第22話 少女の知らない恋心

「ほんにおおきにな、桜子はん」


 深夜の林道に、感謝の言葉がぽつりとこぼれる。

 渦巻く風に乗り、暗闇を航行するのは2人の女性だ。片方は少女と呼んだ方が正確であろう背格好だが、清潔感のあるワンピースからのぞくほっそりとした白い手足やその仕草が、見かけによらない不思議な色香を醸し出している。

 対してもう一人の女性は二十代半ばといったところだろうか。大胆に着崩した花魁衣装は肩まではだけ、隣の少女と比べると余計にギラギラとした魅力を見る者に感じさせる。


「だから気にしないで頂戴……こっちだって狙ってやったわけじゃないのだから、だけよ、たまたま」


 メイドとその主がスポーツスポーツウェアの少女と決着をつけた頃、五条桜子ごじょうさくらことそれに相対した早乙女愛帆さおとめあいほもまた互いに矛を収めていた。その決着はもう一方とは異なる様相を見せ、なかでも次の2点が大きな相違点であった。


 まず第一に、上代響也かみしろきょうやが反転の大権の性質を理解したうえで洗脳状態の解除に臨んだのに対し、桜子は全くの偶然の果てに同じ結果に至ったということだ。

 反転し絶望に染まった彼女らをもう一度ひっくり返してやるには、元の希望溢れる性格に引き戻すような衝撃を与えなければならない。が、しかしその為にはなんと言っても対象についての情報が必要である。


 これを響也はとある事情から事前に大財閥の情報網を駆使しあらゆる大権赦官たいけんしゃかんを調べ尽くすことで対処したが、桜子はといえば―――


「取りあえずビックリさせようとしたらそれで正気に戻るんだもの、こっちがビックリしたわよ」


 そう、特に深く考えず"心臓に触るぞ"というブラフを仕掛けたところ運よく成し遂げてしまったのである。

 当然まるっきしの考えなしというわけでもなく、ブラフを仕掛け相手が動揺した隙に、隠し持っていた鎮静剤を注射してやろうかとその場しのぎの策はあったのだが、結果は望外の好展開であった。

 注射が上手くいくようにと自身の幸運を少し上げていたのも幸いしたのかもしれない。


 桜子の持つ天運操作の心式しんしきは2者の持つ幸運、不運の量を自在に入れ替えるものであるが、抜き取ったその"運"をある程度までならばストックしておくことも可能なのだ。

 そのため、普段から非常時に備えて自身から抜き取った不運と優護から抜き取った幸運を少量ではあるが蓄えているのであった。


 ちなみに幸運を抜き取られた優護へは、当然相応の不幸が降りかかるのだがそれもまた厄介事への遭遇率が上がる=困っている人を助けられる事に繋がるため彼は姉へと二つ返事でOKを出している。

 最も、あの少年にとって人助けは望むところであるので不幸とは姉に心配をかけてしまう事を指しているのだが。


「死んでまうかもぉ思ったら、ふっと視界が開けた感じがしてなぁ……しょうもない話やから詳細は省きますけど、うちのいちはなだって来はる想いは"死にたくない"やったんですわぁ」

「何か強い想いが洗脳解除の鍵になる……まぁあり得ない話ではないわね」


 2つ目の違いは正気を取り戻したあとのリアクションだ。

 3桁ならマシで、4桁でも驚かない程の命をヴァネッサという"武器"の少女と共に嗤いながら奪った記憶が確かにある。それ故に本来希望溢れる少女、ヴァネッサは発狂寸前に陥った。


 が、しかし早乙女愛帆はそうではなかった。

 過ぎた事は過ぎた事。悔やんで命が戻るわけでもなし、ましてや絶望し自らの命を絶つなど言語道断。それは"逃げ"だ。黒幕へと、自分を操り無辜の民を虐殺させた事への落とし前はキッチリとつけなければならない。弱音を吐くだとか、涙を流して気をやったりだとか、そんなものは全部終わってからでいい。


「敢えて細かく聞くようなことはしないけど……大丈夫なのね?精神的な色々は」

「はい、心配あらしまへん。おおきにありがとう」


 桜子の意味深長な問いかけに、柔らかい口調と穏やかな笑顔で答える愛帆。

 彼女は己をどこまでも俯瞰し、冷静である。


 大権赦官の序列は管理者ディアマント本来の力にどれだけ近い出力を誇るかという数字だが、そもそも何を基準に高出力で扱うことを管理者に赦されているのかと問われれば、ひとえにそれはどれだけ希望に満ち溢れた人間であるかというものである。


 78位のヴァネッサ・アルムと3位の早乙女愛帆。

 その数字の差が如実に2人の精神的なタフさの違いをも表していた。


 常人であればまず耐えられない現実に対し、危ういながらも周囲の助けを得て踏みとどまったヴァネッサ。飽くまで自身を人類全体の良き営みを守護し導くパーツとして捉え、個人的な感情を後回しにした愛帆。

 しかしそこには優劣も良し悪しも存在しない。ある者が少女は脆いが愛嬌があると言えば、ある者は彼女は怖いが強靭だという。強過ぎる希望は、時に他者からすれば理解の出来ない狂気に映る。だから順位に優れるも劣るも、良いも悪いもない。あるのはせいぜい、周囲が抱く身勝手な好悪だけだろう。


「どういたしまして、それじゃ早いところ向こうに合流しましょう。何回も銃声がしてたのにさっきから静かで気になるわ」


 桜子の言葉に力強く頷くと、愛帆は渦巻く風の速度を上げ、屋敷を挟んで反対側に位置するもう一つの戦場へと急いだ。



     *



 壁のあちこちに穴が開き、街よりは高い標高にあることで電気の使えない8月の夜としては幾分涼しくなった上代邸に、3人の大権赦官、1人の心式使い、そして1人の無能力者の少年が集まっていた。


 目を充血させ、涙の跡が頬に残るヴァネッサはとてもまだ話せる状態にはない。なんとか見かけの上では落ち着きを取り戻したようだが、愛帆の無事を確認した際に笑顔を見せて以降は無言になり、響也の後ろに隠れるようにしてピタリと張り付いている。


 ヴァネッサが18という年齢の割に幼い見た目である事を考慮しても、まるで人見知りして兄の後ろに隠れるかのような行動を、14歳の響也相手に行っているのは背徳的なアンバランスさを見るものに感じさせた。


 全員の無事と反転の解除を喜びながらも、彼女たちは早速情報の共有を行うべく上代邸の談話室に集まっていたのだが、そこでヴァネッサの様子を見かねた桜子がまず口を開く。


「ひとまず響也くんはその子を休ませて来てあげたらどうかしら。こんなに立派なお屋敷だもの、空いてるベッドの1つや2つあるのでしょう?」

「ああ、勿論ある。……あるんだが、さっき同じ提案をしたら本人に断られてしまってな。どうも今は1人になりたくないらしい」


 少年の服の裾をつまみながら、こくりと少女が頷く。

 経緯が経緯である。そのように返されてしまえば桜子も、他の面々もそれ以上言うべきことは――


「でしたらヴァネッサ様。人肌恋しいのならばわたくしなどどうでしょう?ぼっちゃまはお疲れですし、身長や諸々の柔らかさといった包容力は僭越ながらわたくしの方が高性能かと……」


 平然と、事務的な声音でそう言い放ったのは当然、響也に仕えるメイドの少女リヴィアである。

 その大胆なセリフに、しかし少年は頭に?マークを浮かべながらあっさり返す。


「いや、疲れているのはお前の方だろう?こんな時にまで気を遣わなくていい。……うん?そう不安そうにしないでくれ、オレは貴女を微塵も迷惑に感じていない。寧ろオレで役に立てるのなら光栄だ」


 主を気遣ったリヴィアを労い、"ぼっちゃまはお疲れ"という言葉に不安そうな表情を見せたヴァネッサをすかさずフォローする。大財閥の御曹司として幼いころから人の上に立つべく教育を受け、しかし母親の方針から優しく穏やかな環境で育ったことで少年は周囲の人間へ細やかに気を配れる人柄へ育った。


 育ったのだが、これはそもそもそういった観点での話ではない。


「いえ、恐れながらわたくしの方が年も上、体も頑丈!あの程度の戦闘など軽い運動でございます!さあさヴァネッサ様、どうぞわたくしの膝の上へ。いつまでそうしてぼっちゃまにひっついているおつもりですか?」


 平然と、しかし先ほどよりは多少語気が強まったメイド少女の視線は心なしか鋭いものへと変わっている。ヴァネッサもまた、リヴィアの言葉が紡がれる程に響也との(ただでさえ数センチしかなかった)距離が縮まり、最早密着しているようにも見えるほどだ。


「リ、リヴィア?どうしたんだ今日はいつになく強気……って、ヴァネッサさん?どうしたのだ急に寄りかかってきて……ハッ、やはり疲れが?それともどこか具合が悪いのか?」

「んーん、ちょっと疲れて眩暈がしただけ……こうしてると落ち着くの。ごめんね、重たいよね」

「いいや全く。頼られるというのは嬉しいものだ、好きなだけそうしていてくれ。大事でないのなら何よりだ」


 弱弱しいか細い声で謝罪をするヴァネッサに、響也が微笑みと共に返答する。

 彼らが腰かけているのは本来一人掛け用の椅子ではあるが、屋敷に見合った豪華な造りのそれは多少窮屈ながらも少年と少女をまとめて乗せるだけの余裕があった。少し意識して動けばすぐにも体は密着してしまい、相手の声や匂いが五感を刺激する程度の余裕が。


「ぼ、ぼっちゃま!?流石にその……許しすぎと言いますか、あの、え?、か、肩に頭を……?えっ?」


 顔を赤らめ、しかし脳が情報を処理しきれないのかメイドの少女は要領を得ない言葉を途切れ途切れに漏らす。密かに、まるでイタズラが成功した子どものように舌をチロりとのぞかせるヴァネッサの様子にも気付いていないようだ。


 ここで補足をしておくと、リヴィア・ポルトーネという少女は恋を知らない。

 当然、概念として、存在としては知ってはいるしそういった題材を扱った名作と呼ばれるような古い映画なども教養として何本か視聴した。


 ただそこまでなのだ。

 "恋する少女"は創作上の存在で、彼女の世界には存在しない。


 このことについて原因が何かあるとすれば、彼女が上代響也としか深く関わりを持たなかったことがそうなのだろう。

 仕事をする上で他の使用人とは信頼関係を築くし、イタリアの暗い路地に蹲っていた孤児みなしごの自分を拾ってくれた響也の父への感謝は絶えない。が、それは飽くまでそうあるべきだからそうあるだけなのだ。


 彼女が自分から興味を持ち、守りたいと思い、笑顔が見たいと願う相手はただの1人だけだ。

 仕事でも恩義でもない。自らの一切をなげうっても構わないと、本気で思える相手。


 故に彼女にとって響也が特別であるのは大前提。少年のことを好いているのは当たり前。

 ある日急に顔をみるのも辛くなるだとか、思うだけで胸が苦しくなるだとか、甘酸っぱい駆け引きを楽しむものだとか、そんな特別なものではない。


 恋というのは特別で劇的なものだと思っているから、彼女は知らない。

 恋に決まった形や物語など無いということを。

 とうの昔に、彼女は上代響也に恋をしているのだということを。


 そして今、初めて響也へと近づく相手が現れ"恋心"を自覚しつつあるのだということを、知らない。



 噛み合わないやりとりは続く。


「きょーやクン、あのおねーさん大丈夫?さっきから顔が赤いし、落ち着きないけど……」

「む。確かに言われてみれば……」


 ヴァネッサの言葉を受けた響也は立ち上がると、自らに仕えるメイドの少女へと近づき――こつ、と躊躇いなく額に額を当てていた。

 響也以外の全員が絶句し、一瞬だが時が止まったかのような錯覚さえするほどに室内が静まり返る。


「ふむ。熱はないようだが、やはり疲れているのだろう。今日はもう休むべきかもしれないな……桜子さん、すまないが情報の共有は明日の朝でもいいだろうか?この状況ではかえって――」


 そこで室内の視線が集中していることに気付いた少年が、一拍遅れてからその原因に思い至ったようで再度口を開く。


「ああ。オレが風邪をひいた時にはな、リヴィアがいつもこうしてくれているんだよ。体温計があっても"わたくしの方が正確です"って譲らないもんだから、すっかり習慣になってしまった」

「あ、あ、あわわわわわわわわっ……!?」


 恋を知らない……というよりは、自覚していなかった少女が、遂に脳の処理が追いつかなくなり涙目になる。


 傍観者である桜子と愛帆は、俯き小刻みに肩を震わせて必死に吹き出すのを堪えながら、情報共有会の延期を了承した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る