第19話 幽霊少女は風に揺れない

 街の中心部から離れ、段々と横に見える民家がまばらになり、遂には林道を抜けてようやく見えてくる豪華な邸宅。この世界を股にかける超巨大財閥"上代グループ"の別荘であるが、陽が落ちた現在でも屋敷内には蝋燭しか光源は存在しない。また常ならば多くの人が住み込みで働いているのだが、蝋燭によって影をつくるのは3名のみ。

 この屋敷の主たる14歳の少年、上代響也かみしろきょうや

 第10位の"門"を司る大権赦官たいけんしゃかんにして19歳のメイド、リヴィア・ポルト―ネ。

 異世界から来た自称"幽霊少女"の心式しんしき使い、五条桜子ごじょうさくらこ


 3人は既に事情を共有し、打ち解け、ともすれば軽口を叩くほどの仲になっていたはずだが、今は一様に緊張した面持ちである方向、窓の外に見える裏庭の方へと意識を集中させていた。その理由は単純で――


 轟々と唸る怪音を従えてこちらに接近して来る人影が2つ。


 敵襲である。

 詳細なシルエットまでは暗く把握出来ないが、大人と子どものように身長差のある2人組。

 両者共に手には何かを持ち、その周囲を尋常ではない勢いの風が渦巻いている。

 ――――敵意と、悪意と、殺意とを風にのせて。



     *



「ぼっちゃま、桜子さま。直ちに避難を開始します」


 2人組の姿を視認したリヴィアが静かに、しかし力強く宣言する。

 それと同時、部屋の中心に高さ2メートルほどの石造りの門が出現したかと思えば、次の瞬間には開いた門の先から潮の香りとさざめく潮騒が鼻と耳に届く。

 まずは自分以外の2人を逃そうとリヴィアが振り返ると、響也が真っ直ぐリヴィアの瞳を見つめて振り絞るようにして声を発した。


「――――駄目だ。奴らは……ここで倒すべきだ」


 その言葉に驚いたのは、意外にもリヴィアだけであった。桜子はというと、何故だかニコニコと少年を見守っている。

 敵もこちらも異能力者の数で見れば2対2ではある。

 あるのだが、わざわざ詳細不明の能力を前に戦うリスクを冒す必要がそもそもないのだ。今なら余裕をもってリヴィアの大権を使い戦闘を回避することが出来る。

 それなのに、だ。自分が異能の力を持たない事に歯嚙みし、飽くまで他人任せになってしまう事を恥じながら、どうして我が主はこの場での撃破を望むのかが彼女にはわからず、つい言葉にしてしまう。


「わざわざ事を構えずとも、完全に奴らを撒いたうえで安全な場所へとお連れ致します。この建物にしてもいくらでも修繕できましょう、今は何より命を最優先に―――」

「ああ、そうだ。命は大切だよな……だからいけないんだよ、リヴィア」

「いったい何をおっしゃって……?」


 もしかしたらこの邸宅への愛着があるのかもしれないと彼女は考えたが、どうやらそれも正解ではないようで思わず眉を顰めてしまう。

 すると、そのやり取りを傍観していたもう一人の少女が見かねたように口を開いた。


「簡単よ。要は方向と可能性でしょう?」

「方向……?」

「あの人たち、このままここを通り過ぎれば山を下りて街の方へと進むことになるじゃない」


 そこまで説明されてリヴィアもようやく気付く。

 希望の象徴であるはずの大権赦官による暴挙は、この1週間で何度か街へ下りた際に彼女の耳へも届いてた。彼女はそれを何かしらの洗脳によるものだと仮定し、その為相手の目的が未だ洗脳を受けていない自分なのではないかと考えていたのだ。


 勿論、そうであったのなら逃げの一手。

 洗脳など受けて主の身を守る者がいなくなっては一大事である。


 が、しかし彼女の主である少年は更に多くの事を考えていたようだ。


「オレたちの存在に関係なく街の人間を襲う可能性が1%でもあるなら、そんな連中を放っておくのはダメだ」


 もしかしたら、彼女が移動すればそれに釣られてくるのかもしれない。

 もしかしたら、彼女が見つからなければそのまま引き返していくのかもしれない。

 もしかしたら、彼女が見つからず憂さ晴らしで街の人間を殺していくのかもしれない。


 街にリヴィア以外の大権赦官は勿論、それを凌ぐような力を持った者もいない。

 敵の行動に確信が持てない以上、街に暮らす友人らを守る為に響也が取れる行動は"ここで確実に撃破する"ことだけである。


「だから頼む、お願いします。リヴィア、それに桜子さん。どうかあいつらを止める為にその異能ちからを貸していただけないだろうか」

「ぼ、ぼぼぼ、ぼっちゃま!?頭を上げてください!ダメです、わたくしなんぞに頭を下げられる必要はございません!!ただお命じになれば良いのです!」


 主である少年に頭を下げられて狼狽えるリヴィアと対照的に、桜子は楽しそうに口元を緩めると、優しく笑ってから口を開く。


「ええ、勿論。うふふ……素敵よ?体張って誰かを守りたいっていうその考え方」


 ただ、とそこで一度言葉を区切ると、今度は少し妖しく目を細めて言葉を紡ぐ。


「ただ、"止める"っていうのは具体的にどうしたいのかしら?」


 当然の疑問。

 彼は"止める"とだけ口にしたが、果たしてそれはどういう意味までを孕むのか。

 止める為であれば究極的には―――




 数秒後、少年の回答を受けて桜子は満足そうに微笑むのであった。



     *



 風を纏った2人の大権赦官のうち、身長の高い方が扇を持った右手を右下から左上へと斜めに振るう。

 直後、扇の軌跡をなぞるように空間が歪んだかと思えば、透明な何かが形成、射出される。ひゅる、と音を立ててソレが上代邸の壁と激突すると、そのまま何枚もの壁を抉り取っていき、遂には最初の壁と反対の方角に位置する壁をも突き抜け屋敷に斜線状の穴が開けられた。


「……出てきいひんなら次、いきますえ」


 はんなりとした口調で恐ろしいことを宣言するのは、少しウェーブがかった黒髪とたれ目、左目の下にある泣き黒子が特徴的な和服美女である。

 加えて、彼女が身に付けているのは和服と言っても普段使いの小紋などではない。肩や鎖骨はおろか胸元まで大胆に露出された花魁衣装であり、楚々とした印象は全く抱かせず、ひたすらに煌びやかだ。

 黒地に金と赤で様々な模様の入ったその衣装は、彼女の豊かな胸が作る谷間や、白くほっそりとした腕を引き立て危険な魅力を放っている。


 と、その彼女が再び扇を構える直前。

 屋敷両端の扉が同時に開き、それぞれから人影が飛び出し互いに反対方向へと駆けていく。


「あっ、アイホ!あいつら二手に散りやがったわよ!どうするの?ねぇねぇアタシが2人の方でもいい?いーわよね?ね?」


 2人の大権赦官のうち、アイホと呼ばれた花魁美女とは異なる方が今度はぴょんぴょんと飛び跳ねながら騒ぎ立てる。

 金髪にブラウンの瞳をした小柄な少女で、綺麗というよりは可愛いと評されることの多い顔立ちをしている。ピッチリとしたスポーツウェアを着用しており、瘦せすぎという事もなく、当然無駄な肉もついていない健康的なボディラインが眩しい女の子だ。


「かましません、気ぃつけてなぁ」

「うん、あんがと!あ、"門"の人が生け捕りだったよね?」

「あぁ、そやなぁ。うんうん、ヴァネッサはんそれも気ぃつけてな」


 会話の内容に目をつぶれば、或いは年の離れた姉妹のほのぼのとした会話に聞こえても不思議ではないだろう。

 それほどまでに気軽に、彼女たちはを開始した。



     *



 リヴィアと響也を一緒に行かせた桜子は独り、彼らとは逆の方向へ、少しでも相手を分断して互いの戦場に影響しないようにと林の中を走る。

 そこへ――


「こらまた、随分とかいらしい子やねぇ」


 一陣の風に乗り、派手な花魁衣装の美女が空から降りてくる。

 下駄を履いている彼女が走る相手にどう追いつくのかと気になっていた桜子であったが、これで色々と確証を得ることが出来た。


「あんたはん、リヴィアいう感じやあらへんねぇ……当たりはヴァネッサはんが引きはったかぁ」

「そ、私の名前は五条桜子。ハズレでごめんなさいね」


 最初に彼女たちが纏っていた風も、その後に起きた屋敷への攻撃も、どちらもこの女性の大権によるものなのだろう。そう結論付けると同時、リヴィア達の相手については大権の情報が交戦前に一切得られなかったことが桜子の心に僅かばかり影を落とす。


「あら、自己紹介どうもおおきに。うちは早乙女 愛帆さおとめ あいほいいます、よろしゅうなぁ」


 が、しかし今は目前の敵に集中する為に桜子は意識を切り替える。


「ええ、こちらこそ。"風"の大権赦官さん」

「あはは、そら流石に気付きますわなぁ」

「それからもう一ついいかしら?」

「ん~?」


 まずは前提条件であるが、五条桜子に直接的な戦闘能力はほぼほぼ存在しない。

 敢えて物体の透過をオフにすることで――つまりはモノに触れることが可能にした状態で叩くとか、本当にその程度しか持ちえない。

 また、彼女の持つ"天運操作"の心式は非常に扱いが難しい異能である。

 その対象にとっての"幸"や"不幸"と、こちらで望む結果を一致させるための下準備が必要になってくる為だ。


「どうしてそんな"インターネットで調べました"って感じの京言葉なのかしら?イントネーションだったり言の葉の節々が歪だわ?」

「――――」


 次に基本であるが、対象の思い描くビジョンや状況を誘導する為に、まずこちらが精神的な主導権を握らなければならない。

 相手の神経を逆撫でし、こちらは余裕の笑みを崩さず、言葉と仕草によって相手の思考を誘導する。


「貴女の設定がどういうつもりなのかわからないけれど、花魁キャラにするのなら廓言葉の方がいいんじゃないかしら?それとも何かそこにもキャラ付けしてあるとか?」

「このッ……!!」


 風が吹き荒れ桜子の周囲が切り刻まれるが、全て彼女の体を通り抜けてしまう為に少女の笑顔は揺るがない。対照的に愛帆は歯をギリギリと鳴らして桜子を睨みつけると、その美しい貌を歪めて吼える。


「あんた……!ええかげんにしよし!!」

「うふふ、怖いわぁ。リヴィアに聞いたわよ?"風"は第3位だって。貴女、相当プライドが高いでしょ?あとナルシストで自分の容姿の良さを理解してる。服にも話し方にもよぉく出てるわ。それに小さい頃からその力を使えたものだから、誰かに見下されるのは死ぬほど嫌い。でもそれ以上に、そんな優雅でない本心を見抜かれるのが嫌いで……今はなんとしても私のことを殺そうと画策してる」


 桜子にとって彼女の口調に隠された秘密などは微塵も興味がない。

 当たっていようがハズレていようが頭に血が上るならそれでいいのだ。冷静さを奪うことが肝要である。その他こじつけもいい所だが、やはりそこにも正確性は必要ない。


(とはいえ、ここまで短気なのは予想外……これも洗脳の影響かしら?)


 風の刃が意味をなさないと理解したのか、愛帆はどこからか小瓶を取り出すと逆さにし、その中身の液体を風に乗せて散布する。色はピンク、香りは桜。第59位の"毒"を司る老婆特製、数分しか効果がもたないものの、空気に触れて気化する即効性の毒だ。

 それは本来存在しない毒。風に巻き上げられて拡散し、あり得ない程に鮮やかで幻想的な毒。


「殺す……殺す!絶対殺す!!刃ぁが効かんのやったらこれでどぉ!?息止めてても霧散はしぃひんよ!!」


 風を操る事で作り出した檻が、桜色の煙を散らせず留める。

 たっぷり30秒、華麗なる死の檻が解除されると、次第に煙が晴れていき――ケロリとした様子の桜子が、相変わらずの表情で楽しそうにしていた。


「今のは毒かしら?貴女の性根と違ってとても綺麗だったわ」

「……当たる瞬間に透過してるわけちゃう………ドアは開けとった…スイッチのオンとオフみたいに切り替えられる?せやったら――」


 毒による攻撃をフルに受け切った上で桜子は再度煽る。

 が、30秒の間にある程度落ち着きを取り戻した愛帆が桜子の分析を始めていた。


「あら、熱しやすく冷めやすいのね。時間空けちゃったのは失敗だったわ」


 想定よりも随分と落ち着いた思考を取り戻している相手の、次の行動を予見し桜子はすたすたと無防備に愛帆へと近づいていく。彼女の透過をある程度理解した相手がとる行動、とてもシンプルなそれは"無視"である。

 もしも桜子に何かしらの攻撃手段があるのなら、こちらの攻撃をひたすら受け続ける意味がわからない。ただなされるがまま放ったらかし、言葉で煽るだけ。両者共に有効な攻撃方法が存在しないのなら、相手にするだけ無駄である。

 ましてや今は互いに分断されている状況。厄介な第3位を釣り、その間に2人がかりでもう一方を潰そうという狙いなのかもしれない。


 と、思考しながらも歩み寄ってくる眼前の標的を睨みつけていた愛帆が驚愕に目を見開く。

 ゆっくりと歩いていたはずの少女が地面を強めに蹴ったかと思えば、滑るようにして急激に距離を詰めてきたのだ。それは浮遊したとしか表しようがなく、苦し紛れに放った風の刃が林の木々を切断すると同時、更なる混乱が彼女を襲う。


 トン、と。

 愛帆の豊満な胸のその中心。そこへ桜子の小さな掌がのだ。


 透過を解いたと判断し、コンマ1秒後にはもはや刃の体を為さない滅茶苦茶な力の奔流が少女に襲い掛かる。何もしないのなら見逃してやっても良かったのに、と。口の端を思わず歪めながら愛帆は思考するが、果たして桜子はダメージを負うどころか髪の毛1本揺れていない。


「残念。透過を解いたのは今こうして貴女に触れている掌だけよ?そして――」

「……えっ?……あ、ひ。ウソ―――やめっ」


 驚愕も。混乱も。恐怖も。

 風を操る彼女の思考が処理しきれないうちに、幽霊少女は言葉を紡ぐ。


「今から貴女の心臓に触るけど、毛が生えてるかどうかって気にしてたりするかしら?」


 なんてね、と舌を出していたずらっぽく笑うと、その手が愛帆の体内へと沈んでいった。

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