第2話 管理人は突然に
ゆうに100キロを超えるであろう怪物の体躯が、路地裏の湿った地面へ轟音と共に叩きつけられる。
顔であった部分が潰れたアンパンのようになったそれは、一度痙攣したかと思うとそのまま硬直し、やがてドロドロと溶け始めた。
「うおっ、なんだこれ……」
「生き物ではなかったのかしら?このドロドロしたのから元に戻ったりしないといいのだけど」
夏場に見慣れない虫を発見してしまったかのような口調の
大なり小なり危険を伴いながら人を助けるソレは、彼らにとって早朝のランニングやお風呂上がりのストレッチと大差なく、日常を形成する光景だ。今日は正体不明の怪物と、ファンタジー美少女が混入したので非日常と言えば非日常ではあったのだが。
そんな非日常的な体験に少しテンションの高い二人とは対照的に、銀髪少女はとても静かだった――というより、いつの間にか気を失っていた。
あらあら、といかにも年長者らしい口ぶりで桜子が少女の元へフワフワ漂っていく。
「ゆー君、取りあえず彼女を連れて帰りましょう」
「その呼び方外ではやめろってば……」
どうやら「ゆー君」呼びに反発したらしい少年の意見をスルーして、桜子は続ける。
「あの変な
「いやいやあのサイズは犬じゃないでしょ」
本人は至って真面目に話していたつもりだったのだろう。茶々を入れてくる(と感じる)優護にジトっとした目を向けると、早く彼女を担げと無言で訴えてくる。
「はいはい……これ誘拐で捕まったりしないよね?」
嘆息しながら少女へ近づく優護が、気付きたくなかった可能性に気付いて動きを止める。
「そうねぇ、どちらかというと略取だものね」
略取行為――その人の意思に反して、暴行、脅迫等によりその人を自己または第三者の支配下に置くこと。
もしも彼女の気絶の原因が目の前で起きた戦闘によるものだとしたら、それは力を見せつけ脅迫した事になってしまうのだろうかと、優護は一応アレコレと考えてみるが当然一介の高校生にそんなものはわからない。何よりもまず上手い返しだったでしょと言わんばかりの姉の表情がわからない。
考えることを諦めて少女へ優護が手を伸ばしたその時、またしても桜子が声を発した。
が、今度は幾分真面目なトーンで――。
「ちょっとゆー君、その手で女の子抱えるつもり?」
指摘され、ようやく優護は自分の拳が裂けていることに気付く。強化した拳であればコンクリートの壁くらいは無傷で壊せるのだが、どうやらあの怪物はそれ以上に硬かったようだ。こんな手で彼女を抱えては優護の血がベッタリと少女の衣服に付いてしまう。
「悪い、気付かなかった」
短くそう返して、優護は素早く
同時に2つの能力を借りられないので身体強化は解除することになるが、既に脅威は去ったので問題ないのだろう。
改めて銀髪少女の方へと向き直り、優護はその背中とひざ下に手を回して抱え上げる――つまりお姫様抱っこである。意識のない人間は重い。よく聞く話ではあるが、日頃から鍛錬を重ねている優護と小柄な少女の間においては、どうやらその限りではないらしい。
「結構軽いな、家まで抱えても問題なさそうだ」
「そう、それは上々ね。それじゃあ帰りましょうか」
桜子は先ほどまでと違い、字義通り地に足がついている様子で歩き出す。あくまでも様子なので、実際に地面に触れているわけではないのだが大通りへ戻ったところですれ違った人達が気付くことはなかった。それよりも優護の抱える異装の少女へと視線が集まるのだが、それもそこまで。変な人とは思うようだが、そこはコスプレ大国日本。わざわざ声をかけてくるような人もいなければ、騒ぎにもならず家路につくことが出来た。
*
目を覚まして叫ばれたりしないだろうかという優護の不安は杞憂に終わり、家賃1万7千円の愛すべき我が家であるアパートまで辿り着く。
夕方ではあったのだが幸い人通りは少なく、意識のない女の子を運び込むには好都合であった。冷めた時代とは言われても、それでも不必要にご近所さんの心証を悪くするのは避けたいのである。
階段を特に苦も無く登り終えると不意に桜子が足を止める。
どうやら前方を見つめているらしい桜子につられ、優護もそちらを見やると彼らの部屋の前に小さな人影があった。小学校高学年ほどのその影も優護たちに気付いたようで、こちらを振り向く。
翡翠色のセミショートに、緑玉の瞳。神秘さを感じさせるそれらと対照的に、ライダースジャケットにガウチョパンツという日常的に見かける格好。彼女が何かを伝えようと口を開きかけて――
「優護っ!!」
桜子が吼えた。
瞬間、全身に身体強化を施して優護がアパートの通路から外へ向けて飛びだす。
人を抱えていようが2階だろうが身体強化の前では関係ない。難なく駐車場へ着地するとそのまま走り出そうと顔を上げる。そこへ――
「やっほ、そんなに
と、少々拗ねた様子の声が響き、吐息と共に耳朶をくすぐる。
どうやら緑の彼女は優護の傍らへ瞬間的に移動したらしい。
「いやぁ、もしかして桜子ちゃんには僕の
素早く距離を取る優護を置いて、彼女は桜子へ謝罪する。
「……そうね、貴女の持つソレは到底人間には扱いきれないものだわ」
2階の通路から警戒したままそう答える桜子は、飽くまでも冷静に、駐車場からこちらを見上げる本日3例目のアンノウンへと問いかける。
「それじゃあ貴女はいったい何者なのかしら?」
「よくぞ聞いてくれました!僕の名前はスメラルド」
ずっと名乗りたかったのであろう少女は声高にそう告げる。
それはニックネームか、偽名か、もしくは日本語の達者な外国人か、或は――
「君たちの暮らすこの世界の管理人をやってます♪」
予想もつかない存在か。
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