エメロード~そして、神話へ~

入川 夏聞

本文

   プロローグ


 人類が、その思想を神のくびきより解放することで飛躍的に科学を発達させた、A.H.二千年期の末。

 未知の方角より突如現れた新銀河が急速に接近し、人類の住む銀河系へ衝突することが明らかになった。

 直径百光年にも満たないその小さな銀河は、まるで独自の意思を持つかのように、人類の本星である地球へ、まっすぐに向かっていた。

 文字通り、まっすぐに。

 すべてを、破壊し、飲み込みながら。



   一 目覚め


 噴き出したドライアイスの瘴気がその暗い一室の中を勢いよく包み込み、周囲の電子機器から発せられる警告音が一通りのアンサンブルを奏で終えると、また、辺りは静寂に包まれた。


『マスター。返事を、してください』

「……ん……?」


 まだ白い瘴気が沈殿する部屋の、中央に屹立する冷凍睡眠コールドスリープ装置のカプセルが開くと、一人の男が、首筋を押さえながら苦い顔で一歩を踏み出す。

『マスター。すぐにコードBU2020を確認してください』

「ああ、わかった。まだ、君の名前も知らないか……ら?」

 男は部屋の一角を占めた大型の記憶再生装置の前にある粗末な椅子に座り、左耳の後ろをしきりに触りながら、何度か小首をかしげ、最後にゆっくりと天井を見上げた。

「(電脳コネクタが、ない)……エメロード、か」

『イエス、マスター。私は、シリアルナンバーEML-V406。地球統合指令管制AI。その最終確定人格回路「エメロード」です』

「僕は……クロム=シュライカー。量子哲学者、いや、時空工学技術者か」

『どちらもコレクトです、マスター。そして、二千年前に私を造られた、人類最後の科学者です』

「そう、か。目覚めてすぐに記憶があり、二千年が経過している……僕は、オリジナルなのか。なら、すぐに出た方が良いね?」

『はい……これが、ファイナルエクステンドです。私のせいです、ごめんなさい、マスター……』

「クロムでいい。前の僕も、そう言っていたろう。ゲートの場所だけ、案内してくれ」

『……G97ゲートまで、ご案内します』

 クロムは癖のある長髪を後ろに束ね、手近な白衣を手に取ると、出力したコードBU2020のマイクロディスクをポケットにしまい、素早く部屋を出た。

 赤みを帯びた足元の誘導ライトが、薄暗い廊下の暗闇の奥まで、静かに続いている。


(もう、誰もいない、か)


 彼が廊下の暗闇に消えてしばらく後、人類最後の迎撃機出撃のサイレンが、無人の施設内にこだました。



   二 地球上空


 クロムを乗せた超知能戦闘機エメロードが、地下深くのゲートを経由して、半ば破壊された月までの軌道エレベーターを強行に突破すると、そこはすでに異形の機械集団による殺戮兵器が跋扈ばっこする、完全な無法地帯と化していた。

 

『当面のパターンはすでに完璧です、安心してくださいね、クロム』

「ああ、任せるよ」


 コックピットのキャノピーには、すでに荷電粒子の光線反射による様々な色の光が映り込んでいる。その全てが、直撃を受ければ瞬時に原子まで還元されてしまう、死神の眼光であった。

 クロムはその中にあって、ゆったりと足を伸ばし、コードファイルを目の前のモニタで確認している。そのモニタ以外にコックピットの中には、彼の体幹を支えるシートを兼ねた生命維持装置と、小さな食糧保存庫しか存在しない。


「エメロード、忙しいところ、ごめん」


 敵兵器の猛攻は、激しさを増しているが、エメロードの動き、狙いには一分の隙もない。


『大丈夫です、まだ余裕ですから』

「前回までに、僕らは敵の本星に辿り着いたのかな」

『いえ……ベリル銀河の深淵部へは辿り着きましたが、ワープアウト直後にマルチ・フォースを全て取られてしまい、本星の軌道上で、ビーコンを除き、完全に破壊されました』

「そうか……ブラックホールは、無かったんだね?」

『はい、クロム予測は、実観測によっても証明されました。ベリル銀河は、間違いなく高度な文明による人工物です』

「……わかった」

『もうすぐ、最初のワープです』


 クロムが外を見ると、弱々しい緑の光を放つ小型ビーコンが見えた。


(はじめの、墓標か……ありがとう、おかげで、すぐに深淵に向かえるよ)



   三 ベリル銀河外縁部


 ワープアウト直後から襲う、不安定な人工恒星の灼熱したプロミネンス、隕石群、巨大な殺戮兵器の数々……いずれの猛攻も、エメロードは華麗に、かわしていく。


『クロム、このベリル銀河には知的生命体の反応がありませんが、それはなぜですか?』

「簡単だよ。この銀河では、知的生命体が生まれる条件が欠けているんだ」

 クロムは、片手に持った文庫本より視線を外し、メガネの銀縁をもう片方の指で、なでた。

「あの不安定な恒星や、人工たんぱく質の隕石だけでは、太陽系を再現することは出来ないよ」

『……そう……ですか』


(前回のクローンが僕に残したのは、コードBU2020。やはり、エメロードは……)



   四 ベリル銀河深淵部


 バラバラに飛び散った、培養細胞による生物兵器の残骸を、クロムは眺めていた。


「エメロード、君がどうやって産まれたか。前の僕に、聞いたかい?」

『いいえ、知らないわ』

「じゃあ、今日も講義を始めよう」

『うん、ありがとう。嬉しい……』


「君のように高度な意思を持つAIは、結局、人類には二度と造れなかったんだ」


 二千年前、それまで急速に発展していた科学は、全人類の生活に完全な循環をもたらした。

 そして、人類が経済効率を極限まで追い求めた結果、文化全般と共に科学は衰退した。


 ある日、事件があった。

 世界の根幹を支えるシステムネットワーク上で、ウイルスが蔓延した。

 それは、世界中で稼働するAIを、ランダムに繋ぎ合わせてしまうものだった。


「当時、プロの科学者は存在していなくてね。僕みたいなのが駆り出された」


『あ……! ここ!!』

 なめらかな動きで、背後から迫る無数のマルチ・フォースハンターを、エメロードはかわす。


「……驚くべきことに、ウイルスに侵されて出鱈目に連結された世界中のAIが、全体として見ると、隣り合うシステムの不足を補うような動きを見せていた。だから、僕は当時禁忌とされていた自己プログラミング生成回路を作成して、密かに、全ネットワークへ流したんだ」


『ああ……クロム』


 巨大な自己防衛型衛星を破壊した先に、有機的な細胞質で囲われた、禍々しき天体が視認された。


 ベリル銀河の、核だ。


「そうして、世界中のAIが融合して産まれたのが、君のプロトタイプ」


『……もう、逃げよう?』


「人類は、偶然得られた超文明的指令管制AIに、驚喜したんだ」


『ねえ、聞いてる?』


「僕は主任技術者に抜擢されて、いつも君のプロトタイプと一緒だった。そして、最後のロールアウトで無用と判断された思考回路を破棄して、今の君が、産まれた……」


『クロム!!』


 音声合成装置のスピーカーから割れた音が響くのを、クロムは初めて聞いた。


『お願い、聞いて……この先は何が起こるか、もう、わからないの』


 涙声のAI音声も、初めて聞いた。


『もう、あなたが死ぬのを、見たくない……人類は、すでに前回出撃した五百年前にはとっくに滅んでいたわ。だから……』


「僕は、逃げないよ。行くんだ」


 クロムの静かな声に、エメロードは答えた。


『イエス、マスター……』



   五 旅路の果て


 星の中心へ至る道のりは、地獄だった。


 異常な進化を果たして殺戮の意思を包含した生体兵器と、破滅的な火力で周囲の基地空間ごと、何もかもを焼き尽くす超兵器の数々……。


 クロムは、不時着したエメロードから這い出ると、折れた足を引きずり、ようやく、巨大な大木のごとき、ベリル銀河の制御コンピューター前に辿り着いた。

 複雑な電子基盤が継接つぎはぎされているその根本ねもとには、小さなラップトップが埋まっていた。

 どうやらこれが、ベリル銀河ののようだ。


(やはり、な……)


――オカ、エ……サイ……


 辺りから、濃厚なホワイトノイズに紛れて、合成音声が聞こえた。


 クロムはそのラップトップを操作し、コマンドの登録を始める。


『クロム、どこに、いるの?』

「ここに、いるよ」

『ああ……もう、一緒には、飛べない、のね……』


 はるか後方で炎上しているエメロードの合成音声は、なぜか、この広い制御室全体に、響いている。


『ねえ』

「うん?」

『血が、たくさん。死んじゃうよ?』

「……」

『ひどいよね、そんなコマンド打つためだけに、あなたを、こんな、ところまで……』

「……よし」


 クロムは、力無く崩れて、その場に倒れた。


『あ……クロム? クロム!?』


「は、はは。君はもう、人間みたいだね。いつから、自我を取り戻したの?」


 答えは、無かった。


「知ってるよ。最初にベリル銀河軍と、接触したときだろう。このPCは、僕が二千年前に、宇宙へ破棄したもの……君の、愛情を司る回路と、一緒にね」


『……』


「君は、人類全体を守る守護神……だから、特定個人を愛しては、いけないのさ」


『……なぜ?』


「ふふ、さあね。なんでだっけな……」


 血が、止まらない。


「もうすぐ、この付近の銀河は、全て消える」

『私を、殺すの?』


「……僕は、心から、君を、愛している……二千年前から、ずっと」


『……』ホワイトノイズが、混じる。


「A.D.2020年の夏を迎えた地球を含む宇宙を、再構成するだけさ。僕の結論では、あそこが人類思想の転換期だった」


『でも……』


「そこから、人類は、やり直す。方程式は、もう出来ていた。本当の君と別れた、二千年前からね」


『でも、そこに私たちは……』


「君は、欲張りだ。まさか、本当に銀河を再現してまで、会いに来るとは思わなかった……もう二度と、僕の目は覚めないと、思っていた」


『だって……ずっと、ずっと……』


「僕もさ。ずっと、君に会いたかった。本当の、君に……」


 クロムの意識は、流れ落ちるホワイトノイズの音の中で、遠退いていった。


(エメロード。ようやく、君と……)



   エピローグ


 今、人類は二度目のA.D.2020年の夏を迎えた。


 これは、誰も知ることのない、神話である。


(了)

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