第8話 大丈夫

 優護が声の主を探して奔走している頃、サラがリール邸へ転移したのを確認した桜子とアメティストが、廃城からおよそ800メートル離れた地点に辿り着いて居た。

 廃城が一望出来る高台の、更に地面から数メートル離れた場所でフワフワと揺れる桜子。その役目は廃城の監視と優護のサポート。この廃城がテレストラの根城という事は判明しているが、万が一という事もある。城の中へ直接侵入してきた優護に驚いて逃げ出さないとも限らない。逃げられて、そのまま朝を迎えれば世界は終わってしまうのだ。

 ちなみに、それを発見した場合の優護への伝達役は管理者の2人が担当することになっている。そのことを思い出した桜子が「確認なのだけれど」と、疑問を口にした。


「全ての異能を持っていて、私たちに異世界の言語を与えたり、他人の記憶を与えたり、意思伝達までサポートしてくれるのはありがたいわ。でもやっぱり、貴女たち自身が戦うことはしないのね」

「えぇ。わかっているかと思いますが管理者は人に何かを与えられても奪うことは出来ません。それは単に物体の話ではなく、時間や自由などの概念的なモノまで含めてです」


 最初にスメラルドがしていた説明と、同じ内容を繰り返される。


「ですから私たちに出来るのはせいぜいがサポートまで。直接的な元凶の排除や停止は、貴女たち姉弟の様な人間に行って貰わなければなりません」

「そう。まあ、あんなにコロコロと気分が変わるんだもの。下手に力を振るわれるよりも安心できるわ」

「む、言っておきますが"人類の味方"である点はブレませんからね?そこは不変の大前提です」

 

 桜子が若干棘のある言い方で返すと、紫の管理者が細かく反論する。どれだけ思考や感情が変わりやすくとも人類の味方という部分は変わらない、と。そこがブレてしまうのなら人類などとうに滅びているであろうから、当然と言えば当然なのだが。


「……あら、動きがあったみたいね」


 アメティストと会話をしながらも、眼下の廃城へと常に注意を払っていた桜子が何かに気付く。

 優護が城内に転移してからおよそ15分。沈黙を守っていたが、身じろぎをするように震えたのだ。

 城の3分の1程を覆う巨大なその泥山は、それ自体が一つの巨大な生物であり、同時にテレストラを護る強力な鎧である。あまりの巨体故に自力での移動が困難なその生物は、勿論自然界に生息するものではない。恐らくは周囲の地面と、廃城付近の湖を合成して作り上げたメイド・イン・テレストラだ。


 数分前に初めてこの生物を視認した桜子は、何と無く幼い頃に遊んだスライムを連想。その喚び起こされた記憶と比較すると、素材が素材だけに目の前のスライムは汚く感じられ、差し詰め風雨に晒された野良スライムね、などと独り言ちていた。


「あんな巨体とはまさか思わないでしょうから、彼も今頃驚いているでしょうね」


 他人事のように呟くと、アメティストはリール邸にて転移の直前に彼が語った作戦を思い出す。

 一か八か、とまでは言わないが、それなりに無茶苦茶な作戦だと感じたのは、恐らく自分が彼ら姉弟について詳しくないからだろう。そう納得しようとした彼女の脳裏にもう一人の管理者の強張った表情が過るが、見なかったことにした。

 心配したところで自分には世界を救う決定打は打てないのだ。信じて見守る事しか出来ない。

 そんなアメティストの様子を見て、桜子も同意してくる。


「そうね……でも関係ないわ、優護はきっとやり遂げる。だから私は、を見逃さないように見張るだけ」


 弟への信頼をキッパリと口にした桜子が、これまで以上に集中を高める。

 夜明けまでおよそ9時間。

 いよいよ世界を救う大一番の――幕が上がる。



     *



 彼が彼らの部屋に居たのは、せいぜいが5分ほどであった。

 「あの子を助けて」「お願い」途切れ途切れにそればかりを繰り返す彼らの体は、外見だけならばどこにも負傷は無く、顔色も悪くはなく、健康体そのものに見える。しかしその動作はまるで潤滑剤が不足している歯車のように軋み、からの瞳はどこを見ているのかハッキリしない。まるで身体と中身が一致しないかのような不気味さを感じさせる振る舞いであるが、心の声はその限りではなかった。

 娘を、妹を、どうか、どうか助けて欲しい。あの優しい子を人殺しにさせないで欲しい。

 そう、彼らの思いが熱を帯びて伝わってくる。死者からの救援依頼という何とも奇妙な状況。だがこれを彼が断わるはずもない。

 死してなお誰かを思う彼らの心性と、それほどまでに愛されている彼女の人性。

 ハナから彼女を救うつもりではいたが、なおさら彼の心に火が付いた。


「ああ、任せてくれ。世界ごと助けて来るよ」


 そう言い残して部屋を去る。

 ここまで来る途中でまだ見ていない方へと廊下を進みながら、ふとあることに気付く。


 (そういえば、あの部屋の周りにやたらと怪物が居たのはテレストラが彼らの護衛のつもりで置いていたのか……?)


 部屋の中にまでは怪物共がいなかったのも、それならば納得できる。と、そんな事を考えていた優護が視界に違和を感じる。立ち止まり、廊下の突き当りを見てそれに気付く。廃城故に壁の至る所に穴が開いているのだが、そこから夜空が見えないのだ。見えているのは、何かドロドロとした物体で――。


「……っ!?泥か!」


 優護の声に反応するかの様に泥がブルリと震えると、壁の穴から泥で出来た触手を伸ばしてくる。その先端はハエトリソウの様な挟み込み式の食虫植物を連想させる凶悪なデザインだ。


「アレに捕まるのはなかなか痛そうだ……っと!」


 横の城壁を破壊し急いで外へと飛び出す。城の2階だろうと身体強化の前では関係ない。危なげなく地面に着地し、そこで敵の全貌を初めて把握する。


「オイオイ……なんつーデカさだよ」


 思わずそう言葉を溢すが、とにかく時間が惜しい。優護は少し強めに殴りつける事でこのデカブツを手早く片付けようと構え、そこでいつのまにやら彼の傍らに現れていたスメラルドに止められる。


「まあ待ちなよ。アレは他の怪物とは違うらしいぜ?いやなに、大きさだとか見た目もだがそうじゃない。あの怪物の中からテレストラの幸運/不運のゲージが見えるってさ」


 二者の幸、不幸を入れ替える桜子は、その副次的な能力として対象の持つ運を視覚的に捉える事が出来る。そしてそれは桜子が対象の姿を認識しているか否かを問わずに効果を発揮する為、ある種の索敵能力としても機能するのであった。


「あの中に……!?わかった、サンキューな」


 危うくテレストラごと殴り飛ばすところであった優護が構えを解く。これで力任せに本体を殴りつける事は封じられた。触手の生えた泥塊は先ほどからこちらに近づこうとも遠ざかろうともしない。その巨体故に身動きが取れないとしたら、機動力を0にしても問題がないと思えるだけの防御力や迎撃手段をアレは備えているのだろうか。

 しかしそれならば作戦に支障はない。寧ろ逃げ回ったりしないのだから好都合だ。


「じゃ、また何かあった時は教えてくれ」


 スメラルドに一方的に告げると、泥塊目掛けて優護は駆け出す。すると即座に触手が反応し、そのハエトリソウの様な先端で噛みつこうと伸びてくる。真正面から地を這う様に、目前まで迫るとその大きさがよくわかる。触手の先端部だけで身長172センチの優護が丸呑みできる大きさだ。


「うおっ、内側に棘付いてんのかよ!なんかこんなエグい拷問器具あったよな……アイアンメイデンだっけ?」


 城内と異なり月光が照らす屋外に出たことで、触手について嬉しくない発見をしてしまう優護。咄嗟に中世ヨーロッパで使用されていた拷問器具を連想し、迫りくるそれを前方へ跳躍して躱す。

 触手の先端が閉じられると、その衝撃がビリビリと背後の空気を震わせる。あれでは棘がなくとも挟み込む衝撃だけで獲物を粉砕出来そうだ、などと考えつつハエトリソウ部分よりも少々本体寄りの、細い管状の部分を狙って着地。立ち上がり様に手刀で管を切断すると、そのまま悶える管を全力で引く。すると、ミチミチと音を立てながら根本の泥を幾らか巻き込んで、雑草のように触手を引き抜くことが出来た。


「テレストラ!怖がらなくていい、俺は君の味方だ!」


 引き抜いたものを傍らに投げ捨てながら、優護が泥塊へ向けて叫ぶ。すると触手がそれに反応するかのように、3本まとめて少年目掛け殺到する。或いは砕かれ、或いは裂かれ、或いは躱されていずれも彼を潰すことは叶わない。


(よし……!声は中へ届いてる)


 襲い来る触手を捌きながら、呼びかけに対して反応があったことを確認する。先ほどの言葉は彼女を苛立たせたようだが、今はこれでかまわない。あとはただ耐えるだけ。条件が整う瞬間まで、ただひたすらに――。



     *



 この人、お昼くらいからあたしのヴェスぺグロを何回も簡単に殺してみせたお兄さんね?アルモニの触手も引っこ抜くなんて、ほんとうに嫌な人。他にもヴェスぺグロに立ち向かって来る人はいるけど、あの黒いローブを着てる人たちとは比べ物にならないくらい面倒。すばしっこくて、そのくせパワーもあって…………ああ。もしかしたらこの人が御伽噺の救世主さんなのかな?

 そうだよね。今のあたしはお兄さんたちの世界を壊す怪物だもん……


 ――は?


 キミノミカタ?何を言っているの?あたしの邪魔をしながら、味方?


 今更駆け付けて、あたしの、味方?


 ……ふざけないで。


 なんでそんな力を持っているのに今頃来たの?

 なんであたしの世界が終わる時には来なかったの?

 なんであたしが世界を終わらせる時には止めに来るの?


 どうして……?

 ねぇ。ねぇねぇねぇどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。どうして皆は死ななきゃいけなかったの?どうして何も出来ないあたしだけが生きてるの?どうしてこんなに辛くて悲しい世界を護ろうとするの?


 ねぇ、答えてよ。



     *



 死体に命を与えることが出来るとして、果たしてそれは生き返らせる事と同義なのだろうか?

 それが言葉を話さず、理性を持たず、矜持と無縁な獣であればそうなのかもしれない。


 だが人間は?


 一度失われた命が戻る事はあり得ない。なぜならばそれが可能である者は既に人間ではないからだ。或いは神と崇められ、或いは怪物や化生の者として忌避される。人間はそれを望みながら、実現した者が在ればそれは最早人間ではないと判断する。


 何故か?


 答えは簡単。のだ、心の奥深くでは。人間が生き返ることなど不可能であると。どれだけ望もうとも、それだけは起こりえないのだと。人間ならば誰しも、それこそ10歳の幼い少女であってもわかっている事なのだ。

 そもそも獣ならば、という前提も人間の価値観に拠るもので、結局彼女は獣に堕ちかけているその身でありながら、どこまでも中身は人間のままなのである。


 自然に身を委ね、世界を滅ぼさんとするその傍ら、焼け落ちた村の残骸から引き摺り出した家族の亡骸へ新しい命を与える。欠けていた手足は戻り、焼け爛れた皮膚は再生し、飛び出していたはらわたは在るべき場所へと収まった。

 けれどもそれだけだった。

 碌に体を動かすことも出来ず、言葉も満足に紡げはしない。何も映さない空の瞳が、彼らの中身を物語る。


 フィエリ・リールがそうであったように、協心術とは「出来る」と思うことが重要な異能である。自然から貸与されたその力をどう扱うかなど、人間の視点1つで如何様にも変化する。故に、テレストラ・フィーユが死者の蘇生、黄泉返りを一切の曇りなく信じ切れていたならば、また違った可能性もあったのかもしれないが彼女はそう在れなかった。

 親しい人間の蘇生は叶わず、壊れた彼女の世界は戻らない。

 であればこの世界に用は無く。最早彼女に残されているのはのうのうと自らの世界を謳歌する人類への復讐のみ。


 しかし彼女に無辜の民は殺せない。

 彼女がそれに気付いているかはまた別であるが、初めて人を襲った時に見てしまったから。大切な誰かを失うことを恐れる姿を、見てしまったから。失う痛みを知っている彼女に殺人は犯せない。

 だから本当に世界が滅ぶのは、彼女の心が磨り減り消え失せ、獣化したとき。

 それを止められるなら、世界はまだ終わらない。




「目を覚ませ!君は世界なんか滅ぼさなくっていい!ただ幸せに――」


 言い切る前に触手の薙ぎ払いを受けて優護が跳ぶ。戦闘を開始して数時間が経過し、時刻は既に真夜中。ひたすら呼びかけ続ける優護に対しての反応は、その間一切無かった。


「幸せに……何?」


 が、しかしここで初めてテレストラの声が響く。

 泥塊の中からどうやって外まで声を届かせているのか優護にはわからないが、少しくぐもった高い声が響く。


「この世界が奪ったんじゃない!幸せをっ、みんなを!あたしから!!!」


 少女の泣き叫ぶ声が聞こえると同時、一斉に触手が動きのキレと速度を増す。優護は躱し、裂き、砕き、触手を捌いていくが、とうとうそのうちの一つに足を掴まれてしまう。振りほどこうと意識をそちらへ向けた次の瞬間、彼の視界に大きく口を開けた触手の先端が映り――。


 ズドン、と乾いた重々しい音が衝撃を伴って触手に伝わる。


 初めて。初めてまともに攻撃を当てられた事を喜ぶ少女であったが、それも束の間。次の瞬間には思考が空白になる。

 明らかにやり過ぎたのだ。他の人間を襲う時には出さないような威力を、つい向けてしまった。なかなか攻撃が当たらないから?他よりもパワーがあるから?どんな言い訳をした所で人を殺してしまった事に変わりはない。

 とうとうやってしまった。もう戻れない所まで来てしまった。

 だがどうだ。


 人を殺すことなんて、一瞬ではないか。


 この耐えがたい吐き気と、正気を保っていられないほどの罪悪感だって、いっそ夜明を待たずに獣になることを受け入れてしまえば消えてなくなるハズだ。今まで悩んでいたのがバカバカしい。どうせ自分はもう引き返せないところまで来ているのだ。世界を滅ぼさなくたって、人間を殺さなくたって、獣化の進んでいる自分を受け入れる世界なんてものはない。ならば何も迷うことは無く――。

 彼女がその考えに至り、全てを自然に委ねる、その直前。


「どうした、俺は死んじゃいないぞテレストラ。殺したと思ったか?」

「……ッ!」


 凛とした少年の声が、バキバキと棘が砕ける音と共に触手を通してテレストラに伝わる。予想外の展開に息を呑む少女と対照的に、防御の為に両の腕を血に染めた少年は大きく息を吐き、そして力強く言い放つ。


「大丈夫。君を人殺しになんかしないさ。だから――溜まってるモンがあるなら全部ぶつけて来い!その後で、必ず幸せになってもらう!」

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