呪われた男
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『——そうね、それを貴方が望むのなら。』
今でも思い出せば、あの日の情景が焼き付く。
妖艶な笑顔。柔らかな声。私という人間を縛るその瞳。
魔女となったあの人は、いつもと変わらぬ笑みで私を見つめた。
冷たくも魅惑的なあの人は、私に何も明かさなかった。
背負ったモノも、秘密も切望も、渇いた瞳でしか語る事はない。
そして、踏み入る者を拒むその瞳に魅入られた私は、何も出来ないまま彼女の背中を眺め続けた。
……ああ、何と罪深き魔女か。
けれど、そんな魔女の呪いに囚われてしまった私は、救いようのない阿呆なのだろう。
『紫蘭』と言う名を自分に課したのは、彼女への嫌がらせだ。
どうせあの人はもう、私の事などとうの昔に忘れてしまったかもしれない。
けれどこの名前を聞けば、嫌でも私の事を忘れられないだろう。
どうせ、あの女の事だ。今もどこかで高みの見物と決め込んでいるのだろう。
そんな彼女がこの名前を聞いた時、どんな反応をしたのか見ものだな。
——そう、これはそういう名前だ。
思い返してみれば、彼女は変人だった。
彼女の先読みは、一分一秒の狂いもなく未来を当ててしまう。
だから今までの物語も、この先の物語も全て彼女の予想通りなのだ。
本当、つくづく嫌な魔女だ。
——蘭月が殺月攫われた。
これまでのあらすじと言うには簡潔すぎる一文だが、これだけで全ての説明がつく。
もしくは『自ら裏切った』と言った方が良いのかもしれないけれど。
何も出来ず、ただ蘭月の選択を見届けるしか出来なかった私。そして胡蝶蘭、鈴蘭。
我々は自分の無力さを痛感しながら、店へと戻ってきた。
畳張りの応接間に集まった我々は、ちゃぶ台を囲んでいた。
「さて——蘭月が我々を裏切ったわけですが……。」
私のそんな発言に、胡蝶蘭は思い切り立ち上がる。
堪忍袋の緒が切れた様な顔をしながら、私を怒鳴りつけた。
「紫蘭、てめぇ……! 蘭月は裏切ってなんかねぇ! 」
直ぐに周りが見えなくなり、頭に血が上りやすいのは胡蝶蘭の悪い所だ。
まあ、今本人を前に口にすれば、手が飛んでくるかもしれないからお茶に濁すけれど。
「では、彼女の行動に他の意味があったとでも? 」
私がそう言い返すと、胡蝶蘭は直ぐに食い下がった。
どこにでも噛み付く獣の様な彼といえど、きちんと躾をすれば可愛い子犬だ。
茶柱が立った湯呑みを持ち上げ、渇いた喉を潤してから、今度は鈴蘭に問いかける。
「鈴蘭、二人が今どこにいるのか分かりますか? 」
とんと、元気の無くなった鈴蘭は、こくっと頷く。
予想外の事となると、取り柄の元気が無くなってしまうのは彼女の欠点だ。
が、鈴蘭の能力だけは最大限に評価している。
どんな相手にでも、彼女の力は敵わない。
素晴らしい人材を手にできたのは、幸運とも言えるだろう。
しかし、獣も、ずば抜けた能力も。全て操る者の腕次第だ。
そこは私が上手くやろう。大丈夫、私さえ間違えなければ、望みは叶うのだから。
「……では、行きますか。お馬鹿なバイトを助けに。」
それまで俯いていた二人が、一斉に私を見る。
驚いた表情の胡蝶蘭は、「いいのか? 」と尋ねてきた。
——まるで、子犬が褒美を貰う時のようだな。
「ええ。彼女は大事なバイトですからね。」
するとみるみるうちに笑顔を見せる胡蝶蘭は急ぎ足て応接間を飛び出そうとする。
「……待って下さい! 」
そんな胡蝶蘭を止めたのは鈴蘭だった。
胡蝶蘭は足を止め、鈴蘭の方を見る。
「このままじゃ、私は手伝えません。」
自分の邪魔をされた胡蝶蘭はすぐに眉尻を上げる。
そんな胡蝶蘭を遮る様に、鈴蘭は声を荒らげた。
「てめえ、ふざけんじゃ……」
「なら、教えてください! あの変な人と蘭月ちゃんの関係を! 私だけ何も知らないなんて嫌です! 」
初めて鈴蘭の大声を聞いた胡蝶蘭は、一瞬困惑の表情を見せた。
そんな胡蝶蘭を置いて、鈴蘭は話を続ける。
「蘭月ちゃんは、私のただ一人の友達です。なのに、蘭月ちゃんの事を何も知らないまま居るなんて出来ません。蘭月ちゃんが私に知って欲しくないのは分かります。でもこれじゃあ、友達になった意味が無い!」
苦しげな顔で言葉を詰まらせる鈴蘭の肩に、私は手を置いた。
「良いでしょう。私の口から全てを説明します。あの二人の関係。そして今、蘭月が抱えている闇についても。」
ほら。上手く操れば、こんなに容易い。
鈴蘭には知ってもらわなくては。蘭月の深い闇を。そして、胡蝶蘭にも。
彼には再び自覚してもらわなくては。彼自身の使命を。
何より、蘭月を敵の手に渡らせてはならない。
彼女は私の望みを叶える近道だ。
その為に、彼女が多少傷づいてもやむを得ないだろう。
そう、全ては我が望みの為に。何だって、誰だって利用して。そして私の願いを叶えてみせる。
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