第9話 夜明け

「優護さんたち大丈夫かな……」


 時刻は深夜の3時になろうとしている頃、オールスの街を廻りながらサラが姉へと不安げにこぼす。

 夜明けまではあと2時間といったところだろうか。彼らが廃城へ赴いてから7時間近くが経過してなお、街から怪物の姿は消えていなかった。


「そう信じるしかないわね。考えても仕方なし、私たちは私たちに出来る事をしておきましょう」


 彼らと別れてから、姉妹は各避難所を巡り、その入り口に水で蓋をしていた。

 夜明けがリミットであることや、元凶が10歳の少女であることまでは伝えない。ただ、問題が解決出来そうで、自分も打って出るから一時的に水壁を解くこと。代わりに避難所の入り口に怪物が侵入できないよう壁を作らせてもらうこと。朝までには解決する見込みだが、水壁がないためにその間みんなの家が無防備になってしまうこと。その3点を説明していた。家については、こんな状況で火事場泥棒が出るとは思えないが念のためだ。


「そんな、わたし共の家なんて気にせんでください……それよりもどうかお気をつけて」

「そうですよ!物はまた作れますけど、フィエリ様に何かあったら……」


 どの避難所にしても、反応は似たようなものである。

 事態の早期解決と、家財の防衛。それらを天秤にかけた上での気持ちも少なくはないだろうが、それでも間違いなく、彼らはフィエリの心配をしていた。

 本当に自分は人に恵まれていると、そう秘めやかに思いながら、次の避難所へ妹と共に向かう。


 彼らが苦戦をしているのか、あるいは既に返り討ちにあってしまったか。

 どちらにせよ一刻も早く駆け付けなくてはならない。どのような結末を迎えるにしても、これは自分たちの生きる世界の問題。部外者である彼らを責めたところで終わるのはこの世界だし、そもそも責めることなど出来はしない。

 どんな決着でも、その場に居合わせなくては――。



     *



 戦闘開始から数時間。濡れタオルで肌を叩く音を、数百倍にしたような爆音が夜の廃城一帯に響く。

 それから一瞬遅れで泥の触手が吹き飛ばされ――否、破裂し飛散する。触手を数本束ねることで破壊力を増したソレは、優護の背後から迫るものの気取られ左の裏拳打ちで跡形もない。

 が、飛散しながらも変形再生した触手はそのまま優護の左腕に巻き付くと、彼の体を軽々真上へと放り投げる。泥塊よりも高く、優に15メートルはうち上がった彼が頭から落下を始めると、その下では錐の様に先端を尖らせた触手が待ち構えている。どうもあの泥塊、触手の形はハエトリソウだけではないらしい。状況に応じて様々な機能を持たせられるのだろうか。


 「なんて考えてる場合じゃねえなっ……と!」


 右手を払うようにして錐の先端を横殴りに叩く。尖部が破裂し、幾分か平らになった触手を左手で掴むと、曲芸じみた挙動で体勢を整え空中一回転。そのまま危なげなく少年は着地する。全部ぶつけて来いと、その上で幸せになってもらうと、そう告げてからの彼女の攻撃は、より一層鋭さを増していた。

 いや、鋭さはそこにない。在るのは凶暴さだ。ただただ荒々しいその攻撃は、彼女自身にも制御出来ているのか怪しい域にある。加減の要らない相手を前にしてタガが外れたのか、はたまた優護の言葉が引き金になったのか、その攻撃には一切の容赦がない。


「夜明まであと2時間ないけど大丈夫そうかい?」


 巻き込まれないように少し離れた空中から、スメラルドが声をかける。その声から台詞に反して余裕が幾分感じられるのは、事前に優護の作戦を聞いている為だろう。一方で当の優護にはさほど余裕を感じられないのだが――。


「直接地面に触れでもしてんのか?異様な再生速度で戻りやがる……!」


 あと一歩。いや、一言。

 それだけ伝えられれば恐らく状況は好転、解決するはずなのだ。この凶暴さの増した状態になってから一言も発さず、呼びかけにも応じることが無いままに数時間が経過しているが、あと一回コミュニケーションが取れさえすれば、伝えられさえすれば世界は、彼女は救うことが出来る。


 ただし伝えるならばしっかりと。相手も落ち着いた状態でなければいけない。たった一度のチャンス。"そんなもの関係ない"と狂乱のままに暴れられてしまっては、強硬手段しか残らない。

 何か、彼女を泥塊から安全に引きずり出して、しっかりとこの世界に残された彼女の幸福を、希望を教えてあげられるような状況を作り出さなければ――。


 「頃合いね」


 桜子が眼下の行き詰まりを眺めて呟く。

 五条優護とテレストラ・フィーユの戦闘は一進一退、ですらない。この数時間、全く同じ攻防の繰り返しである。テレストラの操る泥塊が放つ触手を、優護がひたすら捌いていくだけ。時折、不意打ちの様に四足の怪物も現れていたがアッサリと対応されていた。

 あと一歩ではあるが、今の五条優護では最善を尽くしてなお足りない。これは彼の持つ身体強化で解決出来る問題ではない。テレストラを泥から引き摺り出そうにも、力加減を誤れば泥塊ごと殺しかねない。かと言っていくら触手や怪物を潰した所で彼女には何も響かない。つまりは、でも起こらない限り、この状況は覆らないのである。


 「そういうわけだから、事前に話してた通り貰っていくわね」

 「それは構いませんが、果たしてそれで本当に上手くいくのですか?やはり不安になってきました……」


 横に立つアメティストの問いに言葉を返さず軽く微笑む桜子の仕草が、一層不安を煽る。が、次にアメティストが口を開くよりも先に桜子が彼女へ向けて手をかざす。それも一瞬で終わると、短くありがとうと述べて今度はスメラルドの元へと飛んでいく。


 「おっ、その時が来たかい?いいとも、好きなだけ持って行きたまえよ」

 「それじゃあ遠慮なく」


 近づいて来る桜子の姿を見て察しがついていたようで、2人のやりとりは実にスムーズに終わる。これで管理者2人分のを抽出することに成功した。五条桜子の持つ「天運操作」の心式、その能力は自分、或いは他者の持つ幸運、不運を自由に入れ替えるもの。となればやる事は唯一つで――。


「いくわよ優護ッ!しっかり受け止めなさい!」


 五条優護の持ち合わせていた不運が、管理者の持つ莫大な幸運へと置換されていく。人間と管理者ではそもそもの総量が異なる為、溢れる分は彼の周りへとひたすら撒き散らされる形になるのだがそれもお構いなし。ここ数時間の鬱憤を晴らすかのように豪快に幸運が注がれる。


 一言に幸運と言っても、それは場面と状況によってもたらされる結果は如何様にも変化してしまう。例えば、テレストラに全く太刀打ち出来なかったならまずは触手が突然痺れて動かせなくなるだとか、彼女を救う手立てが最後まで思い浮かばなければ何かしらの偶然が起きて、自分だけは元の世界に帰還して世界の終焉に巻き込まれないだとか、そういった彼らの望む結果とかけ離れた事態だって起こりえるのだ。

 だから幸運のターゲットを絞る必要があった。数時間かけてあらゆる方法を試し、それでもあと一手足りない。その状況まで整える必要があった。間違いなくその幸運が、テレストラ・フィーユの救済に向けられる必要があった。


 そうして、このままでは世界も少女も救えず、切り札はあるのに手詰まりで朝を迎えかねない状況になった今。幸運にもそれを打破出来る人物が、自らやってくる。


「お~い!もう解決した……ってデカ!あんまり遅いから来てみればまだ全然相手も元気そうじゃない!」

「うぅ、本当に勝手に来ちゃって大丈夫だったのかな……」


 優護の傍の空間が水面の様に揺らぎ、そこから騒がしくリール姉妹が現れる。

 スメラルドから必要になったら呼ぶからと、そう言われていた姉妹に対する優護とスメラルドの反応は、まさに正反対であった。


「ナイスタイミング!ちょうどフィエリが必要だった!」

「来ちゃったのかい君たち!?いいかい、くれぐれもテレストラへ向けて軽々に協心術を使わないでくれよ?特に君だフィエリ」


 仮にもお嬢様であるフィエリにとって、同年代の少年から呼び捨てで「必要だ」などと言われる経験は初めてのことであり、少なからずドキリとさせられたのだがそれ以上に状況へ対しての困惑が大きい様である。


「えっ、えっと……?」

「ありったけの水を使ってあの泥塊を洗い流せるか?中にテレストラが居るからアレごと殴り飛ばすわけにもいかなくて困ってたんだ」

「なかなか難しい注文をサラっとするわね……でも任せなさい!水壁を解いた今の私に不可能はないんだから!」


 頼られるのが嬉しい性格なのであろう。どことなく上機嫌かつノリノリで返すと、どこからともなく大量の水が現れる。その量は街で見た水球の比ではない。

 全長8メートルを超える泥塊の、さらに倍。それでも水壁の規模を考えると恐らくは全力ではないと思われるその水量に、泥塊が呑み込まれる。優護や桜子からすれば、さながら透明な洗濯機の中で水にもまれているようにも見えるその光景。驚くほど簡単に泥塊が解けていく様子を見て、スメラルドだけが一人慌てた様子で叫ぶ。


「だ、駄目だフィエリ!あんなに簡単に解けるハズがない、アレはワザとだ、今すぐ水を――」

「あ、あれ?」


 言い終わる前に、得意気だったフィエリの様子が変わり、同時に水球内の動きが止まる。

 もはや原型を留めていない泥塊から、小さな影が飛び出すと、途端に水球が蠢き始める。しかしそれがフィエリの意思ではないのは彼女の愕然とした表情を見れば一目瞭然。つまり。


「あの子……私の水に生命を与えて自分の武器に変えた……?」

「だから気をつけろって言ったのに!いや説明をしてなかった僕も悪いけどさぁ!!」


 これこそが五条優護が呼ばれた最大の理由。

 形有るモノに生命を与えることの出来るテレストラは、自然の力を操る協心術者では打倒出来ない。その攻撃の尽くは、彼女が触れた途端に彼女のしもべと化してしまう。生命を与えられたものは最早この世界に確立された新たな存在。みなもとの協心術者によって操られる対象ではないのだ。無論、サラの"空間"ならば形が無い為に支配される事もないが、そもそも誰かを攻撃出来る協心術ではない。


 べちゃり、と重量感のある湿った音がして、泥塊だったものが水の中から吐き出される。

 水球なぞは最早跡形もなく、そこにあるのは新たな生命を授かった水龍の姿である。球状ではなく縦に伸びた分だけその全長は優に泥塊の3倍以上。8階建てのビルにも匹敵する高さである。長い胴体に角、短い手足が2対のその姿は、優護達の世界で言い表すところのドラゴン……というよりは東洋の竜である。


 角の間に見える小さな影。水龍の頭に腰掛けるその人物がテレストラ・フィーユ本体。強化した優護の視力がようやくその姿を捉える。

 肩よりも少し長いボサボサの金髪と、世界に希望を見出せない虚ろな碧い瞳。見下ろしているその眼には一切の熱がなく、在るのは恨みの内に溜まったおりだけ。数時間前に泥塊越しに見せた激情も、最早死んでいる。


「ごっ、ごめんなさい!まさか協心術をそのまま利用されるなんて考えてなくて、その、私っ……」

「いいや、でいい。


 なかばパニックに陥りかけているフィエリの肩を叩いて優護が告げる。

 より優秀な、より強力な守護者が手に入ったから泥の鎧を捨てたのだろうが、それこそが少年の求めた展開。テレストラの位置さえわかれば僥倖、程度だったのだが幸運にも外に出てきてくれている。


「ベストって君なぁ……まっ、いいや。そう言うからには何とかなるんだろう?」

「当然」


 管理者が思考放棄気味に投げた言葉に短く返すと少年は走り出す。

 同時、迎え撃つ水龍が空を泳いで猛進する。

 いつの間にやら少女は水龍の頭から背へと滑るように移動し、金髪を風に靡かせていた。見る人によっては"ボロ"と呼ばれるであろう衣服を纏ったその姿は、しかしこの場面においてはある種の神々しさを感じさせ、それこそ神話や御伽噺に登場するようなドラゴンライダーを連想させる。


 片や強化された身体で地を跳び、片や巨大な水の肉体で空を飛び、両者の間合いが10メートルに差し掛かったその時、ガパッと水龍が大きく口を開けて水の砲弾を打ち出す。水にも堅さは存在し、どれだけ形のないように見える液体であったとしても、変形するのには時間がかかる。その水面が変形する速度よりも速くぶつかったのなら、当然それは液体ではなく固体として振舞うのだ。そしてこれもまた当然、水龍と少年はスピードで動いており、不意打ちじみたこの一発は、確実に少年を仕留める一発となり得る攻撃である。


 これが世界の危機に関係なく、身体強化の出力が常であれば、だが。


「――ッラァ!」


 裂帛の気合いと共に突き出した右の拳が、字義どおりに水の砲弾を霧散させる。

 その光景に僅かばかり少女が動揺した瞬間を見逃さず、縦に開いた両足で地面を削りながらブレーキをかけると、まるで抜刀術の構えのように足を開いたまま姿勢を低くする。10メートルの距離は一瞬で埋まり、致命的な隙を見せたまま飛び込んでくる水龍の、その顎を左脚で蹴り上げる。


「ウソでしょ……」

「――――」

「流石に驚いたなぁ」


 顎を蹴り上げられた水龍はあまりの威力に真上へと打ち上げられ――る前に頭が先ほどの砲弾よろしく霧散する。その一連の衝突を見ていたフィエリがなんとか感想を口にするが、妹のサラは姉の後ろで表情が驚愕のまま固定されている。スメラルドでさえ感心した様子で呟くと、その直後にはまた少年に動きが見える。


「どうせこれも再生するんだろ?その前に……っと」

「ッ!!」


 首無しになった水龍が動きを止めたその瞬間を見逃さず、少年は竜の背へと飛び乗る。

 とうとう間近に迫られた事が刺激を与えたのか、僅かばかり少女の表情に怒りが差すが、構わず少年は彼女の目を見て真っ直ぐ言葉を紡ぐ。


「助けてやって欲しいってさ。人殺しにしないでやって欲しいって、そう言われたよ」

「……は?」

「城の中に居たの、家族だろ?」

「…………」

「それを伝えたかった。君に幸せに生きて欲しいって、君の大切な人は考えていたよ」

「それが……なに……?」


 アメティストの話からの予測でしかない部分もあったが、少女の反応を見るに少年の考えは間違いではなさそうである。常であれば何故目の前の少年がその事を知っているのか疑問に思うはずであるが、今の彼女にその余裕はない。もう家族の事は忘れようとしていたのに。いや、先ほどまでは確かに忘れ去っていたのに、少年の言葉がそれを妨げる。


「それが今の君にも残されている幸福だよ。自分が死んだって、それでも君の幸せを願ってくれる。そんな人たちに君は愛されているんだから、それは間違いなく――胸を張って誰にでも誇れる君の幸せだ」

「――――――――」


 少年の話の途中で、少女はその気になれば7回は殺しにかかることが出来た。そのベラベラと耳障りな音を垂れ流す口を封じる為に動くことが出来るはずだった。けれども実際は、彼の言葉を聞いてからずっと、脳裏に浮かぶ忘れたはずの笑顔がそれをさせてはくれなかった。


 もしかしたら、ここで全て投げ出したのならまだ間に合うのかもしれない。自分の世界は、本当はまだ終わっていないのかもしれない。だってそうだ。あの優しくて、頭がよくて、頼りになって……大好きだった人たちが、まだこの世界を生きる自分の幸福を望むって事は、そういう事なのだろう。


 そう少女が思い至った時、真っ先に目に入ったのは目の前の少年の姿であった。

 両手は乾いた血で赤黒い線が無数に走り、服はボロボロ。擦り傷や切り傷は数えきれない。そんな姿にしたのは他の誰でもなく、彼女本人である。寧ろ目の前の少年はまだいい方で、何の覚悟もなく、戦闘手段も持たない人間から手足を奪ったことすらあった。

 "この世界は間違っている"と、そう信じていたフィルターが除かれてしまった今、彼女は自らの行いに潰される。老若男女ありとあらゆる悲鳴と苦悶に満ちた表情かおが脳裏に溢れ出す。

 或いはそれは、この千載一遇の機会が与えた少女を手放すまいとする自然による抵抗であったのかもしれない。彼女に耐えがたい苦痛を与え、"いっそ楽に"と思わせてその肉の器を得んとする策謀だったのかもしれない。


「あっ、あぁ……あああっ、駄目。ダメダメダメ。幸せになっちゃいけない……あっ、あたっ、あたしは!あたしはそんな権利――」

「テレストラ!」

「――ッ」


 眼の焦点が合わなくなった途端、壊れたように言葉を漏らす少女へと、少年が強く呼びかける。

 彼女がこうなる事を全く想定していなかったわけではない。だから、フィエリの言っていたことを信じてこう告げる。


「テレストラ、幸せになる権利はちゃんと君にある。やっちまった事は。なに、何てこと無い。伝説の救世主が女の子一人助けられないハズがないだろう?」


 この王国に暮らす者ならば誰もが知っている救世主の御伽噺。小さな頃から聞かされ育つが故に、その影響力は計り知れない。壊れかけていた少女の精神が、幸運にも持ち直す程に。


「だから、そうだな。ただ幸せになりたいって考えてくれ。そうすればもう、その協心術ちからが君を蝕むことは無い」


 "生命"を使役する。それが人間には過ぎた力であるかなんて事に少年の興味は向かない。ただ、間違いなく今の使い方は、人を理由なく攻撃するために使うのは、テレストラ・フィーユという少女の人生には不要なものであろうと考える。


「ほん……とうに?それだけで?」

「ああ、約束する」

「………………ありがとう」


 弱々しく、けれども確かに。少年と少女が初めてをする。

 そしてその直後、彼の心式が新たな異能をその身に宿す。


 。目の前の少女が持ち主となる異能である。


 "救済の心式"――その能力の1つである異能の拝借。

 その条件は"既知の異能であること"、"持ち主と目的が合致していること"、"他者の為に振るうこと"。そしてその制約が"五条優護がその異能を使用している間、元の持ち主は異能を振るえなくなること"。つまりこれは、"自分が前線に出て戦う"といった心性から課されていた制約を利用した、ということになる。


「……不思議な感覚だ」


 心式と異なる協心術の感触に感想をこぼすが、すぐに意識を目前のテレストラへと戻す。強大な力から解放された彼女は、足元がおぼつかないようでフラフラしている。と、ここで足場になっていた水龍が一瞬だけブルリと振動し、直後にはバシャバシャ……どころではなくザパザパと大きな音を立てて元の水へと戻っていく。


「どうやらこの水龍は本来の許容量を超えた産物だったみたいだね。獣化直前まで行ってこその代物故に、僕らの世界に来ても活動出来ていた泥とは違ってその生命すら保てなかった……と僕は見た」

「へえ……それじゃあ早速頼むわ」


 いつの間にやら隣に陣取っているスメラルドが解説を入れるが、優護はあまり聞いていない様で何かを彼女に促す。


「わかっているとも。それじゃあうん、何かあれば急いで呼ぶけど、一足先に帰らせて貰うね」


 そう言いながらヒョイとテレストラを担ぐと、目の前の波立つ空間へ姿を消す。

 これで優護が協心術を解除したところで彼女に影響は出ないだろう。協心術者は意思を持った自然と契約を交わす者。スメラルド世界――優護や桜子の暮らす世界では、自然に意思は与えられていない。

 これにて、世界救済の作戦は完了である。


「見てたわよ、ゆー君。お疲れ様」

「残っている四足の怪物は最早再生能力を持っていませんから、直に滅ぶでしょう。生殖機能もありませんし、そもそも大本の協心術者が不在の今、かなりの弱体化をしているハズですし……ええ。本当にありがとうございました」


 飛行が可能な桜子とアメティストの2人が、最初に優護の元へ駆け付け、それぞれに労う。その言葉を受けて笑顔を見せながら、優護は"治癒"の心式を発動させて傷を癒してゆく。


「おーい、お疲れっ!すっごいじゃんアンタ!あんなパワー持ってるなんてね」

「あ、あの、私なにもお役に立てなくて…………すみません……」


 陽気全開と陰気全開。飛行組から少し遅れてやって来た姉妹は正反対なテンションである。姉のフィエリなんてアッハッハ!とお嬢様らしからぬ笑い方で優護の肩を叩いている。水球を支配された時のような弱気な姿は似合わないので、優護としてもその方が良いと思えるのは確かなのだが。


「いやいや、役に立ってないなんてそんな事はないさ。現にこうしてフィエリをここまで連れてきてくれているし、そもそもの始まりは、サラが呼ぶ声だったんだから」


 例えそれが管理者の仕組んだものであったとしても、彼ら姉弟がその気になったのは確かなのだ。それに、と少年は続ける。


「街の人たちの為にずっと頑張ってたのは、一番頑張ってたのはサラじゃないか」


 その言葉に周りの3人も頷くと、サラが顔を真っ赤にして俯いてしまう。


「そうねぇ……何日もああいった環境で、それでもあの街では致命的な人間同士の争いが起こらなかったのは、間違いなく貴女が頻繁に各避難所を廻っていたからね。貴女は多くの人を、そうとは自覚せずに救っているの。その人性は素晴らしいものよ?」

「その通りです。管理者である私が保証します。貴女は素晴らしい人間だ。善き人間だ、と」

「いやぁ、照れますねぇ……!なにせ自慢の妹でして」

「もっ、もう……やめてよお姉ちゃん…………」


 姉にだけはなんとか(小声で)抗議したサラだが、耳まで真っ赤なその顔は、今にも泣きだしそうである。これが褒め殺しかと感心していると、その矛先は優護にも向く。


「もちろん貴方もですよ?異なる世界の為によくもまあここまで……それにあの少女のことも助けてくださいましたね。それも本当に、本当にありがとうございました」

「そ、そうですよぉ!優護さん本当に凄くて、あの、スピードとか、パワーとか、えっと」


 アメティストに便乗して自分から話題を逸らそうと必死なサラが微笑ましいが、やはり彼はあまり丁寧にお礼を言われるのはしっくり来ない様である。当然と言えば当然、彼の異能はそのほとんどが借り物なのだから。スメラルドの夢を見た時もこう思ったのだ「こんな俺がヒーローとは」と。借り物の力で出した結果に感謝される事に今更口をつく愚痴も無いが、それでもあんまり大げさに感謝されてしまうとむずがゆい気持ちになるのはどうしようもない。


「あ、見て。夜が明けるわ」


 と、桜子の一言に釣られて一同が東の空を見る。

 力強く輝く太陽の光が、水平線の山々の隙間からこぼれて夜の帳を焼いてゆく。

 人類終焉の夜は終わり、この夜明けは希望を謳う朝となる。






 どうか今日という日が、穏やかな一日になりますように。

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