第21話 資格も理由も
「誰も死なさない、って言われてもねー」
響也の言葉を受けたヴァネッサが、呆れたように息を吐く。
まるで現実を理解せず、理想や綺麗事を語って自己満足に浸る年下の少年にイラついているようで、軽い口調に似合わずその眼は冷めきっている。
「君って大権赦官じゃないわけでしょ?子どもが1人でこんなとこに来て何か出来ると思ってるのがもう救いようがないわよね」
「14歳だ、子どもではない。それに人助けをするのに赦官だなんだと特別な資格が必要になるなんて初耳だな」
「あーあー、そういうのほんっと嫌い。正論とか綺麗事に目ぇ輝かせてさぁ……君はアタシのこと何も知らないのにねー」
「……?綺麗事だと何か困るのか?」
少年の本気で疑問に思っているだろう声にチッ、と舌打ちをすると少女はリヴィアを抱き締めたまま片足を上げ少年へと向ける。
踵からふくらはぎを覆う部分の機械の鎧が甲高い音を上げて蠢動すると、次の瞬間には物騒な銃口が飛び出し少年を――捉える事が出来ない。彼女の脚は膝から先がどこからともなく出現した門の奥に消え、このまま弾丸が発射されたところで空の向こうへと消えるだけだろう。
「おねーさんほんっと厄介!」
そう叫び、しかし次の瞬間には少年の取った行動に目を疑う。
響也が静かに懐から拳銃を取り出したのだ。
言うまでもなく日本国内において拳銃の所持は簡単なことではない。そもそも、競技用などを除けば所持できるのは公務員に限られるはずである。……であるが、そこはそれ。世界を股にかける大財閥ともなれば秘密の1つや2つはあるものだ。ヴァネッサが驚いたのもそこではない。
問題は、取り出した銃の先端を少年が自らのこめかみに当てているという事だ。
「左ひざ」
「……?何を――」
短く呟くと、少年は躊躇なく引き金を引く。
破裂音と共に一瞬銃口が光り、そしてパワードスーツを着込んだ少女の影がグラリと揺れる。
「右ひざ、左ひじ、右ひじ――」
更にもう3度。音と光が連続すると、ヴァネッサは完全に地に臥し起き上がることが出来なくなる。
機械の鎧に支えられていた腕も緩み、少女の体の下から這い出るようにしてブロンドのメイドが姿を現す。パワードスーツは関節4箇所から火花と煙を上げ、もはや少女の支えとなり立ち上がることは出来そうにない。
「響也さま、やはりその不意の打ち方は
「そう言いながら全弾きっちり関節の脆い箇所へと当てているではないか。即座に意図を汲み取ってくれたのも嬉しかったぞ」
最早説明するまでもないが、響也の拳銃から発せられた弾丸をリヴィアがパワードスーツの関節へと直接送り込んだのだ。
結果的に接射の形になる為、少女や自身を傷付けないように弾の威力がスーツとの衝突のみによって減衰するまで、関節部のみを囲う様に300を超える小さな門を球状に展開。
当たり、弾かれ、門に入り、門から出、当たり、弾かれ、また門へと。
関節部へと集中的なダメージを与えつつ、2人の身体は無傷のままだ。
「こ、こんなの……また作ればっ……!!」
地に臥しながら少女は吼える。
人質代わりのターゲットを手放しても、まだその眼に諦めは浮かばない。
今にも再びトンデモ兵装と共に起き上がりそうなヴァネッサの元へ、しかし響也はずいと一歩踏み込む。
「さっきの続きだが、オレは貴女を……少なくとも貴女の現状を全く知らないわけでもない」
「はっ、はぁ……何を……」
無能力者の少年が語る内容に、僅かに少女が興味を示す。
「"反転"の使い手は99位、
「響也さま……?」
饒舌に語り始める少年の様子に、ヴァネッサだけでなくリヴィアまでもが不思議そうな表情を浮かべる。
「何故彼女がこんな事を、という疑問はまだ置いておくしかないが、少なくとも"反転"してると言ってくれたおかげで貴女を正気に戻すことは可能だ。半年前、彼女に改心させられたはずの悪党が再び人を殺すという事件があった。まぁ原因はもちろん反転が解けたからなのだが、流石に詳細までは公表されなかった。が、
そこで一呼吸おき、少年はしゃがみ込むと少女に目線を合わせる。
「要は元の性質へ引き戻すような衝撃を与えられればいいんだ。それで戻る」
「ハッ、何を言うかと思えばそんな――」
「貴女の家族は、いまどうしている?」
予想していない所からの攻撃に、少女は声を詰まらせる。
「……どうも何も、
「――そうか。それはそれで気になるが、しかしだ。それならば貴女は今も平和な日常を過ごしているその家族を、一人残らず殺そうとしている事は理解しているか?」
「…………な、に?そんなのあったり前でしょ……そんなの、」
「いいや理解していないな。人並み外れた希望をその身に宿す大権赦官、それが反転して絶望に染まったとなればとても正気ではいられないだろう」
桜子の話により、てっきり世界規模でこの騒動が起きているものだと考えていた2人には聞き捨てならない情報が飛び出すが、様々聞きだしたい事をグッと抑える。
「貴女は世界で最も希望に溢れた選ばれし100人の内の1人だ。人の感情というものは流動的で、時間と共に心という器の中身は入れ替わる……。そこらの悪党だってアクシデントでまたひっくり返るのだから、きっと放っておいても自然と湧き上がる希望によって数日で元に戻るはず。現に今だってオレの話に耳を傾けてくれているわけだしな、今日で何日なのだ?」
「……3日」
反論もせず、蚊の鳴くような声で少女は答える。
表情に先ほどまでの剣幕は微塵も存在しない。声にも表情にも出してはいないが、目の前の少年が発した"家族"という言葉は彼女が自分で感じている以上に衝撃を与えていた。
そもそも彼女が大権赦官として力を振るっていたのは何の為であったか。
家族や友人、親戚に先輩後輩に先生に……、とにかく自分の大切な人たちを理不尽な悲劇から守るためであったはずだ。
反転し、絶望に染まったヴァネッサの内に戻りつつあった希望の仄明かりが煌々とした輝きを生み出し始めていた。
「3日の間、自分の行動は記憶にあるか?」
「……あ、」
輝きに雲がかかる。
地元であるフランスの片田舎で、自分と同程度の年齢と思しき東洋人の少女を見かけた。その子が声をかけてきて、気が付けば何もかもをぶち壊したい衝動と共に日本にいた。少女と接触してからの記憶が抜け落ちているが、この国に来てからの行動はハッキリと覚えている。
「あ、はははっ、あっ、あはっ、ぁはははははっはははははは!こ、殺っ、殺した!!たくさん!たぁーっくさん!!アタシいっぱい撃って潰して捩じって切って焼いて裂いて刺して砕いて……いっぱい、いーっぱい壊したわ!!」
10人や20人ではない。3桁で済めばマシで、4桁でも驚かない。
とにかく何でもいいから手あたり次第に壊したくて。
それが自分の行動に悲鳴や苦悶でリアクションしてくれるのが嬉しくて。
希望の為という本来の使用法に背くために、出力が大幅ダウンしていることが苛立たしくて。
メイドを探す道中にアイホと共に街を襲って、たった3日でいったい幾つの命を奪ったのだろう?
人を殺したことが無いわけではない。
力ない善良な市民を守るべく、悪党を仕留めたことも何度かある。その時に感じた、スライムを飲み込んでしまったかの様な粘着質な吐き気は今も忘れられないが、今回の場合はいっそのこと現実味がなさ過ぎて笑いがこみ上げてくる。
「うっ、くくく……ふ、ふ。あっはははははは!」
異能による反転の効果は薄れ、絶望は希望に変わった。
異常な破壊衝動は掻き消え、イカれた思考は正常に切り替わる。
それ故に、今度は洗脳でも何でもない純粋な絶望が少女に襲い掛かる。
まるで悪夢を詰め込んだびっくり箱。
かけられていた悪い魔法を解き、助けてあげたはずが事態は最悪の更に底へと転がり落ちる。
「意味はないと思うが、一応言っておくと貴女に非は無いだろう。洗脳状態だったのだから―――」
「あはっ、あは、あはは……うるさいっ、うるさいうるさいうるさい!」
拳銃を取り出し、少女は素早く自らのこめかみに当て迷いなく引き金を引く。
破裂音とマズルフラッシュが夜の林道を彩るが、弾丸はどの命を奪う事もなく柔らかな土の中へと沈んでいる。
「響也さまが誰も死なせないと宣言された以上、
淡々と告げるメイドを睨みつけ、直後には大粒の涙をこぼしながら震える声を絞り出す。
「死なせてよっ!邪魔しないで!!」
「嫌だ」
「どうしたって取り返せないことしちゃったの!生きててももう償いようがないじゃない!!アタシは悪くない?そんなわけない、アタシがもっと気を付けてればよかった!反転なんてすぐにひっくり返してやるべきだった!!」
「99位の出力とはいえ、れっきとした大権だ。そんなことハナから微塵も絶望を抱えていないような異常者にしか不可能だよ」
諭すように、穏やかな口調で告げる少年と対照的に少女は口を開くたび髪を振り乱し絶叫する。
自分はこんな力を持っているのだから本来多くの人間を守らなければいけない。黒幕がどうであれもう生きていくことなんて意味が無い。自分は死んでしまった方が世界のためになる。出来るだけ苦しんで死ぬ方法を探す。
壊れた蛇口、というよりは破裂した配水管のような勢いで自分へ向けた怨嗟の声が噴出する。
「今の貴女の胸中は計り知れないが、それでも確実に言えることが一つある。貴女は生きるべきだ」
叫び、嘆き、荒く鉄臭い息を吐きながら、血走った目でヴァネッサは少年を睨みつける。
「生きて、その力でこれからも多くの命を守って行け何てことは言わない。この瞬間こそ深い絶望の底に沈んでいるが、本来貴女はオレが余計なことをするまでもなく立ち直ることの出来る強い人だ」
「なにを……」
「今は思い出す余裕がなさそうだから少しだけ……。無能力者からちっぽけな後押しをさせて貰うとだな、ヴァネッサ・アルム、貴女が死んで家族はどうなる?友人は?知り合いは??」
少女の瞳が確かに揺れる。
「誤解を承知で言わせてもらうが、貴女が手にかけた人間の命がどれだけの数であっても……100でも、1000でも、貴女の命一つの方が親しいものにとっては大きな意味を持つだろう」
「そんなこと――」
到底許容されるべき理論ではない。
倫理も道理もあったものではない。
「失われた命が戻らないなんてこと、俺が言うまでもなくわかっているはずだろう。そしてそれが貴女のせいだと言うのなら、誰がなんと言おうと、例え貴女自身の言葉であってもオレはそれを否定する。親しいものに涙を流させるようなことをするな」
「やめ、てよ……」
「しばらく故郷に帰りたくないのであれば、
「……どうして。なんで、そこまで……?」
地に臥したまま喚いたせいで泥と涙でぐしゃぐしゃの顔を上げると、その表情は半分絶望、半分疑問で埋められている。
「なんでって……普段貴女がしていたことだろう。自分に出来ることがあるなら全力で、力の限り理不尽な悲劇から誰かを救う。資格といっしょだ、理由なんて人助けに必要ない」
どこまでも綺麗事で、どこまでも理想的。
それを真っ直ぐ誤魔化さずに宣言し実行に移せる少年の姿が、少女にはとても眩しく見えた。
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