第17話 攻防は数秒で

 ずしん、と辺りを震わせながら巨人が体勢を整える。

 質量差で負けるハズのない相手に押し返され、困惑しながらも立ち上がったクスィラが正面の少年を岩越しに睨みつけ吐き捨てるように言い放つ。


「異世界だぁ……?イカれてんのかテメェ!まさかこんな馬鹿力が2位の野郎以外にもいるとは思わなかったがよぉ、テメェだって何かしらの大権持ってんだろぉ!!」


 周囲の空気を巻き込みながら振り下ろされる岩の拳は、優護の通う高校の教室まる1つ分の大きさと言ったところだろうか。まず生身の人間が耐えられる代物ではないのだが、攻撃はそれで終わりではない。不意に優護の足元の地面が隆起したかと思えば、次の瞬間には振り下ろされる拳を迎えに行くよう円柱状に突き上がる。


「ひゃはっ。派手に潰れちまえよ」


 突き上がる大地と振り下ろされる岩に優護が挟まれた直後、多くの破片をまき散らしながらもうもうと上がる粉塵に洞窟の中からいくつかの悲鳴が上がる。

 恐らくはレオノの庇護下にあるであろう人々のものだ。目の前で自分たちを助けに来た少年が潰されたのだから、その無惨な光景に対してなのか、次は自分たちであるという絶望に対してなのか、ともかく一気に洞窟の中は息をするのもままならない程の重圧に包まれる。


「わっはははは!さっきは驚いちまったが不意を突かれりゃそんなもんか!!そこの奴らはもう少し待っててな?な?虫がちゃんと潰せたか今―――」

「おしゃべりな奴だな」


 あり得ない声を聴いたクスィラが驚愕に目を見開くと同時、巨人の拳が砕け散る。

 先ほどよりも更に濃度を増した粉塵の中にまるで何事もなかったかのように立つ少年の影は、今の声が幻聴でも空耳でもないことを彼に突きつける。


「こ……の、野郎ォォォオオオオオ!!!!」


 優護の一言と、先ほどの攻撃が無かったかのような無表情に激高したクスィラが次々と地面を隆起させる。

 先ほど少年の足元を操作したのと同じように、その周囲の地面を何箇所も隆起させては先端を錐のように尖らせ次々と標的目掛け殺到させた。


 ふっ、と軽く息を吐いて前方へ跳躍した優護はその悉くを躱し、次の瞬間には巨人の胴体部分を形成する巨大な岩盤に密着する。


「なっ―――クソっ!離れやがれ!」


 少年は答えない。

 代わりにこつこつと軽く岩盤を叩きながら何かを確認するかのような挙動を見せた後、一拍置いてクスィラの視界が一気にひらける。

 岩盤が剥されたのだ。

 第19位の"大地"を司る男が創り上げた岩の巨人、その要たる胴は使役者を保護する為に最高レベルの堅固さを誇る部位である。それがいとも容易く、増してや素手で剥されるなどあり得ない。

 青空がのぞく目の前の光景が受け入れられず呆けていると、視界を遮るように黒髪の少年が現れる。


「化け……もの……」

「そうかい。失礼な奴だな」


 先ほどまでの悪態はどこへやら。虚ろな眼をした男は擦れる声で呟く。

 それに短く返した優護が彼の眼前へと両手を突き出し叩き合わせる――いわゆる"猫だまし"を身体強化を解かずに行うと、ビリビリと空気を震わせる程の爆音と爆風がクスィラを襲いその意識を刈り取る。


「やっぱ前みたいに出力上がってるか……ありがたいこった」


 少年はそう呟くと、気を失ったクスィラを抱えて崩れ始める巨人から離脱するのであった。



     *



 火柱が轟轟と音を立てて空気を取り込み燃え上がる。

 大権赦官が18位――"火"を司るピュール・ラリスは息をするように炎を生み出し、手足のようにそれを操る。自身を中心とした半径数十メートルを一瞬で焼け野原にする事も可能なら、一点集中させることで物体を焼き切る事も、今現在そうしているように炎の渦で相手の行動を――それこそ呼吸すらも許さない程に封じ滅ぼすことも可能である。


 常ならば、であるが。


 相手を炎の渦に封じた時点で、彼女の顔には余裕の笑みか、もしくはつまらない戦いだったとでも言いたげな不満顔が浮かんでいるはずだった。少なくとも、今のように渦を睨みながら冷や汗を流している事だけはあり得なかった。

 使役者である彼女が炎の影響を受ける事はない。彼女の頬を伝う汗は、紛れもなく緊張によるものだ。


 大権赦官の序列とは"管理者が持つ力により近い出力で振るうことが出来る者"の序列。それゆえ司る大権の内容によっては、純粋な戦闘能力で上から数えた時と赦官として与えられた数字とで食い違いが生じる事もある。


 が、レオノは別だ。


 今でこそ"反転"しているものの、大権赦官とは人々を絶望から守り救う希望の存在である。

 通常は世界各地に散り活動しているのだが、それでもお互いそれなりに情報は入ってくるもので、誰がどこで何人を助けたとかアイツは海底まではいけないから別の奴に急遽支援要請をしたらしいとか、何位のやつでも災害相手は流石に力不足で助けられなかった人が出たそうだ等々。

 華々しい活躍も、力不足に歯嚙みしたことも。何せ世界にたった100人しかいないのだから嫌でも注目され拡散される。


 ところがその中でレオノだけは、ピュールもその他の赦官たちも活躍以外を耳にしたことがない。1部では"安パイな現場にしか行かないのでは"、"無理な現場はハナから見捨てているのでは"と揶揄される事と、彼の目撃談が極端に少ない事からいまいちピュール自身も確証を得られてなかったが、つい先ほどの短い戦闘で彼女はハッキリとそれを得た。

 彼は本物である、と。


 触れるだけで彼女の炎を消したかと思えば、次の瞬間に受けた彼の拳は、何の大権も用いていないとは思えない程の威力を有していた。自身の大権によって高温になった物をつかむ為の防具を兼ねたガントレットで咄嗟に受けていなければ、そのまま意識を持っていかれていたかもしれない。

 そして一番彼女が得体の知れなさを感じたのは、彼が常に笑顔を絶やさない事である。こちらは完全に殺すつもりで力を振るっているというのに、まるで余裕の態度を崩さない。


 と、不意に彼女が炎の消失を知覚し、次の瞬間には炎の渦が掻き消え微笑をたたえた金髪の青年が姿を現す。


「私の拳をガントレットで防ぎつつ距離をとり、一瞬にして100層もの炎で檻を形成する……。流石ですね」

「クソがっ、嫌味にしか聞こえねぇんだよ!」


 レオノの言葉に悪態をつきながらも、手を休める事は出来ない。消されてしまうが、少なくともその間は彼の行動を制限することが出来るのだから。


 触れて消されるのなら大技に意味はない。最強の一撃ではなく隙のない攻撃を。


「これでどう!?触れりゃ溶けるよ気ぃつけなぁ!!」


 彼女が両手を、10本の指を前方へ突き出すとそれぞれの指の先から青色の光が放たれた。炎を1点に纏めて放ち、対象を焼き切るレーザー。赤や黄の炎よりも、更に高温のそれを指10本全てで行う。

 "触れれば溶ける"というのは本当で、ヒトの体など簡単に焼き溶かし切断してしまうだろう。わざわざ声に出したのは当然、彼だけでなくその後方で戦っている闖入者の少年や"更にその奥"まで狙えるぞという脅しである。


 これで時間を稼ぎ、少年を仕留めた後のクスィラと共に2人がかりで1位を潰す。

 それが咄嗟に彼女の思い付いた策。


 しかしこの策は一瞬にして前提を破綻させられる。

 彼女の視界の端で岩の巨人が無残にも崩れ去ったのだ。クスィラ自ら力を解除したわけではない、1位が残っているのにそんな事をするはずがない。であれば理由はただ1つで―――。


「あちらは終わったようですし、こちらも幕引きとしましょう」

「――あっ」


 ピュールが一瞬意識をそらした隙に、レオノとの距離は1メートルもなくなっていた。

 急接近されたことでその指先から放たれるレーザーは、10本全てが彼の胴や首、脚に腕などの至る所に当たっていたが、しかし不思議な――否。彼女からすれば不気味なことに表皮を焦がす程度に留まっていた。


「強く美しい人よ、貴女にその絶望は不要です」


 そんな言葉と共に伸びてきたレオノの指先が、ひたとピュールの頬に触れる。


 彼女の意識は、そこで途絶えた。



     *



 洞窟の中は100人以上もの人間が居たようで、つい先ほどまでの緊張が嘘のように賑わっていた。

 その中心に居るのは黒髪の少年と金髪の青年であり、今は大勢の人々に囲まれている。


「本当に、本当にありがとうございました……レオノ様はもちろん、そちらの貴方も大変お強いのですね」

「なぁチラッと聞こえたんだが異世界って本当なのか?赦官でもないって?おいおいおいおい……この世界はどうなっちまってんだ」

「ちょっとは考えてから物を言いなさいよ!レオノ様が何とかするっておっしゃってたでしょう!」

「そーだそーだ、そっちの黒髪の兄ちゃんだってあんなにつえーんだ。おっさんが弱気になってんじゃねぇよみっともねぇ!」


 初老の女性からお礼をされたかと思えば、すだれ頭の中年男性が嘆き、それに対する気の強そうな少女の反論にガタイのいい青年が同調する。


 戦闘から数分後。

 優護はすっかり洞窟内の人々にも受け入れられたようで、先ほどから何かと質問攻めに遭っては苦笑いで誤魔化していた。

 力を、それも見た限りかなり強力なものを持っているであろうレオノならばともかく、そうでない人々に"このままだと世界は滅ぶ"だなんてことは口が裂けても言えはしない。どう考えてもパニックを引き起こすだけである。


「レオノさん、良ければ2人で話がしたいんですけど」

「奇遇ですね。私もそう思っていました」


 コソコソと、周囲の人間に聞こえないように少年が耳打ちすると青年は笑顔で応じ立ち上がる。


「それでは私と優護は念のため彼らの見張りに戻りますので、窮屈な思いをさせてしまい申し訳ございませんが、どうか皆さま海の近くまでは出ないようにお願い致します」


 レオノの声はよく通り、洞窟内の喧噪は一気に静まると、次いで了承の声が辺りから聞こえて来る。


「ご協力ありがとうございます。……さ、それじゃあ行きましょう」


 促されるまま彼の後について優護が洞窟を出ると、先ほど撃破した2人の大権赦官が砂浜に横たわっているのが見えてくる。縄の拘束など意味はない為、特に何も施さずに寝かせているだけだ。


「レオノさん、本当にあのままで――」

「よろしければ私の事は是非呼び捨てでお願いします。それから敬語もなしだと嬉しいです」

「……え?」


 突拍子もない提案に、優護は拘束もせず放置している2人のことを一瞬忘れかける。


「実は私、人造人間なんです。生を受けた時からこの姿なので人生経験というものは未だ6年しかありません。貴方の方が先輩なのです」

「え」


 もしも再戦することになったとしても、2人が砂浜から背中を離す前には再び決着をつけられると見当をつけて優護は一度彼らについて考えるのを放り出す。

 それ程までに今の青年の言葉は衝撃的であった。

 が、彼は更に口を開き言葉を紡ぐ。


「それに救世主制度というのも実は聞いたことがあります!この状況と異世界から来たという発言が結びつき、思い出すことが出来ました。この事は他の方々は知らないハズなのでご心配なく」

「はぁ」


 とてもいい笑顔を向けられて、反応に困った少年は間の抜けた相槌を打つ。

 異世界ジョークだろうか?と一瞬考えかけるが、しかしレオノがこんな状況でそういった類の冗談を言うような人物でないことは今までの言動、行動から見て取れる。つまり――


「管理者ディアマントによる大権赦官が第一位、"希望"を司るレオノ・エスぺーロと申します。改めまして、この度のご助力に感謝を」


 見た目は当然、振る舞いから何まで完全に年上にしか見えないこの男は、実は年下の人造人間だという事である。


「おー、うん。いやまぁそう硬くなるなって、そっかそっか年下か……いやでもほら、これから一緒に戦う仲間なんだし俺にも敬語は使わなくていいよ。対等でいこう対等で」

「……!はい!ありがとうございます、対等な相手……友人というのは初めてです」


 半ば投げやりな優護の返事に感激した様子でレオノが答えると、優護もフッと力を抜いて微笑む。

 突拍子もないカミングアウトに少々困惑もしたが、それも一瞬。慣れてしまえばどうということはない。

 目の前の青年はどこにでもいる優しい心をした、普通の人間であった。

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