第6話 円形水壁都市オールス

 サラが休んだのを確認した3人は屋敷を出て、街へと繰り出す。

 スメラルドからは「休んでいるといい」と言われたが、フィエリはどうも用事があるらしいので姉弟も付いて行くことにしたのだ。

 途中、何人か屋敷の使用人と思われる人に挨拶されたのだが、どの人物もみな物腰柔らかく落ち着いていたことを優護は思い出す。


「なんだか街の雰囲気と比べると、ここに居る人たちは落ち着いてる感じがするな」


 まあまだ街の人間には遭遇していないのだが。

 それでもあんな怪物が徘徊している事を鑑みると、あの屋敷の人たちからはどこか余裕が感じられた。


「そりゃあそうよ。屋敷は安全だし、それにアンタは知らないだろうけどね、私ってこれでもそこそこ強いんだからね?」


 そんなフィエリの言葉を聞いて優護はサラの台詞を思い出す。"水の協心きょうしん術者である姉は王国有数の実力者"なのだという、そんな台詞を。

 そしてどうやらそれは姉の桜子も同じであったようだ。


「そういえばサラさんが言っていたわね。お姉ちゃんは最強だー、だったかしら」

「そこまでは言ってないってば!?……でもそうね。防衛って観点ならそれも間違いじゃないかもね」


 そう言ってフィエリが大通りの、更にその先を指さす。

 このオールスの街は入口から真っすぐに、大きな太い道が領主であるリール家の屋敷へと続く形状をしており、その大通り沿いに商店街が、更にその外側に居住区が展開されている円形の街である。従って普段であれば彼女の指す先には街の入口となる門が見えるはずであるが――。


「なんだありゃ……?」


 そこに門の姿はなく、巨大な水の壁が出来ていた。

 その入口を覆う壁は、いや、入口だけではない。のだ。


「見ての通り水の壁よ。グルっと一周、このオールスの街を常時囲んでいるわ」


 なんでもない事のようにサラっと彼女は告げる。


「普段なら入口はちゃんと開けてるんだけど、こんな状況じゃあ余計な怪物を呼び込むだけだしね」


 ちょっとは驚いた?と些か得意げに付け足す彼女を見て思わず優護は笑いだす。


「ブッ……はは、あはははは!すっっっげぇ!こんなのが見れるなんて世界を超えてきた甲斐があるってもんだ!」

「驚いた……今上から見てきたけどもこの街、直径で3キロはあるわよ?それを高さ10メートル程の水壁で囲うだなんて」


 いつの間にか地面を離れ、空から街を眺めてきた桜子は唖然としている。

 そんな2人の反応に満足したのか、少し頬を赤くしたフィエリがその手のひらサイズの胸を張って更に続ける。


「だからこの街は外に比べて怪物がまだ少ないってわけ!街の中に定期的に湧いてくる怪物は私が見つけ次第掃除してるしね」

「掃除?再生するあの怪物たちを??」


 フィエリの言葉に桜子が素早く反応する。

 サラの言葉通りならば、あの怪物の被害が甚大なものになっているのは再生能力によるところが大きいのだ。あの怪物は、こちらの世界に来て強化されている優護の一撃を受けても時間さえあれば再生を果たす。とても水をかけたり、例え水圧カッターのようにして小間切れに出来たとしても仕留めることが出来るとは思えないのだが……。


「そう!て言っても、仕留める手段があるとかじゃないの」


 見てて、と言って彼女が指を鳴らすと突如として水の球が目の前に現れる。

 これが協心術による水の生成。世界の法則が異なるからこそ成しうるわざ

 怪物がまるまる入るほど大きなその水球は、よく見ると水が球の中心へ向かうように循環しているのがわかる。


「これに容れることで動きを封じるのよ。そしたらあとは街の隅に運んで、そこにあるもっと大きな球にまとめて放り込んどくの」


 なるほど彼女のやり方であれば怪物を無力化することは叶うだろう。しかしそこで桜子が一つの疑問を口にする。


「もっと大きなって……貴女あの水壁の他に水球まで管理しているの?協心きょうしん術っていうのは疲れたりだとか、何か消費するものはないのかしら?」


 例えば心式しんしき使いであれば心を源にしている能力故に振るうたび、精神的な疲労が蓄積されていくのだが協心術者の彼女は現状ではとくに疲れた様子は見受けられない。

 問いを受けたフィエリは一瞬きょとんとするが、直ぐに納得した様子で語り始めた。


「なるほど、心式は体力みたいに使えばそれだけ消耗する異能なのね?協心術はそうね、特に消耗するものは無いわ。ただあらかじめ上限が決められているだけなの」


 上限?と優護が首を傾げる。


「そ。自分が契約を結んだ相手に気に入られているほど、振るえる力は大きくなる。私みたいな水の協心術者なら単純に生成、操作出来る水量が上がるって感じね。その貸与された力の範囲内でなら、どれだけ術を使おうと疲れたりはしないわ。手足を振るう様なものよ」

「範囲内でなら疲れない……それなら、上限を超えて振るうことも可能なのかしら?」


 またしても桜子がフィエリの発言に対して質問をぶつけると、フィエリは少々辟易した様子で、それでも律儀に答えていく。


「出来ない事はないけど……それは人間に許されている領域ではないの」

「と言うと?契約違反で命を取られんのか?」

「ううん、命ではなく肉体よ。超過して力を振るう場合はその身の一部に自然そのものを降ろさなきゃいけないの。でもね、そんなものに人間が耐えられるわけがない。いずれ体を自然側に支配されて、それでも器は人間だから、そこで生じる苦痛に耐えかねて本能のままに暴走するのよ」


獣化じゅうかと、そう術者たちは呼んでいるわ。とても人間とは呼べない獣になるからよ……そうなったら殺してあげるしかなくなるわね」


 最後に一拍置いて告げられたその言葉に、姉弟は衝撃を受けながらも納得していた。命であったり肉体であったり、相応のリスクを背負っているからこその振れ幅なのだと。

 少し重くなった空気を払拭するように、フィエリが口早にフォローを入れる。なんといってもこの少女、重い空気だとか辛気臭いのがたいそう苦手なのである。


「と言っても、普通は上限なんて自分で感じ取れるものだから獣化はそうそう起こらないわよ?私も上限はわかってるから無茶なんて全然してないし!それにしてもよくそんなとこに気付くわね桜子ちゃんは……あ」

「ふふっ」

「さ、桜子……なんでしたっけ?」


 勢いあまってちゃん付けで呼んでからフィエリは思い出す。サラの話通りならこの幽霊(?)少女(??)は自分よりも年上なのだという事を。


 すごいなー、サラと同じくらいなのに本当に頭が回って賢いなー、なんだか口調も大人びてるなー。と、そこまで考えるまですっかり忘れていたのだ。

 何せ御伽噺の救世主だの異世界だの管理者だのと、いちいち登場人物の年齢まで頭に留めておく余裕がなかった。見た目の印象と、頭の片隅に残っていたスメラルドの"桜子ちゃん"呼び。それらが併さり今まで自然と年下だと思い込んでいた。


「ご、ごめんなさい年上なのに軽々しく!その、私……!」


 今までの口調や、屋敷の使用人にもフランクな態度で接していたので優護は忘れていたが、これでもフィエリは"お嬢様"として扱われる身である。幼い頃から礼儀作法についてはそれなりに上等な教育を受けているし、彼女自身の心根が善良である為、目上の人間への礼には彼女なりに気を遣っているのだ。

 優護と違い、その事に薄々気付いていた桜子はいつ彼女が思い出すのかと少々意地悪く期待していたのだが、それが思った以上に楽しい反応をしてくれたのでつい笑ってしまった。それがフィエリの動揺に拍車をかける事になったので、多少の罪悪感を抱きながら桜子が話す。


「いいのよ全然。もう慣れているから気にしてないわ!……ほんとよ?だからその、あまり畏まらないでね?」

「は、はい!ありがとうございます……」


 これから背中を預けて戦うことになるかもしれない相手。そういった事を差し引いても、この善良な姉妹とは友人でありたいと、当然口には出さないが桜子は想う。願わくは弟の良き友人、或は……と、そこまで考え思い至る。


「そうそう、それよりもフィエリさんはおいくつなのかしら?」

「あ、はい!17歳です」

「じゃあ俺と一緒か」


 フィエリの返事に桜子が、優護の返事にフィエリがホッとする。これでさっきからアンタ呼ばわりしていた優護まで年上だったのなら、余計に面倒な展開になるところであった。


「それじゃあ、改めてよろしくな」

「ん、こちらこそ。救世主様と握手だなんて光栄ねー」


 優護の差し出した右手を握り返しながらフィエリが軽口を叩く。

 人が人なら感涙ものよー?と続く言葉に優護が嫌そうな顔をする。

 彼の人助けは飽くまで趣味。自分が我慢ならないから助けているだけ。気持ち的には「うるせえ黙って諦めて助けられろ!」と、そんな感じである。

 なので「ありがとう」と言われるのは嬉しいが、自分が何かしたわけでもない言い伝えで泣かれても対応に困るのだ。


「と、そろそろ着くわね」


 フィエリの術の内容に始まり、年齢の話まで。何もわざわざ危険な街に出てきて話し込んでいたわけではない。スメラルドが情報収集にこの世界の管理者たるアメティストの許へ赴き、サラが休んでいる間、手持ち無沙汰になった彼らは各避難所を回って情報や物資の運搬を行おうとしていたのだ。


「本当はみんな屋敷に入れられたらいいんだけどね……」


 リール邸は怪物に対抗できる協心術者の姉妹が居るほか、物資も通常の家庭とは比べ物にならない程に蓄えがある。また、不思議なことに怪物は剥き出しの地面からしか湧かないということが確認されているのだが、リール邸の庭は芝生か石畳で覆われているためそもそも屋敷の敷地内には怪物が湧き出さない。

 その為に彼女たちの家は安全地帯と化しており、可能ならば街に暮らす人々を受け入れてあげたい。

 が、いくら広いとは言っても流石に街の住民全てなど入りきるはずもない。だからと言って一部の住民のみを招いた結果、万が一にでも他の住民が暴動を起こすと、怪物が跋扈する現状ではその人たちの命が危なくなる。


「貴女たち姉妹はどうにも抱え込むのね。あまり良い事とは言えないわよ?」

「あっ、そうですよね……すみません、ありがとうございます」

「寧ろ胸を張りなさい?危険を承知で、自分の家の蓄えを配って歩いてるんだから文句なんて言わせないわ。この件で文句を言われるのは元凶の人物だけよ」


 桜子の言葉に頷くフィエリが、あることに気付く。


「元凶の、人物……?これ、誰かの協心術なんですか??」

「スメラルドはそう言っていたわ。私たちの世界に来たあのワンちゃんが再生しなかったのは、世界を超えて術の恩恵を受けられなくなったからだってね」


 おお、とすっかり忘れていた優護がポンと手を叩く。

 ワンちゃん呼びを含めて大きな衝撃を受けたフィエリだったが、驚愕はすぐに消えて怒りがこみあげてくる。街の商店街に響く威勢のいいおじさんの声、友達とはしゃぐ子ども達の笑顔、日向で休む老夫婦の姿。どれも素敵な、生まれ育ったこの街の風景だった。自慢の街だった。


 それをこんな非日常の世界へと変えた人物が居るのなら許せない。

 この非日常が日常へと為り変わってしまう前に、何としても打倒しなければならない。

 強大な心式を手に入れたのだからそれは自分が――そこまで考えて桜子の声に意識を引き戻される。


「ストップ。私が迂闊だったわね、ごめんなさい」

「いえ、そんな……私の方こそ抱え込むなって言われたばかりなのに……」

「あー、ほら!アソコの家だろ石造りの地下室あるの。まずはそっちを助けに行こうぜ」

「……そう、そうよね。まずは目の前で困っている人からよね」


 しゅんとした様子のフィエリの気を紛らわそうと優護が声を張る。意図がバレバレの気の遣い方だが、彼女には効果があったようで胸をなでおろすと、その家へ向けて3人が歩を進めるのであった。



     *



 五条姉弟はもちろん、基本的には怪物の掃除担当だったフィエリには避難所がどれだけの物資を必要としているのか全く読めず、革の鞄に入るだけ詰めた物資は2件目の避難所で底を突いてしまった。その為に一度屋敷へ戻ったのだが、鞄の大きさが変わらない以上は何度も往復しなくてはならない。

 そこで桜子の提案を受けたフィエリは中が空洞になっている巨大な水球を生成し、それを鞄の代わりとして使うことにした。運ぶ物資は食料の他にも清潔な包帯や薬草など、水に濡らすのは望ましくないものが多かったが、そこも桜子に考えがあった。


「いいかしら?貴女が真に水を操ると言うのなら、それからことも出来るはずよ?」


 スメラルドは「文明を壊したくないから余計な物を持ち込むな」と言っていたが、この程度の知識、というよりも認識の差を埋めるだけならば問題ないだろうと判断した桜子がフィエリに囁く。


「物が濡れるっていうのはね、言い換えればそこに水がくっついているってことなのよ。それから沈むのは水が変形していくからなの」

「えっと……?」


 分子だとか原子だとか、そんな概念がまだ存在しない世界での説明には少々時間を要したものの、桜子先生による講義の成果はあったようで、パンを使った3回目の実験で遂に水球バックから出し入れしてもパンが濡れたり抜け落ちることはなくなった。


「す、すごい!スゴいスゴいスゴいです!!」


 感激のあまり桜子の手を取って喜ぶフィエリの顔はとても近く、珍しく桜子が困っていた。その画は17歳と(見た目)14歳の見目麗しい少女たちによるものであるので、もしかしたら一部の嗜好を持つ方々には大変な好評を戴けたかもしれないがここに居るのは残念ながら五条少年ただ一人。

 片方は実姉であるので当然そういった感想は出ず、上手くいって良かったなーと実験で使われた濡れパンを頬張るだけである。


 そんな事がありつつも運搬手段を手に入れた彼らは順調に避難所を回って行く。

 物資が水に沈まなくなったことで水球はなるべく薄く、その代わりに大きく作れるのも貢献していた。


「しかしよく思いついたなぁ姉ちゃん」

「スメラルドが最初に言ってたでしょ?まずは世界を創って、それからギフトを足したと。きっと私たちの世界の物理法則はデフォルトの状態なのね。アレは心式を使って人間が見つけ出したもので、恐らくギフトは関係していない。だから思ったのよ、何も無いとこから水が出てくる世界だけど、私たちの世界の法則は全く使えないのかって」


 物は上から下に落ちる。空は青ければ太陽も見える。酸素を必要とする異世界人の彼らにも呼吸が出来、パンだって作られている。


「これも推測ではあるけど、協心術であんな事が出来るのはそこだけ世界の法則ルールが付け足されているんじゃないかしら?元の物理法則と私たちが呼ぶものに、更に"協心術ではなんちゃらが出来る"ってね」


 あまり勉強の得意でない優護だが、それはモチベーションがないだけで地頭は決して悪い方ではなく、寧ろ日々の人助けで磨かれているので良いとすら言える。それ故、姉の話すこともキチンと理解は出来るのだが、よくそこに気付くもんだとしきりに感心していた。


「もっと人の……いや、アレを人と呼んでいいのかはわからないけども、とにかく知らない情報はもっと注意深く聞かなきゃダメよ?いくら勉強嫌いでもね」

「あはは……いやぁ、人助けするのに世界の成り立ちは関係ないと思って」

「勿体ないわぁ~、こんなに素晴らしい知識が身に付くのに勉強が嫌いだなんて……」


 優護の言い訳にフィエリがため息をつきながら反応する。

 確かに一理ある……と思いながらも、優護は異世界の勉強嫌い学生代表としてそこは反論するのに躊躇わなかった。


「確かに?さっきみたいにすぐさま実地で役立つならそうだと思うぜ??でも残念ながらそうじゃないんだなぁこれが。絶対この先の人生で使わねぇだろって内容とか、それを覚えて何の役に立つんだって内容が沢山あってだなぁ……」


 複素数?波の性質?銅の原産国ナンバーワン?いやいやどこで使うんだよって話ですよ、と高校2年生五条優護は語る。


「学ぶっていうのは必要な事の為だけにするんじゃないの。いつか必要になった時に困らないように学ぶのよ?」


 サラリと手短に高校生の意見を砕いた桜子が語り掛ける相手は弟ではなくフィエリである。

 この騒動が収まったらこっちに遊びに来るといいわ、なんて上機嫌で話しかけている。勉強が、というよりも新しい知識を得るのが好きな桜子にとって、学びたいと目を輝かせるフィエリは可愛い妹のように見えるのかもしれない。


「それにね優護。そもそも貴方、学校の授業以外は


 続く桜子の言葉にドキリ、と優護が動きを止める。


「まぁ別に良いのだけれどね。私は勉強嫌いじゃないし、そもそもそれ以上に貴方には鍛錬と人助けすきなことをしていて欲しいから」

「……いつもありがとう」


 意味深なやり取りの最後に優護が照れくさそうに呟くと、一人置いてけぼりのフィエリに桜子が軽く説明する。


「簡単な事よ、私は優護の心に宿ってるって聞いたでしょう?だからね、任意で記憶の共有が出来るの。優護が人助けをしている間、私が知識を蓄えておく。優護からすると必要があるけど、これで学校の成績も良いんだから」


 少し得意げに語る桜子と、向こうの世界の常識を知らない為ただただ感心するフィエリ。

 もしもこの場にもう一人、姉弟の世界側の人間が居たなら「それは歪だ」と言っていただろうか?

 だがそれも、きっと言ったところで彼らには意味がない。彼らの普通は彼らが決めるのだ。そんな一点だけを見つめて普通じゃないと言われたところで何も響きはしないのだ。



     *



 約3時間かけて全ての避難所を回り終えた彼らが屋敷へ戻る頃には、既に日が落ちかけていた。落陽を迎えるオールスの街を振り返る優護の脳裏に、避難所で見かけた人々の顔が浮かぶ。


 飢えに喘ぐ者、傷に苦しむ者、死に怯える者。誰もが皆、フィエリを見ると笑顔になっていった。それだけで、どれ程この街の人々がリール家を慕っているのかが伺える。屋敷が安全なのも知っているようであったが、その上でなお、お屋敷には怪物が出ない様で何よりですと、頭を垂れる者さえいた。


 自分の大好きな人たちが傷ついて、元凶も人間だとわかっていて、それで国内でも有数の協心術を持つ少女にはせいぜい物資の運搬しか出来なくて。どれだけ悔しかったのだろうかと、そう考えると彼女からの提案も断れなかった。


 フィエリはせめて彼らにもう一つ。

 もう一つだけ心の万能薬を与えていきたいと少年に頼んだのだ。


 ――希望を、与えていきたいと。


 桜子がフワフワと漂いながら泥の怪物を避難所の前まで誘導して来る。数は7匹。

 そのまま人々の目につく前に桜子が上空へ退避すると、怪物たちは標的を避難所の前にいた優護へと変更する。

 王国の術師団に所属する協心術者でも1対1で足止めするのが限度と聞いていた怪物が、たった1人の少年目掛けて殺到する光景に思わず息を呑む人々が次に見たのは、1匹残らず少年に吹き飛ばされて地面に飛び散る怪物たちの残骸だった。


 破壊力が桁違いなのか、それともまた違う要因があるのか。いずれにせよ再生が遅い泥の塊を踏み越えて近づいて来る少年の正体がわからない彼らは、最初に"見せたいものがある"と言ってきたフィエリを見つめる。


「みんな救世主のお話は知ってるわよね?」


 この街、否。この国に暮らすものであれば誰であれ知っている御伽噺。世界が絶望に包まれ、誰しもが諦めたその時に、遠い空から降り立つ勇者が終わる世界を救ってくれるという、そんな御伽話。

 彼女の言わんとしていることを察したのか、段々と彼らの興奮が高まっていく。

 息の荒い者、手の震える者、目に涙を浮かべる者。何れも飢えや痛みや恐怖に拠るものではない。


 嬉しいのだ。

 幼少のころから誰もが聞かされるその話は、決して御伽噺ではなかったのだ。


「空の果てから来た勇者。世界を救い、絶望に幕を引く者!それこそが――彼よ」


 ワッと人々が沸く。優護は慣れないながらに手を振って笑顔でそれに応えると、必ず助けると力強く宣言する。お祭り騒ぎの避難所へ、その喧噪を聞きつけた怪物が更に3匹突進して来るが、これも優護が文字通り瞬殺する。

 まあ正確には殺せていないので、優護に注目が集まっている隙に水球へ残骸を回収しているのだが。


 それじゃあもう少しだけ耐えてくれ、と言葉を残し一行は次の避難所を目指す。

 正直な話、こんなに上手くいくとは優護自身思っていなかったが、それも彼女と町民の信頼関係があってこそだろう。フィエリの言葉だからこその説得力なのだ。


「お疲れさま、何だかゆー君が遠い人になったみたいでお姉ちゃん寂しいわぁ」


 屋敷へ戻るなり茶化す桜子だが、その視線は弟の成長を見守る姉バカそのものである。

 いつもなら適当に返すところだが、流石に今回は思うところがあったらしい。


「あー、はいはい……でも、ああやって元気になってくれる人が居るならこんなのも偶には悪くないかもな」


 そう答えると桜子はゆー君の癖に~と少々不機嫌になり、変わってフィエリが今度は礼を言ってくる。


「ありがとね、皆元気になってた!それにしても……プッ、くくっ……くっ……ゆ、ゆー君て」


 どうしてもツッコミたかった気持ちと、感謝の気持ちが混ざって半笑いのフィエリに、今度こそ適当に返すと優護は屋敷の2階、リール姉妹の部屋を目指す。

 運が良ければ既にスメラルドが帰ってきているはずだ。一刻も早く元凶を打倒し、街で見た彼らに笑顔を取り戻したい。町民の為にとフィエリが行ったそれは、優護に戦う理由をより強く刻みこみ、逸らせた結果として部屋へ入る際のノックを忘れさせた。


「スメラルド!戻ってるか!?」


 開き戸を力いっぱい開けた優護の視界に飛び込んできたのは下着姿の美少女3人。


 1人は初めて見る高校生くらいの少女で、梅紫色をした肩までの長さのいわゆる姫カット。その紫紺の瞳が初めて遭遇する優護へ鋭く向けられる。あとの中学生ほどの2人は言わずもがな。スメラルドとサラである。

 スメラルドは薄緑のブラとショーツ、上下お揃いのデザインだ。現代的なそのデザインは、彼女がライダースジャケットにガウチョパンツを身に付けていたことから意外性は無いに等しい。唯一、琴線に触れるとすればレースやフリルがあしらわれており、意外と可愛いものが好きなんだなと普段の彼女を知る者に思わせる程度であろうか。

 翻って他の2人は(異世界人にとって)意外性の塊であった。

 サラは純白の、謎の少女は菫色のブラと紐パンなのである。2人ともがこの格好という事は、こちらの世界ではスタンダードなのかもしれない。が、あの一見内向的にも見える程に主張の弱いサラがセクシーの定番とも呼べる紐パンとはこれ如何に。

 姫カットの彼女も彼女だ。どこか無機質な表情とその紫紺の眼差しは、いずれ傾国の美女と呼ばれてもなんら不思議ではないだけのポテンシャルを秘めている。だのに紐パンとはこれ如何に。

 確かにブラも紐パンも15世紀にはあちらの世界でも確認されていた。だがしかしこれは、実際に目の当たりにすると最早ギャップの暴力と呼んでも差し支えないのではないだろうか。


 と、ここまでの熱い語りは後に優護の記憶を覗いた桜子氏によるもの。


 当の優護はドアを開けきった後コンマ2秒で土下座へ移行し不動を保った。姉とフィエリが到着した後に場を取り持ってもらい釈明する為である。サラが思わず悲鳴を上げ、顔を真っ赤にしたスメラルドが素足で頭をゲシゲシ踏んでくるが動かない。かの有名な風林火山を思い出す。

 動かざること山の如し――何事にも揺らがされない心を持ち、動くべき時までは決して軽々しく動いてはいけないのだ。


 かくして桜子とフィエリは、下着姿で悲鳴を上げる少女の前で、同じく下着姿の少女に頭を踏まれながら微動だにしない救世主を目撃するのであった。


 ちなみに姫カットの彼女は名をアメティスト。

 抜けているところのある彼女は異世界の衣装が気になると発言したサラと、ノリノリで脱ぎ始めたスメラルドに釣られて何故か自分も脱いでいた。結果としてこの世界の管理者たる彼女は部屋の隅で耳まで真っ赤にしながらプルプル震える羽目に陥る。


 あるゆる感情を等しく内包する管理者だが、同じ「羞恥」の感情でも個人差が出るものなのだろうか?もしくは優護への認識の差によるものだろうか?いずれにせよ面白い事に変わりはないと、後に桜子は語る。



     *



 一波乱あったもののなんとか落ち着いたようで、ようやく優護は入室の許可を得る。

 室内には管理者、心式使い、協心術者がそれぞれ2人ずつ。いよいよ世界滅亡の詳細が判明する事もあり、一気に空気が緊張する。優護が部屋に入ったのを確認すると、ベッドに腰掛けるスメラルドが口を開く。


「彼女の自己紹介は後にして、まずは一番大事な事を話そう。この数時間でお約束のドラマパートは済ませたかい?情報共有、戦いの動機付け、それからまぁ、お色気要素……」


 最後が小声だったがそのまま管理者は続ける。

 そしてそれが、彼女からの最初の指令オーダーである。


「世界が滅びるのは約10時間後、夜明けと共にだ。ここから先にお約束は要らない。世界を救え。何をしてでも」

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