第7話 元凶
「くっそ……間に合え!」
闇の中を駆けながら、五条優護は思わず叫ぶ。
ここはリール姉妹の暮らす王国の、その北部に位置するとある廃城。身体強化の恩恵を受けて強化された視力によって、視界は良好。廃城とは言え走る為の足場も申し分なく、怪物との追いかけっこにも問題はない。
リール邸でのスメラルドによる衝撃の発言から1時間後。少しの話し合いと準備を経て優護は単身、元凶の根城である廃城へと転移を行う。入口等ではなく初めから城の中心に位置する部屋へ、だ。
敵の懐へ潜り込むのだから、当然これまでに街で見かけたのとは比にならない程の怪物が湧いてくるだろう事は予想できた。付近に居住している者がいないため、拠点である廃城ごと吹き飛ばす手も考えていたのだが――。
――て、あ……こを、誰か……!
ここへ転移してからというもの、誰かの助けを求める声がずっと聞こえてくるのである。
当然のように城内は泥の怪物が跋扈しており、何の力も持たない者が迷い込めば危険極まりない。かと言って最短距離の為に壁やら床やらを壊し抜けていける程の安定性をこの廃城が持っているのかなど、判断できるハズもない。
それ故に優護はひたすら駆け回り、蹴散らしながら声の主の許を目指す。
「この声の主も、
息を切らせながら自らにそう言い聞かせると今一度、少年は今回の終末騒動の元凶たる少女について思い返すのだった。
*
世界の滅亡までおよそ10時間。その言葉で室内が静寂に包まれる。
それから数秒、真っ先にそれを破ったのはフィエリであった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!夜明けですって?アイツらが出てきてからの1週間、ずっとこの調子なのよ?生活はメチャクチャになったけど、それでも一晩で世界が終わるなんてとても―――」
「終わります。残念ですが
無機質さを感じさせる口調で、梅紫色の髪をした少女がフィエリの疑問に答える。
初めて彼女が声を発した事とその内容もあり、スメラルドを除いた室内の視線が全て彼女へ向けられた。
「む、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はアメティスト。この世界の管理者です」
「それだけかい?もう少し何か情報があってもいいんじゃない?」
「いえ、既に管理者の事はスメラルドを通して知っているのでしょうから無駄は省きます」
「相変わらず堅いなぁ……まあ、こんな感じだけど割と抜けてるとこもあるカワイイ管理者だから、みんな仲良くしてあげてね」
なんですかそれは、とスメラルドに抗議するアメティスト。時間の無駄と言いながらすぐに脱線している辺りが矛盾の塊である管理者らしくもある。が、そんな管理者たちのやり取りをいつまでも放っておいたら埒が明かない。そう判断した優護が2人の管理者に向かって声をかけた。
「アンタらには聞きたい事が沢山あるけど、取りあえずはその
そう尋ねられ、ハッとした様子でアメティストが彼に向き直る。コホン、と咳払いをすると少々頬を赤くしながら話し始めた。
「失礼しました。気を付けてはいるのですが、どうも彼女とは相性が悪いようで……そうやって引き戻してくださると助かります」
「もう少し能天気になってみなよ?そんなんじゃ管理者人生楽しめないよ?なあアメティス……もがっ!?」
アメティストがまたしても流される直前、フィエリの手でスメラルドの口元に水の猿轡が出来ていた。
彼女とて時間が惜しいのは理解しているはずだが、どうにも今は「アメティストをいじる」ことで頭がいっぱいな様である。スメラルドさんは暫くそのままね、とフィエリが呟く。
「それでは改めて。今回の騒動の元凶は、名をテレストラ・フィーユ。王国北部に暮らしていた10歳の少女です」
世界を滅ぼす程の人物が、たった10歳の少女。
それは4人がなんとなく思い描いていた元凶の人物像とは全く重ならず、またしても静寂が訪れるが、アメティストは構わず続ける。
「彼女は両親と、それから兄が1人いましたが10日ほど前に亡くしています。故郷の村ごと」
「村ごと……?」
思わず桜子が声に出して聞き返すが、フィエリの時のようにアメティストがそれを咎めることは無かった。
「そうですね、貴女方からすると馴染みのないことなのでしょう。村が野盗の一団に襲われたのです。それも協心術者が何人か所属する規模の大きなものでしたから、村は一晩でアッサリと蹂躙されました。彼女……フィエリの様な強大な術者が街の防衛に尽力しているならばそれなりの治安も望めましょう。あの水壁は敵対者の心を折る見事な守りですから」
その口調からは確かに悲しみを感じ取ることが出来たが、それも一瞬で消えると一拍置いて告げる。
「しかし村にはそれほどの力を持った協心術者は居ませんでした。時間は惜しいですが、必要な事と判断したので少々話をさせていただきます」
*
10歳の彼女にとって家族とは、生まれ育った村とは、世界の全てと言っても過言ではありませんでした。決して裕福とは言えない暮らしでも、彼女は幸福でした。優しく、時に厳しい両親と、いつも自分の知らないことを教えてくれる兄。朝は村の端に暮らすおばあさんの元へお使いに行き、昼は友人と川で遊び、夕方家に帰れば今日あった出来事を家族と話す。それが彼女の日常であり、世界でした。
目に映るのは炎の赤。
鼻をつくのは鉄の臭い。
耳へ響くのは家族の悲鳴。
肌で感じるのは――初めて触れる、人の悪意。
彼女の世界は一夜にして野盗によって滅ぼされましたが、それで終わる話ではありません。
要らない。そんな世界は要らない。
こんなにも辛くて悲しい世界なんて、要らない。
野盗がもう少し念入りに家の中を調べていたら、結果は変わったかもしれません。テレストラが世界を拒絶し、
野盗の襲撃から3日後。崩れた世界で彼女は世界が司る生命と契約を交わすと、泥に生命を与えて次々と世界に解き放ちました。獣化?気にしません。自分が消えるのは最早どうでもいいのです。頭にあるのは世界を滅ぼす、ただそれだけ。彼女に出来るのは形在るモノへ生命を与える事と、それの操作。もし返り討ちに遭う様ならば、何度でもその泥に生命を吹き込んでやればいい。
そうしていざ怪物に人間を襲わせた彼女でしたが、そこで1つの大きな誤算が生じました。
出会い頭に男の片足を食い千切ってみせると、その傍らに居た女が泣きながらその男を庇うように覆いかぶさったのです。
怒りと困惑が綯い交ぜになった彼女は、自然に意識を侵されながらも殺すことは保留にします。
次も、また次も、殺しこそしないものの人々を襲い続け、気付けば1週間が経過していました。
自然による侵食が進み、あと一晩と持たないその状況になっても彼女の答えは出ず、夜明けと共に自然に支配された彼女は今度こそ人を殺し尽くす事でしょう。
人類を呪う、自然の使者として。
*
「と、ここまでが彼女についてです。何か質問はありますか?」
優護たちへ元凶となる少女の説明を一通り終えたアメティストが、そう尋ねてくる。
唾棄すべき悪辣。無辜の民を傷つける敵。そのイメージが揺らぎ、動揺を隠せない様子のフィエリ。サラもまた、ただ姉や五条姉弟によって打倒されるのを望むばかりであった相手の背景に、表情は暗いのであった。
そんな中で、いつもと変わらない調子の桜子が口を開く。
「ひとついいかしら。そのテレストラさんは"人類を滅ぼす"為にこの世界の生命と契約を交わしたのよね?そんな事が可能なの?なんだかそれだと、まるで自然の側にも人類への害意があるように感じられるのだけれど」
「よく気付きましたね異邦の少女。その通り、普段であればその契約内容は自然の側が受理しません。ですが契約を結べる、内容を判断出来るという事は、彼らにも人間のそれとは比べ物にならない程微量ではありますが、意思があるということ」
そこで一度息を吐くと、紫の管理者は室内を見回してから言葉を続ける。
「つまり、今回の事は自然によるささやかな人類への反抗。そういう事になるのです。この様な事態は初めてですから、恐らくは長い歴史の中で積み重なった人類への不満が、人類の滅亡を願う彼女と接触したことで最悪の形として噴出したのでしょう」
「……ギフトを授ける段階では気付けなかったのね」
アメティストの告白を受けて桜子が呟く。
それは管理者を責めるようなものではなく、単なる確認であったのだが、それでもスメラルド曰く"お堅い"彼女には思うところがあったのだろう。サッと、顔立ちの整った彼女の表情が曇る。
「……恥ずかしながら。自然と人間には共存していって欲しいと、そう願って授けたのですがまさか――」
「だっ、大丈夫ですよ!ほら、私は水と契約出来て毎日楽しいっていうか、みんなを護ることの出来る凄い力だし、他のみんなもそうですけど力を貸してくれる自然にはちゃんと感謝して共存出来ていますし……!!」
「そ、そうです!今回のことだって事故みたいなもので、みんな協心術にはお世話になってます!」
すかさずフォロー(と呼ぶにはアタフタしているが)を入れるのはリール姉妹。
自分たちの世界が、街が、大切な人たちが滅ぼうとしている。その黒幕が"実は可哀想な年下の女の子"と判明して、負の感情をぶつけることも出来なかった。それでも目の前で笑顔になれない人がいたなら、迷わず自分よりもそちらを優先する。そんな優しい姉妹。
「ありがとうございます。誰かを思いやれるその強い心が、自然から好かれる所以なのかもしれませんね。ところで――」
姉妹に感謝を述べたアメティストが、部屋の隅で沈黙を守る優護へと体を向ける。
「肝心の救世主である貴方からは何もありませんか?」
「まあ特にはな。要はみんな助ければいいんだろ?」
「随分アッサリと言いますね。頼もしい限りですが……黒幕が可哀想な少女だと判明したからって獣化直前の人間を
リール姉妹に向けていた優しい表情は消え失せ、そこに在るのは世界に対して平等であろうとする管理者の姿。"他と比べて人間贔屓をすることに些か罪悪感を覚える管理者"とは、初めてスメラルドから受けた説明の中で彼女を評した言葉であったか。
ガラリと、アメティストの纏う雰囲気が変わったのを感じたリール姉妹が息を呑む。
が、しかしそれは彼女だけではない様で――。
「可哀想な少女だから、だって?舐めるなよアメティスト。こっちは元凶が人間だって聞いた時から全部助けるつもりなんだよ」
無策のまま理想を口にしているだけではない。この男は、五条優護は本気で元凶の少女ごと世界を救おうとしている。そも一人の少女を救えないで何が救世主か、という話である。"たった一人の少女の命か世界か"なんていう話でもない。幸運なことに二者択一でないのだ。であれば当然、選ぶべき選択肢は一つしかあり得ない。
「テレストラも世界も両方救う。この世界の
と、ここで部屋の空気に耐えかねたフィエリが水の猿轡を解いてスメラルドを投入する。
「ヒュー!言うじゃないか優護、それでこそ僕の見込んだ救世主だよ!はいはい、アメティストも怖い顔しないで笑って笑って。君に一番似合うのは優しい笑顔だ」
口が自由になった途端に場の収束を図るスメラルド。先ほどの様に天邪鬼が顔を出さなければ基本的には優秀なコミュニケーション能力を発揮するのだ。
「……ごめんなさい。確かに優護、貴方の言う通りよ。どちらかしか救えないなんてことはない。少女を殺して解決するよりも、そちらの方が管理者の私としても当然望ましい」
「いや、こちらこそ悪かった。俺の言動が考えなしに聞こえたのは俺の責任だ」
「――ふふっ、そうですね。スメラルドから聞いていたけど、そういえば貴方達姉弟はこういうのが日常なんでしたっけ?だから何とも適当な返事に聞こえてしまったのね」
ヒリついていた部屋の空気が元に戻ると、姉妹が胸をなでおろす。
「それじゃあサクサクいこう!まず僕ら管理者と君たち心式使いの4人はこれから王国北部の廃城へと向かう。そこが彼女の根城だからね」
スメラルドの言葉にもう一人の管理者が頷き、姉弟が返事をする。
一方で声のかからなかった2人が顔を見合わせていると、再びスメラルドが口を開く。
「いやいや、君たちは元よりこの救世には関わらなくていいんだよ?サラ、君を僕の話に信憑性を持たせる為にあちらへ呼んでしまってすまなかったね。謝罪するよ。どうかあと一晩だけこの生活に耐えておくれ」
第三者からすればワザと煽っているようにしか聞こえない台詞だが、これでスメラルドの本心からの言葉であり、これ以上彼女たちを危険な目に遭わせないようにという配慮であった。
しかしそんな事を言われて黙っていられる程に、この姉妹は殊勝な性格はしていないのだ。
確かに、救世主とされる少年のようなパワーは持っていない。その姉のような頭脳と知恵もなければ、自分たちには各々の協心術と、守りたいものへの想いしかない。片や自分、もしくは自分に触れているモノという限定された空間転移。片や都市の防衛に8割以上も力を割いてしまっている水使い。守りたい思いだけで勝てる程優しい相手なハズもない。
それがどうした。
世界が終わるかどうかの瀬戸際なのだ。
打てる手は全て打ち、注げる力は全て注ぎ、想いの限り心を燃やさなければ、終わる時に必ず後悔する。
それに何より、彼女たちも知ってしまったのだ。今更見ぬふり聞かぬふりなど出来ようはずもない。
「アイツの台詞を借りるみたいだけど、私たちだって舐めないで貰えるかしら」
「そ、そうです!出来る事はなんだってしますから、私たちだって世界の為に何かしたいです!!」
その姉妹の言葉を受けたスメラルドは、意外なほどにアッサリとそれを了承するのであった。
「そうかい。それなら無論歓迎するとも!手札は多いに越したことはないからね。君たちも力を貸してくれるなら素直に感謝するよ」
それじゃあ、と改めて室内のメンツを見回したスメラルドが変更点を告げる。
「サラは一緒に現地へ一度飛んで廃城を記憶。転移を可能にした後、またオールスへ帰還してくれ。フィエリは引き続き街の防衛を行いながら異変があればサラを通して僕たちに知らせて欲しい。なに、本当に君の力が必要になった時は必ず呼ぶとも」
その言葉に若干不満そうにしながらも、オールスの防衛を果たせるのはフィエリしかいないため彼女はそれを承諾する。
「それじゃあ10分後に発とう。まずは僕が優護を廃城のど真ん中に放り込んで注意を引かせるから、アメティストは彼女たちを廃城から少し離れた所に送ってやってくれ。え?そんな事が出来るのかって??やだなぁ人間に出来て管理者に出来ない事は無いって言ったじゃない。やる、やらないは別として心式も協心術も他の異能も、在るとわかっているなら思うがままさ」
サラっと衝撃の事実が明るみに出たが、五条姉弟がその事に驚く一方でリール姉妹は違うことに驚いていた。
「いやいやいや!なんでアンタはいきなり敵の根城のど真ん中に放り込むって言われてそんなに落ち着いてるのよ!?」
「そ、そうですよぉ!桜子さんだってスルーしてますけどいいんですかぁ!?」
「そう言われてもなぁ……全員で固まって動くよりは良さそうじゃないか?」
「そうねぇ。いつも私が囮になるんだから、偶には体験してみたらいいわ」
心配してもらっているのだが、どうも彼ら姉弟には響かない様である。
ちなみに桜子が囮になるのは相手の油断を誘いやすい外見と、いざとなれば人や物を透過して逃げることが出来るからである。
そんなこんなで10分が経ち、いよいよ優護は敵の根城へと放り込まれたのであった。
*
そこまで思い返して、ようやく声の主が居るであろう部屋の前に辿り着く。
声は3つ。いずれも話す内容は同じ。
助けて、あの子を誰か助けて――
声の主の傍に傷病人でもいるのか、この声は珍しく自分のことではなく誰かを思ってのSOSであった。
果たして少年が扉を開くと、部屋の中には3人の人影が見える。
成人した男女と、優護よりも少し幼く見える1人の少年。彼らは扉を開けた優護へと、一斉にその虚ろな眼を向けると口を開く。
「あ……の、子をぉぉぉ…………」
「たすっ、た、た、た、たたた助けっ、けっけててて」
「お、お願いします!お願い!!します!!!」
一目でわかった。それほどまでに何かがズレていた。
そう、彼らは死んだはずのテレストラの家族である。
死者であるはずの彼らが、とてもぎこちなかったとはいえ動き、話し、助けを求めてきた。それが生命の協心術者である彼女と関係してるのかなんて知らないが、それでも優護にも確かにわかることはあった。
テレストラは間違いなく愛されていた、と。
だから彼は短くこう答える。
「ああ、任せてくれ。世界ごと助けてくるよ」
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