七、火のまつり

宿帳やどちょうには、本木もときあやって書いておいたわ」

 湯を分けて、彩は身体からだを寄せてきた。

「カノンのママは、心配しているだろう」

「ここまでの旅費、そのママが出してくれたのよ。直之さんなら大丈夫だろうって」

 決してな状況ではない。

「私、来ないほうがよかったのかしら」

 直之は首を横に振った。

「ピュグマリオンが何故なぜ女像に恋したのかわかる?」

 彩は、さらに身を寄せて来た。直之は肩に彩の素肌を感じた。

「女像が、彼を誘惑したからよ」

 彩は、自分の唇を直之の唇に重ねた。

 湯が波打ち、二人の身体からだを大きくらした。


「ねえ、外が騒がしくない?」

 直之の胸から顔をあげて、彩が言った。

 エンジン音が聞こえる。

 二人は窓の水滴を拭い、外の様子をうかがった。

 ホテルの屋外灯おくがいとうが、雪上車せつじょうしゃに乗ろうとしている数人を照らしていた。ロビーにいた男女と、ホテルのオーナー夫妻もいる。

「今夜辺りかもしれない」

 直之は、ひげの男の言葉を思い出した。

「火の祭りだ」

 直之はび起きて、部屋を暗くしたまま服を着始めた。彩も直之にならった。

 二人が非常口を開けて外に出た頃には、すでに雪上車は闇の中へと消えていた。


「雪が降ってきたらホテルに戻ろう」

 二人は、雪上車のわだちの上を、一時間近く歩いていた。

「何故、火の祭にそんなにこだわるの?」

「僕らのいって、不思議だったと思わないか?」

 彩に似た彫像をつくったことも、それがもとで彩と知り合ったことも、偶然という言葉では説明しきれない。遠い昔に工夫くふうされた仕組しくみのようなものが、たしかにある。巡り逢うべき人々が、或る時、或る場所で、確実に巡り逢う。そんな仕組みだ。火の祭は、その仕組みのひとつなのではないか。

「灯りが見えるわ」

 彩がつぶやくように言った。


 雪原に灯された幾つかの篝火かがりびが、五十人ほどの人の群を囲んでいた。雪上車のわだちは、群から少し離れた森に続いている。

 かすかに聞こえていた話声が、急に途絶とだえた。祭が始まろうとしている。二人は急いだ。

 篝火かがりびが一つ消えた。同時に、一人がうたい始めた。歌詞は日本語ではない。

「間に合ったみたいね」

 二人は太い杉の木の陰に隠れた。

 篝火が次々と消えてゆく。その間に人々は輪をつくり、井桁いげたに組まれたたきぎを囲んだ。

 やがてかがりが全て消え一帯を闇が支配した。独唱どくしょうは続いている。そのうた声だけが、闇の支配にこうするように虚空こくうに響いた。

 突然、炎があがった。

 人々の姿が照らし出された。皆、鮮やかないろどりの布をまとっている。独唱が終わると、祭のおもむきは一気に、陰から陽に転じた。

 人々は、左右の肩を交互に前後させながらからだ小刻こきざみみに揺らし、うたい始めた。

「あの歌、私にも歌えるような気がする」

 彩のからだは、歌声に同調して揺らいだ。

 炎がさかるに従って、人々の表情が似通にかよってきた。ホテルのオーナーも髯の男も、皆同じかおに見える。

 雪が降り始めた。

 人々が揺らぎながら宙に浮いた。

 女は皆、彩の貌になった。

 男は皆、直之の貌になった。

 雪の一粒一粒が火の色を映し、同じ色を映した地の底に沈んで行った。

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