第30話 生きたい②

それから2日間。

隣国の検査で結果が出るまで、私は診療所に寝泊りした。

久しぶりの診療所での夕飯に(宮殿から毎晩送られてくる)懐かしい気持ちになったけれど、柔らかいモノしか食べる事ができない子供達を見て、居たたまれなくなった。

中には食べたくないと、食欲のない子もいて。

「食べないと、病気に負けちゃうよ。」

と言っては、一口でもいいから食べさせた。


そしてそれから2日後。

突然、アムジャドとイマードさんが、診療所に現れた。

びっくりしたのは、診療所の皆だ。

「アムジャド皇太子!」

土井先生は、診療所に入ろうとするアムジャドを止めた。

「病気はまだ原因不明です。どうか中には入らないで下さい。」

「原因不明ではない。隣国の検査結果が出た。」

私達はハッとして、その結果が書いてある紙を貰った。


【この地域で時々流行る風土病と見られる。

 抗生物質が病原菌に効くと思われる。】


「そうか。風土病か。」

土井先生も納得していた。

「抗生物質か。効く薬があってよかった。津田先生、千奈。早速子供達に投薬だ。」

「はい。」

私達は隣国から送られてきた抗生物質を、子供達に注射し始めた。

まだ幼くて、泣きだす子供達もいたが、これで大丈夫だ。


「よかった。隣国には、何か返礼品を送らねばならないな。」

「そうですね。」

皆が笑顔になった。

「それにしても、我が国でこのような事態が起こっているとは。知らなかったのは、我々の責任だ。」

「いや、子供達が倒れたのは、わずか三日前の事だ。分からなくて当然ですよ、アムジャド皇太子。」

土井先生が、アムジャドを慰めた。

「そう言ってくれるのは、Drドイがお優しい方だからだ。少ない日数であっても、国民を危険にさらしたのだ。今後はいかなる病気でも、報告させよう。」

土井先生も、津田先生もうんうん頷いている。


「それに何と言っても、愛するチナを危険にさらした。僕はその事が悔やまれてならない。」

皆の前で、アムジャドが私を抱きしめた。

「アムジャド。」

「すまない、チナ。」

ふと見ると、イマードさんが相変わらず冷たい目で見てくる。

私は見せつけの為に、思いっきりアムジャドを抱きしめた。


「それにしても、薬も送って頂いて、本当に良かったですね。」

「本当に。」

私はイマードさんに、笑顔で答えた。

「これで事態は終息に向かうといいな。」

「そうね。」

また子供達の笑い声が、ここに響けばいい。

そして、ふっと力が抜けた時だ。

私はクシャミを一つした。

「大丈夫か?チナ。」

「うん。ただのクシャミ。」

「モルテザー王国では、クシャミは病気の始まりだと言われている。僕のお姫様が病気になったら、大変だ。」

するとアムジャドは、私の額に手を当てた。

「少し熱があるな。」

「そう?」

私は診療所の中に入ると、体温計で熱を測った。


出た温度は、微熱だった。

「大丈夫みたい。風邪でもひいたのかな。」

「風邪?立派な病気だ。」

アムジャドは私に上着を羽織らせると、馬に乗せた。

「Drドイ。チナの病気が酷くなる前に、彼女を連れて行くよ。」

「おうよ。どうせ病気だろうとなかろうと、チナを連れて行くのは、アムジャド皇太子のお得意事でしょうに。」

そう言うと土井先生は私に、風邪薬をくれた。

「これを飲んで、ゆっくり休め。」

「はい。」

そして私とアムジャドを乗せた馬は、サハルを飛び出した。

改めてバスが通る道を、馬で駆け抜ける。


「こんな危険な道だったんだ。」

「そうだな。途中、瓦礫が落ちて来そうな場所もあった。道を整備しないとな。」

アムジャドと一緒にいると、この国の近い未来が見えてくる。

私はそれにドキドキワクワクする。

「アムジャド、寒くない?」

「これぐらいは平気だ。」

アムジャドの身体からほんのり温かみが感じられる。

それに包まれるのも、悪くはない。


そして1時間後、瞬く間に馬は宮殿に着いた。

「早い。バスと同じ時間で来るなんて。」

「バスが通るのが困難な場所も、馬ではすぐに通れるからな。」

私はアムジャドの手を借りて、馬から降りた。


宮殿の中に入ると、サヘルが心配そうに駆け寄ってきた。

「チナ様。ようございました。お元気そうで。」

「サヘル。心配をかけてごめんなさい。」

「いいえ。よくお仕事をお勤めになられました。チナ様のおかげで、この国の子供達が救われました。」

「そんな大袈裟な。」

サヘルと笑って話している時だ。

目の前が、急にふらついた。

「チナ様?」

「大丈夫何でもない。」

そう言った瞬間、目の前の世界が、グルグル回りだした。

「きゃああ!チナ様!」

「チナ!」

隣からアムジャドとサヘルの声が聞こえる。


よく見ると、私は床に倒れていた。

「う……ん……」

「チナを急いで部屋に運ぶぞ!」

そしてアムジャドに抱えられた。

ベッドに寝かせられると、私の息は荒くなった。

「どうしたと言うんだ。風邪じゃなかったのか。」

私はアムジャドの腕を掴んだ。

「アムジャド。私を置いて、今直ぐ部屋を出て。」

「なに?」

「これは、サハルで流行っている風土病よ。周りに移ったら大変な事になる。」

「分かった……」

アムジャドは、サヘルをはじめ女中達に、部屋から出て行くように指示をした。

「薬は、サハルにあるんだな。」

「うん。」

はぁはぁと荒く呼吸をしながら、私は目を瞑った。

あの子達、こんな苦しい思いをしていたなんて。

その上、お母さん達とも離れ離れにされて、悲しい思いをしただろうに。

もっと側に寄り添ってあげればよかった。


「チナ!しっかりしろ!」

アムジャドの声が、遠くに聞こえる。

「今直ぐに、サハルから薬を持って帰ります!」

イマードさんが、大きな声をあげた。

「イマード。頼む。」

「はい!」


その時だった。

「アムジャド皇太子、大変です!」

「どうした!」

「サハルへ行く道路の一部が、土砂崩れで封鎖されました。明日のサヘル行きは難しいかと。」

辺りがシーンとなる。

「……そんな馬鹿な。」

アムジャドが、私の手を握る。

「ああ、どうしたらいいんだ。」

「アムジャド?」

「薬が……手に入らない。」

「えっ?」

「土砂崩れで、道が封鎖されてしまった。」

私は、アムジャドの手を強く握った。

「大丈夫。子供達だって、血液検査の結果が出るまで、点滴で頑張ったんだもの。私も頑張るわ。」

「チナ……」

「さあ、アムジャドも部屋から出て。移ったりしたら、仕事に差し障るもの。」

私はアムジャドの手を放した。

「いや、僕はチナの側にいる。」

放した手を、アムジャドは握り返した。

「ダメよ。あなたまで病気になったら。」

「僕は病気にならない。」

目を開けて、アムジャドの真っすぐな瞳を見た。

「チナ、今夜はゆっくりお休み。明日、病院の医師を連れて来て、点滴をさせよう。」

「うん。」

私は目を閉じると、スーッと夢の世界へと落ちた。

「チナ。愛している。」

その言葉と共に。


しばらくすると、私は真っ白な世界を歩いていた。

「ここはどこだろう。」

歩いても歩いても、白い世界。

すると、遥か向こうに人が歩いていた。

「おーい!」

呼んでもその人は、こちらを振り返らない。

「ねえ!聞こえる?」

私はその人の後を追いかけるように、走った。

「待ってよ!」

振り向いたその人は、肺炎で命を落としたあの男の子だった。

「えっ!」

「何を驚いているの?」

男の子は、真っすぐ私を見つめている。

「僕、死んじゃったんだ。」

「う、ん……」

すると男の子は、私の腕を掴んだ。


「お姉ちゃんも、こっちの世界においでよ。」

目の前を見ると、白い世界に、ぽっかり黒い渦が浮かび上がっていた。

「きゃあああ!」

私は腕を振り払って、黒い渦とは反対の方向に、走って逃げた。

走って走って、逃げて逃げると、白い靄の中から数人の子供達が現れた。

その子供達には、見覚えがあった。

風土病で苦しんで、診療所のベッドで横になっていたあの子供達だ。

中には、涙目で私に訴えていた、あの子供もいる。

「お姉ちゃん。僕達、助からなかったよ。」

「えっ?」

「私達、死んじゃったんだ。」

「嘘!」


どうして!?

薬は届いて、皆に注射したって言うのに。


「ねえ、お姉ちゃん。僕達、今からあの黒い渦の中に、吸い込まれるんだ。」

身体が震えた。

「一緒に行こう。」

「いやああ!」

また別な方向に逃げようとすると、あの涙目で訴えていたあの子供が、私の腕を掴んだ。

「お姉ちゃんだけ助かろうなんて、虫が良すぎるよ。」

その目は、涙目ではなく憎悪に満ちたものだった。

「やめてええええ!」


「チナ!チナ!!」

アムジャドの、私を呼ぶ声が聞こえた。

「アムジャド!」

気づけば、私の目からは涙が出ていた。

「大丈夫か?チナ。」

「アムジャド……何でここに?」

「チナが心配で、ずっとここにいたんだ。」

私の目からは、また涙が出た。


死ねない。

アムジャドを置いて、死ぬ事なんてできない。


「サハルの診療所の子供達、何人か死んでいる?」

「分からない。道が塞がれていて、そういう情報も一切入ってこない。」

でも分かる。

あの子達は、命を落とした子達だ。

「アムジャド……私、まだ生きたい。」

「当たり前だ。死なせてたまるか。」

アムジャドが私の手の甲に、キスをした。

「今、イマードが現場に行って、道を通そうとしている。薬さえ手に入れば、チナも助かるはずだ。」

「でも、助からない子供もいた。」

「チナは助かる。僕が保証する。」

「アムジャド……」


まだ生きたい。

アムジャドと一緒に生きていきたい。

神様、お願い。

この祈りを叶えさせて。

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