友達が欲しかった

夜は少しだけ肌に触れる冷たさがあった。

仕事帰りのサラリーマンや、OLが居酒屋に足を運ぶ。

活気づいた中央通りは今日も人で溢れかえっている。

この街は不思議だ。昼間はあんなに静かなのに、夜になると街全体が息を吹き返す。


もう随分と見慣れた光景を横目に、僕と紫蘭。そしてオッドアイの少女、鈴菜さんは明かりの少ない方向に歩いていた。

「……あ、あの。それでお手伝いって何ですか? 」

ワイシャツにベストを羽織ったの鈴菜さんは、僕達の前を行く紫蘭に尋ねた。

歩く度に胸元の青いリボンが揺れて、僕の目を引く。

「実は、そこにいる蘭月と協力して邪を払って頂きたいのです。」

淡々と話を進めようとする紫蘭に、鈴菜さんは「邪……? 」と首を傾げた。

そうやって、聞き手を戸惑わせるのは、紫蘭の悪い癖だ。

そういう所を、普段補うのは胡蝶蘭さんの役目なんだけれど、生憎今日は僕の役目らしい。

僕は歩きながら、鈴菜さんに邪について話した。基本情報を端的に。

さすがに悪魔や幽霊を倒すなんて言っても信じては貰えないだろうけど。

そう思っていたら、鈴菜さんはあっさり納得してくれた。

「そういう事ですか。分かりました、私に出来ることがあるならなんでもやります。」

あまりにも物分りが良すぎるからと、僕は思わず鈴菜さんに聞いてしまった。

「あまり驚かないんですね、こういうオカルトみたいな話。」

「まあ、この右目のお陰で。そういう、変なものを見る事に体制ついてるんです。」

眼帯に隠れる右目を触りながら、切なげに答える。

右目と言われて思い出していたのは、紫蘭の話だった。

確か右目は『千里眼』……。千里先までをも見通す事が出来る力。

僕はそれを物体だけだと思っていたけれど、どうやら鈴菜さんには色んなものが見えているらしい。

きっと幼い頃から苦労してきたのだろう。

僕自身も経験のある話だったから、鈴菜さんに同情してしまう。


「さて、今回のターゲットは彼ですよ。」


僕達の前には、一人の小さな男の子がポツリと立っていた。

もうすぐ夏だと言うのに長袖の服を着て、こちらをじっと見ている。

鈴菜さんは不思議そうに「あれが……邪? 」と呟いていた。

確かに見た目は幼い少年だ。けれど、中身までがそうだとは限らない。邪の中には、百年以上姿が変わらない者もいる。

多分、この子も……。


『お姉ちゃん達、だあれ? 』


きょとんとした瞳で僕の顔を覗く少年に、僕は顔が強ばる。

笑顔を作ることも出来ず、真顔のまま僕は答えた。

「僕達は君を在るべき世界に送り届ける者だよ。君を救いに来たんだ。」

紫蘭よりも少し前に出て、少年と目線を合わせる。

『救う……? 僕は此処に居たいんだ! ママを待たなくちゃいけないんだ! 』

少年は眉間にシワを寄せて、僕をキリッと睨みつける。


きっとこの子は長い間、お母さんの帰りを待っているんだろう。

でも、この子のお母さんはもう……。

それを悟りながら僕は少年に手を差し伸ばす。

「大丈夫。お母さんにも会わせてあげるから。だから……。」

少年に近付こうとした瞬間、彼は僕に聞いて来た。


「——お姉ちゃんも、化け物なの?」


寄り添おうとした身体がピタリと止まる。

純粋な眼で僕を見つめる姿に、固唾を呑んだ。

この子が言っているのは、『お母さんに会わせてくれるなんて人間が出来ることでは無い』という意味だろう。

でも僕は『化け物』というワードで思い出したのは、自分自身とそして殺月の事だった。


化け物だった僕を助けてくれたのは……。殺してくれたのは、殺月なのだ。

優しくて、頼りになる彼はもうここには居ない。僕は殺月が居ない今、何が出来るのだろう。

一人ぼっちで、もしかしたら本当に化け物へと戻ってしまったかもしれない。

恐怖と焦りが入り混じって、額からは冷たい汗が流れていく。

目の前が黒く染まりかけた瞬間、思い出したのは皮肉にも紫蘭の顔だった。

……嗚呼。違う。一人なんかじゃない。確かに孤独は癒えないけれど、僕には確かにあの人達が居るんだ。

なら、この子にかけてあげるべき言葉はきっと——。


「そうかもしれないね。僕は君が言う通り化け物なんだと思う。でもね、僕は君を笑顔にする為に化け物になったんだよ。化け物だって、君が笑ってくれるのなら凄く嬉しい。」


それを誰に言ったのかは自分でも分からない。目の前の少年に言ったのか。同じ境遇で悩んでいる鈴菜さんに言ったのか。

——もしくは自分自身に言ったのか。

少年は僕の顔をじっと見詰めてから、ニコリと口角を上げた。

『そっか!お姉ちゃんは良い化け物なんだね!』

その無邪気な笑顔に、僕はつられて笑ってしまった。

そして僕は腰を上げて、少年に掌を突き出しす。

心の中で少年の幸せを願いながら、僕はそれを唱え始める。


「言の中に眠る魂よ。今我の力のもと、真の姿を表わせ!

我が名においてその封印を解く!」


僕の周りを青白い光が包んでいく。どこからともなく吹く風は、どこか温かいようにも感じた。


「道を外れた哀れな者達よ。今我の力のもと、在るべき道へと戻れ。 導! 」


霧のような風が少年の体を包んで、少しずつ原型を崩していく。

塵のように消えていく体で、僕に笑いかけてきた。

「お姉ちゃん、ありがとう! 」

無邪気な子供らしい笑顔の残像を残しながら、少年は消えて行った。


何も無くなった風景を眺めながら、ふと殺月を思い出す。

また一人、救う事ができた。僕が助けた。でも、これは僕一人の力じゃない。

今の僕がいるのは殺月のおかげだから。

見上げた空に、月が浮かんでいる。満月でも半月でもない、歪な形の月。

まるで今の僕みたいだと心の中で思いながら、僕は立ち尽くしていた。


背中越しに紫蘭の声が聞こえてくる。いつも通りの声色で、鈴菜さんに話しているようだった。

「彼女もまた、貴方と同じように友達はいません。それどころか家族も居ない。今見た通り、普通とは少し程遠いところにいます。」

「……。」

「それでも彼女は自分の力を行使して、誰かの為に頑張っています。彼女を含め、私の仲間はそんな馬鹿げたほどに優しい人ばかりなんですよ。だから——どうですか、我々の仲間になるというのは。」


最後の一言に、思わず僕は二人の方を向く。

けれど、僕より驚いていたのは鈴菜さんの方だった。

空いた口が塞がらないまま、「え?」と無意識のうちに声が漏れ出す。

紫蘭の横顔はいつもみたいに胡散臭くて、何かを企んでいる笑顔だった。

でもそれだけじゃなくて、もっと奥底に何かを隠しているようにも思える。


「そうすれば、友達も出来ますし。ね、蘭月。」


紫蘭は笑顔を僕の方に向け、同意を求める。そんな彼に合わせるように、鈴菜さんも僕を見つめた。

自分から『友達になってくれ』なんて言ったことも無い。

思ったことすらも無い。

でも、だからこそ今、その言葉を言わなくちゃいけない気がした。


僕は殺月の居ない生活を認めなくてはいけないから。

彼はもう、僕に安らぎを与えてはくれない。だから僕は前に進まなくちゃ。

きっとこれはその一歩。自分の小さく閉ざされた世界を変える為に。


「あ、あのっ、その……僕と…と、友達に……なってくれる? 」


恥ずかしくて、最後の方は声が小さくなったけれど、ちゃんと言えた。言えたんだ。


顔を赤く染めて、モジモジしている僕の元に鈴菜さんは走り出す。

そして空にも届きそうな程足を高くあげて、僕の胸に飛び込んできた。

「うん、もちろん……もちろんだよ!! 」

その声が少し震えていて。

抱きしめる力が強くて。

彼女がずっと欲しかった言葉を、僕は与えられたのだと悟った。

そして、それと同時に何かが僕の中で渦巻いているのにも気付く。

モゾモゾしてくすぐったくて、でもほのかに温かい。


——嗚呼、そうか。


本当に友達が欲しかったのは僕の方だ。

彼女の強い願いで、僕が心の奥底にしまっていた感情が溢れ出した。

これが、友達の力……なのかな。



歪な月は、重なり合う二つの影を優しく照らす。

そして、鈴菜さんは、僕達と一緒に店に戻って行った。

その道中、楽しげに笑い合う声が、街を賑わせながら。





「そうと決まれば、名前を決めましょう!」



すぐに館へと戻った後、紫蘭は嬉しそうに声を上げた。

「名前? 」

鈴菜さんはその言葉の意味を理解出来ずに首を傾げている。

また色々すっ飛ばして……とため息を漏らすと紫蘭は僕にニヤリと微笑みかけてくる。

口があるのだから自分で言えば良いのにと、彼に呆れつつ僕は鈴菜さんに話をした。


「この世界では本名を名乗るのは危険な行為なんです。本名、言い換えると真名と呼ぶのですが。人間は真名を呼ばれる事によって様々な力を発揮するんです。けれど、敵に僕らの真名が知られれば悪用されてしまう。それを防ぐ為にこの世界では偽名……源氏名をつけるのが主流なんです。」


それを聞いた鈴菜さんは「なるほど」と手に顎を置いて何やら考え込む。

そしてしばらくしてからおもむろに顔を上げた。


「なら、こういうのはどうでしょう! 鈴菜の『鈴』そして皆さんの名前にもある『蘭』を組み合わせて『鈴蘭』というのは!」


思いの外すんなりと出た名前は、鈴菜さんらしい名前だった。

「鈴蘭の花言葉には純粋、純潔。そして優しさ、愛らしさというものがありますね。」

紫蘭がそう言うと、鈴菜さんは少し顔を赤くしながら背中を丸くした。

「あ、愛らしさなんて……私には無いですよ……!」

「そんな事を無いです! 鈴菜さんにとても似合う名前だと思います! 」

思わず食い気味に言ってしまったと、言い終えてから気付く。

けれど、本心からの発言だったから失言だとは思わなかった。

鈴菜さんは頬をピンク色に染めたまま「ほんと?」と弱々しい声で聞いてくる。

それに僕は力強く首を縦に振った。

「勿論、私も賛成しますよ。」

紫蘭の言葉が鈴菜さんの背中を押した。

鈴菜さんは、頬をパチンと両手で叩き、真っ直ぐ僕と紫蘭を見る。

そして、深々と頭を下げ、大きな声で叫んだ。


「鈴蘭として、これからよろしくお願いします! 」


彼女の決意の表れだったその声に、僕も紫蘭もニッコリと微笑んだ。

「勿論、よろしくお願いしますね、鈴蘭。」

「こちらこそお願いします、鈴蘭さん。」

顔を上げた鈴蘭さんは、目をキラキラと輝かせ、満面の笑みで答える。


「……はいっ!」


こうして、僕達にあたらしい仲間が加わった。



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