でも、僕は君と戦いたくない。それに……皆を傷付けたくない。」

殺月から目を逸らし、俯いていると横から笑い声が聞こえる。

「相変わらず、優しいんだね蘭月は。」

「なら、そんな僕の質問に答えてくれる?」

彼を前にすると、隠している事を全てさらけ出してしまう。

殺月が優しい声で「なーに? 」と尋ねてくるから、僕は単刀直入に聞いた。


「——僕をどうするつもり? 」


目を丸くして、きょとんとする殺月に、僕は真剣な眼で見つめる。

殺月は優しい目元で答えた。

「どうするって……ただ一緒に居たいだけだよ? 」

ああ、今なら分かってしまう。

殺月の笑顔に偽りは無いのかもしれない。けれど、だからと言って真実の目でもない。

何かよからぬ事を企んでいる。今の殺月の瞳は、そんな感じに思えた。


その目は、僕を捉える。

でも、ここには僕と殺月以外の誰もしない。

裏切った僕には、助けも来ない。

だから僕は立ち向かわなきゃいけないんだ。

息を吸うと、苦い味が口の中に広がる。

自分で決めた事を曲げてはいけない。

「嘘だ。もしそれが本当なら、君はさっき直ぐに紫蘭達にきちんと事情を話すべきだった。なのにあんな、突き放すみたいに……。どうして紫蘭達と決別したの?それだけじゃない。恐らくここは船の中。一体、何処へ行こうとしているのさ。」

鋭い目付きで殺月を睨む。

静まり返った部屋の中、殺月の笑い声が響き出した。

その瞬間、僕は背後を誰かに掴まれたような感覚がした。

それをなんと呼ぶのか、僕は知っている。

そうだ、これは……。


「はははっ。凄いな蘭月は。たった半年で大人になったものだ。」


ベットから立ち上がった殺月はずっと閉ざされていたカーテンに手をかける。

鋼のように冷たい瞳で笑いかける姿に、僕は手先が冷たくなった。

「そう。蘭月の言う通り。目的はそれだけじゃない。俺はね、蘭月。もう誰にも邪魔されたくないんだよ。せっかく二人きりになれたんだ。だから……」

その先は、嫌でも想像がつく。

カーテンの先から見えるのは、真っ暗な海。


「海外逃亡っていうのも、悪くは無いだろ? 」


——これは恐怖だ。

背中から、ゾッと寒気が襲う。

刹那、僕の体は、部屋の扉を勢いよく開けていた。

「……! 」

考える間もなく、殺月の前から逃げ出した。


『海外逃亡』という言葉で頭の中に流れてきたのは、僕の知らない記憶だった。

まるで映画が一瞬で流れていくみたいに。

その内容がどんなものだったのかは、何も分からないけれど、全身鳥肌が立つほどにおぞましい光景だった事は分かる。

それに、心臓がバクバクと音を響かせている。

あの瞬間、何回も何十回も心臓を握り潰されたかのような感覚に陥った。

そう、あれは確かに『死』の感触。


殺月は、僕を殺そうとしてる……?


そう考えただけで、背筋が凍りついた。


けれど……。もしも、殺月が僕を殺そうとしているのなら、どうしてすぐに殺さないんだ?


彼の不可解な行動に、僕の思考は追いつかない。

殺月に殺される事は、別に怖くない。

でも、彼はきっと、僕が考えている事とは別に何かを企んでいる。

しかもそれは、僕がとても怖いと思うような事。

殺月が何を企んでいるのかは、分からない。

けれど、それが何かを突き止める為に、何としてもここから逃げなくちゃいけないという事だけは、理解した。


「……ッ! 」


ヒールのせいで、上手く足が動かない。

赤い絨毯の一本道を走り続けていると、鉄で作られた扉が現れた。

ギーっという耳に響くような音を立てながら扉を開くと、その瞬間、強風で髪が殴られた。

潮の匂いが鼻から抜ける。

目を開くと、大きな海原が広がっていた。

船のライトが水面に反射して、キラキラと輝く、

目の前に広がる幻想的な光景を味わいたいのは山々だけれど、後ろから迫ってくる足音はそれを許してくれない。

とりあえず身を隠して、作戦を練らなくちゃ。

僕は、通路の間に隠れて様子を伺う。


荒げた息を整えながら、酸素の届かない頭で必死に回す。

ここから言霊の力で逃げるにしても、今この船がどの辺にいるのか分からない間は、身勝手に行動出来ない。

船を止めたとしても、その先どうすれば良いのか検討もつかないだろう。

見たところ、他の乗組員は誰もいないみたいだ。

恐らく、この船自体何らかの能力で操っているのだろう。

だとすれば、僕がとるべき道は一つだけ。


大きくなってくる足音に、心臓が共鳴する。

恐怖で、泣き叫びそうだ。でも、僕がどうして殺月についてきたか。

それは、これ以上彼が間違った道を歩まないようにする為だ。

彼が今、『殺月』の名を選んでいるという事は、人間に危害を加えようとしている、という事。

この、約一ヶ月の間、僕は邪の者のせいで苦しんでいる人を沢山見てきた。

そして、それを操っているのが殺月だった。

もし、少しでも彼に優しい心が残っているのなら。

僕は彼を止めなくちゃいけない。


僕は立ち上がり、近付いてきた殺月の前に立つ。

手足が震えて、彼の目を見ているだけで精一杯だ。

「やっと見つけたよ蘭月。」

名前呼ぶ柔らかな声が、僕の心を締め付ける。


今まで、僕は沢山守られてきた。

紫蘭に。胡蝶蘭さんに。鈴蘭さんに。・・・・・・君に。

でも、もう守られるだけは嫌だ。

自分のしがらみは。自分の問題は。自分で片をつける。

だから……。


潮風が、僕達の間を吹き抜ける。

不思議とさっきまでの恐怖はどこかへ消えていた。

船が前後に揺れる感覚はまだ慣れないけれど、十分に体は動く。

そういえば、学校以外でスカートを履くのは初めてじゃないかな。

制服よりも丈が短くて落ち着かない。

でも、視界は良好。手足の震えもない。

僕の出来る精一杯をぶつけてやろう。

海独特の、塩辛い空気を吸って、僕は彼に告げた。


「殺月。僕は……君を止めてみせる。」


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