五、山麓ホテル

ちょうって知ってるでしょ。あんなお祭りよ。ちいさいころ兄と観たのを憶い出したわ」

「まつりび」のレプリカを渡した後、直之は彩と一度も会っていない。会う理由を思いつかないまま、一週間が過ぎている。

 彫刻の題名を言い当てた理由をこうとカノンのママに電話をしたのは、彩との接触を期待してのことだった。

「秘密のお祭りよ。何時いつどんな人たちが開くお祭りなのか、誰も知らないらしいの」

 彩については一言も無く、直之は落胆らくたんしたが、火の祭の話には興味をそそられた。

「まだるかしら、『さんろくホテル』って洋館に泊まったの。そこから歩いて一時間くらいの所で、偶然見たのよ。木の陰に隠れてね」


 山麓ホテルは健在けんざいだった。部屋数は二十に満たないが、欧風の外観をもつ瀟洒しょうしゃなホテルだ。彩が育った町からバスで一時間ほど行った雪原に、ぽつりと建っていた。

 地図上では登山口とざんぐちから大分だいぶ離れているが、連峰れんぽうが迫って見えるため、ホテルには確かに「山のふもと」の雰囲気がある。山麓の風景と温泉以外、観光資源はほとんどない。街の喧噪けんそうから逃れ静寂を求める常連じょうれんが別荘がわりに使っているホテルといったところだろう。

 直之が着いた頃には、日は暮れかけていた。

 冬休み明けのせいか、ホテルを訪れる客は少ないようだった。

 タイヤにチェーンを巻いたクーペが一台だけ、駐車場に停まっていた。

 ロビーのソファーに、一組の男女が座っていた。ほおひげたくわえた中年の男は、玄関に入った直之をしばら凝視ぎょうししていたが、目が合うと軽く頭を下げた。女は、直之に背を向け雑誌に目を落としていた。鮮やかな色柄の布を、頭に巻いている。

私供わたくしどもも、確かなことは存じておりません」

 隠れ里かくれざとの小さな祭らしい。主催者も開催の日時も不明で、「幻のまつり」といわれている。調べてみたが、口碑こうひさえ得られなかった……チェックインの際、火の祭りについてたずねた直之に、ホテルのオーナーはそう説明した。

 直之は二階東側の和室に案内された。窓のカーテンが開いている。

 窓硝子の結露けつろが風景の輪郭を曖昧あいまいにしていて、夜間近まぢかの空はすで輝度きどを失っていたが、そびえ立つ雲山うんざんの影は薄れることなく室内の空気をもあっしている。

 窓の外に人里ひとざとは見えず、「幻のまつり」についての情報収集は困難に思われた。

「温泉に入って来るだけでもいいじゃない」

 直之は、カノンのママの言葉を憶い出した。

 露天ろてん岩風呂いわぶろは、天然の湧湯わきゆに岩をはいした造りだった。六坪程の湯槽ゆぶねの中心に半身高はんしんだかの岩を並べ、男湯と女湯を仕切っている。

 一帯いったいまった湯気ゆげが、ホテル側壁そくへきからの照明を拡散していた。

「このホテルに泊まっているのは我々だけのようですね」

 男が、湯に浸かったまま近づいてきた。

「さっき、フロントで火祭のことをいていらしてたでしょう」

 ひげが顔のほとんどを隠しているのでさだかではないが、男の年齢は四十代半ばだろう。

「あの祭りについて、何かご存じなんですか?」

「ええ、観たことがあるんです。この近くでね」

 男は、視点を細かく動かして直之の顔を見ていた。この人は画家か彫刻家かもしれない。直之はそう思った。

「千年以上前から続いている帰化人きかじんの祭です。ただ、他の火祭りと、大して変わりませんよ」

 火祭は、世界中何処どこにでもある。祭の目的も形式もほとんど同じだ。祭歌さいか律動りつどう旋律せんりつも踊りの所作しょさも、みな似通にかよっている。どんな民族がいても火の燃え方は同じだからだろう、と男は言った。

る民族の火祭りを特徴づけるものがあるとすれば、その民族の遺伝的な特性だけでしょう。例えば、参加者達の顔立ちです」

 共にうたい踊る人々が火にさらされると、皆同じかおになる。炎が個性を透かして民族のかおあらわわにするのだ。

「その土地で造られた仏像や聖像せいぞうを見るとわかりますよ。それが民族のかおです。身近にある仏像や聖像を何体かご覧なさい。自分にそっくりの貌が見つかるはずです」

「幻の火祭の人々は、どんな顔ですか?」

 男は、幾つかの菩薩像ぼさつぞうを挙げた。それらは皆、西域せいいき渡来とらいの様式で造られた仏像だった。

「幻の火祭が開かれるのは、真夜中です」

 今夜辺りかもしれない、と言い残して男は湯槽ゆぶねを出た。

 直之は、自分の彫刻にまつわる幾つかの謎が解けたような気がした。

 自分は様々なかたちに接してきた。それらの象の幾つかが、火の祭や彩の造形的要素を含んでいたとすれば、「まつりび」の形象が頭の中に突然生じたとしても不思議はない。

「彫刻家さん」

 直之は、顔を上げた。

「驚くことはないわ。私の裸は見慣れているでしょ?」

 風が湯気をさらうと彩の裸身は一瞬揺らいだ。

 彩の姿に、渡来とらい菩薩ぼさつおもかげが重なった。

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