第4話 なぜサラ・リールは世界を超えたのか

 救世主の御伽噺は少女の暮らすオールスの街に限らず、王国民ならば小さな頃に誰しも親や祖父母から聞かされる。

 世界が絶望に包まれ誰しもが諦めたその時。

 遠い空から降り立つ勇者が終わる世界を救ってくれる、と。


 どうして今そんな話を思い出したのかと問われれば、この今の世界の状況こそが終末のソレだと感じているからであると、銀髪の少女サラ・リールは答える。

 空は黒い雲に覆われ、街には人気がない。

 それどころか、一歩地下の隠れ家から外に出てみれば怪物に襲い掛かられる始末だ。

 ちょうど、今の彼女のように――。


「た、大変です……!そろそろ自分がどこを走っているのかわかりません!」


 息を切らしながら走るサラの後ろに、四足で地を駆ける黒い怪物が迫ってくる。よく見るとその体は泥で出来ているようで、体を揺らすたびに石畳へと泥が散る。両者の距離がみるみる縮まり、とうとうその白い足に怪物が噛みつこうと飛びかかったその時。ふわり、と少女の姿が消え失せた。

 人気の絶えたオールスの広場に、怪物だけが取り残される。


「危ないところでした……でも私が止まるわけにはいきません、皆の為にも」


 広場から数百メートル離れた民家。

 その屋根の上で、一瞬前まで広場にいた少女が気合いを入れ直す。


 サラ・リールはこの街とその周囲を治めるリール家の次女である。

 普段であればこんな危険な真似はしたいと言ってもさせては貰えないのだが、未曾有の災害に見舞われている現状ではそうも言っていられない。

 国中で泥の怪物が確認されるようになってから約1週間。見境なく人を襲う怪物によって、人々の暮らしはあっという間に崩壊した。

この怪物、なぜか命までは奪わないのだが、だからと言って無害などとは到底言えない。怪我をした者は数えきれず、中には腕や足を失った者も少なくない。


 怪物被害は当然この街にも及んでおり、彼女の暮らす屋敷の使用人にも被害が出ている。幸い軽傷ではあったものの怪物被害の報告件数は増す一方で、いつ甚大な被害が出るか全く予想が出来ない状況であった。


 それからほどなくして非常事態宣言がなされると、国を挙げて民間人の避難が始まる。


 避難誘導、及び道中の護衛、避難所の作成は王国所属のが担当する。自然と契約を結び、その力を振るう彼らは各々が強力な力を持ち、大半の術者は一対一の戦闘で怪物に後れを取ることはなかった。

 しかしこの怪物の恐ろしいところはその数と再生力にある。

 地面から湧いてきたという多数の報告と、その泥の体から、彼らは土さえあれば際限なく湧き出すと考えられている。また、撃破され泥の塊に戻ったように見えても数秒で元に戻ってしまう性質が、敵対する者の心を折るのであった。


 その為に避難は遅々として進まず、その間にも増える怪物被害に対処するべくサラは父へ申し出たのだ。"空間の協心きょうしん術者"である自分が物や情報を運ぶ街の生命線になると。


 協心術――サラの世界の管理者であるアメティストが人々に与えたギフト。

 他の管理者と比べ、人間だけを贔屓することに罪悪感を感じた彼女は人と自然が手を取り合うようなギフトを考えた。


 協心術者を目指す者はそれぞれ、まずは力を貸してくれる存在を探す。

 人間のソレとは比べ物にならない程微量ではあるが、確かに意思を持つこの世界の自然は術者を選定する。例えば豪放磊落、気炎万丈な人物は炎に好かれ、簡素清貧、貞淑清楚であれば水に好かれるといった具合に。


 そうして自分のパトロンを見つけた者は次に――これが最も重要になるのだが――自然に対して契約を結ぶ。優し過ぎる論外な条件と見なされても特にリスクはなく、単に条件の見直しを促されるだけなのだがその逆は違う。

 一度提案した条件を承認されてしまうと以降の取り消しは一切出来ず、契約を破った暁にはその命を奪われる。相手の好みに合致し、なおかつ制約の厳しいものであるほど貸し与えられる力は強大になるのだが、その提案は一度きり。つまりは覚悟が試されるのだ。


 人類を支えるはずのこのギフトで、現在までに少なくない者が契約を破り命を落としてきたがそこはそれ。

 アメティストにとって契約を破るような人間の魂は転生対象である。早めに生まれ変わって次は自然に対して誠実な人になってくださいね。という彼女なりの人類のより良い繁栄へ向けた愛情なのだ。


 そうした過程を経て協心術者は誕生する。

 その後は高給取りかつ、社会的な地位も高い王国術師団へ入る者、技を磨き家業に活かす者、個人的な趣味を捗らせる者など様々である。

 が、サラの場合は若干14歳にして王国術師団への入団が期待されていた。"空間"と契約を交わしたのは彼女が初めてだからである。


 その誰からも愛され、誰をも愛する性格故なのか。はたまた当時9歳とは思えない程に理知的な判断力故か。ともかく彼女は世界を支配する"空間"に気に入られ、"他者の為に使うこと"を条件に契約を交わす。

 かくして彼女は"空間への干渉と自由移動"の力を手に入れる。


 本来捉えることの出来ない空間へ干渉し、異なる場所へ通じる穴を開ける。そうしてその中を自由に移動することで彼女の瞬間移動は成立する。

 開いた穴へ偶然誰かが、或は追いかけてきた怪物が飛び込んでも、空間を移動することの出来ない者には何の影響も及ばさない。自由移動まで含めて成立するあたりに、マメな彼女の性格が表れていると言えるだろう。


 その性格や普段の行動から両親の信頼は篤く、更に領民の危機とあってはサラの申し出が反対されることもなかった。


 そうしてサラが街の中で物資や情報の輸送を始めて2日。ほぼ休みなく動いていた彼女に、限界が迫りつつあった。怪物は人を殺さないとは言っても、そんなものいつ気まぐれで変わるかわかったものではない。そんな緊張感の中で14歳の少女が動き続けられたこと自体が既に僥倖である。

 瞬間移動の為には空間の穴を繋げる先を思い浮かべる必要があるのだが、集中力が途切れ始めるとそれも上手くいかず、先ほどの広場のような緊急時以外は徒歩での移動が増えていた。


「……止まれませんが、ここはやはり一度休むべきでしょうか」


 屋根から降りて路地をあるきながら、少女は呟く。

 徒歩での移動は、基本的に地面を移動する怪物共に発見されるリスクが飛躍的に上がる。万が一自分が怪物共に襲われるような事になれば休憩をする以上に物流、情報の伝達が途絶えてしまう。


 それに、だ。

 領民それぞれが独自に築いた避難所を回るうちに見てしまったのだ――怪物被害に遭い片足を失った人間と、その家族を。自分も一歩間違えればそうなるのかもしれないと考えてしまったのだ。

 考えただけでも恐ろしいと、そう感じる。

 自分が腕や足を失ったら、使、考えるだけで泣きそうになる。

 無論自分の四肢が欠けるのも嫌である。痛いのは嫌だし恐ろしいのも嫌。

 けれどもそれ以上に自分のことで誰かを悲しませるのが恐ろしい。


「あっ―――」


 そう、数秒考えこんでしまった為に反応が遅れた。

 泥を散らしながら向かって来る影に気が付いた時には、もうその影は飛びかかろうと姿勢を低くしているところだった。


 思考が纏まらず移動先が思い浮かばない。ただ、あるのは助けて欲しいという思いだけ。

 自分を、この街を、国を、世界を、そこに暮らす人々を。


 必死に怪物を避けようと身を捩りながら、思い浮かぶのは救世主の御伽噺。


 ああ、もしも。

 もしも本当にそんな人がいるのなら。

 どうして未だにこの世界に来てくれないのでしょう。


 そんな風に、考える。


 もし本当に居るのなら、いっそ私から


 そんな風に、考えた。


 瞬間、空間の穴がどこかへ繋がる。

 考えている余裕はなかった。

 間一髪。正面から飛びかかってきた怪物を、ギリギリ身を捩って避けると、そのまま背後の穴へ倒れ込むようにして入る。

 怪物も一緒に飛び込む形になるが関係ない。空間移動の能力を持っていなければ何事もなく元の場所へ落ちるだけだ。そう、彼女や彼女の衣服に少しでも触れてサラ・リールの一部という判定を受けない限りは。


 そして彼女は世界を超える。

 移動先の景色など思い浮かぶはずもない。しかしそれでも実際に、彼女は衣服を掠める怪物と共に非行少年のたむろする路地裏へ飛ばされて、更にその5秒後には五条優護と遭遇したのだ。

 そう繋がってしまったのは奇跡か、それとも――。



     *



「まあ僕が呼んだんだけどね!」


 さらりと笑顔で主張するスメラルド。ドヤ顔とも取れる。

 時折スメラルドが管理者やギフトについての解説を入れながらではあったが、サラが自分の世界のこと、ギフトのこと、そして五条姉弟に出会うまでを一通り話してくれた内容を纏めると、このようになるのであった。


 そしてここまでの説明を受けた優護がドヤ顔継続中のスメラルドに質問をする。


「じゃあスメラルド。俺が殴った怪物がそのまま泥になって消えたのはなんでだ?」


 その場面には居合わせなかったはずの管理者が、淡々と答える。


「決まってるじゃない。供給が断たれたからだよ」

「供給?」

「そ、供給。彼らがすぐ再生するのはあっちに居る元凶の協心術によるものだったんだろうね。彼らは自然と契約を交わすって性質上、個人の出力はなかなかなんだけど世界を超えてしまうと何も出来なくなるんだよ。僕はこの世界の自然に意思を持たせてないからね、契約を結べないのさ」


 そういうもんなのか、と納得した優護はサラの方へ向き直る。正座しその両手を膝の上で握りしめる彼女の表情は硬く、暗い。

 その様子に、優護よりも早く桜子が反応する。


「偉い子ね、そして強い子。でもどうか、もう少し自分を大切にしてね」


 そう言ってフワフワとサラの前まで飛んでいくと、その頭を優しく抱きしめる。

 年齢に不釣り合いな包容力に再度戸惑うサラと、何か言葉をかけようとして先を越された優護。


「こういうのは君よりも桜子ちゃんの方が向いているみたいだねぇ」


 そうこぼすスメラルドに優護が適当に返すと、それじゃと立ち上がり告げる。


「なるべく早く行こう。こうしている間にも危険な目に遭ってる人がいるんだろ?」

「そりゃもう数えきれないくらいにね。ただもう少し待ちなよ、まだ情報提供会は終わっちゃいない。彼女だって向こうへ着いたなら立派な戦力だ。だから、まず安全な今のうちに落ち着いて君たちの心式について伝えておくべきだろう。情報の交換は安全な時に正確に、だ」


 その言葉に優護は納得すると、ならば早速と口を開きかけて再度スメラルドに待ったをかけられる。


「絶対君そういう説明とか向いてないから僕がするよ」

「む、まあ確かに得意とは言えないが……」

「それに万が一、僕の把握している内容と差異があっても困るからね。君たち自身もよく聞いていて欲しい」

「ああ、わかったよ」


 優護の返事に、続けて桜子からも了承の声が飛ぶ。


「それじゃあサラさん、あまりビックリしないでね?」


 桜子にそう言われてポカンとするサラであったが、わかりましたと、そう何とか返す。


「それじゃあまずは優護からいこうか」


 そう切り出して管理者の少女は口を開いた。


 五条優護。"救済"の心式使い。

 8歳の時に自動車事故に遭い重傷を負う。その際に心式に覚醒。

 その本質は"誰かを救うためのもの"で、能力は"助けを求める人物の心の声が聞こえる"、"他者の為にのみ既知の異能を借り受けられる"この2点。

 異能を借りる際には本来の持ち主と優護の目的が合致している必要があり、なおかつ優護が使用している最中は本来の使用者はその能力を封じられる。

 現在使用可能な異能は3つ存在し、これはいずれも心式で"身体強化"と"治癒"、そして"天運操作"。この心式の本来の持ち主は優護の両親と姉で、この3人はいずれも既に――。


「必要な情報はもう全部出たんじゃないかしら?」


 桜子がピシャリと言い放つ。

 スメラルドはハッと我に返ると本当に申し訳なさそうにし、こう続ける。


「ごめんよ。自制しなければとは思っていたんだけど、段々と全てつまびらかに説明したいって感情に流されちゃって――」

「別にいいさ。管理者ってそういうものなんだろ?俺だってもう9年前のことだし怒ったりしないよ」


 そう、管理者とは人間のもとになった存在である。それ故に全てを、全ての感情を持っている。人間であれば「性格」と呼称され個別に傾向は異なるものだが、彼らは違う。人類を愛するという一点を除いてはコロコロ感情が変化するのだ。それもまた、近くに感情をガイドする話し相手でもいればまだマシにはなるのだが。


 優護の反応を見た桜子が嘆息し、続きを促す。


「さ、じゃあ次は私の説明をお願いするわ」

「ああ、今度は気を付けるとも」


 五条桜子。"天運操作"の心式使い。優護の姉であり故人。

 事故に遭った直後、命の危機の中で心式に覚醒。

 その本質は"逃れえぬ苦難を曲げるためのもの"で、能力は"対象の持つ幸運、不運の量を自身や他者と交換可能"というもの。

 優護の命を救うため、その死の不幸を一身に背負い命を落とす。が、とある偶然によって実体を伴うとも伴わないとも言える不思議な体となって顕現。

 以降は優護の心に宿る形で彼を支える。

 外見は事故当時の14歳から変わらないが、中身は23歳のおねーさん。


 そう考えるとゆー君呼びとか正直痛い。


「不要な情報まで出たんじゃないかしら?」


 底冷えのするような目で管理者を見る桜子と、今度はあまり反省の色がないスメラルド。

 二人の間では桜子に頭を抱えられたままのサラが情報を処理しきれずにいる。思考回路はショート寸前だ。


「え……?え?あの、桜子さんは、その……??」


 泣き出しそうなサラを見た桜子が、珍しく慌てた様子で笑顔を見せる。


「大丈夫よ、幽霊みたいなものだと思ってちょうだい」


 それに、と桜子が続ける。


「優護も言ってたけどもうこれは終わったことなの、サラさんが気を遣うことはないわ」


 優しく語り掛けるその声に、サラもようやく落ち着きを取り戻す。

 その様子を見て管理者の少女は誰にも聞こえない声で呟いた。


「その程度で落ち着けるあたり、なかなかに彼女もぶっ飛んでると思うんだけどなぁ」


 こうして4人の情報提供会は幕を閉じ、本格的に異世界へ向けた準備を開始するのであった。



     *



「と言っても持ち込むものなんてないというか、下手に文明荒らしても困るから寧ろ持ち込まないで欲しいんだけどね」

「構わないぜ、必要なものがあれば現地調達にしよう」


 スメラルドの発言に即答する優護は、既に準備万端なようだ。

 手ぶらともいう。


「話が早くて助かるよ。あ、服はそのままでいいよ?あちらに行ってから服を探す暇があるかもわからないからね。君たち姉弟と僕には、違和感が出ないように認識阻害を施しておこう」


 いかにもファンタジーだろう?と得意気なスメラルドだが、当の本人たちに効果は実感できないのでありがたみはいまいち薄い。サラだけはしきりに感心していたので、それで管理者の少女は満足なようだったが。


「それじゃあ行こうか、空間を繋げるところまでは僕がしよう。その後はサラに捕まっていれば一緒に移動できるはずだ」


 それぞれが応答したのを確認して、スメラルドが世界を繋げる。


 それでは行こう、世界を救いに。

 遠く遠く、世界を超えて――。

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