バット・エンド・クリスマス
商店街は、クリスマスソングが流れていた。
普段は人気の少ない昼間でも、今日は人で溢れている。
美味しそうな料理が売られ、商店街の中心には大きなツリーが飾られていた。
「蘭月、あれ見て! 大っきいお肉だよ! 」
パックに入ったタンドリーチキンを指さして、目をキラキラ輝かせる僕に、殺月は半分呆れつつ笑みを零す。
「分かったから、はしゃがないの。前見ないと怪我するからね。」
「僕、そんなに子供じゃないもん!」
「俺にとってはまだまだ子供なの。ほら、人にぶつかるよ。」
殺月の言葉は、まるでお母さんみたいだ。
もし僕にも母親という存在がいたのなら、こんな風に小さな事で心配してくれていたのだろうか。
そんなどうしようもない事を考えながら歩き回っていたら、いつの間にか日が暮れていた。
この時期は、五時を回ればすぐに日が落ち始める。辺りは街灯の光に照らされ、イルミネーションの光が瞬いていた。
幾つもの色が混ざり合って、今日にしか味わうことの出来ない輝きに包まれる。
僕と殺月は、そんな賑やかしい光から離れた道を歩いていた。
同じ街とは思えない静けさで満ちている。
はあ、と吐いた息が白く浮かび上がり、瞬きをする間もなく消えていった。
「ねえ、蘭月。あそこって・・・・・・。」
二人横並びで歩いていると、僕が見つけたのは公園だった。
見覚えのあるブランコが、独りでに軋む音を立てながら揺れている。
「懐かしいね。この公園でアオイと出会ったんだっけ。」
何も言葉を交わすことはなく、僕達は公園の敷地に足を踏み入れていた。
僕という人生が始まった場所。
思い出に浸りながら、揺れるブランコを眺めている。
その間にも、太陽は沈み、闇が街を覆い尽くす。
そして、それに紛れて一つの影が揺らめいた。
「——ターゲット捕捉。ってあれ。一人じゃないみたいっすけど……。まあ、許容範囲内って事で。」
雲間から顔を出した月の明かりが眼鏡に反射する。
深い緑色の髪は、しなやかに靡いた。
サラリーマンの様な漆黒のスーツを身にまとったその人は、僕と殺月の前に現れる。
「初めまして、俺はせ——……っと。まだ名乗るのは駄目っしたね。んじゃあ今日はクロスと名乗っておくっす。」
勝手に話し始めたその人物は、自らをクロスと名乗った。
けれど、僕と殺月が身構えたのはそれだけではない。
クロスの纏った雰囲気はあまりに禍々しく、一瞬で空気を凍らせたからだ。
僕を背中に隠すように立った殺月は「俺達に何の用だ」と問いかける。
すると、クロスは僕達に近付ける足を止めて、何かを考えていた。
「そんな警戒しないで欲しいっす。用……そうですねぇ。強いてあげるなら、『ボス』がそこのお嬢さんを御所望なので。」
クロスが指を指したのは、殺月の背中に隠れている僕だった。
目を合わせなくても、クロスの猫みたいな瞳から放たれる視線は僕をゾッとさせる。
震え上がる僕の手をそっと握った殺月は、クロスに対して冷静な声で告げた。
「そっちの望みを叶えてやる訳にはいかないね。悪いけど、力ずくで逃げさせてもらうよ。」
「あー、やっぱりそうですよねー。って言ってもこっちも仕事なんすけど。」
殺月の周りの空気がザワつく。
青い瞳を輝かせながら、殺月は唱え始めた。
「言の中に眠る魂よ。今我の力のもと、真の姿を表わせ!
我が名においてその封印を解く!」
それは、彼が『言霊』の力を使う前の儀式みたいなもの。
殺月は本気でクロスを倒そうとしているのは、直ぐに分かった。
「我が刃となり、全てを切り裂け。
殺月の手には、胡蝶蘭さんのアングレカムに似た剣が握られていた。
続けざまに彼は叫ぶ。
「彼の者を悪なる攻撃から守り給え。壁!」
すると、僕の周りを包み込むように、ドーム状のシールドが現れた。
殺月は剣を構えて、クロスを睨む。
そしてクロスもまた、殺月と同じように戦闘態勢に入っていた。
「やれやれ。予想内の事とは言え……面倒っすねぇ。んじゃあまあ。適当に——片付けますか。」
メガネをクイッと上げると、クロスは右手を前に突き出した。
「殺れ、冥界の番犬。——ケルベロス。」
その瞬間、土簿が舞う。
そこに現れたのは、三つの顔を持った犬の怪物。
禍々しい殺気を纏った獣だった。
「グルルル……。」
鋭い牙からはヨダレが垂れ落ちる。
「コイツは契約獣、ケルベロス。そこら辺の邪なんかより、よっぽど強いっすよ?——行け。」
クロスの命令を聞き入れたケルベロスは、殺月に向かって一直線に走ってくる。
その異形な形、そして獣の殺気は、僕の体を竦ませた。
殺月はそんなケルベロスに剣を振りかざす。
「はあああ!」
しかし、ケルベロスにはかすり傷程度のダメージしか入っていなかった。
ケルベロスを交わしながら、何度も剣を刺す殺月。
そんな戦いを繰り返し、ケルベロスの体は傷だらけになった。
ケルベロスの攻撃が怯んだ一瞬を殺月は見逃さない。
「終わりだあああ!」
アングレカムの白い光に包まれた剣は、ケルベロスの体を真っ二つに切り裂く。
倒れたケルベロスは、少しずつ塵となって消えていった。
自分の戦力を失ったと言うのに、クロスは悠々と拍手を贈っている。
「いやあ。びっくりしましたわ。見かけによらず、強っすね。んじゃあ、まあ……ここからは本気と書いてガチって事で。」
クロスから溢れ出る強大な力の塊は、殺月の気を再び引き締めた。
ゆっくりと殺月に近付いてくるクロスはニタリと気味の悪い笑みを浮かべる。
「——退屈させないで下さいね?」
瞬きをするのも惜しいくらいにあっという間だった。
僕が目を開けた瞬間、殺月は地面に崩れ落ちていく。
全身から血飛沫を上げて倒れていく殺月に、僕は声を上げることしか出来なかった。
「……蘭月ー!!!! 」
何が起きたのか、僕は状況が分からないままシールドを破ろうとする。
早く彼を守らなくちゃ。このままじゃ死んでしまう!
僕の中で、焦りと恐怖が混ざりあっている。
横たわる殺月を通り過ぎて、僕の前に立ったクロスは、その手を真っ直ぐ伸ばしてきた。
「これでミッションコンプリートって事で。あ、今のちょっとかっこいいっすね。」
その手は殺月が創り出したシールドをいとも容易く貫通した。
僕の手首を強引に掴み、無理矢理連れて行こうとする。
必死に抵抗する僕だったが、目の前の圧倒的な力の前では、無意味な事だった。
目からは自然に涙が零れ、ピクリとも動かない殺月にもう片方の手を伸ばす。
「——らん、げつ……!」
その声が、彼に届いたのか。
それとも、彼の中にある『何か』が彼を動かしたのかは分からない。
けれど。殺月はボロボロの体をゆっくりと動かし、クロスに向かって手を突き出した。
横たわりながら、ボソッと声を出す。
「全ての力を持って、命ずる。混沌の中で蠢く魂を、今冥府の手土産に捧げよう。ありとあらゆる悲しみから、彼の者を救たまえ。悪なる救済は、我の命を依代に完遂する。」
息をするのもやっとの筈なのに。意識だって朦朧としているの筈なのに。
その呪文が、どんな意味をもたらすのかは、僕だけが理解出来た。
それは昔、殺月が教えてくれた事。
『いいか、アオイ。言霊は万能の力だ。あらゆる願いを叶えてくれる。言葉の力は人を助ける事も苦しめる事だって出来るんだ。でもね。この力にも誓約がある。それは、絶対に口にしてはいけない『四つの禁忌』だ。その力を使えば、使用者自身が呪いにかかり、命を落とす。
一つ目は『罰』。言霊の力で誰かを罰するのは禁止されてる。
二つ目は『蘇』。死者を蘇生させるのは禁止だ。
三つ目は『殺』。殺すなんて、絶対に駄目だからね。
そして、最後の一つは——……。』
「我が命を持って、彼の者を冥界に落とせ。……
それは、『四つの禁忌』その一つ。
その言葉は、クロスの体を縛り、深い闇の底に落としていく。
「……これは油断したっす。人を死の世界——冥界に落とす、禁忌の言霊。まさか、自分が冥界に落とされるとは、思ってもみなかったっす。」
地面から現れた底なしの沼に引きずり落とされていくクロス。
彼は最後に、ニヤリと笑みを見せた。
「またの機会がありましたら、お会いしましょうっす。まあ、生きていたらっすけど。」
その言葉が、最後の負け惜しみだったのか。はたまた本心だったのかは分からない。
けれど、クロスの笑顔は僕の背中を凍り付かせた。
クロスが消え去った後、僕は直ぐに殺月へと駆け寄る。
「蘭月! 」
息をする度にヒューという苦しげな音が響いていた。
彼の体からはとめどなく血が溢れている。
「……あ、おい……。」
少ない力であげている殺月の手をとって、僕は彼の言葉に耳を傾けた。
僕の手を握り返す力さえないのに、殺月は何かを必死に伝えようとする。
「……今、すべ……て、を未来に……委ね、力の……譲渡を……
僕と殺月と繋ぐ手から、何かが僕に伝わってくる。
何処かで感じた事のある感覚。
心が、優しさと温もりに包まれる様な、不思議な感覚が僕を襲った。
体の中からとめどなく溢れているのは、『力』だった。
「いき、ろ……らん、げつ……。」
朦朧とする意識の中、乾いた唇が静かに動いた。
スルッと、僕の掌から滑り落ちていく殺月の手。
瞼をピクリとも動かさず、彼の体から温もりを感じられない。
——嘘だ。信じられない。
「蘭月。蘭月!蘭月!!起きて、起きてよ!ねぇ!」
何度揺すっても、叩いても、殺月は口を開かなかった。
どんどん冷たくなっていく体は、上から降ってくる白い粒を溶かしていく。
鼻が痛い。手が悴んで、上手く動かない。
視界が歪んで、彼の顔もまともに見られない。
体はこんなに冷たいのに、僕の体内は燃えるように熱い。
溢れ出る大粒の涙と、地面を純白に埋め尽くす雪が混ざり合って、彼の体を濡らした。
「起きてってば……蘭月。このっ、バカヤロ——」振りかざした拳が、彼の体を傷付ける事は無かった。
手首に感じる、ほのかな温かさ。
振り返ると、そこには傘を差した紫蘭が立っていた。
「——もう、やめなさい。彼が可哀想ですよ。」
その時の紫蘭は、初めて笑っていなかった。
僕は紫蘭に掴まれた手を振りほどこうとする。
「離せ。蘭月は……蘭月は……。」
どんな事をしても返事が返ってこない彼の体。
上手く言葉が出ない。心の中で色々な思いが入り交じって、何も言えなかった。
そんな僕に傘を向ける紫蘭は、僕に告げる。
「それに——彼はもう、蘭月ではありません。」
再び紫蘭の方を向いた僕は「……え?」と声を漏らす。
「最期に言っていたでしょう、『生きろ、蘭月』と。それは貴方に向けて言った言葉なのです。」
頭が真っ白になりながら、僕は立ち上がる。
ふらついて、重心がぶれながら、僕は紫蘭の胸を強く叩いた。
「なんで、なんでそれを知ってるの!? ずっと見てたって事か!? 蘭月が死ぬ所をただ隠れて見てたって言うのか! どうして……どうして助けなかった! どうして蘭月を助けず、隠れてたんだよ! 」
紫蘭がいたら、こんな事にはならなかったかもしれない。
僕は紫蘭に全ての感情をぶつけた。
それと同時に、自分を恨んだ。
紫蘭にぶつけた言葉は、僕自身にも言える事だったから。
僕がもっと強ければ、こんな臆病じゃなければ、彼を助ける事も出来た筈だ。
自分の無力さに反吐が出る。
泣き叫ぶ事しか出来ない僕に、紫蘭はただ冷徹に問いかけた。
「何の力も持たない私が来たところで、何かが変わるとでも思ったのですか? 人に縋る前に、現実を見なさい。」
その言葉は、僕の心に深い傷を残すには十分すぎた。
紫蘭は屍のようになった僕の手に傘を握らせる。
「帰りますよ。今はとにかく体を温めないと。」
歩き出す紫蘭の背中は、人間とは思えないくらいに冷たい背中だった。
そして僕は、彼の死体を取り残して、店に戻った。
これは、後に聞かされる事になるのだけれど、胡蝶蘭さんが死体を回収しに公園へ行った時、そこに彼の死体は無かったそうだ。
もしこの時、最初から彼の死体を持って帰っていれば、敵として彼と再開せずに済んだかもしれない。
こうして、この日を境に僕はアオイでは無く、言霊使いの『蘭月』として生きる事になったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます