それでも魔女は毒を飲む

きさまる

それでも魔女は毒を飲む


 目の前には血を吐き倒れた女。

 その肌はしわだらけだ。





 昔はそれなりに名の知れた女優だったらしいその女。

 いつだっただろう。

 最近といえば最近の事だ。

 何十年もその美貌を保ち、一時期は「美魔女」の一人として再び脚光を浴びた事もあったようだ。

 しかしそれも、何人か居る内の一人に過ぎない。

 ブームが過ぎるとまた無名の凡人に逆戻りとなる。



「あの頃の私は、街を歩けば誰もが振り向く存在でしたのよ」


 そう私の前で、ウットリと過去の思い出を語るその女。

 正直、私は芸能界や芸能人に興味が無かったので、美魔女ブームすら知らなかった。

 しかしその女は、私の興味なさげな様子にも気付かず過去の栄光を語り続ける。


「それで、お客様のご希望は?」


 女の話が区切れそうな所で、やや強引に私は話に割り込んだ。

 それまで気持ち良く、かつての自分の在りし日の姿にひたっていた女は──私の客は、我に返った後で不満げに私をにらんだ。

 だが、目を閉じてため息をつき、気持ちを押さえ込むと私に言った。


「若さを取り戻したいの」


 私はその言葉にたしなめの言葉を放ちかけた。

 古今東西、本当の意味で若返りに成功した者は居ない、と。

 その私の言葉を押さえるように、彼女は詳しい話を追加した。


「今度、映画に出演する事になったの。端役はやくだけど、単独で画面に写して貰えるのよ」


 彼女の顔はそこで険しくなる。


「だけど、向こうが望んでいるのは皺くちゃになって老いさらばえたババアなの。でもそんなの私には耐えられない」


「では出演をお断りになっては──」


「ダメよ、これは最後のチャンスなの。これに出なきゃ、私は世に埋もれたままの人間で終わってしまう。それはもっと嫌」


 そして彼女は暗い情熱の炎をその目に宿しながら、私に告げる。


「だからアイツ等を驚かせてやるの。かつての美しさ健在なり、とね」


「今の全てを投げうって?」


「今の全てを投げうってよ」


 この女には家族が居たはずだ。子宝にも恵まれ孫も居る。

 亭主も健在で、しかも優しく頼りがいのある男だったはず。浮気も一切せずに、ひたすら彼女を支えていたのではなかったか?

 子供や孫も、大きな不幸も無くそれなりに生きているはず。

 芸能界に興味の無い私が大急ぎで調べた事なので、それ以上は分からないが。


「私は女優よ。女優は画面に自分の美しさを焼き付けて、観客を魅了する事が全て。だから一瞬でも昔の若さを取り戻したいの」


 私はため息をついて彼女に確認を取る。

 最終確認だ。

 最も、この段階まで来た人間が自分の意思を……欲望を曲げる事などあり得ないが。


「契約書には目を通しました?」


「勿論よ」


 本来ならこれで「してやったり」とホクホク顔で契約を締結ていけつするのだが、それは私の性分に合わない。

 私は彼女の持ってきた契約書を広げて、この手の契約書ならば目立たぬように記載されているだろう文言を指差した。

 私は後でグチグチと文句を言われるのが嫌いなのだ。

 

「貴方の全てを当方は所有することとなり、その運用及び処分は全て当方に一任するものとする。なお、「全て」には貴方の周りの家族一同も含まれる。この契約の支払いは貴方及び貴方の家族が人生をかけて支払うものとする」


 そう改めて説明すると私は、目の前の女の目を見つめた。

 だが、ここまで懇切丁寧こんせつていねいに説明しても、皆いざ支払いの段になったら「聞いてない」だの「だまされた」だのと騒ぎ出すのだ。

 どうしたらそれが無くなるのだろうか?

 女はイライラとした調子で私に返す。


「分かってるわよ! サインも喜んでするわ! だから早く!!」


「ではここにサインを」


 女はもどかし気に契約書にサインを行う。

 それを見届けた後で契約書を私は手に取り確認。その後、たたんでふところにしまう。

 そうしてようやく薬を取り出し、手のひらの上に乗せて彼女に披露ひろうする。


「これがその薬です。薬も過ぎれば毒となりますし、これはそもそも薬ではなく毒です。貴女の命と引き換えに効果を及ぼす」


「ええ、それはもう分かってるわ。だから早く頂戴ちょうだい。あなたが持っている『若返りの薬』を」


「大事なことだから、もう一度説明しますよ。これは若返りの薬ではありません。『若返ったように見せる』薬です。効果は極めて短く──」



 女は私の説明を聞くこと無く、私の手から薬をひったくる。

 そして私が制止する間もなく、薬のふたを開けて中の錠剤を飲み干した。


「あっ──」


 効果は劇的だった。我ながら良い仕事をしたと、ほくそ笑むだけの出来だ。

 女の顔は、肌は、みるみるうちに皺がなくなっていき、曲がっていた腰が伸びる。

 そして、はた目から見ても瑞々みずみずしい生気が身体に満ちあふれていった。

 女は自分の、張りのある肌になった手をながめながら、ウットリとひとちる。


「素晴らしいわ。これであいつ等の驚く顔が目に浮かぶ……」


 だが、そこで女は突然き込み喀血かっけつする。

 肌がみるみるうちに皺だらけになり、生気が抜けていく。まるで動画を逆回しで再生したように。

 床に倒れ込む女。

 女は私を憎々し気に、恨めし気に睨んだ。


「騙したのね……」


 私は溜め息をついた。今回もやっぱり、か。

 私は懐から先程の契約書を取り出しながら彼女に言う。


「騙してなどいませんよ。私の説明を聞かずに服用したのは貴女でしょう?」


 彼女は口をパクパクさせているが、声が出ないようだ。

 私は表情を変えずに続けた。


「この薬は極めて短い効果時間しかありません。そしてこれは貴女の寿命と引き換えに効果をもたらすものです」


 私は彼女の目の前にしゃがんだ。

 もう虫の息の彼女にささやく。


「この薬は一粒で充分過ぎる効果が出ます。だいたい72時間ぐらいかな。代わりに寿命が一年縮みます」


 私は彼女が握り締めていた空瓶を手に取った。

 それを自分の目の前に持ち上げ、何も入っていない瓶を眺めて続ける。


「それをこの中全部、一気に飲み干しちゃって……。何十年分も寿命が縮めば、今の貴女のようにもなります」


 そこで気が付いた。

 彼女から生者の気配が失せているのが。

 私は立ち上がり、に向かって言った。


「はあ……。契約後に起こった事だから、契約は果たさせていただきますよ。貴女の家族は貴女の勝手な欲望で破滅します。先ほど説明したように、支払いは貴方及び貴方の家族が人生をかけて支払うものとする、ですからね」


 そこで私はハタと気が付いた。

 私とした事が、なんたる失態か。


「ああ、私とした事がなんという説明違いをしたのでしょう。人生ライフではなく生命ライフでした。……まあ、大きな違いは無いでしょうから、大丈夫ですかね」


 私は再びしゃがんで、彼女の身体に手を突っ込んだ。

 身体の中から生命力の無い魂を引きずり出す。

 それを口に入れてゆっくりと飲み干す。


 「死にかけの老人の魂は、やはり食べ応えがないな」


 そう誰が聞くともなしに私は独り言ちる。

 だが、彼女がここへ来てから初めて私はにんまりと微笑ほほえんだ。


「まあ食い足りない分は、彼女の家族で補うとしましょうか」


 かつては「美魔女」と呼ばれた、彼女だった物体にそう言葉を吐き捨てて私はその場を去った。

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