第24話 黒瞳は希望に輝く
優護とレオノが海岸を離れてから3時間。
時刻は0時をまわり、日付は7月29日へと切り替わる。
「私は構いませんが、本当に優護も寝ずに進むつもりですか?」
「ああ。この調子ならきっと明後日……っと、もう明日か。それくらいには姉ちゃんの居る上代邸に着くはずなんだけど、道中何があるかわからないからな」
夜通し移動を続けるつもりの優護に対し、心配性の気があるのかレオノは私がおんぶして走りますが、と言わんばかりである。
優護としても徹夜によるパフォーマンスの低下は十分把握しているつもりであるので、昼間に幾らか休憩を取るつもりではいるのだが、それならばそもそもとして夜間に休憩を取れば済む話である。彼が夜間の移動を強く希望するのは――
「それに、
「……えっ?ああ、はい。そうですね、夜間の危険度は昼間に比べて――あぁ、なるほど」
納得がいったという様子で青年が頷く。
簡単な話である。
優護やレオノの進路上、あるいは感知できる範囲で反転した大権赦官が暴れたとしたら、まず間違いなく彼らはそれを止める為に寄り道をする。その場合、昼間と夜間のどちらの場面をより多く選択するかという問題が発生する。
昼間であれば視力が機能する。足場の悪い廃墟の街だって駆けられるだろう。
夜間であると本来無事に逃げられたはずの場面で不要なリスクを負う。突き出た鉄筋が命取りだ。
反転した赦官は災害のようなもの。
であれば、昼と夜で被災時に被害が少ないのは?当然昼である。
確率の話、小さな数字の話だ。夜中に襲われた方が酷いことになるから、休憩を取るにしても昼間にする。そもそも都合よくそんな場面に遭遇するかなどもっとわからないが、それでもそう選択しない手はない。
その事に納得したレオノが視線を優護から外し前へと向けたところで、視界にチラリと写り込んだ違和に気付く。人工の光が絶え、空を埋め尽くすはずの夜の星々が、その光が一部不自然に掻き消えているのだ。雲ではない。もっと近くて黒い――
「――
「ええ、煙もあがっているようです」
青年が答えに至ると同時、少年も声を捉える。
打ち合わせも確認も要らない。
次の瞬間には、およそ人間では考えられない程の速度で2人は駆け出していた。
*
黒煙立ち上る瓦礫の山は、数分前まで街であったものだ。
並ぶ影は2つ。
影の主である女性たちはそれぞれに強力な大権赦官であり、街を見付けては破壊し、嗤い、足蹴にして愉悦する。
「あーあー、随分張り切ってるじゃないインズのやつ。ここももう人は居ないんじゃないの?」
「うーん、どうもそうっぽいですね。しかももう隣の街まで進んでるみたいですし、ほんと壊れ過ぎというか……」
反転してから約1週間。
10を超える街を蹂躙してきた3人であったが、インズと呼ばれる"影"を司る女性の狂いようは突出していた。襲撃した街において命を奪うという行為は誰にも譲らず、1人の例外もなくその影に沈めているのだ。
結果として命を奪う事にはなるが、基本的には痛めつけ、苦しめることが出来ればそれで満足な2人と異なりインズは"トドメ"にこだわる。2人――クレアソンと
その"命を奪う"ことに固執する様は次第に強烈なものとなり、ここ数日は何かに取り憑かれたかのようですらあった。
「一昨日から姿を見ないと思えば、予想通り先行して潰しまわってるしさぁ」
「反転にしても異常というか……ま、とにかくあとを追いましょう」
呆れたように呟いた2人が街だった場所を跡にする。
それと丁度入れ替わるようにして少年と青年が街へと足を踏み入れた。
「……ここまでやりますか」
無人の荒野にそびえる瓦礫の山を前に、レオノが思わずそうこぼす。
が、しかし優護はそれすら目に入らない様子で倒壊した家屋へと近づくと、2本の腕で大質量をかき分け始める。
「待ってろ今必ず……!」
そう、この荒野は無人ではないのだ。
声はまだ彼に聞こえている。
そうして数秒。
地下室へ続くと思しき鉄の扉が現れると、次の瞬間にはバギリと歪な音を立てて開け放たれた。
「ひぃっ、あっ、ああぁ……お願いしますお願いします、ど、どうか見逃して――」
怯えた声が暗がりの奥から響く。
無理もない。襲撃者である赦官たちに見つかってしまったと考えるだろう。
一つの街があった場所で、優護とレオノが見つけたのは土埃と擦り傷に塗れたたった一組の母娘だけであった。
*
「そうですか、ありがとう……貴女のおかげで相手の特定ができました。思い出し、話してくださったその勇気に敬意を」
地下室に隠れていた母娘の母親から襲撃者の情報を得たレオノが礼を述べ、立ち上がると地上で念のための見張りをしている少年へと近づき知り得た内容を自身の持つ知識と併せて伝える。
「街と人を襲ったのはまず間違いなく54位の"影"を司るイェ・インズでしょう。それから彼女は"あの子たちが来る前に早く影に呑まれてくれ"と、そう叫んでいたようです」
そこで一度言葉を区切ると、青年は人差し指を立て声のトーンを少し下げる。
「ここからは予測になってしまいますが、"あの子たち"というのは恐らく13位"創造"のクレアソンと32位"魔女"の
「……そっか、ありがとう。そいつらが次に向かう場所もわかったりするのか?」
「はい。最も近いところでここから西に10キロも行けばもう一つ、ここと同じくらいの規模の街があるそうです。恐らくはそこへ」
少年は頷くと、立ち上がりレオノへと背を向け今にも走り出そうと腰を落とす。
が、青年はそれに待ったをかけると地下室の奥へと声を投げる。
「すみません、その隣町には何か目立つ建物はありますか?」
「ええ、こっちから行くと街に入ってすぐに庁舎が……」
「ありがとうございます……優護、落ち合う場所はそこです。私が彼女たちを抱えていきますから先行して安全の確保をお願いします。そうですね、彼女たちに負担を掛けない事を考えると8分ほどはかかるかと……」
「ああ、ありがとう。ちょっと冷静じゃなかったな、助かった」
携帯電話が利用できない世界である。
飛び出す前に慎重に。飛び出したなら最速で。
身体強化を全身に施すと、隣町へ向け少年は駆ける。
*
3分足らずで市役所と思しき庁舎を見つけると、優護はレオノと母娘の到着を待ち即座に街の中心部目がけて走りだす。声が聞こえ、そして消えていく方角へと。
触れるだけで反転を解除することが可能なレオノを残してきたのは万が一の保険だ。
相手は3人、もしも1人を相手している隙に庁舎を襲われては堪らないのがまず1つ。それから驚くべきことにレオノが傷病者の治療を行えるため、助けた住民の避難先にいて欲しいというのがもう1つ。
「傷や病を"絶望"と判定し、それを否定する。その結果として治療することは可能です。対象に直接触れなければいけないので、影に呑まれてしまっては敵いませんがただの致命傷であるのなら必ず救いましょう」
庁舎へと到着した母娘から一切の傷が消えているのを見た優護が、割と本気で驚きながらレオノに尋ねた結果がこの返答である。
青年は更にこう付け加える。
「以前にも言いましたが、私の
「でもそれじゃあ緊急時に――」
「と、貴方ならそう言うと思って妥協案は考えていますとも。それなら使用した場合は最低でも1分間のインターバルを設けるというのはどうでしょう?それなら私だって十二分に備えることが簡単です。ね?」
「いや、でも――」
「私の力が誰かを救う役に立つのなら、こんなに嬉しいことはありません。お願いします、是非」
と、反論を許さず半ば強制的に"希望"の使用権をレオノは少年へと認めさせた。
本来頼む立場にあるのはどう考えても優護であるところへ、使われることが嬉しいとお願いされてしまってはこれ以上何も言えるはずもない。
敵からの攻撃を打ち消す、洗脳を解除する、傷病者を癒す。
しかも絶望の否定と言うのであれば、災害のように人の領域を超えた力にも対処出来るという可能性すらあるだろう。少年は改めて第一位の凄まじさを認識させられる。
そのうえ使用者は素の身体能力が救世主状態で大幅に強化された優護に引けを取らず、内面も慈愛に満ちた人格者と来た日には、もはやレオノは完璧超人なのではないかという疑惑さえ少年の中に生まれる。
まあ、そもそもがそのように設計された人造人間ではあるのだが。
「……っと、大丈夫か!逃げるならあっちの市役所の方へ行ってくれ、第一位の男がそこを守っている。なに、襲ってきたやつらみたいにおかしくなっちゃいないとも」
「ホ、ホントか!?第一位って言ったらアレだろ?"希望"を司るって……」
「そ。その腕とひざは転んだ時のか?それも全部治してくれる。もう少し頑張って逃げてくれ」
優護の向かう先から走ってきた中年の男に声をかけ誘導する。第一位と、大権赦官を連想した時こそ一瞬怯えたような表情を見せたものの、優護が付け加えた一言と他にあてにするものも無い状況から男は少年の提案を受け入れたようであった。まだ新しい傷は、暗い中を走っていて出来たものだろう。
「それはわかったが……君はどうするつもりなんだ?そうやって避難先を教えてまわってるのか?」
「俺はいま暴れまわってる奴らを止めに。なに、赦官じゃないが大丈夫。俺に任せてくれ」
心配そうな声で尋ねてくる男の、その人の良さがわかると優護もつい笑顔を見せて答える。
赦官ではないと、笑顔で告げて走り去る少年の背に向けて声をかけようとしたが、呆気にとられ脳内整理の追いつかない男の口から言葉は出なかった。
街に出てからこれで誘導できたのは12人。
皆が皆、市役所の方へと逃げるわけでもない為に一刻も早く彼女らを止めたいということに変わりはない。声を頼りに駆ける、駆ける。
と、不意に視界が開けた。
真っ黒なスケートリンクという感じだろうか。夜を張り付けたような地面が広がり、その上には一切の人も物も存在しない。
否。一人だけ在る。
大きさからして恐らくは人なのだろうが、色も見た目も影に包まれ認識することは出来ない。黒ではないのだ。色彩のどれともつかない奥行きのある闇は、不気味にスケートリンクの真ん中に佇んでいる。
人影も少年に気付いているようであったが、自ら踏み出そうとしている彼にはさして興味もないのか特段の反応を示さない。
まず間違いなく"影"を司るという大権赦官であろう。そう判断した優護は恐る恐る影へと足を下ろす。
話の通りならばあの影は水面のようになっていて対象を呑み込むとかなんとか。
「助けに来ておいてやられましたじゃ笑えねぇ、走れなければ泳いででも……あれ?」
「――――!!!!!!?!??」
足を着けるが、一向に沈む気配はない。
それどころか平らなおかげで綺麗に舗装された地面も同様である。
「なんかわからんが、これならっ!」
沈まないことを確信して少年が駆けだすと同時、人影も明らかに動揺し彼へと意識を集中させたのが気配で伝わる。
しかしもう遅い。優護は辿り着いた。
人影のもとへ、ではない。
先ほどからガンガンと頭の中に響いていた声の主のもとへ、である。
そこはスケートリンクの端、闇の水面から突き出された二本の腕には幼い男の子が掲げられている。
――助けて。誰か、この子だけでも……!誰かっ、お願い!
その腕ごと力強く掴み、引き揚げる。
「聞こえたぜアンタの声。ああ、全部俺に任せてくれ!」
2人まとめて抱え上げると人影には目もくれず、もと来た道を引き返す。
数秒で200メートルほどを駆けると、そこで市役所のことを親子に伝えて再び黒い水面へ向けて走り出す。
別れ際、戻るという彼に母親が向けた心配そうな表情を思い出す。
さっきまで命の危機に瀕していたというのに、もう他人のことを心配していた優しい人。
もっと思い返すのならば、ここまで触れ合ったこの世界の住人はみな、優しく強い人たちであった。
旅客機の乗員乗客も、すれ違った中年の男も、ひとつ前の街で助けた母娘も、レオノやピュール、クスィラといった大権赦官の面々もそうだ。
それに、だ。
当然、これから対峙する3人の赦官だって本来そうであったのだ。レオノの話の通りなら、3人とも災害支援を事件の直前は行っていたらしい。きっと沢山の人に頼られ、多くの笑顔を生み出していたはずだ。
「待ってろ。声は聞こえなくても、必ず救けるからな……!」
*
影を通して2人の仲間――クレアソンと
少年の挑発に乗り真っ先に飛び出していった"創造"を司るクレアソンは、初手から本気のようだ。
"3人同時でいい"と、舐めた態度を取られたのが余程頭に来たらしい。
地面を殴りつけると共に告げた名はアポピス。
太陽神ラーの最大の敵にして、混沌、破壊、夜の闇を象徴とする悪蛇。
その名を以って補強された想像の大蛇が、高層ビルをも超える巨体を地面の中から上昇させる。
少年を完膚なきまでに叩きのめし、食らい尽くし、その後にこの街を更地へと変えるために。
波打ちながら前進していく地面の揺れ具合から少年も攻撃の規模を察したのか、腰を落とすと地面を蹴り思い切り跳躍した――前方へと。
逃げだすのなら理解出来る。諦めて立ち尽くすのも共感できる。
しかしこれはどういう訳だとインズと空華は困惑し、クレアソンは"イかれてしまったのか"と笑い出す。
「舐めんな……っよ!!」
アポピスの頭と拳が衝突した一瞬。
本当に一瞬だけ
あまりの衝撃にクレアソンが一瞬冷静さを欠くと、瞬く間に少年の接近を許し、最後は悪魔のような破壊力を見せつけた拳の寸止めを受け気絶してしまう。
文字通りの瞬殺。1分もかからない。
ものの数秒で3人中1番戦闘に長けたクレアソンが片づけられてしまうと、次に声をあげたのはコスプレ感の強い魔女っ子、
「ボクは千夜空華!大権赦官が32位の"魔女"だとも!!」
大仰に、芝居がかった名乗りに続けて"魔女"は口を開く。
「さぁボクは名乗ったぞ!君こそ誰なんだ?本当に赦官ではないのか!ボクだってバカじゃない。知らないふりを、演技をしているだけで実のところは高位の――いや君が"希望"の1位なんじゃないのか!?」
「悪いが俺は第一位さまなんかじゃない。そもそも大権赦官だなんて大層なモノでもない」
その問答を傍らで聞きながら、ぐんぐんと、どんどんと。
溢れんばかりに彼女の、イェ・インズの
そうして問答の終着点。彼女が確信を得る最後の一手が放たれる。
「俺の名前は五条優護。異世界から来た心式使いで――どこにでもいる普通の高校生だ」
途端。音もなく、前触れもなく、気配すらなく。
千夜空華の姿が消える。影に呑まれて世界から消失する。
「イ、ヒ、ヒヒヒ!!!アハハハハ!!!!!イ、イヒッ、イッヒヒヒヒヒ――」
影に落としたのではない。まるで波のように立体的に起き上がり襲い掛かり呑み込んだのだ。
その犯人たるインズは壊れたように笑い出すと、次第に涙まで流して狂喜する。
少年が片方の眉を吊り上げて困惑しているがお構いなし。
笑い、涙し、笑い、嗚咽し、笑い、笑い、笑って――ようやく落ち着いたのか、こんなことを口にした。
「お、お、おおおお待ちしておりました……い、異世界からの救世主、ど、どどどうかこの世界をお救いくださいっ」
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