共に分かち合えたなら

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これは、蘭月に言っていない話だけれど。

ここで一つ、小話を挟もうか。

それは、今は殺月と名乗る彼が、初めて彼女を連れて来た日の話だ。


「初めまして、私は紫蘭と申します。」


昔はそうでも無かったけれど、大人になったからは子供が苦手になった。

店を継いだ時から、顧客の警戒心を解くために笑うようにしていた。

大抵の客は、それで警戒しなくなるのだけれど、子供は違うらしい。

どうやら本能的に、この笑顔が嘘の物だと分かるみたいだ。

そのせいなのか、初めて蘭月に会った時私は酷く彼女に嫌われていた。


そんな蘭月がどうして殺月に懐いているのか。私は理解に苦しむ。

彼女からすれば、裏表のない良い人なのかもしれない。

けれど、現実はそうでも無いらしく。彼も彼で化けの皮を被った悪魔なのだ。


「——それで、蘭月。あの子供に『アオイ』と名付けるなんて……一体どういうつもりです? 」


事務処理をしながら、殺月は「どういうつもりって?」と聞き返してきた。

和室でちゃぶ台を囲みながら、私は湯呑みを眺めた。

「彼女の名前ですよ。確か彼女は店の正式な人員ではありません。しかし、だからと言って『アオイ』と名付けたということは……。」

お茶の水面が、ゆっくり揺れる。

そこに映る私は眉間にシワを寄せていた。

嫌でも考えてしまう。彼がその名前を彼女に名付けた意味を。

そして、その先に待つ結末を。

そんな私の顔を見て、「ふふっ」と声を漏らす。

彼の方を見てみると、「ああ、すまない」と笑みを見せた。

「紫蘭は考えすぎる癖があるようだね。確かに、アオイという名を授けた理由は、紫蘭が考えている通りだよ。けれど、それはもしもの話さ。そうならないように、最善を尽くすつもりだよ。」

出来ることなら、この時の彼を蘭月に見せてあげたい。

私なんかよりずっと気味の悪い笑顔は、悪魔の微笑みという言葉がお似合いだ。

人の考えを読み取れる私といえど、彼の考えている事は知りたくもない。

ただ、彼の考えている事は全て最悪の形で叶ってしまう。

だからこの時も私は直感したのさ。


——ああ、あと数年で彼は死ぬんだろう、と。




その予想は呆気なく的中した。

雪が降るあの日、私は戻って来ない二人を探しに外へ出た。

やっとの思いで見つけた二人は、そりゃあもう大ピンチで。

よく分からないスーツの男は殺月に襲いかかっていた。

悲惨な現場を見て、私は直ぐに察する。

——きっとここで、彼は死ぬ。

それはずっと前から決まっていた事。

そして、それを彼自身も分かっている筈だ。

いざ、その現実と向き合うと、私の心臓は酷く痛んだ。

もし、今ここで私があの惨劇の中に身を投じたら。

そうすれば何かが変わるかもしれない。少なくとも彼の命を留めておく事くらいは。

そんな事を考えていた私に、誰かがそっと囁いた。


……お前は所詮、無力で何も出来ない弱虫さ。



そうだ。いつから私は理想を語るだけのつまらない人間になった?

いつだって私は現実を見て、運命を受け入れる現実主義者だったじゃあないか。

そんな私が、自分の力で何かが変わるかも、だなんて。

実に『紫蘭らしくない』。

そう。店の当主たる紫蘭なら、選ぶべき選択は……。

「……っは。これではただの臆病者だな。」

自分自身に嫌気がさす。

結局、私は十年前から何も変わっていなかったという事か。

もしも今、あの人が居たならこんな惨めな私になんと声をかけるのだろうか。

あの、嫌に凛とした美しい声で、彼女は妖艶に笑いながら。

愚かだと蔑むのか。自分ならこうすると助言するのだろうか。

……いや、どれも違うな。

私の……俺の知っている彼女ならば。


『貴方は貴方の心に従いなさい。自分の望みを叶える為なら、全てを利用して手に入れるのよ。』


昔、彼女はよく私に言っていた言葉。

今も昔も、私の望みはただ一つ。

そして、それを成し遂げる為にこの選択が必要なのだとすれば。

私は仲間だろうが汚して、手に入れてみせる。


「起きてってば……蘭月。」


耳に入ってきたのは、放心状態の声。

私はもう、彼女をアオイと呼ぶことは無いだろう。

今、私が彼女を止めれば、私は憎まれるのだろう。

……なんだ。ただ、それだけの話だ。

彼女には傷を背負って生きてもらわねばまならない。

その為になら汚れ役を喜んで演じよう。

歩き出した足は、純白の絨毯を汚していく。

彼女の手を掴み、私は自ら選んだ道を歩み始める。


「もうやめなさい。彼が可哀想ですよ。」


いっその事、私の汚くて醜い感情全て、この雪で真っ白になってしまえば良かったのに。








私は蘭月の過去を鈴蘭に話した。私の知る限りの真実を。

鈴蘭は涙ぐみながら、最後まで話を聞いていた。

話を続ける度、鈴蘭の表情は強ばっていく。


「……と。ここまでが事の経緯です。それまで心の拠り所だった殺月は、今我々の敵として立ちはだかっています。」


冷たくなったお茶を飲み干すと、鈴蘭は赤くなった目元を擦っていた。

私はそんな彼女を見ながら、再び問いかける。

「蘭月の為に、我々と戦ってくれませんか。」

鈴蘭は俯きながら、こくりとゆっくり頷いた。

赤く腫れた目元は、真っ直ぐな視線で私や胡蝶蘭に訴える。

「私、蘭月ちゃんがこんなに苦しんでいることを知らなかったんです。だから今度は一緒に戦いたいんです。苦しみを分け合えるように。」

私の瞳に映る鈴蘭は、全てを受け入れ前に進もうとしていた。

気高い姿は、私なんかより随分大人に見える。

——強いな、彼女は。

私の方が勇気づけられるなんて、店主が聞いて呆れる。

そしてどうやら、それは胡蝶蘭も同じらしく。

私の横で突っ立って話を聞いていた胡蝶蘭の目に迷いや戸惑いは無くなっていた。

全てが吹っ切れて、清々しい顔立ちになっている。

障子の隙間から外を見ると、綺麗な満月が闇を照らしていた。


知っているかい、蘭月。

君が昔、良く懐いていた男は七月の夜が大好きだったんだよ。

そして、そんな彼と君が出会ったのもまた七月。

彼と君を繋ぐ月は、昔こう呼ばれていたそうだ。


——『蘭月』と。


そして今日もまた、君の為に戦おうとする者達がいる。

七月の満月はバックムーンとも言う。この名前の由来は、鹿の角が七月になると生え変わるから、らしい。

なら我々も古いしがらみを捨てて新たな仲間の手を取ろうじゃないか。


「……こうみると、つくづく君にピッタリの名前じゃないか。」


店を出る前、私はポツリと呟いた。

彼女がこの名前を受け入れる日は来るのだろうか。

玄関を開けると、外の冷たい空気が流れ込んで私の心をリフレッシュさせる。

空には月が、一人寂しく輝いている。

「おう、紫蘭。こっちは準備万端だぜ。」

剣を腰からぶら下げる胡蝶蘭は、やる気に満ちた笑顔をしていた。

その横にいる鈴蘭も、覚悟を決めた笑みで頷く。

二人の思いが私の胸に流れ込んで来て、こちらまで気分を掻き立てられた。


「なら、行くとしましょうか。我儘なお姫様を助けに。」


そして、我々の長い夜が始まった。




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