第28話 神と少女は余白にて

 憎い。


 自分を拒絶し迫害するやつが憎い。

 家族に危害を加えるやつが憎い。

 何も出来ないのに大口を叩くやつが憎い。

 一度の改心では何も変わらず罪を重ねるやつが憎い。

 憎い憎いと思うだけで何も出来ない自分が憎い。


「"反転"が解けてさ、そいつ幼稚園の送迎バス襲ったらしいよ」

「うっわ最悪……」

「大権赦官っても99位だし、半端な仕事されてもって感じだよね~」

「あいつのせいで何人の犯罪者が野放しなわけ?マジ吐き気すんだけど」


 違う。


 何もなく解除されたわけじゃない。決して私のせいじゃない。

 何かがあったはずだ、元の残忍で自分本位な性格に戻されるような何かが。

 どうしようもなく悍ましいヒトの悪意に触れたはずだ。他に何の事件も起きていないのが不可解だけど、絶対にそうとしか考えられない。結局は人間の悪意によってしか悪意は生まれない。

 私以外の原因が、必ずあったはずなのに。

 それなのに。


 気付けば周りに人は居なくて、疲れた家族は心が壊れて皆病んで。

 どこを見ても敵しか居なくて、思考はどこまでも自分の擁護ばかりで。

 世界に自分の居場所はなくて、それでも怒りのままに振舞う勇気はなくて。


 だったらいっそ、世界なんて壊れてしまえばいい。そう考える私の心はどこまでも――。


 醜い。



     *



「……嫌な夢」


 目を覚ました少女、天道みさおは吐き捨てるように呟くとベッドから起き上がる。

 カーテンの隙間から零れる日差しは強く、既に時刻は正午に近い。


 世界のどこともつかない余白に建つその屋敷だが、さりとて特異な点はそう見られない。豊かな自然に周囲を囲まれ、川のせせらぎと鳥の声が穏やかな時間を創り出す。朝になれば陽が昇り、夜になれば月と星が空を彩る。虫も獣も共に暮らすが、ただヒトが居ないのだ。


 ヒトの中からは、或いは異界とも呼ばれるその空間。

 そんな場所に屋敷を構える者が居るとすれば当然、本来の住人であるしかいないだろう。


「起きたか、我が伴侶よ」


 適当に身なりを整え、屋敷の広間へとやってきた操の耳に若く、しかし荘厳な男の声が届く。


「……その呼び方はやめて」

「そう照れずともよい。なに、伴侶という言葉には"配偶者"という意味の他に"人生を共に連れ立つ者"という意味もあるそうではないか。まあ、オレ様はどちらでもよいがな」

「そう。私はどちらも嫌だけど」


 尊大な物言いの男は、己の銀の髪をかき上げながら紅玉の瞳で少女をじっと見つめる。神の視線を受けてなお、少女からは全く動揺が伝わらない。

 それがまた男を、否。神を饒舌にさせる。


「全く、もう少し楽しそうにしたらどうだ?折角このオレ様が――この世界最初にして最後、唯一の神であるオレ様が対等な立場で付き合ってやると言っているのだ」

「……ダウラ、私あまり会話は好きじゃないの。貴方も私も、ただお互いのチカラが"今"必要なだけ。貴方は"その後"が本命なんでしょうけど、私はそこに興味はない。救世主が来たのでしょう?私に構ってないでそっちに集中して」


 17歳とは思えない迫力を孕む凛とした操の声に、しかしダウラと呼ばれた神はそれを一笑に付して愉快そうに口を開く。


「問題はない、どうせ全ては無駄なのだからな。今は例のシスターと『神の炎ウリエル』の残滓をぶつけているが……ふむ。存外、オレ様が外に出るまでの時間稼ぎには充分かもしれんな」


 神の炎ウリエル――、地獄の長官を務め地を支配する最も偉大な天使の一人。しかしこの世界にそんな歴史は存在しない。管理者ディアマントはその業務と責務を怠った。


 このディアマント世界において、歴史――或いは信仰、或いは意義とも――を持つ神性ないしそれに類する者はダウラただ一人である。他の者などハナから世界に存在していない。

 そもそも、管理者ごとに異なる歴史を持つはずの世界でありながら"本来であれば"などと付く方がおかしいのだが。


「無能極まる管理者を完全に排除し、この手で楽園を創る。勿論そこには操、我が伴侶たるお前の席も在るぞ?興味はなくとも期待はしておけ。をな」



     *



 時刻は13時。

 優護とレオノが血塗れの修道女と遭遇し、泥人形との戦闘を開始してから既に3時間が経とうとしていた。


 1つ1つの脅威は彼らにとって大したものではないが、厄介なのはその数である。砕き、打ち消し、圧し折り、裂き、穿ち、飛散させても終わりが見えない。


 それでもこの3時間、何の収穫もないわけではなかった。

 まず第一に修道女についてである。


「わ、私はナタリー・スクレと申します。未熟ながら、第44位の"秘密"を賜りました」


 秘密の大権赦官。

 いまいちピンとこなかった優護に、ナタリーが説明を加える。


 曰く、先刻優護が陥った前後不覚は彼に対して『世界を秘密にした』結果であり、対象の認識に異常を来たすのが特性であるとか。


 そんなことをしてしまったのは決して自らの意思ではなく、とある少女と接触して以降大権が自らの意思で操ることが出来なくなってしまったからであるとも、今にも泣きだしそうな声で彼女は付け加えた。


「彼女の話は信じて問題ないかと。能力の暴走は謎ですが、確かに彼女に触れて"反転"を打ち消しましたから」

「ああ、わかってるさ。……必死な声もからな」


 泥人形を捌きながら補足を入れるレオノに、同じく泥人形を砕きながら優護が応える。


 そして第二は、彼女が守りたいものについてである。

 無関係の優護らには逃げて欲しいと思いながら、しかし確かに彼女が助けて欲しいと考える"あの子たち"。優護の心式の説明を聞き、驚きと恥ずかしさが半分と、それ以上に安堵を込めてナタリーはそれを声にした。


「私の所属する教会は、孤児院も併設しているんです。えっと、反転……でしたか?昨日のその直後はとても……とても言葉には出来ないような恐ろしい衝動に駆られたのですが、あの子たちの顔を見た途端にそれも収まって……。この非常時です、また自分のせいで何かあってはいけないとひとまず"教会を外部の者から秘密"にして飛び出して来たのですがその後の記憶が無く――」

「気付けばこの広場に縛り付けられ、善良な人々を誘き出す罠に使われていた、と」

「……はい。5人ほどの、男性の一行が通りかかったのですが……わ、私を助けようとして……皆さんあの泥に――」


 最後まで言い終える前に凄惨な光景がフラッシュバクしたのか、修道女は顔を覆ってしまう。

 彼女は疑いもしていないが、果たしてそれが本当に、純粋に人助けを目的として接近してきた輩であるのかは実のところ定かではない。

 拘束された美しく清廉な女性。ナタリーが餌として利用されたのは、もあってのことである。これもまた彼女の知るところではないが、そのように仕組んだのは神を名乗る者、ダウラであった。


 かの神にとっては"人間"を観る暇つぶしの実験程度だったが、それでも彼女が選ばれたのにはそれなりの理由が存在する。


 反転させられたその直後にも関わらず、ただ一度。

 それも第44位の人間が、自らが守らねばならない幼子の顔を見ただけで反転を8割方解除させたというのは、傲岸不遜を絵にかいたようなダウラを以てしても興味を引く結果であったようだ。


 レオノと優護は"希望"による消去以外での"反転"の解除方法を知らないが故に気付けなかったが、もしもここに居たのが桜子サイドの人間であれば絶句していたのは想像に難くない。

 ヴァネッサと愛帆で解除後の反応に差があったように、大権赦官の位階とはそのまま彼女らの持つ希望の強さ、ポジティブさの指標だ。例え絶望へと反転させられようと、時間経過によって再び希望へと塗り潰される。

 第3位の愛帆が3日かけて薄々正気に戻りかけていたが、それと比較をするとナタリー・スクレの異常性がより明確になるだろう。愛帆は死への恐怖という大きなショック、ヴァネッサは故郷と大切な人たちへの想いという自らが大権を振るう理由など、それぞれにクリティカルなネタをぶつけた結果の反転解除であったが彼女はただ一目子どもの顔を見ただけでそれを成した。


 それが意味するところはただ一つ。

 ナタリー・スクレにとって「普段と様子の違う自分を怯えた目で見つめる子どもの顔」というのは、彼女の根幹を揺るがすだけのショックを与えるものであり、彼女の人性と愛情の証明に他ならなかった。


 そんな彼女であれば、果たして自身の解放と見知らぬ他者の命とどちらを優先させるのか?それと、あからさまな罠である状況で救世主とやらはどう動くのか?

 本当に純粋に、興味が沸いただけの神の暇つぶし。


 そこに想定外が一つだけあったとすれば、それはこの暇つぶしが彼らへのチェックメイトになろうとしている点であろう。


 何せ近接しか取り柄のない2人だ。

 神の炎ウリエルは個々の脅威が低いとは言え、その数は無限に等しい。倒す傍から湧き上がる為、打倒には地中深く埋められた核を破壊するほかない。優護とレオノは薄々そのことに気付き始めているも、しかし如何せん範囲攻撃の手段を持たない2人だ。地中深くまで点で穿つことは可能でも、面で削り取るには時間をかけざるを得ない。

 そしてそんな悠長なことは泥人形が許さず、結果2人にこの神の炎ウリエルを突破することは叶わない。……であれば、この2人以外なら良いのだ。


 訂正しよう、神の想定外はもう一つあった。

 正真正銘の想定外がやって来る。


 バキリ、と。

 唐突に、前触れなく中空に亀裂が走った。


 次の瞬間には黒いローブを身にまとった銀髪ツインテールの少女が空から水を纏い降りてくる。そして彼女は高らかに――


「我が名はフィエリ・リール!王国術師団が副団長として、五条優護への恩義によって参上したわ!」

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