第20話 メイド・イン・バトルフィールド
「逃げるのはもう終わり?おねーさんが"門"の人だよねー?」
ガシャガシャと、いったいどこから取り出したのかわからない大量の銃器を携えたピッチリスポーツウェア少女が挑発的に呼びかける。
上代の屋敷から数百メートル離れた林の中。足を止めて狩人と対峙するのは美しいブロンドのメイド、リヴィア・ポルトーネだ。
「はい。距離は充分稼げましたので」
「んー?ああ、そういえば1人いないじゃない!どこかしら?逃したの?それとも挟み撃ち??」
ワザとらしく辺りをキョロキョロと見渡す少女に相手を見失ったという焦りは全く見えない。その事に違和を僅かに感じながらも、リヴィアは情報の引き出しにかかる。
「ご想像にお任せ致します。それよりも、なぜ希望の象徴たる大権赦官がこの様な行いを?」
「そんなの決まってるじゃない。今は反転して絶望の象徴だから、アタシ達」
「反転……?確かそれは99位の―――」
「なぁんだ、知ってるんじゃない……って、おねーさん日本に住んでるんだしそりゃそうよね」
反転。
リヴィアの"門"と同じくそれを司る赦官が、確かに99位の少女だったと彼女は記憶している。
その名前と目の前の少女の様子からして、どうやらその99位が対象の希望と絶望を入れ替えているようだが、それにしても腑に落ちない点が多い。
が、それを考えるよりも早く目の前のスポーツウェア少女が動いた。
「そんな訳だから、おねーさんのこと生け捕りにさせてもらうわね!アタシの名前はヴァネッサ・アルム、よっろしくぅ!!」
バン、と短く太い音が唐突に弾ける。
音の出所は簡単。ヴァネッサの携えている銃器のうちの1つがゴムの弾丸を吐き出したのだ。
「ぁぎっ……!」
暴徒鎮圧を目的とした非致死性武器とはいえ、ゴム弾は必ずしも対象を安全に鎮圧するものではない。
至近距離での発砲は勿論、上半身を直接狙った場合には後遺症が残るほか、最悪死亡するケースもある。地面を狙って発砲し、1度跳ねさせて下半身を狙うことが推奨される程だ。
跳弾もなく、それも不意打ちで足に直撃すればまず立ってはいられないだろう。
短い悲鳴と共に地面へと崩れ落ちる。
ただし、倒れるのは発砲したはずのヴァネッサであるが。
「優しいのですね。実弾なら目も当てられないことになっていたはず」
「ハッ、はぁ……アタシじゃなけりゃゴムでもヤバいわよ……」
メイドの素直な感想に悪態をつくと、少女は先ほどまで立っていた位置に
「アタシじゃなけりゃ……そうですね。確かに接射とは思えない程軽傷のようですが、貴女はどんな大権を持っているのでしょう?」
「そうね……って、素直に答えると思う?……思ってないわよね??でもいいわ。答えてあげる。おねーさん美人さんだもの、アタシ綺麗な人って好きだわ」
戦闘中であることや、ほんの一瞬前にゴム弾の接射を受けたばかりということを全く感じさせないヴァネッサの口調にリヴィアが眉を顰めるも少女の口は止まらない。
「アイホもすっごい綺麗でね、いっつもいい匂いがするの。……ってそんな事今は聞きたいわけじゃないわよね。わかってるから睨まないでってば、アタシは"武器"の大権赦官。78位なものだから、おねーさんからしたら雑魚も雑魚よ?知らないのも無理ないわ」
「…………」
「おねーさんの事は聞いてるから大丈夫よ?第10位の"門"!まさか銃を向けた瞬間に先っちょだけ足の裏に繋げられるだなんて思わなかったけど……残念!アタシの皮膚は盾にも変えられるのでした☆」
矢継ぎ早に繰り出される言葉の数々。まさか彼女の発言を鵜呑みにするはずもないが、それでも先ほど起きた一連の流れは読み取れた。
ヴァネッサが銃を向ける直前、リヴィアは小さな門を形成していた。向けられた銃口が、ちょうどその小さな門を押し開けるように、と。
果たしてリヴィアの計算通り門は押し開かれ、そしてその感触を知覚した時にはもう引き金を引くのは止められない。咄嗟に全身の皮膚を鋼鉄の盾と化し、ダメージを極力抑えたというのが顛末だ。
そこまで理解したメイドは、薄く笑ってこう告げる。
「―――そうでしたか。では、おやすみなさいませ」
途端、グラリと少女の体が揺れた。
脚に痛打を受け、地面に倒れながらも両肘をついて上体を起こしていたヴァネッサが完全に地に伏す。
「ぁ、れ?」
「叩いて効かないのでしたら絡め手を」
視界が明滅し腕に力が入らない。
まるで何か、体を動かす為になくてはならないガソリンのような大切なものが流れ出してしまっている様で……しかしそれは比喩表現でもなんでもない。直後にメイドが懐から取り出した瓶を見てヴァネッサは目を見開く。
ちゃぷちゃぷ、というよりはじゃぶじゃぶ。
ジャムでも入っていそうなガラスの瓶の中に、しかしジャムよりも濃く鮮やかな液体が波打っている。
なんという事はない、ヴァネッサ・アルムと呼ばれる少女の血液だ。
ゴム弾の接射によって動きが止まった少女の頸動脈に門を開き、瓶の中へと幾らか拝領したのである。
「ご存知ですか?頸動脈までは表皮から約3センチメートルの深さがあるそうです。だからなんだという話でございますが、
「あっはは……おねーさんさぁ、顔に似合わずエッグい手使うよね……」
メイドの説明にうんざりした顔で反応した少女は地べたに這いつくばりながら更に続ける。
「でもやっぱりざぁーんねん、ちゃんと避けてね?死なれちゃ困るんだから」
「……?何を―――」
言葉は続かない。
続く言葉を発する為に口を動かす直前、瓶の中の液体が濃い赤から透明なものへと色を変えていくのが見えたのだ。
彼女は"武器"を司る大権赦官だ。
どこからともなく銃器を生成し、皮膚を鋼鉄の強度を持つ盾に変えてみせた。
ではそんな彼女の血液は?当然、武器として用いることが出来ると考えるのが妥当なのではないだろうか?
それともう一つ。
その道のプロでもなければ軍事オタクでもなし。ましてや大権という異能を持つリヴィアはその方面の知識には疎かったが、確かに"液体爆薬"という単語に聞き覚えがあった。特定の液体を2種類混ぜ合わせることで爆発を引き起こすそれは、立派に武器であると言えるだろう。
それ以上の思考は許されない。
鋭く、しかし重く強い破裂音が衝撃を伴って林道の木々を軋ませた。
*
上代響也という少年は異能の力を有さない無力な一般人である。
心式使いでもなければ大権赦官でもなく、協心術者であるハズもない。
だからこそ戦いの場からは追い出すように遠ざけられ、相手の"風"と思わしき者の手によってすっかり風通しのよくなった屋敷で血が滲む程に唇を噛みしめていた。
「開きました、ぼっちゃまは一足先に屋敷でお待ちください」
2人で屋敷を飛び出し、幾らか林道を駆けた後にそう提案された。
当然、少年に賛同出来るハズもない。桜子を1人にしたことすら心苦しいのだ。更にリヴィアを1人残して自分は安全地帯でタダ待つのみなど、到底許容出来ない。
「ダメです。……私はいいですから早く門をくぐってください。ちょっと、コラ……もうっ、響也さま!」
とうとう怒られ、しまいには背中を蹴り飛ばすようにして門へと放り込まれる。
そしてそれが閉じられてしまえば、最早彼に出来る事は何も残されていなかった。
リヴィアの言い分は恐らく正しい。
主人の命を守る為、単身敵に立ち向かい安全な場所へと主人を逃がす。素晴らしい忠誠心――或いは、もう少し若く淡い想いもあるかもしれないが――である。
涙を誘う美談だ。胸を打つ信頼だ。ドラマティックな展開だ。勇敢な行動だ。献身的な愛だ。健気な奮闘だ。ヒロイックな覚悟だ。抒情的な――――――
クソくらえ。
そんな言葉は全部言い訳だ。
主従としてはそれでいいのかもしれない。
だがしかし少年の、上代響也の中の何かがそれを絶対に受け入れられなかった。主人もメイドも関係ない。リヴィア・ポルト―ネという19歳の少女は、彼のメイドである以前に一人の女の子だ。たったそれだけ、それだけでいい。
「……蹴っ飛ばされた文句もあるしな」
少年は走る。
屋敷を飛び出し、戦場へと自らの脚で。
*
爆風、轟音、熱波、破片。
あらゆる破壊が撒き散らされた。
その中で一番恐ろしいのはやはり爆風であろうか。
爆風、と文字だけ見ると"とんでもなく強い風"というイメージだが、実際に問題となるのは風そのものではない。人体を持ち上げ放り投げ叩きつける風だって恐ろしい事に違いはないのだが、爆風の結果生じる気圧の変化が恐ろしいのだ。風によって空気が押し出された結果の気圧変化が。
鼓膜破裂や眼球破裂といったようにまず気圧の変化に敏感な耳や、外気に晒されている目を負傷する。表皮は言うまでもなく、更には肺や腸などの空気、ガスを含む内臓にも気圧変化は牙を剥く。
さてそれを防ぐにはどうするか?
答えは簡単で、そもそも空気を押し出されなければいい。
もうもうと土煙が立ち込める中、真っ黒な直方体がプシュ、と息を吐くようにして開かれる。
衝撃を吸収し拡散する特殊なこの匣は、万が一至近距離での起爆を余儀なくされた際にと"創造"を司る13位、クレアソンに創ってもらっていたものだ。
"武器"を司る少女だが、その定義は曖昧である。
漫画や映画にしか登場しないようなものまで扱えるのかと聞かれれば、YesともNoとも答えられる。武器として彼女の手札に登録される為に必要な条件はただ一つ。"現実の世界において闘争を主目的として用いられたもの"であること。
つまり映画のなかのSF兵器であろうと、クレアソンに創り出せて一度でも現実世界で使用されれば、以降はヴァネッサの手札にも登録されるのだ。
ヴァネッサが各種武器の扱いを教え、その代わりにクレアソンは少女の提案する新しい架空の兵器を創造する。
『
匣から出てきた少女に爆発のダメージは見られない。
血液不足の身体で横になったまま、奥の手である架空兵装まで持ち出したことに思わず舌打ちしてしまう。クレアソンのことは大好きで架空兵装も楽しい。が、それとは別に彼女だけの力で、既存の兵装のみで敵を打ち倒したかったという思いを少女は抱いていた。ちっぽけなプライドだ。人を傷つけることに変わりはなく、他人からすれば意味不明なこだわりだろう。
「――ったく……我ながら無茶苦茶しちゃったわね」
彼女が武器を手にするまでのプロセスは2通りである。
材質や大きさ、素材から機能までを想定し制定することで無から生み出す方法と、直接肉体を変化させることで自らを武器として扱う方法。前者は生成に多少の時間が必要となるものの調整が効き、反面後者は即座に展開できるものの細かな調整が難しい。そして何より自らの身体を変質させるという行為自体が彼女にとって好ましいものではなかった。
匣を消し、土煙に揺れる爆心地を観察する。
やはりというべきか、そこに人の気配はない。
「あーあ……どうしようかなぁこれ。神さま激おこよね絶対」
標的は生け捕りに、というのがオーダーだったはずだ。アイホにも"気を付けろ"と釘を刺されたにも関わらずこの有り様。標的のメイドは爆散し、後には死体も残っていない。探せば肉片くらい出てくるだろうか?などど益体もないことを考えていると、あり得ないはずの声が少女の耳に届く。
「神さま、ですか。桜子さまの話もございますし聞き逃せないワードですね」
ぎぃ、と音を立てて石造りの門が開かれる。
ヴァネッサの眼前2メートルもない位置に現れたそれから歩み出てきたリヴィアは、メイド服のあちこちが土や血に汚れたり破れたりしているものの、確かに五体満足で生存していた。
「――びっくり。避けてっては言ったけど、ホントに生きてるなんておねーさん凄い凄い!でもその腕はしばらく使い物にならないと思うけど。どう?当たってる?」
爆発の直前、リヴィアは咄嗟に背後へと門を開き飛び退いていた。
繋がる先は遥か上空。爆破の範囲外へと飛んだが、それでもギリギリ間に合わなかった。
閉め終える直前に起爆し、門へとかざしていた右腕がわずかながら熱波と破片に晒された。
負傷は痛々しく、肘より先は血に塗れ赤く爛れている。顔や首など、他の部位のキレイな白い肌との対比が余計に悲惨さを引き立てる。
が、しかしそんな事はまるで意に介さないかのようにメイドは淡々と言葉を紡ぐ。
「先ずは貴女を拘束します。命を奪う気はないですから、抵抗しないでください」
「素直に従うと思ってる?おねーさんさ、奪う気ないんじゃなくて奪えないんじゃないの?」
「……試してみますか?」
少女からの返答はない。
代わりに、バスケットボールよりも2回り程大きな鉄球がリヴィア目掛けて飛んでくるが、それを閉ざされた門を出現させることで防御する。
「なにも繋ぐ、通すだけが門ではありません。断ち、拒むこともその本質です」
「それでそれで?そこじゃないよね??アタシのこと殺せるのかって聞いてるの!」
そう吐き捨てると、急に少女が立ち上がる。
血が足りず碌に動けないはずの少女が立ち上がれた理由は明白で、ガチャガチャと騒がしい音を立ててその体を覆う機械の鎧の力によるものだ。リヴィアが鉄球を防ぐために意識を逸らした一瞬のうちに着込んだSFチックで装飾過剰なパワードスーツは、鈍い光沢を放っている。
不意を突かれたリヴィアが何かしらのリアクションを取る前に、パワードスーツを着込んだ少女に抱き締められた。それは決して微笑ましい光景などではなく、締め付けられているメイドの体はミシミシと軋み始めている。
「この距離なら門で防ぐも何もないもんね!どう!?苦しいでしょ?息できないよねぇ?早くアタシのこと殺さないとおねーさん死んじゃうよ!!」
「ぐっ、あ……」
初めて相手の表情が苦悶に歪んだ事を確認したヴァネッサは、嬉しそうに締め付けをキツくする。
「かわいい……!その苦しそうな表情最高だよおねーさん!言っとくけどね、このエセ科学みたいなパワードスーツは架空兵装って奥の手の1つでね、私の脳波を拾って動いてるの。だから私を止めたかったらしっかりやってね?手足潰したくらいでお茶を濁すのは無理だから☆」
出来ないと、目の前のメイドには自分を殺すことが出来ないと理解した上での愉悦。
クールぶってる相手を嬲る快楽に、綺麗な顔を苦悶で歪める享楽に、その心を蹂躙する悦楽に、浸る。
旅客機を一つ見捨てたはずのリヴィアが、たった一人の女の子の命を奪えない。
主人にそう言われたから?
勿論それもある。桜子の問いを受けた響也は"殺すのは無しだ"と答えた。
でもそれだけじゃない。
単純に、リヴィア・ポルト―ネがヴァネッサ・アルムを知ってしまったからだ。
命の価値は平等だと、そう言う人間もいるだろう。
けれどもそれは、少なくともリヴィア・ポルト―ネの価値観においては正しくない。より詳細に語るならば、実際に命を奪おうとした場合に相手によって差が出ないはずがない。
旅客機の時はどうだったか?素性も知らなければ最期まで相手の顔を見ないままで済み、何より見捨てなければ街の人間にまで被害が出るという言い訳が出来た。
では目の前の少女は?
自分より年下に見えるこの少女は、洗脳によってこのような凶行に及んでいると知ってしまった。
本来ならば人々を助け導く存在であり、きっと今回の事件が起きる前にも多くの人間を救ってきたのだろう。敵として相対している状態であってもあれだけ人懐っこく可愛げのある少女だ、正気だったならばきっと周囲には絶えず彼女を慕う人間がいたことだろう。
彼女の家族は今どうしているのだろうか?友人は?知り合いは?
考え出せば止まらない。彼女にも確かに存在したはずの日常を想うとどうしても命を奪うことが出来ない。
だから、だから。
抱き締められながら至った結論を彼女は口にする。
「だ、だい……丈夫……貴女を、助けてみせるから…………」
「―――は?」
彼女の命はもうどうやったって奪えない。
かと言って止めなければ大切な人とその周囲を守れない。
それから何よりも、彼女の事情を知ってしまったから。
例え絶望的な状況であったとしても、彼女を助ける以外の選択肢は投げ捨てた。
旅客機一つ分の命を既に捨てているからと、思考を切り上げ楽な方へと流されるな。
状況が違う。事情が違う。今までの行いと目の前の少女の命に繋がりはない。汚れた手で人を助けたっていい。他人の命を言い訳にして彼女の命を見捨てるな。
さあ探せ。
この状況をひっくり返しうる逆転の一手を。
……或いは、
パキリ、と枯れ枝を踏みつける音に2人の少女が即座に反応する。
両者に共通するのは、どちらも驚愕に目を見開いたということ。
両者で異なるのは片や嘲弄を、片や親愛をその眼に宿したこと。
「……オレのメイドに何をしている」
異能を持たない少年、上代響也がそこには立っていた。
髪は乱れ、ズボンの裾には泥が跳ね、余程急いで走ってきたのだとよくわかる。
「何ってぇー、まあ色々?そろそろ殺そうかなって思ってたとこよ。それより最初にいたの君だよね?わざわざ逃がしてもらったのに戻って来たの??」
「そう……です、どうして……」
2人の問いかけに頷くと、少年はキッパリと言い放つ。
「決まってる。誰も死なせない為に、だ」
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