親友だったその人に

夜の闇が辺りを包む最中、一人の男の高笑いが響き渡る。

「あーっはっはっ。蘭月はいつも可愛いなあ、おい。紫蘭もそう思うだろ?」

紫蘭の表情が曇り始めた。呆れているというか、嫌がっているというか。物凄く軽蔑している瞳だ。


「とりあえず黙って消えて貰ってもいいですか? ねぇ、蘭月もこんなやつと一緒に居たくないですよね? 」

「おい、俺の可愛い蘭月に何を言うんだ。蘭月は俺の事好きに決まってるだろ?なあ、蘭月!」

天真爛漫な笑顔を向ける胡蝶蘭さんに、紫蘭は大きくため息をつく。

「君みたいな図体デカいだけの巨人を誰が好むか。少しは人の意見を考えろ脳筋バカ。」

「ひでぇ!しかも敬語じゃねぇし!」

涙目になりながらショックを受ける胡蝶蘭さんに、紫蘭はすかさず返事を返す。


「敬う程の価値が、君には無いってことだ。」


「それを言うなら、紫蘭だって店の店主とかいいながら、普段は外を出歩きたい無いだけのヒキニートだろ!いい歳の大人が引きこもりだってよお、蘭月!」

「……よおし、いいぞ。上司が誰だかしっかりと分からせてやる。」

「なら、負けた方が今日の晩飯奢りって事で。」

あ、やばい。両隣から、とてつもない殺気を感じる。このままじゃ本当に二人が喧嘩しちゃう……。


「と、とりあえず落ち着こう二人とも……!」


紫蘭と胡蝶蘭さんに挟まれる様に、僕はさっき来た道をなぞっていた。

二人の変な圧に押されて、なんだか肩身が狭い。

三つの影が月明かりに照らされて冷たいコンクリートの上に、ゆらゆらと揺らめいた。

白い電灯は、胡蝶蘭さんの茶髪を輝かせる。


「止めるな、蘭月!これは男同士の戦いだ!」

「そうですよ、蘭月。このバカには自分がバカだと理解して貰わなくてはいけませんから。」

「二度も言わんでいいだろ!」


二人の間に火花が飛び散っているような気がする。

一刻も早くこの状況から抜け出したい僕は、ただ肩を震わせていた。

「あの……えっと……!」

体を縮こめた僕は、何気なく胡蝶蘭さんの腰に目を落とす。

胡蝶蘭さんの腰にはどこかの伝説にでも出てきそうな剣が、歩く度にカチャカチャを音を鳴らせる。ワイシャツに不釣り合いなその剣に、僕は相変わらず違和感を感じた。


って、そんな事よりも二人を止めなくちゃ!!

とは言っても、僕には二人を止められる程の力は無いし……こうなったら前に『あいつ』が言っていた方法で……!!!


「……こ、胡蝶蘭さん!」

「お、何だ?蘭月。」


ゴクリと固唾を呑んだ僕は、自分よりも背の高い胡蝶蘭さんに上目遣いをした。

確か、こうやって両手を顎に付けて……。


「——ぼ、僕、胡蝶蘭さんには紫蘭と仲良しでいて欲しい……なあ?」


僕をじっと見る胡蝶蘭さんの口は、ぽっかりと空いていた。

何より真反対から刺さる視線。見なくても分かる。

紫蘭のやつ、絶対笑ってる!!!

恥ずかしさで耳を真っ赤にしながら、僕は胡蝶蘭さんを見つめた。

すると、硬直していた胡蝶蘭さんは両手を広げて僕に向かってくる。


「蘭月が言うなら、勿論だ!ってか可愛いなあ、おい!やっぱり蘭月は最高だぜー!!!」


危険を察知した紫蘭は一瞬で拳を握り、胡蝶蘭さんのお腹に向かって殴る。

「——死ね、この変態!!!」

月に照らされる街を胡蝶蘭さんの悲鳴が駆けて行った。



「ぐふぉっ!!!!」




結局僕達はどこにも寄り道せずに店の扉をくぐった。

薄暗いオレンジ色の光が館の中を照らす。紫蘭の後ろを僕と胡蝶蘭さんがついて歩いた。僕達が向かったのは館の一階にある和室。畳張りの大きな和室には、ちゃぶ台とテレビが置いてあった。障子の向こう側の縁側からならいい月が見えるだろう。

ちゃぶ台の上には三つの湯呑みと、お茶菓子が置いてあった。


「んじゃあ……ここからは少し耳が痛てぇ話をするぜ。」

三人でちゃぶ台を囲むように座る。僕と紫蘭は正座で座っていたけれど、胡蝶蘭さんは胡座をかきながら話を始めた。


「紫蘭に頼まれて調査をした結果なんだか・・・・・・どうやら『殺』《セイ》の奴らが動き出したらしい。」


紫蘭の眉が、ぴくりと動いた。胡蝶蘭さんはさっきまでの笑顔が消え去り、凄く険しい表情で紫蘭を見る。でも僕はその意味が全く分からないでいた。

胡蝶蘭さんは僕を置き去りにして話を続ける。


「それだけじゃない。どうやら今、表舞台で見られる人物が……どうやら殺月セイゲツと名乗った。そいつの名前が出始めたのは丁度半年前。俺達が見過ごせる話じゃあ、ねぇなぁ。」

紫蘭は黙って何かを考え込んでいた。『殺』? 『殺月』? 一体何の話だろう。

僕が何も分からずに呆気に取られていると、紫蘭は僕に説明をしてくれた。


「『殺』というのは簡単に申して我々の敵です。私達が人間の悩みを解決する為に『邪』の者を在るべき道へと帰すのに対し、『殺』のやる事は『邪』の者達を操り、人間に害を及ぼす。私達が人間の味方と呼ぶのならば『殺』の者達は『邪』の者の味方とでも呼ぶべきなのでしょう。」


初めて紫蘭の口から敵という単語が出た。

今まで紫蘭はそういう事を考えないで、ただ人の願いを叶えていると思っていたけど……。

それはつまり、その殺月という人は僕達の敵と言うことだ。

そんな漠然とした事実を飲み込めないまま、僕はどこか浮ついた気持ちで二人の話を聞き続けた。

「そんで、その殺の奴らなんだが……。ここ近年では表立った行動は起こしていなかったらしい。それが今になって事を起こし始めた。何か裏があるんだろうぜ。」

「……裏、ですか。」

朧気に理解出来た話は、紫蘭の顔を歪めてしまう程の敵が現れたという事だけ。

けれどその話は、夜空に輝く月を隠すのには持ってこいの内容で、紫蘭も胡蝶蘭さんも黙り込んでしまった。

そんな中思い出したのは、今日祓った邪の事だった。

もし胡蝶蘭さんや紫蘭の言う事が本当なら、今日の悪魔だってその『殺』の人が裏で操っていたのかな。

もしそうなら、どうしてそんなことをするんだろう。


自分には理解出来ない行動に、僕は水面の揺れるお茶を見ることしか出来ない。

しばらく沈黙が続くと、紫蘭が掌を合わせて音を鳴らせた。

「まぁ、今考えていても仕方ないですし、とりあえず今日はこの辺でお開きにしましょう。詳しい話はまた後日と言う事で。」

それが、彼なりの優しさだと言う事を悟りながら、僕と胡蝶蘭さんは何も言わなかった。

胡座をかいた足を伸ばしてから「それもそうだな。」と胡蝶蘭さんが立ち上がる。

きっと二人とも、僕を不安にさせない様にと気を使ってくれているのだ。その事に感謝しながら、何も言えない自分に少しだけ劣等感を感じながら、僕は玄関に向かう。

外に出ると、数時間前の賑やかな気配は無くなっていた。胡蝶蘭さんが「送ってく」と言ってくれたけど、胡蝶蘭さんは日中も花屋さんでバイトをしているので断った。

紫蘭は店番があるからと申し訳なさそうに言われたので、「そんなの別にいいよ」と軽くあしらう。

帰り際、二人に夜道は気をつけて帰ってと言われてしまった。


ついさっきまで誰かと話していたのに、一気に静まり返ってしまった。自分の歩く靴音が、静寂を一層濃くさせる。ふと空を見上げると、雲がゆっくりと流れて少しずつ月が見え始めていた。

人気のない帰り道、大きな月の明かりが白く光る。東京だと言うのに、どうしてこの街から見える月はこんなに大きいのだろう。

そういえば前にも同じことを思った事がある。その時は僕の隣にはあいつがいて。優しく僕に微笑んでいた。でもその時の月は何処と無く不気味で少し怖かったような……。

もう二度と戻っては来ない昔に思い出に浸ってると、僕の前に闇が現れた。



「——こんな夜道を一人で歩くなんて、もう少し警戒心を持った方がいいよ。君はとても可愛らしいんだから。」




薄暗い暗闇から足音が聞こえてくる。

僕よりも大きな影は段々とその姿を現れた。目の前の月明かりを隠していく人影は僕の目の前にまできて笑顔を見せる。

肩の近くまで伸びた白い髪、宝石のように輝く青い瞳。透き通る肌。

知っている。僕はこの人の事を。髪の色も変わって、身体もやせ細って、一瞬誰だか分からなくなったけど、けれど忘れるはずない。だって君は僕の親友。暗くて深い谷底から僕を救い上げてくれた大切な恩人。

ノイズのかかった笑い声が、今も尚僕の頭の中で流れ続けて、呪縛のように僕を縛っている。

大好きだった。大切だった。その目元も、僕よりも大きな体も、君を愛おしいと感じるその匂いも。

……なのに今はどうしてこんなにも、おぞましく感じてしまうのだろう。



「なんで、君がここにいるんだ——蘭月……」



そう、彼の名前は蘭月。あの日、僕が殺した大切な親友の名前。

目の前にいる蘭月は、あの時と変わらない柔らかな笑顔を僕に向ける。細くなった腕を僕へと伸ばして、頬に触れる。凄く冷たくて今にも壊れてしまいそうな手で僕の頬を静かに撫でる。

「違うよ。その名は今、君のものだ。それに俺は新しい名を貰ったからね。」

貰った……? 誰に……?その疑問の答えはすぐに彼の口から出る事になる。

夜のそよ風が僕達の前を吹き抜ける。蘭月の青い瞳が僕の顔を写した。


「——俺の名前は殺月。それが新しい名前だよ。」


もう随分と見ていなかったその笑顔は、月明かりに照らされて、僕には悪魔の笑みに思えてしまった。

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