二、カノン

 無数の枯葉が路面に幾分いくぶん規則的な模様を描いている。休日早朝の街は静寂を保ち、風も人の足も未だその図柄ずがらを乱していない。

 冷気をゆっくりと分けながら、黄色いクーペが一台、車道を抜けて行った。

「バスを降りたら北に向かって歩いて下さい。休日の朝なら、きっと逢えます」

 会う約束をする際、彼女が教えてくれたのは、バス停の名だけだった。

「彫刻家さん」

 振向くと、寸前すんぜん通り過ぎた喫茶店の入口に彼女が立っていた。「カノン」と浮彫りされた木製の看板が店のドアに掛けられていた。

「いらっしゃい」

 カウンターの内側で、店主らしき女性が穏やかな笑みを見せた。すでにカップが二つ用意され、モカマタリを香らせている。

「ママ、窓際のテーブルを借りるわね」

 直之は、二人の顔を見比べた。

「店のママという意味よ。私が母親なら、このは十五の時に産んだ子供になっちゃうわ」

 彼女は湯気をきながら、カップを窓際の席へと運んだ。

 直之は包みを開くと、箱から石膏像を取り出し、テーブルの上に立てた。

「ほんと、うり二つね」

 ママは女像を見つめ、溜息をもらした。

「本当に、あやちゃんがモデルじゃないの?」

 直之は、彼女の名を初めて知った。

「私、はやしあやです。大学生です」

 自分の名も知らせず人を招いた女学生と、大切な作品を抱えて名も知らぬ者を訪ねて来た若い彫刻家を、ママはあきれ顔で見た。

「アヤは、いろどりの彩。彫刻のモデルには相応ふさわしくない名前でしょ?」

「でも、私は、この彫刻に色彩を感じるわ」

 女像に顔を近づけて、カノンのママが言った。

「どんな色ですか?」

「炎の色ね。彩ちゃんに似たこの女の子は、火祭りの焚火たきびを見ているんじゃないかしら」

 直之と彩は、驚きの目をママに向けた。

「ママ、作品の題名、未だ知らないわよね?」

 二人は、うなずくママを不思議そうに見詰みつめた。


 直之が「まつりび」という題名を思いついたのは、彫刻の雛形マケットを完成させた時だ。

 初めに漠然ばくぜんとした心象があって、それを形象化していくという一般的な創作過程を、この彫刻は辿たどらなかった。直之の頭に浮かんだ時点で、既に形象けいしょうは細部の寸法を数字でしるすことが可能なほどに完成していた。この形象が外界がいかいでの姿を持つまで、一週間とかかっていない。

 女像はあやしい動勢ムーブマンをもっていた。

 この像を見ると、先ず目眩めまいのようなわずかな揺れを感じる。揺れは徐々に大きくなり、やがて彫刻を宙に浮かす。

 女像は目の前の何かを見ている。それは細かく揺れながら上昇する現象だ。彼女はその勢いにかれ、地を離れようとして安定を失なう。彼女が見ている現象はだろうと直之は推理した。女像は、焦天しょうてん焚火ふんかたしかに対峙たいじしている。ただ、彼女は独りではない。炎を囲む多くの人々が彼女とともにいる。人々は歌っている。人々は踊っている。

 この彫刻をみた者すべてが、「炎」を感じると言った。だが、タイトルを聞かぬうちに「まつり」まで言い当てた者はいない。女像自体はスタティックで、一見いっけん、踊っている様にも唱っている様にも見えない。自分自身が「祭」を直感したことさえ、直之には意外だった。カノンのママが何故「祭」を感じたのか、直之は興味をもった。

「ねえ彫刻家さん、この彫刻、私に頂戴ちょうだい?」

 カノンのママに話しかけようとした直之を彩がさえぎった。

 うつしなら、と直之は応えた。

「彩ちゃん、あなたタダでいただくつもり?」

 彩が当然のようにうなずくと、カノンのママは再びあきれ顔になった。

「それじゃ、私が買わせていただくわ。店に飾っておきたいから」

「駄目よ、ママ。私の裸、店のお客さん達に見せるつもり?」

「だってモデルは、あなたじゃないんでしょ?」

「でも、みんな私がモデルだと思うわ。それに、私、どうしてもこの彫刻、家に置いておきたいの」

 毎日見ていたい、鏡のように……と、彩は女像に顔を寄せた。

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