六、国際電話

何処どこから電話していると思います?」

 長内和明おさないかずあきは、ロシア南西部の地名を言った。

「パリで杉さんの作品が見つかりましてね。最近かれたものです。とうとう、彼の居所いどころをつきとめました」

 世界的な情報網をもつ長内にとって、絵の出所でどころ辿たどるのは雑作ぞうさのないことだった。

「杉さんは、この町で家具の工場を経営しています」

「会ったのか」

「いえ、行違ゆきちがいでした。夫婦で旅に出ているそうです」

「夫婦?」

「ええ、杉さんは十九年前に結婚していますよ。相手はナリサさんといって、『まつりび』のモデルとそっくりの女性です」

 夫妻の写真を見せてもらったという。

「自分の絵のモデルと結婚したってわけか」

「いえ、違います。杉夫人が日本へ行ったことは一度もありません。彼女が留学先のパリで杉さんと知り合ったのは、二十年前です。杉さん、パリで自分が描いた人物と瓜二うりふたつの女性に出会でくわして、吃驚びっくりしたでしょうね」

 家具職人でもあった杉靖夫と、インテリアデザインを学ぶナリサはたちまち恋仲になった。

「留学を終えて帰国するナリサさんを追いかけて、杉さんはこの国に来たんですよ」

ちか……杉さんらしい」

「そうです。深いわけは無かったんです」

「深いわけ?」

 長内はしばらく黙った。

「僕が心配していたのは、画家としての杉靖夫です。杉さんは、パリでほとんど絵を描いていません。僕は杉さんの失踪しっそうが画家として悩んだのことだと思っていました」

 長内は、パリの杉から手紙をもらっていた。

「杉さんは渡仏する前に、僕の画を観ています。パリからの手紙には、僕の画が頭から離れないと書いてありました」

 杉は、長内の画に自分の画には全く無いものを発見し、それに憧れた。長内の感性かんせい画法がほうを身につけようと、苦しんだに違いない。

「杉さんがあんたの画を描こうとしたら、五十年はかかる。あんたが杉さんの画を描こうとしても同じだ」

「馬鹿なことを考えないで、どうか自分の画を描いて下さい、と返事を出したんですが」

 杉は失踪しっそうし、音信おんしん不通ふつうとなった。

「あんたが絵をやめた理由も、同じか」

 再び、短い沈黙があった。

「親爺さんには話しておくべきでしたね」

 ゆっくりと息を吸う音が、聞こえた。

「洛堂展の落選は、正直言ってショックでした。自分の作品は完璧だと、内心自惚うぬぼれれていましたからね。どんな画に僕は負けたんだろうと思って、洛堂へ出かけたんです」

 杉の作品を一点づつにらむように観ていた長内の姿を、良介は憶えている。

「自分のアトリエに戻って、絵筆を握るんですが、そいつが、どうしても動かない。頭の中は杉さんの画で一杯でした」

 嫉妬でも自信喪失でもなかった、と長内は言った。

「欲しい、と思ったんです。僕は杉靖夫の描いた絵を全て手に入れたいと思った」

 長内は、父親の会社を継ぐことにした。

「杉靖夫の作品を買うためにね。絵を描く時間さえ惜しんで、金儲けの勉強をしました」

 長内は経営の天才でもあった。小さな貿易会社は、彼が継いだ途端とたん、見る見る業績を伸ばし、名立なだたる大商社になった。

「僕が副業で興信所を始めたのは……」

「杉靖夫と彼の作品を捜すためか」

「そうです。杉さんの過去の作品は、親爺さんが預かっているデッサン以外、全て僕が所有しています。杉靖夫の作品を買い占めていた匿名とくめい蒐集家しゅうしゅうかは、僕だったんですよ」

 良介は、溜息をついた。芸術の鑑賞者が優れた芸術家になることもある。その逆があっても不思議はない。

「この土地に来て、驚いたことがあるんです。二十年前の杉さんも、吃驚びっくりしたはずです」

 不味まずい雰囲気を壊すように、杉は陽気な口調で話題をかえた。

「この地方の女性は皆、杉夫人と同じ顔をしているんです。それだけじゃありません。パリで杉さんにったナリサさんも驚いたと思いますが、この土地の男性は……」

「皆、杉さんに似ている」

「そうです。それから、『まつりび』のモデルの林彩ですが、何と、彼女の祖母は、この地方の出身でした。ただ、林彩の血縁者と杉さんやナリサさんとの接点は、全くありません。杉さんが描いたのは、多分、架空かくうの女性でしょう。あれだけ捜しても見つけ出せなかった。モデル無しで人物を描くと、どこか自分に似た顔になる。ダ・ビンチのモナリザですよ」

 モナリザのモデルはダ・ビンチ自身だという説がある。茶目ちゃめっ気にあふれた彼の悪戯いたずらだろうといわれているが、本当にそうだろうか。ダ・ビンチは、頭に浮かんだ女性の姿を、画布がふに写し描いただけなのではないか。結果、彼自身全く気がつかぬまま、自分の顔をベースにしたモナリザが描かれた。杉靖夫によって架空の女性が描かれたように。

「杉さんに絵のモチーフを与えたのは、彼の遺伝子が遠い先祖から受け継いだ記憶だったんじゃないでしょうか」

 長内は、そうつけ加えた。

「これから、どうするんだ」

一旦いったん、帰国して、出直でなおして来るつもりです」

「帰ってきたら、直さんに紹介するよ。あんた、未だ本木直之と会っていないだろう」

 吃驚するかもしれないぞ…と良介は言った。

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