第31話 王の取り計らい

私が倒れてから三日後、ようやくサハルから薬が届けられた。

「さあ、チナ。薬を飲んで。」

アムジャドから薬を渡されても、喉が痛くて、飲む気がしない。

「チナ。どうした?薬を飲まないと、治らないよ。」

「うん……」

目を半分開け、遠くを見つめる私を、アムジャドは抱き起してくれて、口移しで薬を飲ませてくれた。

「ん?」

ゴクンと薬を飲んだ私を見て、アムジャドのため息が聞こえる。

「よかった。」

アムジャドに抱き寄せられ、彼の匂いが鼻をくすぐる。


「この2,3日。チナの事ばかり考えていた。チナを失ってしまったら、僕は生きていけない。」

私の頬に、アムジャドの涙が落ちてきた。

「チナ。もう僕は、チナのいない世界に戻りたくない。一緒に暮らそう。僕は、皇太子の座を降りるよ。」

「アムジャド……」

「静かな場所に移って、僕達だけで暮らすんだ。その方がいい。」

「待って。アムジャド。」

私はアムジャドの頬に流れる涙を拭った。

「私達には、私達にしかできない仕事があるわ。それを投げだすなんて、できない。」

「僕には、弟がいる。弟に皇太子を譲ればいいんだ。」

「ダメよ。アムジャドにしか、できない事よ。この国の人達の為に、皇太子の座を降りては駄目。」


みんな、アムジャドがこの国の王になる事を、待ち望んでいる。

この国は、アムジャドを必要としている。

それを変えてはいけない。


「私こそ、王妃の座を辞退する。医者をやりながら王妃もやるなんて、私には無理だもの。」

「駄目だ、駄目だ。チナ以外の妻なんて、僕には必要ない!」

こんなに弱々しいアムジャドを見るのは、初めてだった。

まるで、母親に捨てられるのを恐れている子供みたいだ。

「アムジャド。泣かないで。私、必ず病気を治すから。そうしたらまた、一緒にいたい。」

「約束だよ、チナ。僕を一人置いて、逝ってしまったら駄目だ。」

アムジャドの私を抱きしめる力が、強くなる。


「アムジャド。これ以上ここにいたら、病気が移ってしまうわ。」

「チナの移されるのなら、本望だよ。」

アムジャドが私を見つめる。

「チナ。どうして僕は、こんなにもチナを愛しているだろう。」

「えっ?」

「君に会うまで、僕は孤独だった。どんな人と付き合おうと、僕の孤独を満たしてくれる人はいなかった。君だけだ。一緒にいると僕がこの世に生まれてきた意味を思い知らされる。」

アムジャドは、私の額にキスをした。

「チナ。僕はチナと出会う為に、この世に生まれてきたんだよ。チナもそうであって欲しいな。」

私は、クスッと笑った。

「聞くまでもないでしょう?」

「チナ?」

「私もあなたに会う為に、この世に生まれた。じゃなきゃ、日本を離れて、中東に来ないわよ。」

自分が病気である事も忘れ、私達はずっと抱きしめ合っていた。


アムジャドが看病してくれたおかげで、翌日には病気も治っていた。

「どう?チナ。今日の体調は。」

「悪くはないわ。アムジャド。あなたのおかげよ。」

私達は我慢していたキスをしようと、顔を近づけた。

その時だった。

「お邪魔するよ。」

扉が開いて、国王が私の部屋へ現れた。」

「おっ、本当に邪魔をしてしまったか。」

「父上……」

4日振りのキスをお預けされ、アムジャドはムスッとしている。

「今日、この部屋を訪れたのは、他でもない。二人の処遇についてだ。」

「私達の?」

アムジャドが隣に座り、私の手を握ってくれた。

「チナは、この国のお抱え医師を望んでいたな。」

「はい。」

「今回のサハルでの一件、チナ達日本人医師には、心から感謝している。そのお礼をとして、チナとDrツダを、この国のお抱え医師として迎えようと思う。」

「国王……それでは、私達もモルテザー王国公認の医師として、働けるのですね。」

「ああ。こちらこそ、お願いしたいくらいだ。」

私は喜びの涙を流した。


「そしてもう一つ、二人の事だ。」

「はい。」

アムジャドが改めて座り直した。

「チナを、アムジャドの妃に迎え、将来の王妃としての仕事を任せようと思う。」

「父上!」

アムジャドは立ち上がり、顔を覆った。

まるで神に感謝しているようだった。

「チナの、アムジャドへの想い。そしてアムジャドのチナへの愛。二つとも別つ事ができないものだと、判断した。これからは、公に夫婦として一緒に暮らせばよい。」

「ありがとうございます。父上。」

「国王。なんてお礼を申し上げれば……」

泣きじゃくる私に、国王は微笑んでくれた。

「礼は、これからの役目を果たしてくれれば、それでいい。それよりも一人の親として、アムジャドを愛してくれた事。感謝しても感謝しきれない。」


こうして私達は、モルテザー王国の皇太子夫妻として、新たなスタートを切る事になった。

なになに?

じゃあ、医者の仕事はって?

それは……


「はい!診て貰いたい人、手を挙げて。」

「はーい!」

私は、手をチョコンと挙げた男の子の前に座った。

「具合が悪いのかな。ちょっとお姉ちゃんに、身体を見させてちょうだいね。」

肺の音を聞くと、かなりヒューヒューと言う音が聞こえる。


私は相変わらず、バスで1時間かけてこのサハルに来て、医者を続けている。

「ったく。未来の王妃が、へき地で医者をやっているなんて、日本人が聞いたら、腰を抜かすよ。」

「全くだ。」

皇太子妃になっても、仕事を辞めようとしない私に、土井先生と津田先生も呆れ顔だ。

「で?いつ式を挙げるんだ?」

「来月です。」

「来月!?アムジャドもさっさと式を挙げればいいものを。」

「皇太子の挙式となると、大掛かりな準備が必要なんですよ。」

「なんだか、他人事みたいだな。」

津田先生が、後ろから話しかけてきた。

「アムジャドの挙式と言う事は、千奈ちゃんの挙式でもあるんだろ。」

「まあ、そうですけど。」

他人事だと思えるのは、私の中にまだ皇太子妃と言う自覚がないから。

挙式をしたら、そんな自覚も芽生えてくるのかな。


「それにしても、千奈ちゃんとアムジャドが結婚か。」

津田先生が感慨深そうに、涙を拭う。

「千奈ちゃん、辛かったらいつでも、戻ってきていいんだよ。」

「はい。って言っても、ずっとここにいますけど。」

医者になった時は、こんな私でいいのかと悩んだ時もあったし、この治療方針でいいのか、土井先生ともぶつかり合った時もあった。

でも今では、そんな時間さえ愛おしいと思う。

「ところで、同じ皇太子妃候補だったジャミレトさんは、どうするんだ?」

「それが……」


国王が、私達の結婚を告げると、ジャミレトさんは意気消沈で、今にも倒れそうだった。

それもそうだ。

小さい頃から王妃になる事を、信じ込まされ、今になってなれませんなんて、これからどうすればいいか、分からなくなるよね。


「……皇太子の妾妃にもなれないんですよね。」

「ジャミレト。すまない。妃はチナだけだと誓っている。」

鼻をすするジャミレトさんは、そのまま部屋を去った。

あまりにも悲しい別れに、私が後を追いかけると、イマードさんがジャミレトさんの腕を掴んでいた。

「放して!」

「放さない。俺はずっと、あなたに恋焦がれていた。」

おっ!

私は柱の陰に隠れた。

「あなたが皇太子の花嫁にならなければ……ずっと、そう思っていた。」

「イマード。」

イマードさんは、ジャミレトさんを抱き寄せた。

「あなたを手に入れるのは、今しかないと思う。どうか俺の花嫁になってくれ。」


うそおおお!

イマードさんが、ジャミレトさんにプロポーズしている。

「今は考えられないわ。」

「そうか。」

うー。断られて、悲しい顔をしているよ。イマードさん。

「でも……これからは、有り得そうだけどね。」

「ジャミレト……」

もう二人の間に流れるラブラブな雰囲気に負けて、私は戻ってきてしまった。


「ジャミレトの様子はどうだった?」

「私達が心配する事はないみたい。」

私は両手を挙げて、参ったのポーズ。

「そうか。ジャミレトは意外に強いからなぁ。」

「そんな訳ないでしょ。好きな人に振られて。」

そう言うとこは鈍感なアムジャドに、教えてあげた。

「イマードさんが、ジャミレトさんにプロポーズしていた。」

「イマードが!?」

アムジャドはすごく驚いている。

「あいつ、上手く隙をついてやったな。」

「知っていたの?イマードさんが、ジャミレトさんを好きだって。」

「ああ、知っていたよ。あいつは不器用だからな。」


アムジャドは、そう言って笑っていた。

「イマードさんとジャミレトさん、結婚するのかな。」

「おいおい、まだ早いだろ。」

アムジャドが私の妄想を止める。

「早いって事はないわよ。女にとって、愛されている男の人と結婚するのは、幸せな事よ。」

するとアムジャドは、子供みたいに難しい顔をした。

「ジャミレトは、少し前まで僕の婚約者だったんだぞ。そう簡単に、他の男を好きになってたまるか。」

「はいはい。」

要するに、嫉妬なんだよね。

自分の所有物を取られたくない、子供の我が侭?

「チナは、そんな事ないな。」

「どうかな。」

「おい、チナ。」

「嘘だよ。」

私達は、顔を見合わせて笑った。


1カ月後。

私とアムジャドの挙式が催され、国民にみんなが私達の結婚を祝ってくれた。

「アムジャド皇太子!」

「チナ皇太子妃!」

快くこの国に受け入れられたのは、サハルの一件が、国中に伝わったからだと思う。

「今度の皇太子妃は、お医者様みたいよ。」

「しかも、皇太子妃になられても、サハルでお医者様を続けていらっしゃるんでしょ。」

集まってくれた人の視線が痛い。

みんな、私に期待しすぎだよ。


「チナ。僕は君に出会えた事、神様に感謝するよ。」

「私も。あの時、アムジャドに出会えてなければ、こんなにも素晴らしい人生は、待っていなかったわ。」


思えば、まだ医学生だった頃。

津田先生に、ふいに紹介されたアムジャド。

一目で恋に落ちた。

あの瞬間が、夢のよう。

その後、辛い事もたくさんあったけれど、今はその時間さえ愛おしく思う。


「アムジャド。キスして。」

「ああ。」

国民皆の前で、アムジャドとキスをした。

変なの。恥ずかしいのに幸せ。

「これからも、チナを愛し続けるよ。」

「私の方こそ。あなたを第一に想うわ。」


これから始まるシンデレラストーリー。

でも私は、敢えていう。

誰にでも訪れる、ラブストーリーだと。



ーEND-

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砂漠での甘い恋~女医は王子様に溺愛される~他サイトでファンタジー部門1位になりました 日下奈緒 @nao-kusaka

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